マリー・マドレーヌの自叙伝 12
C)箱舟の聖母社


2006年8月十日(木曜日)
今はマリア様の時代

私ってマリア様がこわいって言ってたの。それは、何度か書いてるように幼い頃から受けた虐待のせいで、母親恐怖症を抱えたから。
マリア様が直接たくさんのメッセージをくれたのに、最近、神様の正義が激しく私を責めた。自分は謙遜でないし、いつも汚れ腐って、罪ばかり犯して。心の中で何を考えているか、すぐに人を裁いたり、ごまかしたりね。
そういう私はマリア様が「哀れみの母」と私にも言ってくれたのに、自分の醜さが前面になればなるほど、そればかりを見るようになっちゃって、哀れみ深い方だって言うのを忘れちゃったの。
神様は正義を保持しているけれどね、哀れみ深い方なんだ。その哀れみを全部マリア様に預けたんだよ」って昨日ジャン・マリー司祭が話してくれたんだ。実はこれ、『マリア様のバラ』という本の中にかかれてる。マリア様のところに行くならね、おんちちのところにマリア様は連れていって
「この子をゆるしてあげてください。私を愛してくれたからです」ってとりついでくれるんだ。私が地球の人口60億人いるなかで60億番目に悪い悪女であって、霊魂は産みただれていても、マリア様を慕っていくなら、マリア様はお母さんだから、赦してくれるし、おん父にどうか罰を下さないでって言ってくれるんだよ。
そう、今日の夕方にジャン・マリー司祭が教えてくれたんだけど、天子たちがマリア様を神様が示されたとき、マリア様を敬うことを選んだ。けれど、天使の中で、悪魔はマリア様を自分よりすばらしい方だっていうことを認めないで、「自分こそすばらしいんだ」って言って、マリア様を敬わないことに決めたんだ。このことについて、悪魔に従った天使もいたの。それで、かつては天使だったけれど、悪魔のてしたになった物がいるって事をもう1度教えてくれたの。
 私は昨日自分の死の後、死審判を受けることを思いめぐらしていたらね、とっても恐くなっちゃった。先ほど言った理由で自分の犯す罪はぬぐってもぬぐっても、まだまだあふれるもんだから、もうたまんなくって、前へ進めなくなっちゃったんだ。神様の「裁き」しか見れなくなっちゃったんだね。でも、マリア様の哀れみを本当にしっかり認識してなかった私はマリア様も恐いから、どうしようもないほど苦しかったんだ。
みんなに言うよ。マリア様が厳しいことを言うことがあっても、愛のゆえに言っているってことを。
お母さんが子どもに「ここに行ったら危ないよ」って言ってるのとおんなじなのだから、マリア様が泣いてるのを心にとどめてほしいんだ。


 私、このことをみんなに伝えたいの
☆☆ イエズス様に眼をとくに女の子たちは留めやすいけど、でも、イエズス様は神様だし、それだけでは救われないの。
マリア様は被造物のなかで一番哀れみにとんだ方なんだよ。
だから、ぜったいマリア様によりすがってね。
☆☆ マリア様は寄りすがって助けを求める人のこと、絶対に見捨てないからね!!!

 最近「プライド」と言う罪の事を司祭が説教で言ってくれるんだけど、死審判のとき、マリア様が哀れみの方だ」っていうことを神様が霊魂に教えてくれるんだ。そうして、その霊魂は最後にどうするか決めるんだ。救いぬしとして、イエズス様、神様を受け入れるか、哀れみのマリア様を示されても『私はこのマリア様の哀れみは信じない」って言って、神様が赦すといってくれることに対して、『神様の哀れみより、自分の罪が大きいから、罪はぜったいにゆるしてもらえない」っていうか、どちらか。
「神様の哀れみは小さいよ、だから私の罪はゆるされるもんか」って言って最後に「神様を信じない」って決めて90パーセントの霊魂は神様を拒否してしまっているんだって。
マリア様の事を理解して、それで神様を拒むんだね。
 私、とっても心の痛みが変わった。マリア様の哀れみを頭で理解しているようでぜんぜん理解できてなかった。もっとリラックスするんだね。だから、たくさんの聖人は「自分は罪人だけど、マリア様にすがるなら、地獄のそこまでへりくだれる」って言って、ものすごいマリア様に愛を燃やすんだね。神様は正義だけど、マリア様は聖霊と一緒で、私たちを愛して、慰めていつも一緒にいてくれるんだ。ものすごい弱さを抱えていても、哀れみだけなんだよ、マリア様は。
マリア様は哀れみそのものなんだってジャン・マリー司祭が教えてくれたよ。ひぞうぶつのなかでもっともあわれみぶかいお母さんなんだ。
今までいだいていたマリア様のイメージが私はいっぺんに変わったよ。
私何日か前に「マリア様が恐い」って言ったらね、ジャン・マリーがね、『マリア様が怖いって言ったら悪魔だぞ』って私に言ったよ!!


8月12日(土曜日】
いま、全くローキューションはないの。
昨日、久々に心がからから状態で無気力みたいになったの。ミサ中、ぜんぜん祈りができない。
修道者やカトリックの信者のかたは私のこの幼さを見ていろいろ反応されるはず。
だって、信じてるっていえないもの。みんなのほうがはるかに霊性はまさってて、すばらしいよ。
私は誇ってはぜったいだめなの。ただ、マリア様のとりつぎによって生かしてもらってる。
あと数ヶ月で私は人生を終る。
それまで全部をささげきらないといけないの。
ひどいひどい習練者なのに、ジャン・マリー司祭は助けてくれるんだ。
最近、自分のものを整理し始めた。
けれど、今週私に強烈な不安が襲い始めたのが判った。それは、耳が聴こえなくなること。きこえなくなったらいままでのメッセージも読めない、ジャン・マリーが書いた『マリア様の薔薇」の本も『聖ヨゼフの百合』も読めなくなる。
リトル・ペブルさんが書かれた本『最後の教皇』も読めない。そして、ヨゼファ・メネンデスの『愛の招き』とかワルトルタの本も読めなくなっちゃう。
点字の本はぜんぜん自分の手元にないのね。ぜーんぶ録音してもらったか、音声のソフトで自分で読んでたの。まったくなにもきこえない、なんにもだよ!!
そんなこと、思っちゃったらむしょうに音をききたくなっちゃってさ、いろいろ録音だのしはじめちゃったの。そうしたら気持ちがおちつくんだもの。昨日、ジャン・マリーにぜんぶ話したよ。
ミシェル・マリー・フランソワの『身代わり』として避雷針の役割をおうように、指導されているのに、・・・。
「どうして自分からすすんで苦しみがきたときに喜ばないんだ?」ってジャン・マリーに言われちゃった。
「なんのためにここにきたんだ!!」って。「リトル・ペブルさんを愛するためじゃないのか。苦しみたいんじゃないのか?」ってね。
マリア様、助けて!!ユビツキイの練習をするのは楽しい。なのに、いつか耳がきこえなくなるときが来るんだよね。
今のうちにできることをやろうっていう焦りのような感情が私をせきたてているようでならない。
いっぱーい言われたから、私また「自分は落ちたんだ」って変な思いになって、昨日はぜんぜん聖体降福式で歌えなかった。涙がぼろぼろなんだ。
でも、ぐっと抑えていたけど、ミサが終って、ジャン・マリーに話したらもう泣いちゃった。
そうしたらね、ただひとつ、「ジャン・マリー司祭というつよーいロープに結び合わされて、自分でしっかりついていけば、ローキューションがこれから死ぬまでなくても大丈夫だよ」ってジャン・マリー司祭が励ましてくれた。
ジャン・マリー司祭を通して、神様の思いが教えられるんだし、従えばいいの。2000年来この「指導司祭に従う」っていう教えはカトリックの歴史のなかで、ずうっと続いているものなんだ。
だから、しっかりついていく。修道者はすごーい従順をして一生を終るんだよ。
昨日、『最後の教皇』を私の読書気に録音し始めたの。
ちょっと大掛かりな作業なんだけど、「マリア様の薔薇』をCDに録音できたから、本当にほっとした。
 私、ここで書くことがあるの。ようやくマリア様が望まれてた『愛する息子(ジャン・マリー神父)が書いた私の事が全て判る本『マリア様の薔薇』を読みなさい」って言われたことに「はい」って答えられた。すぐの従順ではなかったんだ。
そしてね、話しがまた戻るんだけど、ジャン・マリー司祭が「自分の感覚にぜったい頼っちゃだめだよ」って再度言われたの。からから状態になる。これは神秘家によくおこることなんだ。数日マリア様に会えなくなると何十年も会っていないような気になって「ギャーギャー」騒ぐんだ。
ぜったい感覚に頼らないでね。一番遠いと自分に感じても、そのときに一番近くいてくださるのがマリア様、天使たち、聖人のみんな、リンボウと煉獄のみんな、そして、イエズスさまなんだ。


☆メッセージ
2006年8月13日(日曜日) (償いの日)
(PM2:14〜2:52)
聖母マリア様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

 (聖母マリア様)
愛する子、あなたの母である聖母がお話しします。
男性の捧げ物は天に喜ばれています。
愛する息子(ジャン・マリー神父)、あなたを祝福しています。
聖母を慕って、避難所である聖母の懐に飛び込んで全てを預けてください。
 マリー・レベッカは、いま、長の言われる事に留まってください。あいしています。
 マリー・マドレーヌは、弱さのなかで戦って、解決は優しい母、あなたを最初から知っている聖母にあることを知りはじめています。
愛着形成ができていない傷から、人を愛することができず、不安を抱えて、気にしているのを、聖母は知っています。
女性の問題が解決できないまま過ごしています。
同じように、聖母は知っています。
苦しい事、不安なことを全部話して「お母さん」と言ってよりすがってください。
すぐそばに愛する息子(ジャン・マリー神父)がいます。一人でやろうとして、神経が磨り減っています。
耳が聴こえなくなることの不安も、全部愛する息子(ジャン・マリー神父)に天が教えますから、大丈夫です。
彼(ジャン・マリー神父)に身を任せてください。
 愛する子ども達、リトル・ペブルと、いま現在の教皇であるベネディクト16世のために祈ってください。
寺沢の事も、全部天に任せてください。
いつも一緒にいます。
弱さを感じたとき、「私はこんなに悪いの。これが本当の私なんだ」と言って、聖母に話すのです。
話さなければ前に進めません。
子供たちの呼ぶ声を待っています。話しかけてくれたときはとっても喜んで聞いているのです。
「お母さん、助けて!」この一言を言うか言わないかで、全く心の状態が決まってしまいます。
愛しています。
天は男性の子らを慰め、力を注ぎます。
これからも神に信頼して歩んでいってください。
司祭の祝福を特にマリー・レベッカにお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
今日は償いの日です。第2ミサをしました。
ロザリオのときです。10珠目のとき「聖母を慕って」と言われる声が聴こえました。
私はしるしを求めるためジャン・マリー司祭に祈りをとめてほしいとあいずしました。
印があるか尋ねたら『識別のための印』が久々にありました。
やく10日ほどローキューションがありませんでしたから、「私はけんそんになりたいです。しもべは聞きます。お話しください」と祈り、ローキューションに備えました。
 マリア様が話してくださったのですが、本当に優しく語りかけてくださいました。
私自身、いっぱい迷って罪を犯してしまいます。本当は天の方の声を聴くほどの器ではありません。
「なのに、どうしてこんなに話してくださるんでしょう?ただ感謝しかありません」。
メッセージを聞いていたときそう思いました。
 今日は録音に少しトラブルがありました。
最初、録音機にマイクが入っていなくて、1度ローキューションが中断しました。けれど、司祭が「しるしをもう1度求めて再開して」という指示をくれました。
指示通りに私は印を求めたらもう1度印をくださいました。
けれど、最後の数分でようやく録音機とマイクの接触が良くなりました。
リトル・ペブルさんとパパ様のために祈るよう聖母マリア様が言われて、私は本当に『こころから祈ります』と心の中で言いました。
 ローキューションがあっても、なくても、マリア様の望みに関して謙遜に従っていくのは変わりありません。
メッセージを下さるとき、私は本当に自分は価値のないもので、ただ道具に過ぎないと心に言い聞かせながらこの時を過ごしました。
マリア様に感謝して最後にメッセージの確認をしました。
印を求めたら『識別のための印』をくださいました。
 「他にローキューションはありますか?」と尋ねて待っていました。けれど、印はありません。
「リトル・ペブルさんに語られることありますか?」と尋ねましたが、印はありませんでした。

8月14日(月曜日)
今日、コルベ・神父様の祝日になってるんだ。
私、コルベ・神父様がアウシュビッツのしゅうよう所で、ガス質にいれられて、身代わりになって亡くなったということをある本で読んだだけで、コルベ神父様がマリア様いっぺんとうだったのはジャン・マリーが書いた『聖ヨゼフの百合』という本に出会うまでまったく知らなかったんだ。
マリア様、「コルベ神父様は戦う騎士として、一生を終えたんだよって、今日コルベ・マリーが教えてくれた。ジャン・マリーも全くコルベ神父様の考えを引き継いでいるから、いっぱい教えられる。
 「マリア様きちがい」って言われたコルベ神父様。ジャン・マリーもなにか言えば『マリア様、マリア様』とマリア様と親しくしてるよ。全部の行動をマリア様に喜んでもらうために捧げてるんだ。

              私の最近の心の状態
マリア様、私ね、意志をふるいおこして執着を捨てないといけないのに、まだなにかに囚われることがいーっぱーいある。
本当に修道信徒なんてぜんぜんいえないよ。いつしか神様に誓願をたてるなんて、いえない。耳が聴こえなくなる不安から、また音楽を聴くことを求め始めちゃった。以前、携帯電話のサイトをいっぱい見た事で、信仰が揺らいだときを過ごした時期があった。確か、昨年の11月ごろだったと思う。
今回もその弱さがまた私を襲った。1度、やめようって入会したサイトの解除をしたけれど、チャクメロの曲を増やしている私はまだなにも知らない漢字で、また今日も再開しちゃった。
マリア様、こんな私で、何もかもがやられ茶ってる。
気にしだしたら、良くないものだよね。
でも、なんだか満ち足りていない空虚な心をいだいてしまってるから、こんな行動に出ちゃうんだろうね。
曲のダウンロードはクラシックに限ってやってるけどね。
実はチャクメロダウンなんて初めて挑戦したんだ。意外と簡単にできちゃうもんだから、あれも、これも、って欲が出ちゃっているみたい。
不安が全部の鍵なんだけれど・・・。
 人生が残り少ないのを感じているからかものすごい焦りを感じてしまって、自分の罪に負けてばっかりで・・・。
これを捧げようと思う。しらみつぶし野用に悪徳を抑えようとひっしになっている感じがする。でも、これは執着の罪があるから、ベルナデッタのように離脱の徳を私、マリア様にお願い慕い。そうおもう。
みんなは、チャクメロとかムービーとか動画なんかをいっぱい楽しんでるのかな。私、携帯電話でこんなことができるようになるなんて思わなかった。自分は眼が見えないから、写真とかムービーは興味ないの。アプリもね。
音声が出ないものはぜんぜん操作できないから、そこに執着はないからいいかもしれないけれど。
この形態でマリア様の事やイエズス様の事を見れるといいね。かわいい羊の絵とか・・・。
私、チャクメロダウンロードをし始めてそう思ったなぁ。

一つのおもいで
これは私が中学1年の頃だったと思う。このとき1年間だけ学校の近くの寮で生活したことがあるの。
初めて親元から離れていろいろ聞きたい音楽とかテープに持っていったのを覚えてる。
 そう、このときに「ベートーベンの熱情』と割るとシュタインという曲が入ったテープを買ってね、特に『熱情』を聴いたんだよ。第3楽章なんだけど、私はこの曲に思いでがあるの。
 ちょうどその頃、テレビで「ピアニストを目指す女の子」の話をしてたんだ。
ドラマなんだけど、その女の子はある大学の学長さんの家に泊まらせてもらってお手伝いさんのような生活をしながら、ピアノを学んでいたの。
そこにいる娘さんといつも比較されて、彼女はありとあらゆる苦痛を受けた。それでもピアニストになりたい夢を捨てないで、一生懸命練習したの。
でも、環境がぜんぜん違ってピアノに触れる時間は学長さんの娘とあまりにも違ってた。
プロを目指すから、腱鞘炎になったり、血を出したりしてた。コンクールに出るために血みどろの練習をしたんだけど、彼女は紙鍵盤で練習を欠かさずやってたんだ。
私が覚えているのはピアノの先生に二人が恋してライバルになるっていう話があったと思う。
彼女は最後には確か音大を卒業したんじゃなかったかな。コンクールに優勝したように思う。
あまりうまく覚えていないけれど、このときに使われたピアノの曲がベートーベンの『熱情』とショパンの『革命』だったと思う。
私、『熱情』を聴く事で辛い学校生活を耐えてたのをふっと土曜日に思い出して、そういえばピアニストになった人のドラマをやってたなぁって思い出したの。
ちなみに作曲家ベートーベンは最後には耳が聴こえなくなったんだよね。
それでも、作曲したっていう話があるよ。

だいぶ話しがずれちゃったけど、私、自分を保つのにどうにもならなくなっちゃった。
マリア様とか天の恵みを直接貰っているのにも関わらず、『音楽』を聴くことの執着が残っていたんだなって思っていま、ここにあからさまに書いた。
マリア様を傷つけちゃった!!そうでないと、じぶんの気持ちが判らないもの。


今まで私の人生に起こったこと
私は生まれてじき、母親との関係に失敗して、愛着形成を失っちゃったの。
それは厳しく育てる母親の異常な思いから愛する能力が奪われてしまった。
 そこで、小さい頃から一人っていう状態が続くようになった。
異食をしたり、オナニーの罪をしたりね。
自分は一人でいることで殻にはいって、なにもかも一人を楽しんだ。
でも、寂しさを、むなしさを埋め合わせるために、さっき書いたように「異食」とかをしたんだね。
それと、音楽に惹かれた。そして、音楽をする事で心を満たそう、そう思ってきた。
けれど、音楽は、いっときの安らぎをもたらしてはくれたけれど、ただそのときだけで、なんにもならなかった。
 私は聞こえることが唯一情報手段で、手に触れて物を確かめる、認識するということと同じくらい、それ以上かもしれないけれど、必要だった。
 最近、私の心の葛藤は、またここにきたんだ。音楽を聴く、それで心を満たそうとした。
一緒にいる時間がなくなって、数時間、男性は外へ出て、チラシを配ったり、挨拶周りをして、またポスティングするなど、仕事を始めたの。
私はこの間、急にさびしさが蘇ってきて、また埋め合わせを始めちゃった。それが、音楽を楽しむこと、それから本を録音して聞くなどね。
、 いまの時代、情報をいっぱい与えられて、それを受けるということが起きているんだ。受動的な生き方が当たり前になって自分で想像して考えたり、物を作ったり、することができないようにされちゃってるんだ。
情報量の洪水で、霊魂が殺されちゃって、本来のものを見れないようになっちゃった。
実は、修道院でもこれがおこってるんだって。
神学生とか、シスターたちが、音楽がかかっていないと仕事がやれなくなっちゃったんだって。気が狂いそうになるんだとかジャン・マリーが言っていた。
私たちのお母さんであるマリア様を教会から締め出してしまった結果、マリア様で満たされる全ての事からはなされちゃったんだ。
最終的に全部の問題の解決はマリア様にあるの。
物や娯楽では魂の奥底にある深い傷を癒すことはできないんだ。マリア様でないと全然だめなの。
マリア様が哀れみの全てで、薬なんだ。
マリア様によりすがって初めて悪いことが変えられていくんだよ。

わたしの事に話をもどすとね、私は一番最低、最悪な霊魂だから、何かを自分で立ち切るということができないんだ。
いままで本物に出会わなかった私はここにきて捜し求めていたんだけど、ようやくマリア様のはしごに手をかけはじめたの。
そうしたところ、私に対する誘惑をマリア様が押しとどめてくれたんだ。
1ど、形態の音楽サイトを退会する意志を奮い起こすことができた。でも、今日のあさ、また見て再度手続きしちゃったの。でも、やっぱり引っかかってこれはよくないというものすごい痛みを心に感じた。司祭にこのことを話したら「すぐに断ち切れ」っていわれて、即座に従った。私はここでようやく救われたの。
昨日マリア様にメッセージを貰ったばかりなのに、またもとに戻ろうとしたんだ。

                       神様の哀れみ
私の傷のゆえに神様が私にとって代わりのものだったものから全部剥ぎ取って私に本当の幸せに出会わせるために、耳を聴こえなくして、なにもできないようにされるんだって、今日ジャン・マリー司祭が話をしてくれたんだ。
心の埋め合わせを求めて、音楽をすることや聖霊派の癒しの集会などに行ったりした私をマリア様はずうっと耐えてくれたの。
おかあさん、ありがとう。私はお母さんのロープにしっかり捕まっていくよ。
実に、音楽は楽しいものにみえるけれど、危険なんだ。
マリア様こそ、全部の問題を解決してくれるよ。情緒に傷を負った私は自分で治すことができないの。
意志の弱さも過去に例がないほど。
音楽科は演奏する人は受身で、作曲家は能動的なんだ。
演奏することが喜びでも作る人のほうがまさってる。
それとね、宗教音楽も、本物じゃないの。讃美歌であろうと聖かであろうと祈りがそこにこもっていないならただの音楽なんだ。
ぐちゃぐちゃのようにそとからみえても祈りと「大すき」が全部をしめているならそれが自然に伝わっていくんだよ。
私がなにもかもできなくなるのは、本当に幸せなことなんだって。ありとあらゆる「音の洪水」から身を救われて、神様との本当の語らいにはいれるんだもの。静かな環境になるんだ。
マリア様の万とに包んでもらって、これからマリア様にいっぱいしがみついていくの。
マリア様なしでは前にすすめないし、なんにも喜びはないんだ。
誘惑をはねつける力はマリア様に在るよ。むなしいことに心を向けさせられて傷つけられているみんな、マリア様のところにおいで。マリア様だけがあなたを知ってる。
マリア様は遠いかたじゃないよ。お話ししていけばいいの。たった一言「お母さん」って呼ぶように「マリア様」って言ってみて。「マリア様がどういうおかあさんなの?教えて」って言ってみて。
哀れみだけしかないマリア様には全部がそろっているよ。その幸せはいまだけじゃない。永遠なんだ。マリア様の優しさは世界のどこを探してもだれも持ってないの。
私は幸せ。だって本当のお母さんにであえたんだもの。
「助けて」といえなくなっちゃったみんな、マリア様にいえばぜんぶ解決できるよ。
マリア様は哀れみが全てで、マリア様を求める人をぜったい拒まないし、神様はマリア様のところにいる子供には正義をくださないんだ。マリア様のゆえに。。
罪が多くってもゆるしてくれるよ。

2006年8月14日(月曜日)
(PM5:11〜5:31)
聖母マリア様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

 (聖母マリア様)
愛するマリー・マドレーヌに聖母がお話しします。
自叙伝の事で、あなたは最後の段階になりました。
昔、あなたが手紙を聖母にくれました。
一番弱く、どんぞこに落ちたあなたは、聖母が支えていたので、落ちっぱなしになることはありませんでした。
あなたの人生のなかで、ほんとうの母親に出会います。
話しかけている聖母、それがあなたの母で、なにもかもを癒す母です。
司祭の口に偽りはありません。
聴こえなくなるのを恐れないでください。
子どもよ、リトル・ペブルのために大切な一人なのです。
小さな子は、親に連れていかれます。
祝福をおくります。
何もかも、お母さんに書いてください。
愛しています。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
私は今日のミサではもう何も言えず、ただ、オルガンをひくだけでした。
私の求めてきたこと、人生で探していたものが全部違っていて、悲しみ、寂しさを埋め合わせるためにしていた音楽も実は幸せにはならないことを知らされました。
今日司祭が私に「耳が聴こえなくなると言うのは、情報量の多いこの世界からあなたは神様によって救われ、ほんとうの幸せに出会わせるためなんだ。最低なきずものであるあなたは自分で断ち切れないので、力ずくであなたがよいと思っていたものを神様は取り上げるんだ。だから、喜ぶんだよ」といわれました。
マリア様が本当の幸せだと言う事を教えるために、人生の最後に本物に出会わせるためにこの試練にあわせた。一番最低最悪な材料がどのようにマリア様に会って、天国に上れるかあかしをする意味で書き物をするように言われたのです。
ミサ中、私は神様の前で顔も見せられないというほど自分は愚かだという思いでいっぱいでした。
 どのときだったかわかりませんが、私はもしかして書き物が最終段階にきているのかな。生きているうちに書くことができる日まで、書き残すことをするんだな」というインスピレーションがありました。
司祭とミサのあと、話をしていて、このインスピレーションをおもいだしたので、司祭にわたしは話しました。
そうしたら「インスピレーションが天からのものであるか、識別のための印があるか、聖櫃のところに行って求めよう」といわれました。
 私はそこで、印を求めました。そうしたら『識別のための印』があったので、司祭に話しました。
もしかして、ローキューションがあるかもしれないから、祈ろうといわれました。
司祭が十字の印をして、聖水を撒いて祈ってくれました。
私はこのとき「しもべは聴きます。おはなしください」と言い、ローキューションに備えました。
マリア様が話をしてくださいました。「本当の母親」と言われたとき、私は泣きそうでした。
優しく語り掛けてくださるマリア様、本当に嬉しくてたまらなかったです。
昨年も同じように信仰の落ち込みを経験した私だっただけに、今回ほど苦しんで大きな誘惑を受けたのは初めてです。
ジャン・マリー司祭が、何日か前からマリア様が最終てきにイエズスのところにつれていってくれるというはなしをしてくれていました。
今日の第2ミサで、コルベ神父様がマリア様の像の上にイエズス様のみこころの絵をかけられていたことを話してくれました。
マリア様によって、イエズス様のところにいくことを兄弟たちに話をしていたコルベ神父様の事をジャン・マリー司祭が説教のとき、話をしてくれたのです。
それと、アッシジの聖フランシスコが見た夢の事も話をしてくれました。
赤いはしごが地上から天上に伸びていて、ブラザーたちが赤いはしごを上っていった。最初はうまく上っていた兄弟たちが途中からどんどん落ちてしまった。赤いはしごの上にはイエズスさまがいた。あるとき、天上から白いはしごが下りてきた。はしごの上にはマリア様がいた。アッシジの聖フランシスコは落ちてしまった兄弟たちに「あそこに上れ。あの白いはしごに」と言った。
有名なフランシスコの夢を話してくれて、救いはマリア様から来ることを教えてくれたのです。

最後にメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
 他にローキューションがあるか、尋ねたけれど、印はありません。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねてみました。けれど、印は在あません。


8月15日(火曜日)
(マリア様の被昇天)

マリア様による救い
昨日ジャン・マリーが教えてくれたことなんだけど、アッシジの聖フランシスコが夢でみたことがあるんだって。それはね、赤いはしごが地上から天に伸びていた。それを修道士がのぼりはじめた。けれど、途中からどんどん落ちてしまったの。イエズス様が上にいらっしゃるんだけど、直接にはみんないけなかったの。
あるとき、天から白いはしごが下りてきた。その上にはマリア様がいたの。アッシジのフランシスコは地上に落ちてしまった兄弟たちに「あそこにいけ。あのはしごにのぼれ」って言ったんだって。そうしたら誰も落ちずにまっすぐ天国に上ったんだっていうの。
それから、コルベ神父様はマリア様のむげんざいの像の上にイエズスのみこころの絵をかけてマリア様がイエズスのみこころにつれていってくれるっていうことをずうっとブラザーたちに話をしていたんだって。
彼らの心に刻み付けるためにかく場所に無原罪の聖母の像と一緒にイエズスのみこころの絵を置いたんだって。
マリア様を通して、恵みが与えられるし、マリア様によって救われるということを確信してたんだね。
 ジャン・マリー司祭がこう話してくれた。『イエズスのところにマリア様が連れていってくれる。マリア様のはしごに手をかけて上っていったら簡単だし、早いし、安心なんだよ」って。いくら転んでもマリア様に抱かれて運ばれるから、安全なんだよ。
マリア様なしで、一人、てくてく歩く人は転んで怪我をたくさんするし、時間はかかるし、遅いんだって。
天国にいけないで終ってしまうよ。

2006年8月15日(火曜日)
(PM3:23〜3:36)

聖母マリア様からマリー・マドレーヌに与えられた公的メッセージ
(聖母の被昇天の祝日)
(寺沢の殉教公園殉教碑のそば)
マリー・マドレーヌ
いま、寺沢の殉教公園にいます。
ロザリオの祈りのとき、最後の珠で私の右斜め前、上の方から女性の声で「約束」と言われたのが判りました。
私は、印があるか尋ねるため司祭に祈りをとめてもらいました。
印があるか尋ねたところ、『識別のための印』がありました。

聖母マリア様
愛する子ども達、聖母があなたがたを祝福します。
約束のとおり、泉は与えられます。
『全ての恵みの仲介者』『贖いの共贖者』の聖母があなたがたのために救いを与えます。
聖母を通して、恵みが注がれます。希望を持ってください。
あなたがたのまく種は実りをもたらします。
とくに、かわいい息子たち、あなたがたの働きを聖母は決して忘れません。
祝福を送ります。
引き続き、リトル・ペブルと、ベッティーナ、ソーンブッシュ、ベネディクト16世教皇のために祈り続けてください。
愛する子ども達のためにとりなしています。
司祭の祝福をお願いします。


マリー・マドレーヌ 状況説明
いま、寺沢の殉教公園の殉教碑のすぐそばに私たちはいます。
午後、3時40分をさしています。
 ロザリオの祈りのとき、3回悪魔のアタックを受けました。
第1珠目にすぐ、誰か右がわにいるような感じを受けました。
印を求めましたが、ありません。すぐに「サタン、イエズスのみ名によって、マリア様のみ名によって命じる。出て行け!」と私は心のなかで厳命しました。
続いて、3珠目か4珠目のころ、前のほうで圧迫感を感じました。
印があるか尋ねましたが、ありません。
「イエズスのみ名によって、マリア様のみ名によって命じる。サタン、出て行け!」と私は命じました。
7玉珠の頃、上のほうで、私の左目に移るような感覚で、誰かいるのかなという感じがしました。
そこで、祈りをとめさせてもらって印があるか尋ねました。
けれど、印はありませんでした。
同じように私は「イエズスのみ名によって、マリア様のみ名によって命じる。サタン、出て行け!」と命じました。
 最後の珠にきたときです。
私の右斜め前から、上のほうで響くような声で「約束」と言われたのが判りました。女性の声でした。
私はジャン・マリー司祭に合図して、祈りをとめました。
印があるか尋ねましたら、『識別のための印』がありました。
司祭に話したところ、司祭が聖水をまいて、ベネディクトの十字架で十字のしるしをして、『大天使、聖ミカエルに向かう祈り』を祈ってくれました。
私は「しもべは聴きます。お話しください」と祈って待ちました。
 聖母マリア様が私の心に響くようにはっきりと話をしてくださいました。
途中、『全ての恵みの仲介者』と言われて次の言葉が聞こえなくなりました。
司祭がすぐさま聖水をまいてくれました。
「印を求めて、印があったら再開して」という指示を司祭からいただきました。
私は印を求めました。しばらく待って印があったので、ジャン・マリー司祭に話しました。
そうしてマリア様に「再開してください」と頼みました。
この殉教公園でとても重要なメッセージをいただいたことに心から感謝したいです。
メッセージの最後に印を求めました。
これは本当ですか?印はありますか?」と尋ねて待ちました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
 「他にローキューションはありますか?」と尋ねたら「ミシェル・マリー・フランソワに」と言われたので、私は『印をください』とお願いしました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
再度、「他にローキューションはありますか?」と尋ねましたが、印はありませんでした。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねましたが、しるしはありませんでした。


8月17日(木曜日)
マリア様、私、どうしても苦手なものが在るの。それは何度も話したけれど、虫ちゃんの羽音なの。1センチぐらいの蝿ちゃんとかアブちゃんなんかが飛んでいたらね、もうそれで縮み上がっちゃうんだ!!耳に障る「ぢぢー!」っていう羽音「ぶーん!」って飛ぶ音・・・。なんとかならないかなぁ!私ってめっちゃ変だからさ、この音が神経に1度こびりついたらしばらく取れないで神経衰弱みたいになっちゃうの。天国には虫ちゃんいないよね。どうしてだかわかんないだけど、虫ちゃんの羽音がするとね、ピクって一瞬動きが止まっちゃうの。いまね、湯沢では虫ちゃんがいっぱい。少ないほうらしいんだけど、それでも私にしてみたらいっぱーいいるよー。
 昨日からポスティングに私も一緒に行くことになったの。ちょっと聴力が弱り始めたみたい。言葉の聞こえ方がちょっとなんどか聴きなおすことがでてきちゃった。
それでね、寺沢に行ったんだけど、夕方5時過ぎはもう虫ちゃんの活動が活発なんだ。もうすごいよ。車にいっぱいよってくるんだもの。何匹かアブちゃんが入ってきちゃって、もう私だめだった。
おもわず、『家にいたほうがよかったよ!」なんて言っちゃったくらいなの。
 夜、ジャン・マリーに話した。そうしたらね、外国にもこれからマリー・マドレーヌは一緒にいくんだって。宣教旅行は一緒に行くんだっていうの。
蝿ちゃんがいっぱい飛ぼうが蛇が出ようが、一緒に行くよっていうの。
その苦しみを受けいれますって言ったら楽になるんだよって言われちゃった。マリア様、私の虫嫌い、ますますエスカレートしちゃってる。耳が聴こえなくなったらこんな苦しみにはあわないからって言われるんだけどね。男性のみんなはこんなにキャーキャー言う私を笑っているんだよ。おもしろおかしくね。
おかあさん、助けて!!わたしはこわいっていうのをうえつけられちゃったから、異常に敏感になっちゃうの。
昨日、みみせんを持っていってせいかいだったよ。

2006年8月17日(木曜日)
(PM2:14〜2:37)
聖ヨゼフ様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

 (聖ヨゼフ様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたにヨゼフが話をする。
泉の恵みによって、多くの人々が変わり、神の恩寵の注付により、リトル・ペブルを証(あかし)する。
一人一人が弱いので、神の権限を知るようになる。
特に、ミシェル・マリー・フランソワと、コルベ・マリーは大きな働きを、愛するジャン・マリー神父と一緒にする。
今まで、一人ひとりが通った道は、日本の過去のミッションが通ったことのないもので、悪魔は滅ぼそうとして、今も分裂を起そうと躍起になっている。
ヨゼフと、ミカエルがあなたがたを支えて、あなたがたの呼ぶ声にいつでも助けられるよう待っている。
 一番大きな重荷を負っているのは、愛する息子(ジャン・マリー神父)である。
マリー・マドレーヌも、試練に合って、弱さを感じて、いまにも力を失うところまできている。
彼女の事を支えるのは、男性の3人がどうしても必要である。
 名古屋の共同体でも、二人の男性は苦しんでいる。
彼らのために祈ってほしい。
あえて、性格が対称的なメンバーをこの秋田の共同体に置いたのは、神の奇跡が行われるためである。
最低最悪な、〜〜とくに女性はそうであるから〜〜ただ、支えがあって今保たれているので、自分の全てを注ぎだして神に捧げてほしい。
神は、このことを承知のうえで、救いを与えようとしている。
司祭の祝福を、ミシェル・マリー・フランソワと、マリー・レベッカにお願いする。

マリー・マドレーヌ 状況説明
ロザリオの祈りをしようとしていたときです。
『聖ヨゼフの連祷』が終ったちょうどそのころ、私の心に「ヨゼフ」と言われる声が響きました。
「アヴェマリア」の歌を終えて、私はジャン・マリー司祭に告げました。
印があるかを尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただいたので、ジャン・マリー司祭に私は伝えました。
司祭が祈りをしてくれている間に私は『しもべは聞きます。お話ください。』と祈り、待ちました。
ヨゼフ様が久々に話してくださったので、私は本当に嬉しかったです。
今回も希望のメッセージをくださって、感謝しかありません。
ますますヨゼフ様にお話ししたいです。
メッセージのあと、確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたところ、『識別のための印』をいただきました。
 「他にローキューションはありますか?」と尋ねたら『ミシェル・マリー・フランソワに」と言われる声が聴こえました。
ヨゼフ様の声でしたが、私は「印はありますか?しるしをください」とお願いしました。
そうしたら『識別のための印』をくださいました。
もう1度「他にローキューションはありますか?」と尋ねたけれど、印はありません。
「リトル・ペブルさんに語られることありますか?」と尋ねましたが、印は在りませんでした。

8月17日(木曜日)
今日の午後、久々にヨゼフ様からローキューションがあったの。
本当に嬉しかった。優しいヨゼフ様にまた触れられて、本当によかった。
お母さん、今日はね、夕方ポスティングにいけたよ。
車の中で、ジャン・マリーと待っているとき、私はみみせんをしてた。
虫ちゃんが4匹いっぺんに入っちゃってね。
山があるところはアブがいっぱーいいるよ。
でも、蝿ちゃんみたいなしぐさをするんだって。足をすり合わせる動作をするんだって。人間にはまったく興味がないし、あっと言う間につかまっちゃって殺されちゃうんだって
今日はね、9月四日に純共済をするので、3曲新しいのを歌うから、それをジャン・マリーと練習したよ。
もう秋風になってる。夜はね、こおろぎがないてるよ。キリギリスもね。
27度の気温はやっぱり去年住んでいた刈谷の家ではまだまだあとにならないと味わえない温度だよ。
東北の夏は短いんだね。
お母さん、少しは車のなかで楽しめたかな。
これからも楽しみだよ、ポスティングがね。


8月18日(金曜日)
  ジャン・マリーの誕生日!!
今日、ジャン・マリーが誕生日なんだ。
夜はね、親子どんぶり食べたよ。お祝いの食事にデザートもついた。カスタードをマリー・レベッカが作ってくれてみんなわいわい言いながら楽しんで食べた。


2006年8月19日(土曜日)
(PM3:47〜4:14)
主イエズス様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

主イエズス様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを祝福する。
イエズスがあなたに話をする。
 聖体を愛してほしい。
子ども達、あなたがた一人ひとりの事を一番知っていて、それぞれが理解できない事柄も全部聖体は知っている。
相手が「自分の思いの奥深いところを判っていない」と言わないで、互いに愛し合う事ができるように、まず、聖体に祈ってほしい。
哀れみの女王であるマリアのところに、今の問題を見つめなおして話をするように、あなたがたに言う。
自分がどうしてこんな磨り減った心になってしまったかを母に尋ねて、母とむきあって話をしなさい。
マリアは悲しんでいる。
長年、リトル・ペブルからくる恵みに浸った子ども達は、それに対して慣れっこになってしまっている。
子ども達、そうであってはいけない。
愛する子が一人でも失われないために、このことを伝えに来た。
あなたがたを愛している。
どうか、体のだるさが来た時に、嫌な顔をしないでほしい。
特に、マリー・レベッカは、感情の揺れが激しいので、表情を見た人がつまずく危険があるので、苦しみを捧げる事、犠牲を捧げる事はどういうことなのかを、ジャン・マリー司祭の姿を模範にするように、私はあなたに言う。
 マリー・マドレーヌも、弱さを話してくれたように、もっと聖母に話をしていってほしい。
 ミシェル・マリー・フランソワは、大変ぎりぎりの状態で、肉体的にも精神的にも今が一番苦しい時である。
なにも祈れない状態でも、今この苦しみを捧げることに1点集中して「捧げます」と話してほしい。
 愛する息子(ジャン・マリー神父)、あなたを豊かに祝福する。
子ども達に祝福を送る。
司祭の祝福をお願いする。


マリー・マドレーヌ 状況説明
今、午後4時25分です。
第二ミサは、死者ミサでした。
説教のとき、司祭から「御聖体に大しても、崇敬がまったくなっていない。マリア様に対する愛も、みんな磨り減っている」と言われました。
私はまた混乱があって、思うように手記をかけないでいました。
このように言われたとき私はぎくっとしました。
普通のように恵みを受けていて、だんだん慣れっこになる感覚が私にあって、司祭から磨り減っているといわれたとき『これが磨り減った状態なんだ』と気づかされました。
感覚的なものにすごく支配されそうになっていた私だっただけに、また同じことをしたという失敗の念にかられました。
音楽に対する執着が取れず、本当に引きずられる感覚を覚えていたのです。
マリア様に向かおうとする私の思いと違って、逆のほうに向かう自分がいるように感じていました。
これではいけないと思い、私はマリア様に助けを求めました。
聖変化のときと、聖体拝領の前、私はマリア様に「こんな悪い状態なの。助けて!」と心の中で叫びました。
聖体拝領が終ってじき、自然に涙が出ました。
痛悔の恵みなのかなと思いました。
自分の心を注ぎだす第1歩をやっと踏み出したのだとおもいます。
説教前に悪魔によるアタックを受けました。
「マリア様のところに来て」と言う女性の声を聞いたのです。
このとき、私は聞き流してしまいました。
感覚に対して甘くなっていました。
すれた状態だったと思います。
私はこの事があとになって思い出されて心に引っかかったので「印はありますか?」とロザリオの祈りの前に尋ねました。
けれど、印はありませんでした。
私は「イエズスのみ名によって、マリア様のみ名によって、ヨゼフ様のみ名によって命じる。サタン、出て行け!」と心の中で厳命しました。
自分の心に刻み付けるように3人の名前を言いました。
ロザリオの祈りをしていたとき、第7珠目に左手のひじの内側に激痛がありました。
司祭にこのことを話して、印を求めました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
私は司祭に話しました。
司祭が祈ってくれている間、私は『しもべは聞きます。お話ください』と祈ってローキューションに備えました。
 ローキューションが始まって、今回久々にイエズス様が話てくださいました。
私は本当に嬉しかったし、感謝でいっぱいになりました。
今回のメッセージはジャン・マリー司祭の説教の確認をイエズス様がされました。
聖体を愛してほしいと第1声に言われて、私は悔い改めました。
私はメッセージを聞きながら心の中で「助けてください」と祈りました。
一人ひとりがいま、試練のただなかにあるんだということを実感しました。
最後にメッセージの確認をしました。
「印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』をいただきました。
続いて「他にローキューションはありますか?」と尋ねました。けれど、印はありませんでした。
「ミシェル・マリー・フランソワを通して語られることありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をこのときにいただきました。
 「リトル・ペブルさんに何か語られることありますか?」と尋ねました。
けれども、印はありませんでした。


2006年8月20日(日曜日)
(PM6:13)
(寺沢の殉教公園にて)

マリー・マドレーヌに与えられた聖母マリア様からのローキューション

マリー・マドレーヌ
私たち4人は寺沢にきました。
コルベ・マリーに待ってもらって私は殉教碑のそばに行きたいとジャン・マリーにお願いしました。
私とジャン・マリー司祭、そしてミシェル・マリー・フランソワの3人が殉教碑のところにある北向き観音に向かう場所にきたときです。
マリア様が立たれたところをジャン・マリー司祭が教えてくれたこのときに、この場所だけにつめたい風を感じました。
水辺にいるときに感じるような冷たい風でした。
私はこのことをジャン・マリー司祭に話しました。
車に戻って印を尋ねました。
その時に一声「この場所に泉が湧きます」と言われる女性の声がありました。
私は「印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』がありました。
私はジャン・マリー司祭に伝えました。
誰が話されたかを尋ねるよう、司祭から言われました。
私は尋ねました。「どなたですか?印をください」と。そうしたら「聖母マリア」といわれました。
私は「印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら「識別のための印」をいただきました。
このとき、録音機を持っていなかったので、ジャン・マリー司祭が「ローキューションの続きがあったら帰ってからお願いします」と頼んでほしいと言われました。
私は「長の望みです」と言ってこのことをお願いしました。
そして、私たちはこの公園をあとにしました。

2006年8月21日(月曜日)
(AM0:33)
聖母マリア様からのローキューション

マリー・マドレーヌ
いま、一言、ローキューションがありました。
私は印を求めました。そうしたら『識別のための印』をいただきました。
「まず、ミシェル・マリー・フランソワに」と聴こえて「シャーベルに取り次ぎをお願いしなさい」といわれる声が聴こえました。
司祭がどなたか尋ねるよう言われました。私は「どなたですか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら「聖母マリア」と言われ、印をいただきました。

2006年8月21日(月曜日)
(AM0:35〜0:59)
聖母マリア様からマリー・マドレーヌに与えられた公的メッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛する子ども達、聖母がお話します。
まもなく恵みが与えられます。
恵みが近いので、聖体に一致してください。
 『全ての恵みの仲介者』、『贖いの共贖者』の聖母があなたがたの罪をゆるしてもらうように、とりなしています。
恐れないで近づいてください。
あなたがたを深く愛しています。
 ○○○○さんの事も恵みを与え、決して見捨てません。
聖母のところに来る人を誰ひとり、拒むことはありません。
愛しています。
シャーベルに祈ってください。
一人ひとりを祝福します。
聖母の涙を拭いてください。
あなたがたを祝福します。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ
「他にローキューションはありますか?」と尋ねてしるしを求めたところマリア様から一言ローキューションがありました。
「リトル・ペブルのゆえに泉が与えられます」といわれました。
印を求めたら『識別のための印』がありました。


2006年8月21日(月曜日)
AM0:35〜0:59)
聖母マリア様からリトル・ペブルさんへのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛するリトル・ペブルに聖母が話ます。
あなたは慰めを与えられます。
神は共にいて、あなたが天から使わされた預言者であるということが証明されます。
あなたを豊かに祝福します。
司祭の祝福をベッティーナと共にお願いします。


マリー・マドレーヌ 状況説明
いま、21日の午前0時54分になっています。
マリア様からの一言のアドバイスがありました。
ミシェル・マリー・フランソワが最初にローキューションを求めて祈っていたときに一言、「ミシェル・マリー・フランソワに」と聴こえて「聖シャーベルに取り次ぎをお願いしなさい」といわれました。
ジャン・マリー司祭にお話して印があるか尋ねました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
このとき一言のローキューションがあったことしか話していなかったので、司祭から『どなたか尋ねるように』と言われ、私は尋ねました。
そうしたら「聖母マリアが」といわれました。
私は「印はありますか?」と尋ねました。そうしたら『識別のための印』がありました。
 続いて、「寺沢のローキューションの続きはありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
私は『しもべは聴きます。お話しください』と祈りました。
21日の第1ミサを20日の夜にしていました。、
20日は、『預言者サムエルの祝日』だったので、「サムエル、助けてください」と祈りました。
そうしたら聖母マリア様がはっきりと、ゆっくりと話をしてくださいました。
恵みが近いということを話され、シャーベルにとりつぎを願うよう言われました。
御聖体と一致するようにとも言われました。
メッセージが終って、確認しました。
「印はありますか?このメッセージは本当ですか?」と尋ねたら『識別のための印』がありました。
 続いて、「ほかにローキューションはありますか?」と尋ねたら一言聖母マリア様の声で「リトル・ペブルのゆえに泉が与えられます」と言われました。
私は記しがあるか尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねて印を求めたら久々に『識別のための印』がありました。
私はジャン・マリー司祭に伝えました。
私は「しもべは聞きます。お話ください」と祈って待ちました。
そうしたら引き続き、聖母マリア様が話をしてくださいました。
最後に「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたところ、『識別のための印』をいただきました。
感謝でいっぱいです。

2006年8月21日(月曜日)
(PM6:05)
(寺沢の殉教公園殉教碑のそばにて)

マリー・マドレーヌ
私は昨日と同じように、ジャン・マリー司祭と一緒に殉教公園の殉教碑のところに行きました。
そして、北向き観音がある場所に行きました。
マリア様が立たれた場所のそばまで来て、祈りをしたときに私のたっている前のほうで、下から水の音が聴こえました。
この日、雨が降っていたけれど、この雨の音とは違う川のように流れる音が聴こえました。
印を求めたら『識別のための印』がありました。
司祭に話をして、ミシェル・マリー・フランソワが写真を取ってくれました。
その場所を説明していたら、今度は細い水の流れる音が聴こえました。ちょろちょろという音です。
ジャン・マリー司祭に私は話しました。
印があるか尋ねたら『識別のための印』をいただきました。


聖母マリア様からのローキューション

マリー・マドレーヌ
私は車に戻って、「なにかローキューションはありますか?」と尋ねて印を求めました。
大天使聖ミカエルに向かう祈り』を祈りました。
印を求めて待っていましたが、このときにはありませんでした。
そのあとです。
女性の細く美しい声で「あそこを掘ってください」といわれました。
印があるか尋ねました。そうしたら『識別のための印』がありました。
私は水が流れるおとを聞いた場所に行って穴を掘りました。
この日スコップを持っていなくて、素手で掘りました。
少し掘ったけれど、根っこがたくさんあってなかなかほれませんでした。
ジャン・マリー司祭が根っこを取り除いてくれたらまたどんどんほれるようになりました。
穴を掘れば掘るほど土が乾いていました。
私は自分の体力がつきるまで掘り進めました。
私は「マリア様、どのくらい掘ればいいの?」と聞きました。
ベルナデッタに助けを求めながらこれからここに来る人々を救ってくださいと心の中で祈りながら真剣に掘りました。
私は穴を掘っていたけれど、体が疲れたので、掘るのをやめました。
マリア様はこれ以上掘るようにとは言いませんでした。


(PM6:33)
聖母マリア様からのメッセージ
(寺沢殉教公園、殉教碑のそばにて)

マリー・マドレーヌ
ジャン・マリー司祭から車に戻ってローキューションがあるだろうから、しるしを求めるようにと言われました。
私は車に戻ってローキューションに備えて準備をしました。
「なにか語られることありますか?」と尋ねてしるしを求めました。
そうしたら『識別のための印』がありました。

聖母マリア様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを祝福します。
あなたの願いは聞き入れられました。
ミシェル・マリー・フランソワにビジョンを見せます。
祝福を送ります。
司祭の祝福をお願いします。



聖母マリア様からのローキューション
マリー・マドレーヌ
「他にローキューションはありますか?」と尋ねました。
そうしたら印と共に「私は無原罪の聖母です」と言われました。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねました。
けれど、印はありませんでした。



8月22日(火曜日)
マリア様からの恵み
日曜日、寺沢の殉教公園で、私は泉の音を聞いたの。それは夕方6時13分のこと。
このひは、雨がいっぱい降っていた。それなのに、水の流れる音を聞いたんだ。
この日からだんだんなにかが変わり始めた。
ミシェル・マリー・フランソワもビジョンが多くなってきたの。
昨日、私は夜にマリア様からこの場所をほるようにと言われてすこしなんだけど、体力が尽きるまで掘り進めた。
この土地は草が多くって、なかなかほれなかったの。
そして、ジャン・マリーに手伝ってもらって根っこのあるものを取り除いて少しずつ掘り進んでいった。
そう、雨が降っていたので、傘をさしてもらって、やったよ。
下にいけば行くほど、土が乾いていたよ。
 今日はマリア様の像に関して、冠も与えられて、ミシェル・マリー・フランソワがビジョンを見たの。
それと、この泉にかんして、「リトル・ペブルの泉』って言う名前がつけられたよ。
今日は聖母の戴冠の日なんだ。
それとね、日本は『聖母の汚れなき(けがれなき)聖心(みこころ)』に捧げられていて、保護のマリア様なんだって。
午後に、寺沢の殉教公園にいったよ。
私、今日、泉が沸いてるかなっておもったけれど、まだなにも起きていなくって、ミサの途中少しずつ涙が出始めちゃった。
聖変化のとき、左足の裏に厚いものを感じたの。
印を求めたけれど、なんにもなかった。サタンヲすぐ追い出したよ。
それとね、ジャン・マリー・司祭が聖体を拝領し終わってすぐに唱えた祈りのときにも同じく左足に暑さを感じたの。印を求めたけど、なんにもなかった。サタンヲ私はおいだしたよ。
聖変化のころにね、左手にものすごい激痛を感じたんだ。
今日はアタックが多かったの。
私、信仰が薄いから、また揺れちゃった。
ミサが終って、泉が沸く場所に来て祈ったの。もう私はぼろぼろ泣いちゃった。
自分の不信仰とか、罪の多さでマリア様を泣かせちゃったんだな。だから、なんにもないんだって自分を責めてしまったの。
お母さん、助けて!それしかいえなくって、穴のところにいって口付けしたの。
 夜、ジャン・マリー司祭に言われた。
「神様の身になってごらん。かわいい子どもがなにも疑わないで、「今日これ、あげる」って言われたらそのまま信じるでしょ?そして、動物園につれていってあげるって今日お母さんとかお父さんに言われたら楽しみにするでしょ?でも、今日幼児ができちゃって「またこんどね」っていわれたら「じゃあ、またあしたね」っていって諦めないでしょ?神様を信じるのはこのようなかわいい子が期待するのと同じことをしてくれると喜ばれるんだよ」って言ってくれたの。
「信仰の試練も喜ぼう」って。
昨日、私は苦しみがきたときにみんなどうしているのか、とっても気になっていたの。
聖人と言われる人が、また今でも私よりはるかに人格がいい人は苦しみがきたとき「ニコニコニコ」ってできるんだよ。
私、いっつもそれが続かなくって、どうしたら苦しむ事がすき!っていえるのかな」そう思ってたの。
ジャン・マリーが夜寝る前にこんなことはなしてくれたよ。
「意思でね、苦しみが来たときに思いっきり『やったぁ!』って言ってはしゃぐんだ。
ちっちゃい子はケーキが食べられると「嬉しい!」ってはしゃぐよね。大人のひとは、嬉しくっても、はしゃがないでしょ?具合が悪ければ悪いほど、苦しいことが多いときに意識して気持ちをハイに持っていくんだ。」だって。
お母さん、私何日もなにをどうかいたらいいか判らなかった。それに、書こうっていう思いはミサのときによく思うんだけど、いざミサが終ってしまうと、違うことをしたくってやっちゃうんだね。
あと、4ヶ月になっちゃった。「イエズスに会うのを憧れて」ってみんなに言われてる。
でも、自分が貰うことを望んじゃってまだなんにも貰っていない人に挙げていないなぁ。ジャン・マリーに前言われたことがある。
「自分のための楽しみはもう十分。誰もまだ見ないちっちゃい子にあなたがあげる番だよ」って・・・。
お母さん、私、いっぱい泣いちゃって心が揺れちゃって塞ぎこみそうになってしまうけど、助けてね。
天国ではイエズスの顔、見られるね。私は今、天のみなさんの声聞いている。聞かせてもらっているけれど、顔や姿は見えない。本当に会えるのが楽しみだよ。
どんな色の髪の毛なの?どんな服を着てるの?眼の色は?そもそも見るってどういうこと?私、想像でしか思えないし、なんとなくっていうあいまいな状態だから・・・。
でも、何度かビジョンが在ったよね、お母さん。とっても不思議だよ。
私にとって「見る」っていうことは本当に不思議でならないもの。
天使さんたちはどんな姿かなぁ。ところで、天国には虫ちゃんはいないよね?
 今日寺沢でミサをしたけれど、あんがい虫ちゃんの数は少なかった。
そうそう、日曜日だったかな、夕方、伝道に行ったの。ポスティングしたんだけどね、私ジャン・マリーと車で移動しながら中で待っていたんだ。
寺沢にいくと、寺沢の公園にいるたくさんのケルビムチャンたち?が迎えてくれるんだよ。
何匹か車のなかにはいっちゃってね、何匹かは道々移動しながら外にだすんだけど・・・。
それでね、ジャン・マリーが歌の練習するよって言って、3曲歌の練習をしてたの。
私はオルガンを弾いたんだけど、途中私の右ひざのあたりがなんだかもそもそするから、ちょっとオルガンをのけてみたの。上から触ったらなんだか丸いものが・・・!!もしかして、「きゃー!!」。なんてこった!!虫ちゃんがスカートのなかにいたよー!
わたし、思わずたちあがっちゃった。そのあと、1匹虫ちゃんが車のなかにいたの。それで、この虫ちゃんを外にたしか出したはず。
夜だから、電気のほうに集まってきて、それをみたら前にいる男の人のだれかが虫ちゃんを退治してくれちゃう。そういうこともよくあるんだよ。
なんだか面白いよね。
 そう、私は車のなかで虫ちゃんの羽音がするだけで縮み上がっちゃうから、みみせんを持っていってる。
ところがね、なんどか寺沢の殉教公園でマリア様の御出現が在って、メッセージを貰うとき、私はみみせんしたまま、ローキューションを受けるの。なんだか耳栓をするローキューショニスト、いままで見たことないよね・・・。ってみんなで言ってるし、私、自分で笑ってる。

2006年8月22日(火曜日)
(AM10:21〜11:30)
マリー・マドレーヌに与えられたインスピレーション
(秋田県湯沢にて)

マリー・マドレーヌ
先ほど、ジャン・マリー司祭とミシェル・マリー・フランソワが、昨夜寺沢でミシェル・マリー・フランソワがビジョンで見たマリア様の姿について話をしていました。
マリア様の服の色や動作などを話していました。
白い服を着た無原罪の聖母の姿は今までに見たことがないという話をジャン・マリー司祭が言いました。
私はこのとき、白い服の事を思い巡らしていました。そうしたら私の心のなかに「これはもしかしてマリア様の像の事なのかな」というインスピレーションがありました。
私はインスピレーションの事をジャン・マリー司祭にすぐに話していませんでした。
そのまま二人の話を聞いて過ごしていました。
けれど、話を私が聴いていたらジャン・マリー司祭が「新しい像を作ってほしいかも知れない」と言われたのです。
私はさっきのはインスピレーションだったのを知ってジャン・マリー司祭にインスピレーションがあったことを伝えました。
そうして司祭とミシェル・マリー・フランソワ、私は聖堂に来ました。
私はこのインスピレーションが天からのものなのかを確かめるため、印を求めました。
みんなで『大天使聖ミカエルに向かう祈り』をしました。
私は「印はありますか?へりくだらせてください」と祈り、待ちました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
私はローキューションに備え、「しもべは聞きます。お話ください」と祈り、待ちました。そのあと、聖母マリア様からローキューションがありました。


聖母マリア様からマリー・マドレーヌに与えられたローキューション

聖母マリア様
ミシェル・マリー・フランソワの見たとおりにこの像を作ってください。
『全ての恵みの仲介者』、『贖いの共贖者の聖母』です。
あなたがたを祝福します。
このことを忘れないでしてください。
聖母のところに来てください。
愛しています。
司祭の祝福をお願いします。


マリー・マドレーヌ
ジャン・マリー司祭から質問を頼まれました。
「長の望みです」と私は言って、「全て上から下まで純白の無原罪の聖母でよろしいんでしょうか?」と尋ねました。
聖母マリア様から一言「そうです」と語られ、印を尋ねましたら『識別のための印』をいただきました。

ジャン・マリー司祭から泉に関して質問がありました。
「リトル・ペブルの泉」と名前をつけてほしいですか?という質問があり、私はマリア様に尋ねました。

聖母マリア様からのローキューション
マリー・マドレーヌ
一言語られて私は印を尋ねたら『識別のための印』をいただいています。

聖母マリア様
「彼の苦しみによってできるものなので」


ジャン・マリー司祭から
「その続きをお願いします」

マリー・マドレーヌ
私はマリア様に「しもべは聞きます。どうぞ、お話ください」と祈りました。

聖母マリア様
彼が真実であるという証明のために『リトル・ペブルの泉』という名をそこに付けます。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ
このローキューションについて確認しました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
他にローキューションがありますか?」と尋ねて印を求めました。
そうしたら一言「ミシェル・マリー・フランソワに」と言われて『識別のための印』がありました。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねて印を求めました。
けれど、印はありませんでした。

聖母マリア様からマリー・マドレーヌに与えられたローキューション

聖母マリア様
上に冠をつけてください。

マリー・マドレーヌ
この一言に関して、印を求めました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。

ジャン・マリー司祭から質問がありました。
「どのような冠がお望みですか?」。

聖母マリア様
「ミシェル・マリー・フランソワにビジョンが在ります」

マリー・マドレーヌ
この一言に関して、印を求めたら『識別のための印』がありました。
このあと、ミシェル・マリー・フランソワがビジョンを見ています。
冠について、私は見えないため、イメージができません。
ミシェル・マリー・フランソワから確認を求められました。

ジャン・マリー司祭から
「このことに関して、何かありますか?」
突起の数とか、細工の模様など。

聖母マリア様からのローキューション

聖母マリア様
「細工のしてあるところは薔薇の模様」

マリー・マドレーヌ
この一言に関して、印を尋ねたら『識別のための印』をいただいています。

突起の数について
マリー・マドレーヌに与えられた聖母マリア様からのローキューション
聖母マリア様
「それぞれにひとつずつ」

マリー・マドレーヌ
この一言に関して、印を求めました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。

マリー・マドレーヌがみたビジョン
上に十字があるように見えました。
十字が私の眼に映った感じです。
突起の部分だと思います。
印を求めたら『識別のための印』をいただいています。

ジャン・マリー・司祭
「突起の大きさべつに数を教えてください。


マリー・マドレーヌに与えられた聖母マリア様からのローキューション

聖母マリア様
上に大きいのが一つ、小さいのが一つ、下にも同じように大きいのが一つ小さいのが一

マリー・マドレーヌ
この一言に関して、印を求めたら『識別のための印』をいただきました。


ジャン・マリー司祭
大きい突起の数、小さい突起の数をそれぞれ教えてください。


マリー・マドレーヌに与えられた聖母マリア様からのローキューション

聖母マリア様
二つずつ

マリー・マドレーヌ
この一言に関して、印があるか尋ねました。
そうしたら『識別のための印』がありました。


マリー・マドレーヌに与えられた聖母マリア様からのローキューション

聖母マリア様
もう1度ミシェル・マリー・フランソワに見せます。

マリー・マドレーヌ
印を尋ねました。そうしたら『識別のための印』をいただきました。

マリー・マドレーヌに与えられた聖母マリア様からのローキューション
冠の突起の数について

聖母マリア様
上に大きいのが二つ、小さいのがふたつ、下に大きいのが二つ、小さいのが二つ、
突起の数は合計で八つです。

マリー・マドレーヌ
このローキューションに関して、印があるか求めました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
ミシェル・マリー・フランソワが、彼がマリア様に見せられたままの形に今模型を作っています。

2006年8月24日(木曜日)
(PM14:51〜15:30)
聖母マリア様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛するマリー・マドレーヌに聖母がお話しします。
心の中であなたは決断をしました。
聖母と愛する息子(ジャン・マリー神父)が一緒にいて、あなたの全てをこれから守ります。
ミシェル・マリー・フランソワの耳が開かれることを願ってあなたは司祭の言われたことを心にとめて耳に入る楽しみを取り去って聴くものを絞って捧げる決意をあなたはしてくれました。
「扉を閉じる」これを聖母と一緒にこれからもあなたは学んでいきます。
絶えず、助けを求めてよりすがってください。
自分の力は弱く転んでしまうのをあなたは知っているから、頼んで聖母に甘えてやれば必要な力を与えます。
 ミシェル・マリー・フランソワの耳は悪魔が攻撃していろいろなものを聞かせて混乱させたりしてきました。
でも、愛する子をいつまでも聖母はほおっておきません。
忍耐強く希望を持って待ってください。
あなたは見ることと、聴くこと、両方を得ます。
力強く証(あかし)するためにプレゼントとして与えます。
恐れないで聖母のところに来てください。
小さな子がお母さんを慕って離れないように、あなたも霊魂において、幼な子であってください。
いつも「全ての恵みの仲介者」「贖いの共贖者の聖母」があなたがた、ここにいる全てのメンバーに光を与え、照らして、何が真理であるかを教えます。
祝福をします。
司祭の祝福をお願いします。


マリー・マドレーヌ 状況説明
今、午後3時15分になりました。
このメッセージをいただくまでの状況です。
ミサ前にあった出来事です。
私自身、執着がなかなか取れず、最近は耳の事でここ何日か苦しみました。
音楽を聴くとか、DVDの観賞など音に関する事でまたいろいろ不安が押し寄せていました。
昨日ジャン・マリー司祭と私は話をしました。
これから私は聴くものを限定することで、一つの犠牲を捧げる事を決断しました。
耳の楽しみを自ら取る事です。
私にとって、あと残されたわずかな期間なので、聴くものといったらメッセージとか、本を読むことなどに絞って生活することを心に決めたのです。
私にとってはぴったりの犠牲だと思いました。
今日のミサ前、今まで聴いていたMDの機会を箱にしまってもう手に触れないようにしました。
メッセージを聴くとか、書き物をするなど、これから1点集中することに心を変えようと決めました。
ベルナデッタや他の聖人の助けを心からお願いしました。
ミサが始まってじきに、先ほど決断したばっかりなのに、また不安になりました。
さびしさとか心の葛藤がまたおしよせたのです。なんだか無気力状態になってしまって、体がだるくなりました。
自分の心の弱さをまた思わされたときでした。
私はなにも言わないようにして自分と向き合ってマリア様に「自分の心の状態はこうなんです。助けてください」と祈りました。
マリア様に頼んでやろう、そうしていけばできるという考えになったのはだいぶたってからです。
 聖変化のときに私はアタックを受けました。
右耳のほうで、耳鳴りがしました。
そうして耳がふさがれる感じを覚えました。
このとき、なにがなんだかわからず、私はミサが終るまでそのままにしていました。
ミサ中もこの耳鳴りのほか、ローキューションはありませんでした。
ロザリオの祈りが終って「何か語られることありますか?」と祈ってローキューションに備えて準備しました。私は「謙遜になりたいです」という思いをこめて祈りました。
そうしたら印とともに女性の声がしました。
「ミシェル・マリー・フランソワの身代わりとして」と言われました。
私は「マリア様かな」と思いましたが「印をください」と言ったら『識別のための印』があったので、司祭に伝えました。
「なにかローキューションはありますか?」と尋ねて祈りをしたとき、ジャン・マリー司祭は聖水をまいて、ベネディクトの十字架で十字のしるしをして『大天使聖ミカエルに向かう祈り』をしてくれました。
私は「しもべは聞きます。お話ください」と祈って待ちました。
そうしたらゆっくりと美しい声で聖母マリア様が話をしてくださいました。
本当にお母さんらしい話し方でした。
私は感謝でいっぱいです。
メッセージが終って、確認をしました。
「これは天からのものですか?印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたところ、『識別のための印』をいただきました。
私は「マリア様、ありがとうございます」と言ってジャン・マリー司祭に印があったことを話しました。
「他にローキューションはありますか?」と尋ねましたけれど、印はありません。
続いて「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねて印を求めましたが、印はありませんでした。

2006年8月24日(木曜日)
(PM6:35〜6:43)
(寺沢の殉教公園にて)
マリー・マドレーヌが見たビジョン

マリー・マドレーヌ
ロザリオの祈りをしていたときに第8珠目から9珠目にかけて、私の眼の前に十字架が立っているのを見ました。
10珠目のときに祈りをとめさせてもらって印があるか求めました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
そのあと、ローキューションがあるかを尋ねて司祭がベネディクトの十字架を持って祈りをしてくれました。
『大天使聖ミカエルに向かう祈り』をして待ちました。
私は「しもべは聞きます。お話ください。」と祈りました。


2006年8月24日 PM6:35〜7:00
マリー・マドレーヌに与えられた、聖母マリア様からのメッセージ

マリー・マドレーヌ:(状況説明)
 今、寺沢の殉教公園に来ています。ロザリオを一連祈っていて、その8珠目、ちょうどマリア様が立たれた、「泉」の湧く場所の前にきているんですが、ちょうどこの上の方に、十字架が立っているのが見えました。しるしを求めました。そうしたら「識別のためのしるし」をいただきました。

聖母マリア様:
 リトル・ペブルのために祈りなさい。
 「泉」が湧くとき、ミシェル・マリー・フランソワに見せます。愛する息子(ジャン・マリー神父)にも、そのとき同じようにわかります。
 いつも、あなたがたのそばにいます。愛しています。子供たち、忘れないで、聖母を慕ってください。司祭の祝福をお願いします。

ジャン・マリー神父:
 全能の神、父と子と聖霊とが汝らを祝福し給わんことを。アーメン。


8月26日(土曜日)
また今日から旅行に行くの。
一つ、ジャン・マリーが教えてくれたことがあるの。
「この世の事に眼を閉じれば閉じるほど、霊的なことに耳が開かれる」って言われた。
見ること、聴くことを天のほうに向ければむけるほど、この世の事柄がちりあくたに思える、そういうことを教えてくれたよ。
私、耳の楽しみを自分からなくす事で、ミシェル・マリー・フランソワの身代わりとして、捧げる決意を木曜日(24日)のミサ前にしたの。
今までMDを聴いたり、形態電話の楽しみを持ったりしたけれど、それを制限して、メッセージを聴く事やヨゼファ・メネンデスの『愛の招き』の本を読むなど、聴くものを絞ったの。
『最後の教皇』の第3巻目もまだ途中なんだけれど、後は、書くことに1点集中するようにってジャン・マリー司祭に言われたのが23日なんだ。
ようやくマリア様のはしごに手をかけて、自発的に捧げる事をこのときになって初めてしたな。
十字架を愛する、苦しみを愛する。これが私にとって、どれほどに価値のあることかを一生を終えるまでに知るんだろうなって思う。
苦しむこと、これが一番人生にとって価値のあることなんだって。
笑顔で過ごす。
何もないかのように、苦しんでいても、周りが気づかないほどに笑顔いっぱいになる・・・。
これが私に与えられた目標だね。
















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マリー・マドレーヌの自叙伝 

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2008年6月28日UP

著 者 マリー・マドレーヌ杉浦律子

発行所 箱舟の聖母社
 〒012−0106
 秋田県湯沢市三梨町字清水小屋14
 電話・FAX: 0183−42−2762
 Eメール: charbeljapan@nifty.ne.jp
 



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