マリー・マドレーヌの自叙伝 11
C)箱舟の聖母社


マリー・マドレーヌの性格が明らかに!!

2006年6月28日(水曜日)
一言のローキューション

私は昨日、ジャン・マリー司祭からローキューションの事でもう1段階ガードを固めるようにといわれました。
これから書くことはジャン・マリー司祭が説教で話をしてくれたことです。
ジャン・マリー司祭が経験したことのいくつかを紹介します。
 私は昨日メッセージを受け終わってこの経験をしました。
『他にローキューションはありますか?」と尋ねたら一言『ミシェル・マリー・フランソワに』と「いう声を聴きました。
このときに『これは本当ですか?しるしは在りますか?」と求めるのを私は忘れてしまったんです。
これが大変重要で、この一言のローキューションでも最後まで気を抜かないでしっかりしるしを求め、識別することが大切だと司祭がいいました。
司祭から聞いたことをこれから書きます。
世界の出現地には幻視者の他に魔女も送られてくるといいます。
 リトル・ペブルさんがニューヨークでワーカーをしていたとき、魔女的な働きをした3人の女性(母親と娘二人)に追い出されたといいます。リトル・ペブルさんは正しいことをしていたけれど、悪い働きにより、識別がされなかったので、リトル・ペブルさんが迫害されてしまいました。
それから、サンダミアーノの出現地ではマンマ・ローザが偽司祭をみやぶった話しがあります。
司祭の格好をした人が出現地に来たそうです。
そうしてマンマ・ローザがその人に「アヴェ・マリアの祈り』をラテン語で唱えてみなさい」と言ったんだそうです。けれど、その人は唱えられませんでした。この事がわかったとき偽司祭だと見破ったローザはその人を追い出したそうです。
それから、ある神父様は天からたった一言「あの女を追い出せ」とだけ言われたことがあるそうです。

私が司祭から指摘を受けたのはこうです。
最初にしるしを求めて一言によるローキューションが在って後、、再度確認のしるしを求めないなら、人を混乱させかねないので、注意するように。
たとえば、つい数日前までリトル・ペブルさんを支持していた幻視者が昨日落ちてしまって今日出現地にきたとします。
私たちはその人が落ちたことは全く知りません。
そして、私はマリア様から『○○に」ローキューションがあることを言われたとします。
聴こえてきた一言を話そうとしてマリア様から言われたことを伝えようとして、悪魔がそれを聞けないようにのっとるとします。
マリア様が言った人の名前とは違って、悪魔によって落ちた幻視者の名前を言わされて私がもしその人の名をそのまま言ったらしるしも求めていないから、人はそのままその人のメッセージを受け、信じてしまうことになります。
だから、1度しるしが在ったからと言って安心しないでたった一言のローキューションでも再度確認をしてほしいのです。
『これは本当ですか?しるしは在りますか?」と。
『他にローキューションはありますか?」と聞いて印があって一言語られたのを聞いて私は安心してしまっていたことが本当に多くありました。
今月12日、こんなことを経験しています。
一言のローキューションがあったあと天使が私に『印を求めた?』と聞いてくれたことがあります。
私はこのときには再度確認のしるしを求めているという経験をしています。
ですから、小さなことも気を抜かないでください。
一言が大きいのですから。

2006年6月28日(水曜日)
(PM16:08〜16:20)
主イエズス様からのメッセージ
(名古屋共同体にて)

主イエズス様
愛する子ども達、あなた方を祝福する。
イエズスがあなたがたに話をする。
あなたがたの苦しんだ一つの本の出版に対して、恵みを受ける。
『最後の教皇』の出版がこれで一区切りして気にかかった一つの仕事を終えることになる。
天はこの出版にあたって、大きな喜びとともに、大いなる祝福を与える。
あなたがたを豊かに祝福する。
 これから小さな子ども達が送られてくるので、「幼な子路線」でいくように。
幼いイエズスを求めて、イエズスの絵をパンフレットに描いて伝道するなど、いろいろなアイデアを用いてまだイエズスのこと、私の愛する母マリアのことを知らない小さな子供たちに伝えていってほしい。
あなたがたを豊かに祝福する。
小さな子のままでいてほしい。
司祭の祝福をお願いする。


マリー・マドレーヌ 状況説明
私がロザリオを祈っている途中に考えていたことがありました。
『ロザリオがロンジン・マリーの家にたくさんあったなぁ』って考えていて、これから新しく来る人のことを思っていました。
9珠目にきたところで、私の手に風を感じたので、印を確認するため、祈りをとめさせてもらいました。
「印はありますか?」と私は尋ねました。
尋ねて祈っている最中に一言「幼な子路線」という言葉が私の耳に聴こえてきました。
このことで「印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
ジャン・マリー司祭に私は伝えました。
「しもべは聞きます。お話しください」と私は祈って待ちました。
そうしたらイエズス様が話をしてくださいました。
「幼な子路線」と言われたとき、私はなんだか思わず笑いが出そうで、顔がほころんでしまいそうでした。
本当に感謝でいっぱいです。
私は最後に確認をしました。
「このメッセージは本当でしょうか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
続いて『他にローキューションはありますか?」と尋ねましたが、印はありません。
そして、「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねましたけれど、やはり印はありません。


2006年7月一日(土曜日)
(PM22:38〜22:56)
聖ヨゼフ様からのメッセージ
(名古屋共同体にて)

聖ヨゼフ様
愛する子ども達、あなたがたを祝福する。
ヨゼフがあなたがたに話をする。
一人ひとり愛されている子ども達、あなたがたの働きに関して、天はどれほどに慰められ、大きな喜びを得たか。私たちは決してあなた方のことを忘れていない。
ますます勇敢であり、リトル・ペブルの事を伝えていってほしい。
 愛するマリー・マドレーヌに話をする。
痛みを捧げ続けてほしい。
ヨゼフは最後まであなたを捨てず、イエズスの養父としてイエズスをまもったように、今、愛する息子(ジャン・マリー神父)が私に頼んでいることを全て聞いているので、あなたの行くべき道を全てまっとうさせるために、決して見捨てない。
だから、イエズスに会うことをもっともっと楽しみに憧れてほしい。
リトル・ペブルの教皇職の真実性と正当性を証(あかし)するために、あなたにはこれからみなが信じるようになるために、身を持ってしるしが与えられるので、十字架を負って歩むように、私はあなたに言う。
 愛するロンジン・マリーと、フランソワ・マリーは、これからますます互いに固く愛し合って新しく来る子ども達のために情熱を傾けていってほしい。
それぞれに神から与えられた能力に従って神の事業を行ってほしい。
小さい子供たちを神は深く愛しておられるので、どうか一人ひとりの手を取って、イエズスと、マリアのところに導いてほしい。
イエズスの喜びである愛する息子(ジャン・マリー神父)をはじめ、子ども達にこれからも豊かに恵みを注ぐ。
雄雄しくありなさい。
天使と聖人とともに、この共同体を祝福する。
司祭の祝福をお願いする。


福者、聖イメルダ・ランベルティーニからのメッセージ
(PM23:05〜23:37)
(名古屋共同体にて)

聖イメルダ
愛する皆さんにイメルダがお話しします。
みんなは聖体を拝領してあまりの嬉しさで死んでしまって、天国に行った私のこの奇跡について、「なんで?」と何百年も言っているし、今は「そんな馬鹿なことないよ」って言われてしまう時代になってしまっています。
ただ、私はイエズスが大すきで、『本当にご聖体と一緒にいたい』それだけが私の思いでした。
(なんにも、難しい知識のお話しは、私にはわからない。)その単純な思いだけが神様に喜んでもらえる。このことをお話ししたくてここに来ました。
天国はちっちゃい子がいっぱいいます。
優しいお兄さんもお姉さんも、そしてお父さんも、お母さんも、たくさんいて神様のところで神様を心から喜んで礼拝して、イエズス様と、マリア様にいっぱいお話しています。
 みんなに言います。
どうか泣いてるマリア様の胸に飛び込んで「お母さん、私の悪いところを許してね」と言ってほしいんです。
みんな、ちょっとの楽しみで満足しないでほしいんです。
イエズス様と、マリア様はどのように友達を愛したらいいか、教えてくれるし、天使が一人ひとりにいるんです。
大好きなみんなのことをいつもそばにいてまもってくれています。
「イエズスは神様だから、とっても遠くて私にはわからない」なんて言わないでほしいんです。
馬小屋で生まれてくれました。
一番汚いと思う場所で、すごく寒いのに、たくさんの天使がまもるなか、赤ちゃんとなってくれたんです。
そして、同じくいっぱい遊んで、いっぱい神様のことをみんなに伝えてくれました。
ちっちゃいかわいいみんなは、同じ人間になってくれたイエズスのそばに行くことができます。
怖がらないで「私のこと、好きなんだね。ありがとうね」と話してみてください。
イエズスは、本当にちっちゃい子が大すきなんです。
マリア様はお母さんだから、いつもみんなを抱きしめています。
いっぱいかわいがってくれます。
悪いこと、しちゃってもおこって放り出すお母さんじゃないです。
「ごめんなさい」の一言が聞こえると、もう「大好きだよ」って言って、やさしく抱きしめてくれます。
優しいマリア様とイエズス様がみんなのことを祝福してくれます。
どうかイエズス様と、マリア様のところに来てください。
神父様に祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
ロザリオの祈りをしていたときです。4珠目ぐらいに私の右手に風を感じました。
手の甲に風が吹いてきたのを感じたので、祈りをとめさせてもらって、印があるかを尋ねました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
私はこのことを司祭に話しました。
司祭は聖水を撒いてベネディクトの十字架で十字のしるしをして祈ってくれました。
私はこの時に「しもべは聞きます。お話ください」と祈って待っていました。
ローキューションが始まって男性の声がしましたから、だれかなと思っていたらヨゼフさまが話してくださったのが判りました。
最近天の方々がそろって『小さい子』に言及してメッセージを下さるので、私は本当に幼な子のままでいいんだなぁと思いながら今日もメッセージを聞いていました。
それと、もっと親しくなりたいというように、天の方々が話をしてくださるので、この恵みになんて感謝したらいいかわかりません。
この幸せをもっと多くの人に伝えたい、そう思っている私です。
ヨゼフ様のメッセージが終わって、私は確認を取りました。
「このメッセージは本当でしょうか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
 続けて「他にローキューションはありますか?」と私は尋ねました。
そうしたら一言『ミシェル・マリー・フランソワに」と言われる声を聴きました。
私は「印はありますか?」と尋ねました。
そうしたところ、『識別のための印』をいただきました。
このことを司祭にはなしました。
しばらく祈ったあと、もう1度「ローキューションは他にありますか?」と尋ねるようにと司祭から言われました。
わたしはそのように尋ねました。
そうしたら私の心のなかに「イメルダ」といわれるこえを聞きました。
このことを司祭にはなしたら「この一言について印があるか尋ねて」といわれました。
私はこの一言に対して確認の印をお願いしました。
そうしたら『識別のための印』がありました。
イメルダさんが話してくれました。
この間の御出現では本当に嬉しそうに話てくれたイメルダさんでしたけれど、今回は少し静かで「みんなここに来て」とお願いするような感じでした。なんとなく寂しさを思わせる声で話をしてくれました。
声はかわいい12歳から13歳の子どもらしい声で、声の調子は割と中音域でした。
途中聴こえた言葉がおかしかったところがありました。
「神様の」と聞こえてしまって言葉がそこから先聴こえなくなってしまいました。
私はベネディクトの十字架で十字を切って「印はありますか」と尋ねました。
司祭が聖水を撒いて祈ってくれました。
このときに印がありませんでした。悪魔のアタックがあったので「サタン、イエズスのみ名によって命じる。退け!」と私は心のなかで言いました。
そうして「再開してくださるように」頼みました。
このときに「印をください」と私はお願いしました。
そうして祈っていたら『識別のための印』があったので、このことを司祭にすぐ話しました。
守護の天使に「助けてください」と私はお願いしたら「神様に喜んで」と続けて言葉が聞こえてきました。
メッセージが終わって、最後に私は確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。


2006年7月5日(水曜日)
(PM15:08〜15:15)
聖母マリア様からの公的メッセージ
(寺沢殉教公園、殉教碑のそばで)

聖母マリア様
愛する子ども達、この地を恵みで満たしています。
恐れないでください。
寺沢の殉教者、一人ひとりが支えています。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
いま、私たちは寺沢の殉教者碑の前にいます。
5月22日に、マリア様が立たれたところに来ています。
ロザリオの祈りを始めて第3珠目にきたとき「恐れないで」と言われる声がしました。
私はしるしを求めるため、祈りをとめさせてもらいました。
「しるしはありますか?」と尋ねたところ、『識別のための印』がありました。
私は「しもべは聞きます。お話ください」と祈って待ちました。
今回、ローキューションのときどなたが話されたか、言われなかったため、司祭がローキューションが終わった後、尋ねるようにと言われました。
私は「どなたですか?」と聞きました。
そうしたら「聖母マリアが」と話されたので、「印はありますか?」と尋ねました。『識別のための印』をくださいました。
短いメッセージでしたが、励ましのメッセージをくださったので、本当に感謝でいっぱいです。
メッセージがおわって、私は最後に確認をしました。
「このメッセージは本当でしょうか?印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。


2006年7月9日(日曜日)
(AM2:53〜3:26)
聖母マリア様からマリー・マドレーヌに与えられたメッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛するマリー・マドレーヌ、あなたを恵みで満たします。
聖母があなたにお話しします。
聖母の言葉に耳を傾けてください。
あなたは公に聖痕のことを証(あかし)しました。
死のことについても、愛する息子(ジャン・マリー神父)が証(あかし)しました。
誰も信じることができない事ばかりを伝えているので、あなたは司祭のもとでもっともっと身を低く天の語り掛けに対して信頼してください。
あなたは、聖痕を受けたときに、多く質問されて苦しむことをベルナデッタを通して感じています。
過去の幻視者、神秘家は、いろいろな苦しみを負わされ、精神的な苦痛を味わいました。
あなたの耳が聴こえなくなるということも、多くの人は、信じないであざ笑っています。
人は、光に照らされなければ誰もイエズスと、マリア、ヨゼフと、天使、そして、神が立てた預言者リトル・ペブルの事を理解することはできません。
恵みがその人を照らしてようやく心が開かれます。
いまや、聖痕の奇跡は、遠い昔話のように語られ、御伽噺の一つとしてかたずけられる次代となっています。
今、ジャン・マリー司祭によって、多くの先入観を天は壊そうとしています。
聖痕が与えられるのは、聖職の人、また、特別に選ばれた聖人と呼ばれる人だけにしかもらえないという考えが一般的でした。
でも、彼らも最初はひら信徒だったのをみなは忘れています。
素朴であってください。
マリー・マドレーヌ、怖がらないで司祭を愛し、ついていってください。
天が望む事に敏感になってほしいのです。
 愛する私の息子(ジャン・マリー神父)、あなたを祝福します。
あなたは今までと変わらず、天の計画に素直に従い、羊たちを導いていってください。
祝福をします。
どうか、ベルナデッタの保護を願ってください。神のみむねを求めてください。
愛しています。
司祭の祝福をお願いします。


マリー・マドレーヌ 状況説明
8日の第2ミサをしていた私は今回大変無気力状態で、ジャン・マリー司祭が聖歌を歌っているときにはただ一緒にオルガンを弾くだけの心の状態でした。
司祭が歌うから私はそれについていく。ただそんな状態で心が大変重くなんにも言えませんでした。
ロザリオの祈りの時にはまた、左目に光が連続して入る感じを受けました。
その時に司祭にお願いして聖水を撒いてもらって祈ってもらいました。
1度印を求めてみました。でも、印はありません。
私はサタンに出て行くよう、命じました。
それでも、その光が連続して左目に感じるのはおさまりませんでした。
大変な悪魔のアタックでした。
ロザリオを祈ったあと、私たちはシドニー・ペニーの主演女優の映画でベルナデッタをビデオで見ました。
 途中ジャコメけいじに尋問されているベルナデッタの場面を見ていたときです。
私の右手に風を感じました。
司祭に話をして途中でビデオを止めました。
 私は聖堂に行って、印があるかを尋ねました。
そうしたら『識別のための印』があったので、司祭に伝えました。
司祭とマリア・レベッカは一緒に『大天使聖ミカエルに向かう祈り』を祈ってくれました。
私はこのとき
「しもべは聞きます。お話ください。」と祈って待ちました。
聖母マリア様が話をしてくださいました。
今回のメッセージは大変重かったです。
聖痕を貰うことについて、改めて深い謙遜を教えられました。
最後にメッセージについて、確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
このときに録音機のメモリの容量がなくなったので、マリア様に「他にローキューションとリトル・ペブルさんの伝言があったら録音の時間がなくなったので、明日にお願いします」と言ってほしいと司祭から言われました。
私はそのように言いました。
「長の望みです」と付け加えました。

2006年7月10日(月曜日)
(AM3:39〜4:10)
聖母マリア様からの公的メッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛する子、マリー・マドレーヌ、聖母があなたにお話しします。
ベルナデッタのように、あなたは単純で小さい子のままでいてください。
イエズスの痛みをもっと負うことになります。
弱さを恥じないで、神から賜った「宝物」として大事にしてください。
天はあなたに何があるかをこれから伝えます。
 あなたは、司教に会います。
ジャン・マリー司祭と一緒に、そしてここにいるメンバーも会います。
ベルナデッタの単純さと素朴な信仰を見習ってください。
彼女に取次ぎを全員、ここのメンバーは特に願ってください。
 マリー・マドレーヌにイエズスの十字架をおわせます。
喜んで身を任せてください。
たくさんの事業のために、どうか罪びとの改心を願って犠牲を捧げてください。
 ミシェル・マリー・フランソワも一緒に会うので、彼の全てを天は支えていきます。
あなたがた5人は神のみむねに一致する働きをすることができるように祈ってください。
深く愛し、罪を許しています。
神のなさることは全て最善です。
子ども達、恐れないで進んでください。
天使と聖人の取次ぎをもっと一人ひとりが願ってください。
謙遜になることを求めて聖母を慕ってください。
正しい道に聖母はみちびきあなた方から決して離れません。
子ども達、一人として愛されていない人はいないのです。
みなを祝福します。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
昨晩に引き続いて、ベルナデッタの映画を見ていました。
全部見終わったときに私の左肩から腕にかけて激痛を感じました。
今までにない重い痛みでした。
私はこの痛みがあることを司祭に話ました。
聖堂に行ってしるしを求めました。
司祭とマリー・レベッカも一緒に『大天使聖ミカエルに向かう祈り』を祈って司祭は聖水を撒いてベネディクトの十字架で十字の印をしてくれました。
私はこのときにベネディクトの十字架を手元においていませんでした。
お願いして取ってきてもらいました。
私は
「印は在りますか?」と尋ねたら『識別のための印』をいただいたので、ジャン・マリー司祭に伝えました。
そして私は「しもべは聞きます。お話ください」と祈ってローキューションに備えました。
そうしたらはっきりとした声で聖母マリア様が話しをしてくださいました。
愛情にあふれた優しい語り掛けでした。
私は本当に謙遜になりたい、ただそれだけしか今は言えません。
「どうか神様のみむねがなりますように」という思いでいっぱいです。
最後に確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』がありました。
続いて「他にローキューションはありますか?」と尋ねて印を求めましたが、ありません。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねましたが、印はありませんでした。

2006年7月11日(火曜日)
(AM4:39〜5:16)
主イエズス様からマリー・マドレーヌに与えられた公的メッセージ
(秋田県湯沢にて)

主イエズス様
愛する子ども達、イエズスがあなた方を祝福する。
愛されている息子(ジャン・マリー神父)、あなたを大きな恵みで満たす。
あなたのそばをいっときも離れず、あなたの過去受けた多くの苦しみを癒す。
豊かに祝福する。
 マリー・レベッカにお話しする。
全面的に司祭を信頼して、全ての悩み、不安なことをいっさい天に任せるように、私は言う。
子どもを宿すことにおいても、神は生まれ出る子どもを祝福しているので、どうかその子を愛し、慈しんでほしい。
 リトル・ペブルの事は、公にされるので、そのしるしを神はリトル・ペブル自身に与える。
引き続き、彼の事を愛し、もっともっと情熱を燃やしてほしい。
『花嫁の愛』で、支えてほしい。
マリー・ダニエルと同じ道に歩む第2のソーン・ブッシュのためにも祈ってほしい。
リトル・ペブルを天は愛している。
愛する子ども達、彼の事を愛し、時の人になる彼の名を旗印として、高々と掲げ、勇敢に進んでほしい。
 マリー・マドレーヌの傷については、よく知っているし、この苦しみを捧げてくれたので、いつも許しと愛を注ぎ、愛する息子のそばに置いた。
決して見放したのではないから、あなたがそのままなにもかもを捧げていってほしい。
子どもよ、勇敢でありなさい。
祝福を送る。
愛し続けてほしい。
司祭の祝福をお願いする。


マリー・マドレーヌ 状況説明
十日の第2ミサを捧げたあと、私はジャン・マリー司祭と『ロードオブザリング』を見ていました。
 途中、妖精エルフのアルウェンがアラゴルンと深く愛し合う場面があります。

不老不死の身であるエルフアルウェンは、自分の命を捨ててまでも人間アラゴルンを愛します。
けれど、「妖精と人間の運命はあまりにも違う。」ということで、アラゴルンはアルウェンを仲間のエルフのところに行かせようとして彼女を説得します。
そして、貰っていたペンダントを返します。
彼女は「贈り物としてあげたのだから、持ってて。」と言います。
そして「あなたの言葉を信じません」とアラゴルンの愛を決して疑いません。
人間は愛している人が今までと違う行動をしたとき、裏切りだといって相手を非難しますが、エバの罪がエルフの女性にはない事をジャン・マリーが説明してくれていました。
このときに私の左目に久々に光が入りました。と思ったら発作を起し、そのあとは記憶がなくなってしまいました。
私が気がついて時計を見た時間は2時50分ごろで、30分以上何もわからないで過ごしていました。
私は意識が混濁したまま、司祭に連れられて、2回のマリー・レベッカの個人の寝室で、ベッドに寝かされました。
気がついたときにはそこにいました。
また、睡眠中に発作が起きるといけないので、二人が見張ってくれました。
横になっていた私は先ほど突然に発作があったことを思い出し「なにか罪があるのでこのことがあったのかな」と思ってしまって泣いてしまいました。
言葉にならない心からの叫びのようで、悲しみを感じていました。
しばらく私は休みました。
眼が覚めてしばらく横になっていました。
その時に私は「この苦しみをイエズス、捧げます」と祈りました。
今までは発作が起きたときには罪責感がよみがえっていて、「この苦しみを捧げる」という思いになれませんでした。
でも「心を入れ替えて苦しいだけに終わらないで、捧げることに気持ちを切り替えてみよう」と思い、祈りをした私です。
3人が寄り添って互いに手を触れ、体も裸になっていたときに、私の手に風を感じたので、司祭に話しました。印が在るか尋ねました。そうしたら『識別のための印』があったので、司祭に話しました。ロザリオを祈っていないときに御出現があったのは、本当に久々です。
「マリー・レベッカにお話しする」とイエズス様が言われたとき、ジャン・マリーのペニスをマリー・レベッカが握って、しがみつくようにジャン・マリーと触れ合っていました。私がジャン・マリーのペニスで遊んでいるときにイエズスさまからローキューションを受けた時と、同じです。
イエズス様の優しい語りかけには本当に慰められました。
今回重要な言葉をたくさん言われて、ただ感謝しかありません。
最後にメッセージの確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』がありました。
「他にローキューションはありますか?」とたずねて待っていたら『ベネディクト』という名前が聴こえてきました。
印を尋ねたけれど、ありません。
サタンを追い出しました。
「リトル・ペブルさんに伝言がありますか?」と尋ねてしるしを求めましたが、ありませんでした。
再度『ベネディクト』と言われた一言のローキューションについて、確かめました。
印があるか尋ねましたが、ありませんでした。


2006年7月17日(月曜日)
(AM3:19〜4:17)
聖母マリア様からの公的メッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを祝福します。
カルメル山の聖母があなたにお話しします。
煉獄の事が無視され、語られなくなった今、リトル・ペブルのミッションは彼らに対する愛徳に燃えてください。
リトル・ペブルの彼らに対する愛は他の誰もが持っていないものを神から与えられ、絶えずリンボウと煉獄の事を忘れないで祈っています。
 マリー・マドレーヌに、また、マリア・レベッカに苦しみを与えるのは、全世界の罪のつぐのいだけではなくて、リンボウと煉獄をもっと認識してほしいために、あえて人が追わないような苦しみに合わせ、もっとその苦しみを喜んで捧げて貰いたいからです。
あなたがたの魂の弱さのゆえに重いと感じるあちこちの体の不調に対して、聖母はよく知っています。
よく判っています。
多くの人がこれから泉が湧くことによって癒されます。
でも、十字架を進んで担う人を天は求めています。
ベルナデッタに「幸せはのちの世で約束します」と聖母は言いました。
あなたがたも同じくベルナデッタと一緒に十字架を担います。
周りが癒されるのを見て、どうかねたまないでください。
特に、マリー・マドレーヌは、聖痕を受けるので、全てをイエズスのみこころに、そして、聖母のけがれなきみこころにあずけてください。
 マリア・レベッカは子どもを産む奇跡をその身に受け、自分の眼ではっきり見ます。
でも、あなたの肉体の痛みに関しては、一つの重荷としてイエズスに一致させるために、そのままにします。
もう1度言います。周りが癒されるのを見て、どうかねたまないでください。
あえてそのようにするのは、イエズスの十字架を愛する人がいないために自ら進んで十字架を担わせるために、聖母が選んだからです。
男性が癒されるのを見ても、ねたまないでください。
 今は苦しみを軽くして健康な生活を願う時代で、昔は苦しむという事に非常に大きな価値を置いていました。
カトリックの本来の教えは「イエズスが苦しまれた苦しみに私も一緒にあずかりたい」という願いを信者が持つようにしています。
でも、リトル・ペブルを中心としたミッション以外はこの苦しみに対する熱望がなくなってきています。
修道院では意識されて捧げる人もいますが、それでも昔のようではありません。
 子ども達、痛みが来たときに、本当にイエズスに自分の身を生贄として捧げてください。
あなたがたは長上が話す言葉を『宝物』として大切にしてほしいのです。
外に出てしまったらこの事を言う司祭に会えません。
全てを神の望みに従って捧げてください。
これからもリンボウと煉獄の霊魂に捧げてください。
愛しています。
 マリー・マドレーヌ、あなたの身に起こる事で、恐れないでください。
耳の事も、聖痕の事についても、そして神の計画によって死に、イエズスにあいまみえる時に至るまで、全部をゆだねてください。
あなたはちっちゃな子です。「いっぱい転んで何度も同じ失敗をしているから」と言って自分の弱さを恥じようとしています。
なにもできない。それでいいのです。
へりくだらせるためにそうしています。
祝福をします。
司祭の祝福をお願いします。


主イエズス様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

主イエズス様
愛する子ども達、イエズスがあなたがたを祝福する。
男性の柱に選ばれた愛する子らよ、今、悪魔は躍起になってあなたがたを苦しめ、多く痛めている。
イエズスのもとに来なさい。
前、話したようにイエズスのみこころが避難所である。
なにも言えず、全てにおいて力がなくなったと感じているときでも、イエズスは愛し、すぐそばにいる。
そのままを捧げてほしい。
全て愛している。
司祭の祝福をお願いする。


マリー・マドレーヌ 状況説明
16日の第2ミサを夜中にしていました。
ミサでは煉獄の霊魂に対する愛を燃え上がらせ、彼らの救いのために祈り、マリア様にお願いしていました。
 ロザリオの祈りのとき、第3珠目で私は下に下りるような感覚を受けたので、しるしがあるかを求めるために祈りをとめさせてもらいました。
印があるか求めましたが、ありません。
すぐにサタンにイエズスのみ名によって出ていくよう私は厳命しました。
続いて4珠目のとき、右手に風を感じました。印を求めたら『識別のための印』があったので、司祭に話しました。
私は「しもべは聞きます。お話ください」と言って待ちました。その間、司祭は聖水を撒いて、ベネディクトの十字架を持って『大天使聖ミカエルに向かう祈り』をして十字のしるしをしてくれました。
そうして待っていたらはっきりとした美しい声で聖母マリア様が話をされました。
今回、苦しみを喜んで捧げていないことをミサ前、司祭に指摘されたばかりでした。
マリア様もまったく同じことを言われ、私は本当に悔い改める必要を感じました。
ここ何日か共同体の中で、私は笑顔で過ごすことが少なくなっていました。それと、紛らわしい悪魔のアタックが多く、夢も、なにもかも全く下からのものでした。15日には「おまえは落ちた」とローキューションがないことをあざ笑うかのように悪魔に言われるほどでした。
11日以来、天からのローキューションは何もありませんでした。
久々にマリア様のメッセージを受け、私は初心に帰ることを痛感させられました。
メッセージが終わって、確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
 続いて、「他にローキューションはありますか?」と尋ねるよう司祭に言われて私は尋ねました。
しばらく沈黙していたら『男性に』と言われる声がしました。「印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたら『識別のための印』がありました。司祭にこのことを話しました。
「しもべは聞きます。お話ください」と私は祈って待ちました。
そうしたら男性の声がしました。イエズス様でした。
 今回私が感じたのはチームで支えあうんだということです。
互いに担い合うことで、神様のご計画にあずかるんだなと改めて知らされた時でした。
最後に「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねて確認をしました。
そうしたところ『識別のための印』が在りました。
 続いて司祭から『他にローキューションはありますか?」と尋ねるよう言われて印を求めて待ちましたが、何もありません。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねましたが、なにもありません。
共同体全員が病気持ちで、悪魔によるアタックが多くなってきています。
ジャン・マリー司祭から「苦しい時にこそ、にこにこしなさい」と言う助言を受けているけれども、このことに関して全員しろうとなので全く従えていません。


2006年7月18日(火曜日)
一言のローキューションでまた新たな経験をしています。
今日、第1ミサが終わって、聖体降福式が始まる前、全世界、全リンボウ、全煉獄のための祈りをして、イエズス様、マリア様、ヨゼフ様に哀れみを請う歌を歌っていたときです。
私の心に『寺沢に行きなさい』という一声が聴こえました。
心の中で私は、印があるかを尋ねました。けれど、印はなかったので、すぐにサタン出ていくように。「イエズスのみ名によって」と私はサタンを追い出しました。
このことを司祭に話ました。
全部終わってから再度確認をすることにして聖体降福式をしました。
ロザリオの祈りをするときにまず大天使聖ミカエルに向かう祈りをしてこのときに先ほどあったローキューションの確認をしました。
けれど、印は在りません。私は決着をここでつけました。『イエズスのみ名によって命じる。サタン、出ていけ!」と私は厳命しました。
このことを司祭に話したら司祭が重要なので、書き残すよう言われました。
そして、一つの話をしてくれました。
ある人が「ローマに行くように」という一言のローキューションを受けたんだそうです。
この一言のローキューションに従ったら天からのものではなかったということがあったんだそうです。その一言のローキューションの執着のために使命を失ったというのです。
神父様は信じていなくて注意をしたけれど、その人は「天から言われた」と言って従いませんでした。
識別の重要性をまたここで知らされました。本当のように見えても実は違って、紛らわしい悪魔によるアタックを受けたのだと私は判りました。
最近、夢に関しても、ローキューションに関しても、悪魔の巧妙なアタックが激しさを増しています。
霊戦の真っ只中です。
私は、一言のローキューションのあと、シナモンの香りがしてまた印を求めました。
でも、しるしはありません。良いにおいを感じさせて、実はまったく違っていたんです。
こういうことも悪魔はできるんだということを書いておきます。
信じたいと思うようなことでも、絶対気を抜かないで、司祭が言われることを第1にしていかないと大変危険があります。
たった一言だからといって気を抜かないでください。
大きなわなであることがありえるから。

苦しむこと
私は今回、自分の仕事である「苦しみ」を追ったまま、ジャン・マリー司祭の要求していることをするということに従えていなくて、自分の考えを優先したことで、大変大きな損害を与えていることを後で知った。避雷針としての役割を放棄するような行動を先週金曜日(14日)にしてしまった。
それは、13日の夜から始まった。
「聖体行列にいかない」と私はまたここでも司祭を困らせたんだ。イエズスを悲しませちゃった。
体の具合が悪いと言って、その苦しみを担うことを進んでしなかった。これが私の一番よくないところで、苦しみを嫌がる行動は、結局イエズスの十字架を愛していないんだということになる。そう司祭から厳しく言われたんだ。
何とか13日は体を起して、歩いて聖体行列に参加したの。私は最近、苦しみが来たとき「にこにこ」できずに、どんどん塞ぎこんで、顔の表情が悪くなっていっているの。
苦しみが来たとき「やったぁ」と言って喜んでいなくて、にこにこしないで本当に「苦しい!」ばっかり言っていたんだ。
笑顔がぜんぜんなかったの。「もっとちょ!」も言わなかった。
司祭が言った事は「苦しみ、悶えながらも、顔は微笑をいっぱいにする」。
「私、なんにも悩みないの。幸せなの」これがあかしになるはずなのに、私の最近の生活はなにかあると「具合がわるい」とか「だめ」と連発しっぱなし。
14日はミシェル・マリー・フランソワとジャン・マリー司祭の3人で寺沢に行くということになっていたけれど、大変な喉のアタックで吐き気もあって、私は司祭が行くよ」と言ったのに「お願いだから、やめて」と跳ねのけてしまった。
「これでは共同体のためになんにもやくにたっていない。避雷針が喜んでいなければ、魅力がそこにないため、共同体は楽しさがない。人はなんにもそこに魅力を感じない」そういうことをはっきりジャン・マリー司祭からいわれた。

2006年7月18日(火曜日)
(AM1:51〜2:28)
主イエズス様からマリー・マドレーヌに与えられたメッセージ
(秋田県湯沢にて)

主イエズス様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを祝福する。
イエズスがあなたに話をする。
リトル・ペブルのために、あなたは何もかもを捧げてほしい。
苦しむ3人のために、もっと喜んで支えていくように、私はあなたに言う。
何が足りないのかを知って、司祭に耳を傾けて、従順する意志を新たにして、全部をイエズスに任せてほしい。
「大きなことは言えない」と言ったあなたを励ますために私はここに来た。全部を委ねてほしい。
しっかり長についていくように。あなたを祝福する。
苦しみを担わせるために、材料が過去どんな人よりも悪く、また、これから先にもないほど良くないあなたにもやれることをあなたに教える。
男性が全国各地で勇敢にリトル・ペブルのために働くことができるように、どうか支えてほしい。
心を預けて、喜びに喜びなさい。
何が在っても、一人にはしない。理解者がそばにいる。ここが、あなたの過去に在ったことと違う。
勇敢でありなさい。
司祭の祝福をお願いする。

2006年7月18日(火曜日)
(AM1:51〜2:28)
主イエズス様からマリー・マドレーヌに与えられたリトル・ペブルへのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

主イエズス様
愛するリトル・ペブル、あなたを祝福する。
あなたのために苦しみを負う人を起し、ベッティーナとローズ・オブ・ホーリー・イノセンツのために、身を捧げる人を送る。
あなたがたのために犠牲を喜んで捧げる人が少ない。
天は3人を助けるために、苦しみの援助者を起す。
もうまもなくあなたがたに対する誹謗中傷はなくなるので、信頼してほしい。
いつも豊かに祝福を注ぐ。
愛している。恐れないで歩みなさい。
司祭の祝福を3人にお願いする。

マリー・マドレーヌ 状況説明
17日の第2ミサを捧げていました。
第2ミサでは、ここ数日間に亡くなった全世界の霊魂のための葬儀ミサをしています。
避雷針の機能が果たされていないことを指摘された後、本当に私はショックを受けました。
自分では苦しんでいると思ってもまだ1割にも満たないことを知らされたからです。女性は持続する苦しみに耐えられる体を持っていて、何日でも耐えられるのだという話を司祭が説教のときに言いました。
「具合が悪いの。苦しい」と弱音を吐くのが女性で、苦しいと言ってはいるけれど、余力がまだ残っているんだと言われて、私は体の具合の悪さに負けていたなと思いました。
男性は苦しいというときには本当に限界を感じているのだということも知ったのです。
女性とまったく違うことをジャン・マリー司祭が説明してくれました。
それに「苦しいときにこそニコニコしなさい」って何度も司祭から言われているのに、ぜんぜん従っていなかったこともここで教えられました。
昨日司祭から「苦しみがきたときに喜んで受けていない事で、避雷針としての機能が果たされていない」とはっきり言われたので、本当になにも言うことができなくなってしまいました。
私は恐れていたことがあります。
それは何度か発作を起し、命の危険にあったのに、まだ苦しみが来る。耳も聴こえなくなるし、苦しみが増すのは判っているけど、自分で負っていけるのか不安でなりませんでした。
そのことが引っかかっていて、しんそこ、苦しみを喜ぶことができないで過ごしていたのです。
これを指摘されて、もう1度自分の意志を奮い起こして苦しみが来たときにやったぁ!と言って、喜んで受けることを捧げようと思い、イエズスに「もう1度初心に帰りたい」と言いました。
ジャン・マリー司祭が『苦しみが来たときに「やったぁ!」と言って捧げて、具合が悪い時に悶え苦しんでいても「ニコニコニコ」とするのは簡単だけど、ひっしにならないとやれないよ』と説教で言われました。
苦しみを抱えていても何も悩みがないかのように顔は微笑みでいっぱいにして、人が「本当に幸せなんですね」と勘違いするほど苦しみを表に出さない。このようにならないと魅力はない。』という事をジャン・マリー司祭から言われました。
『苦しみが嫌なら、十字架を愛していることにはならない』と言われたので、私は「十字架を下ろさないで、イエズスと一緒に一致したい」と思いました。
私はリトル・ペブルさんのために、ベッティーナさんと、ローズ・オブ・ホーリー・イノセンツ(マルーさん)のために、そして愛する仲間が苦しんでいるから、苦しみから逃げてはいけないなと思って、「イエズス、捧げたいです」と祈りました。
ミサの途中、「こんな私でもできるよね」という思いが起こりました。希望がわいてきました。
私の悪いところは一人で負わなきゃいけないんだという考えに陥ってしまうところにあります。
そして「できない」って言ってしまうのです。その考えをとっぱらってマリア様とヨゼフ様に『助けてね』とお願いしました。
 ロザリオの祈りのとき、ジャン・マリー司祭が「この1連はリトル・ペブルさんと、ベッティーナと、マルーの3人のために捧げましょう」と言って祈りました。
『めでたしの祈り』に入って、7珠目に来たときに男性の声で「リトル・ペブルのために苦しみを捧げて」と言われたのが聴こえました。
私は印があるかを尋ねるため、祈りをとめさせてもらいました。
そうしたら『識別のための秘密の印』が在ったので、司祭に伝えました。
ジャン・マリー司祭はベネディクトの十字架で十字の印をして、聖水を撒いて『大天使聖ミカエルに向かう祈り』をしてくれました。
わたしはこのときに『しもべはききます。お話しください』と祈って待ちました。
「どうかへりくだらせてください」と祈りをしたら男性の声で呼びかけられました。イエズス様が話をしてくださいました。
最初のメッセージは本当に感謝でなりません。「どこまでイエズスさま、優しいの?」という思いでいまはいっぱいです。
このメッセージが終わって私は確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と私は尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
続いて『他にローキューションはありますか?』と尋ねるよう、ジャン・マリー司祭から言われました。私は尋ねました。
けれど、印はありません。
 リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねて待ちました。そうしたら『識別のための印』があったので、ジャン・マリー司祭に伝えました。
引き続き、イエズス様がリトル・ペブルさんと、ベッティーナさん、そして、マルーさんの3人にメッセージを話されました。
メッセージが終わって、私は「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねました。そうしたら『識別のための印』がありました。


2006年7月19日(水曜日)
(AM2:25〜2:54)
マグダラのマリアからのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを愛しています。
マグダラのマリアがあなたにお話しします。
痛悔の恵みを注いでいる今、自分の弱点を率直に言い表して全てを認める勇気、これを与えました。
自分が一番の罪びとであると、自覚して神に謝って許しを願う人こそ、イエズスが赦しを与えることができる良い状態です。
謙遜こそ、どんな宝石にも勝る宝物で、贈り物です。
苦しんで、試練にあって、激しく試されて、いままで気付かなかったことが見えてきて、弱さを知らされたときに、自分の愚かさに驚いてしまう経験をあなたはしてきました。
一番罪深く、自分を低く見るなら、あとはそれを謙遜のよすがとして、全部をイエズスに委ねてください。
マリア様に罪を痛悔する恵みをこれからも願ってください。
愛しています。
私はあなたが弱いからといって、見放すようなことはしません。
あなたの足りない勇敢さを持っているので、あなたを助けます。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
18日の第2ミサをしていました。
ミサ中「英雄性」についてジャン・マリー司祭が話をしてくれました。
このときにマグダラのマリアの話もしました。司祭は10年前マグダラのマリアから大きな恵みを受けたことを私に話してくれました。
女性の中で一番大好きな聖人だということも話をしました。そして、彼女の誉れのために、洗礼を授ける第1号にマグダラのマリアの名前を付けることを決めたと言いました。
そして、私に名前をつけてくれたことを話してくれました。
 私は最近自分の心の状態が非常に悪く、人の善意に対して良く見ることができないということに気づかされていました。
相手が良いと思ってやっていることにたいして、私は意味合いを考えて悪く取ったことをジャン・マリー司祭が指摘してくれました。
偏ったものの見方しかできない事をジャン・マリー司祭に話をしたのです。自分があまりにも汚い存在だとまたも目の当たりにして、ただ泣くだけでした。
メッセージでも、「ねたまないでください」と最近も言われたけれど、私が一番ねたむから、そういうふうに言われるんだろうなと思ったらやりきれない思いになってしまったのです。
自分の醜さしか見えなくなりました。
ミサが終って、ロザリオの祈りをしようとしましたが、私は話さないと心が落ち着かない、そう思って今の私の心の状態をジャン・マリー司祭に打ち明けました。
そうしたら「世界で一番傲慢なんだ」と思ったら「へりくだればいいよ」とジャン・マリー司祭が言ってくれました。
少し休憩をして、パンを食べていたときに私の右手に風を感じました。
ジャン・マリー司祭にこのことを話しました。
私はお御堂に行って印があるかを尋ねました。
そうしたら『識別のための印』があったので、ジャン・マリー司祭に私は伝えました。
私は『しもべは聞きます。お話ください』と祈り、待ちました。
このときにジャン・マリー司祭は祈ってくれました。
私は待っていたら本当に透明で、清んだ女性の声を聴きました。昨年5月27日に聴いたことがあるような声でした。
ローキューションが始まって「マグダラのマリアが話をします」と言われたときに本当にびっくりしてしまいました。
罪を痛悔するというのは大きな恵みなんだと改めて知らされました。
本当にうれしかったです。
メッセージが終って私は確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』をいただきました。
「他にローキューションはありますか?」と尋ねましたが、印はありません。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねましたが、何もありませんでした。

 7月22日は『マグダラのマリアの祝日』で、私の霊名日です。私が生まれてからずうっと守ってくれたかもしれない、とジャン・マリー司祭が私に言ってくれています。
「今年、あなたにとって人生で最後の霊名日になるから、寺沢に行って、癒しの泉のことをお願いしよう、そして聖痕の事も、何でもマグダラのマリアにお願いしよう」とジャン・マリー司祭と話をしています

7月二十日(木曜日)
いま、朝方。
昨日、とっても塞ぎこんじゃったわたし。
ミサもぜんぜん祈れなかった。なんにもできない、これが頭にいっぱいで、話すのも辛かった。
ミサが終わった後、寝たけれど、ぜんぜん食欲もなくって、自分を責めるだけだった。マグダラのマリアが昨日の夜中に私を励ましてくれたけれど、御出現についても、いまはなんにも心が開けない感じになった。
これではいけないという思いにもならないほど心がずたずたになっていたの。
17日からずうっと私はジャン・マリー司祭に「苦しい顔を見せていたら楽しいことがなくなってしまうし、なんにもそこには魅力はない。こんなに苦しんでいるのに、と言ったら避雷針の意味がぜんぜんなくなってしまう」と言われたんだ。
『ベルナデッタの歌』という映画で、彼女の習練長が彼女に「あなたはぜんぜん苦しんでいない。私はこんなに苦しんで神に仕えているのに、何で苦しんでいないあなたにマリア様が話されたのか」と言う場面があるの。修練長はぜんぜん御出現にたいして信じていないの。
でも、ベルナデッタはものすごいひざの痛みを追っていて、結核もあるのに『私は苦しいと思ったことありません」と言っていたの。
「苦しいと思ったことがない。」だって。なんだか私はここまで苦しみを喜んでいられるベルナデッタにびっくりして、「人はここまでできるの?」っていう思いでいっぱいでならなかった。
いまでも、微笑みながら過ごすことは私の課題。自分には全く違う世界のような感じがしてならない。でも、ジャン・マリー司祭は、何が在ってもにこにこにこ!なんだというの。心の傷に刺激されても・・・。
神様、私、自分で愛するのはぜんぜんできない。みんなの愛に支えてもらってるのに、自分にはなんにもできていないんだなってここ何日か痛感させられているの。指摘されればされるほど、自分の醜さばっかりで、魂が粉々になっているの。
それでも、苦しんでいるのはほんの1割にもすぎないって言われたら・・・。いま、心のなかを洗いざらいにかいてるけど、自分をさらけ出して書くしかないの。ちっちゃい子だから、ちっちゃい子のように苦しんで、キャーキャー言って、それでもニコニコに子!なんだよね。
一番痛いし、泣いちゃう。「なんにもできない」って塞ぎこんで、なにかあったら爆発してしまう行動はもうしかねないほど、自分の事ばかりを見ちゃう。こんな私が最後まで堅忍できるのかな。本当に「助けて!」の連発だけ。
それでも「ニコニコニコ!」なんだね。イエズス、私、いっつも一緒にいてくれるみんなにありがとうって言いたい。一番、魂の底にあった問題と直面してるいま、ちょっとしか進めない私を忍耐強くジャン・マリー司祭が守って導いてくれるんだから、信頼だけなんだけれど・・・。
ちっちゃい子だから、マリア様、イエズス、ヨゼフ様、そして天のみんなが私に約束してくれたことは真実なんだと信じるだけなのに・・・。

一つ聴いたこと
女性は苦しみの持続に耐えられる体なんだということを17日の夜、ジャン・マリー司祭から聞いたの。
18日にはジャン・マリー司祭から「女性は苦しいと言っているときには1割しか苦しむ能力は使っていない。脳で苦しむことをセーブして「できない」と言っているんだ。男性は肉体の痛み、激痛には耐えられない体を持っている」という話があったの。
私は以前、命の危険に会うほどの発作を起し、それが何度もあった。
これから聖痕が与えられたら、私はそれに耐えられるのか、そこが不安になっていた。それと、また発作が起きたらどうしようって。まだ苦しみが足りない?こんなに苦しんでるのに、まだなの?」そういう思いが心によぎったんだ。本当に十字架愛していないね、わたし。ショックだった。
ジャン・マリー司祭は苦しみが来たときに喜ぶことは簡単だけれど、ひっしにならないと功徳が得られないということを私に助言してくれたの。
苦しんでいるときにそれをもっとちょうだい」と熱望しないのは本当に苦しむことを愛していない。十字架を下ろそうとするのはイエズスをどれほど悲しませているかということをはなしてくれたんだ。
私はとくに、幼な子の道にいくから、「にこにこにこ」が大きな鍵なんだといわれたの。
そのあと、イエズス様からメッセージがあった。
そして、19日にはマグダラのマリアが話してくれたの。それなのに、もう私の魂はずたずたになってた。
ジャン・マリーは何にもできない私に「ニコニコする。これに集中すればいいんだよ。一点集中だよ」と言ってくれたの。
告解のときにも「自分の犯した罪を何度も告白するのは大切なことだし、1点集中する事で、克服できるようになっていくから」と言われているの。「何度も同じ罪を犯しても、そこに集中して、治そうとしたら改善へと進めるよ。」これをジャン・マリー司祭が言っているよ


2006年7月21日(金曜日)
(AM2:46〜3:44)
聖母マリア様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛するちっちゃい子(マリー・マドレーヌ)、あなたを祝福します。
聖母がお話しします。
いっぱい傷があって、不完全なあなたたちに対して、天が痛みを一緒に担います。愛しています。
弱さを素直に言い表すことは、全て良いことです。
今、ミシェル・マリー・フランソワも、コルベ・マリーも、ぎりぎりの状態で、一番苦しんでいます。男性の柱を全国に打ち立て、過去20年の失敗をした苦い事柄を忘れるほどに神の計画を進ませるので、彼らの苦しみは大きなものになっています。
悪魔はリトル・ペブルのもとで全く愛に満ちた共同体が立ち上がって、互いに手を結び、一致するのを恐れているので、一番弱い部分につけこんで、倒そうと働いています。
一人ひとりの弱点を利用して、攻撃し、存在までも絶やそうとしています。
でも、神が手をあげれば、悪魔はそこから身をひかなくてはなりません。周りの人に、愛する心を神は与えます。
 子ども達、深く愛し、どれほどにあなたがたの行いを喜んでいるかしれません。
今、霊戦のただなかであって、孤独が蝕もうとしています。「愛」と「喜び」、これを悪魔は一番嫌います。
「苦しむことをどうして喜ぶことができるか」という思いを吹き込み「苦しんだから何かを得ることを期待するのはおかしい」といって絶望へと落とそうとしています。
あなたがたはたくさんの信仰の先輩がいます。激しい苦しみを彼らはくぐりました。でも、「希望の徳」を彼らは与えられて、力強く勇気に満ち溢れて、最後まで使命をまっとうしました。
一人ひとりに送られている保護の聖人と、守護の天使にいっぱいお話ししてください。
あなたがたが互いに手を取り合って会話をしているように、眼には見えないけれど、一緒にいる隣の人に話すように、どうか友情を持ってください。
何でも話すのです。「こんなこと話すとおかしいかな」と思ってはいけません。あなたがたが気がつかないところでも彼らは守っています。話しかけられない時があっても、彼らは決して見捨てないで愛して支えています。
神に全部任せてください。
ジャン・マリー司祭も苦悩の中にあります。
大きな慰めを男性は得ます。
 女子修道院に関して、マリー・レベッカは、大きな責任を負っています。司祭のもとで、歩み続けてください。愛しています。
天が苦しんでいる男性の柱に介入します。
 マリー・マドレーヌは、ベルナデッタを愛して、ちっちゃな子の路線をひいていくのです。なにもできない、人を愛することも、赦すことも全くできずに苦しんで憎しみに陥りそうになる。このことを司祭に話しました。
あなたの悪さは前面に出ています。ねたみぶかいことも、なにもかもです。全部がさらけ出されて、それでイエズスによって変えられていきます。
何度も同じ戦いの中を行かねばならないことに関して、恐れないでください。指導者が絶えず助言をすることに耳を傾けてください。
一人ひとりを祝福します。気落ちしないでください。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
いま、7月21日の夜中3時40分です。
20日の第2ミサをしていました。私はミサの始めはオルガンを少し弾くことができましたが、途中睡眠に陥ってしまいました。
ちょっと休憩があってようやくオルガンを弾くことができました。死者のための葬儀ミサで、彼らに対して愛をまた深めました。
私はミサ中、なにか自分の心の中に人の事が赦せないで、憎しみのような感情があるのに気がつきました。そして、天の皆さんに助けてほしいと祈って、ロザリオの祈りのときにジャン・マリー司祭に話をしました。
本当によくないことだから、赦してほしいという願いでいっぱいでした。
ミサもそうですが、ロザリオの祈りのときにはリトル・ペブルさん、ベッティーナ、マルーのために祈りをしました。
 ロザリオを1連唱えてから「なにかローキューションはありますか?」と尋ねるように司祭から言われました。
私は尋ねて待っていました。そうしたら「希望の徳」と言われる声がしました。
女性の声でした。私はすぐに「印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』をいただきました。
この出来事を司祭に話しました。
司祭が『大天使聖ミカエルに向かう祈り』を祈ってくれました。このときに私は「しもべは聞きます。お話ください。」と祈ってローキューションに備えました。
そうしたら聖母マリア様が話をしてくださいました。話し方は本当に小さな子に言い含めるような感じで始まったので、私はだんだん気持ちがほぐれてきました。
避雷針の役割の事をまた一段階深く教えられました。はっきりと私には『小さな子の路線』を行くと言われて、苦しい中でも「ニコニコニコ」を絶やさないでいきたい、そう思いました。
最後にこのメッセージに関して確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と私は尋ねました。そうしたら『識別のための印』をいただきました。
 続いて「他にローキューションはありますか?」と尋ねるように司祭から言われたので、私は尋ねてしるしを求めました。けれど、なにもありません。
「リトル・ペブルさんへの伝言はありますか?」と尋ねてみましたが、しるしはありませんでした。

7月22日(土曜日)
『マグダラのマリアの祝日』
今日、寺沢に行った。初めての野外ミサをしたの。私はこの日、霊名日になってて、なんだか嬉しかった。わくわくわくの状態だったよ。久々に外に出て、山道を車で行ったから、いろんな自然のにおいを楽しんでいたよ。
途中、牛舎があるの。都会では味わえないよ。せみもいっぱいいて、木がたくさん在ることを私に教えてくれる。
そう、途中カーブがきつくてくねくね曲がるところがあって、峠越えをするんだけど、何度通ってもキャーキャー言っちゃう私。
 ミサはテントをはったの。そして、野外ミサ用に使う折りたたみのテーブルを祭壇代わりにして、ジャン・マリーは、テントの中に入って、ミサをしたんだよ。
今回、殉教者のためと、マグダラのマリアのミサの祈りを使ってやったの。私、ここで本当に泉が沸いて、ルルドのような景色だから、マリア様にお願いしたよ。そして、聖痕のこともね。
みんなのこれからの生活も助けてねって祈った。
御出現はなかったけど、すごい感無量だった。9月四日には殉教祭をすることになってるから、その準備もこれからちゃくちゃくと進んでいくよ。
 帰りがけにイチゴをなんと4パック買ったの。男性が二人、いっぱーい食べるっていうから、安心だけどね。
 最近、私はまたストレスがたまるようになっているみたいでね、胃酸過多傾向にあって、むかつくことが多いの。
それでね、これ書いてなかったけど、私、豆乳が苦手で、どうしても飲めなかった。でもね、ジャン・マリーに会ってから、豆乳の恩恵にあずかってる。って言うのは、胃の具合の悪さをこの豆乳が中和してくれるんだもの。
苦手な豆乳を飲むときにね、ジャン・マリーがこんなこと言って飲ませてるの。『リトル・ペブルさんに捧げるいみで、さぁ、リトル・ペブルスペシャルを飲むぞ!」だってさ!ね、面白いでしょ?
豆乳といったら私には「リトル・ペブルスペシャル」なんだよ!!

7月24日(月曜日)
                     按手に関する事
23日の日曜日、この話を司祭から聞いた。
 私は昔、聖霊派と言われるプロテスタントの教会に行った事で、大変な悪影響を霊魂と体に受けたんだけれど、このことは悪魔の先回りで、イエズスのご計画と使命が大きいことをよく知っていたから、破壊しようとして、またこのシャーベル修道会に行かせないようにするため、悪魔がしたことだとはっきり司祭が言ったんだ。
聖霊のバプテスマ」と呼ばれたことを私、韓国の信者さんも幾人かいるなかである家で受けたんだけれど、この按手の受け方は日本の「まひかりさん」と一緒のやり方だとジャン・マリー司祭が言ったの。まひかり」は除霊と言って手をかざすようだけれど、受けた人たちはその場でばたんと倒れるんだって。
これは全く聖書にない事で、悪魔からのものなんだと教えられたよ。
それにね、イエズスが悪魔を追い出すさいに大声で叱って追い出した」という聖書の記事があるんだけど、プロテスタントの聖霊派は違う解釈のもとでしているの。
病人に手を置き、イエズスは優しく穏やかに癒されたのに、聖霊派の人々は按手することを全く意味を取り違えて解釈しているんだよ。
異言と言うものも全く下からのものを採用している。悪魔の集会でも、宇宙人と交流する人々の間でも異言という同じようなことを使っているとジャン・マリー司祭が私に話をしてくれた。
使徒業録という聖書には異言を使徒たちが話したとき宣教のための言葉を言っていて、外国語だったとあるんだ。
多くの人たちが何か国の言葉を使徒たちが話しているのにびっくりして「私たちが自分の国の言葉で神のなさった業について聞くなんて」といって驚いてた場面があるんだけれど、本当に人が理解できる言葉を話すのが『異言』だということもジャン・マリー司祭が教えてくれたんだ。
 そう、聖霊はマリア様と一致しているの。マリア様の浄配とも呼ばれるほどマリア様の全てに一致しているの。それで、神様なんだ。
私が過去20年近く影響を受けたのは正しい理解の基でなされたことではなかった。聖書の正しい読み方をしていないプロテスタントの人々の中で私は生きてたことになる。

小さい子の面白さ
これはいつの事だったかな、とってもおもしろーいことがあったんだよ。
それはね、名古屋のロンジン・マリーの家にいたときの事なんだけど、かわいい3人の兄弟の子たちがいてね、そのうち上の二人(女の子、くるみちゃんと、男の子、来夢君)がいっぱーいジャン・マリーと私たちを笑わせたんだ。
ミサが始まって、ちっちゃい子たちがそばにいたんだけど、説教になったらジャン・マリーの言うお話に対してもの凄ーい質問攻めが始まったの。
私が覚えてるのを少し書くけれど、来夢くんがいっぱい質問してた。
「天国に行くのはどうやって行くの?どこにあるの?ロケットで行くの?」とかね。「なんの乗り物で行くの?」とか言ってた。いっぱいジャン・マリーが答えていたけれど、もう私おかしくって思わず笑っちゃった。このときは、4歳ぐらいだったから、質問するのは自分の興味あることでしょ?男の子だから、車とかアニメに出てくるものだとか・・・。ジャン・マリーとちっちゃな子の会話って初めて目の当たりにしたから、印象にのこってるよ。
そしてね、べつの日の話なんだけど、おねえさんであるくるみちゃんがね、ジャン・マリーに『ジャン・マリーさんはお風呂ですっぽんぽんになったら背中にチャックがついてるの?熊が入ってるの?熊なの?』なんて言ってジャン・マリーは大笑いしたんだ。
大きなおなかをしたじゃん・マリーだしね、まじめな顔で聴くんだ。もうおもしろかったよ!!


7月24日(月曜日)
『聖シャーベル・マクルフの祝日』
この日で、クリスマスまであと5ヶ月になったよ。そして、全世界で祝われる聖シャーベルの祝日も12月24日だから、この日とは違って修道会で作ったカレンダーに沿って今日がシャーベルの日に当たるんだとジャン・マリー司祭から聞いたよ。
              辱めの道
私、ここ何日となく続く大きな試練で体も心もぐちゃぐちゃになってしまった。
一番悪いのは私なんだとしか思えない状況になって、もう神経も磨り減ったんだ。
それでも、まだ謙遜になる道は永いし、会談を一つひとつ降りていくの。
最近聞いたことなんだけど、シエナの聖カタリナという聖人に悪魔が「地獄のそこまで謙るいやなやつ!」って彼女に叫んだというの。
彼女は謙遜を愛したんだ。自分がどれほど醜いか、どれほどとるに足らない人間化っていうことをずうっとあかししてたんだね。
謙遜を求めることをずうっとする聖人はいっぱいいるよ。その人たちは私には比べ物にならないほど人格が良い人なのに、それでも「自分は虫けらのような存在」って日記などに書いてるんだよ。
そうしたら、私は、なにものなんだろうね。天が最近はっきりと『あなたは過去どんな人よりも材料が悪く、また先にもいないほど最低最悪なんだ」と言われたよ。
ジャン・マリー司祭は「悪女でも聖痕をもらえるっていうあかしにお願いするんだ」と私に言ったし、初めてであった人に対して私の事をそう話したんだ。
私『悪女』って言われたことに対して、ものすごい抵抗したけれど、今はもうそんなに反発しなくなった。
ジャン・マリーはいつも私に言うよ。『地獄のそこまで謙る決意をするように」ってね。
「悪女でも聖痕をもらえる第1号になるんだ」だって。ワッハッハー!!みんな、あんしんしてね、私はこの地球の60億人いるなかで一番最低最悪だからさ、みんなは私より素直だと思うよ。


2006年7月25日(火曜日) (PM23:41)〜
2006年7月26日(水曜日) (AM0:47)
聖母マリア様からのメッセージ
(秋田県湯沢にて)


マリー・マドレーヌ
ロザリオの祈りをしているとき、5珠目から6珠目に行く途中です。女性の声で「長上の言葉をこれからも強めます」と言われました。
印を求めました。そうしたら『識別のための印』をいただいています。

聖母マリア様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを恵みでみたします。
聖母があなたにお話しします。
長上が言っている言葉は、彼に神が賜物を与えています。
司祭の口から出る言葉を聴いてください。
今まで私たちが与えたメッセージをただその時限りにして、新しい事を期待するのではなくて、司祭が言うように、読み返してください。
愛しているからこそ言うのです。
司祭の心の奥からの願いは、だれひとり、失われずに、全てにおいて従順して、最後まで使命に生きることです。
 愛する子ども達、リトル・ペブルは、神が最後の教皇として、預言者として選びました。
「このことは何度も聴いているし、判っている」と言いたいでしょうが、あえて言うのは、本当にたくさんの子ども達が天が語りかける言葉を聴き、恵みを受けたのに、リトル・ペブルを裏切り、敵に回ったからです。
慰めを必要とする人には、神は深く哀れみ、傷の治療をします。
生きてきた土台がこの中で違っているために、男性であっても女性であっても、傷を受けた人については、それぞれにふさわしい方法で導いています。
指導者が神の霊に忠実である限り、ずうっと一人ひとりの羊の世話をして導きます。
「自分の事が自分でよく判る」などと思わないでください。
絶えず、揺れているのです。
 マリー・マドレーヌは謙遜の道を愛して、「これからもこの旅は謙遜の旅でありたい」とお話ししてくれました。
あなたは、司祭が言ったように、辱められていきます。もうそのことは気づいています。
聖痕は、辱められれば辱められるほど、イエズスのところに行けます。それで、あなたの十字架を理解でき、苦しみを共にすることはどういうことなのかを知るようになります。
 今、コルベ・マリーの心は、本当に苦しみと、怒りでいっぱいなために、周りに心がひらけなくなっています。
彼の叫びが伝わったとおもいます。多くの貧しい人が福音に照らされるなら、神の愛に触れるならかわるということは、マザー・テレサの働きによって、証明されています。
でも、今は、司祭のなす事に、眼を注いでほしいと願っています。
直接司祭と話をしているので、あなたは判っていると思います。
恐れないでください。聖母は、誰一人として見捨てるようなことはしません。
日本はカトリックの国ではないので、外国のような天の求め方とは違います。たくさんの人が神を探して求めてくれることを願っています。
 いま、全員が試練の中にあります。多くの霊魂を得ようとしたら大きな試練に合うのは当然です。
いま、ここで何がされているかと言うと、一人ひとりの心を神が砕き、火で精錬するようにしています。
良い形の器を作っているのです。
一人ひとりに求められる道はみな違います。でも、プライドを持たないこと、従順に従うことなど、司祭の口を通して言われる徳の積み重ねについては同じです。
男性は男性なりの誇りがあります。女性は女性の誇りがあります。
人間は、原罪を持っているので、神の恩寵がなければ決して生きていけません。自殺は罪です。
 子ども達、一人ひとりを愛し、失いたくないということを判ってください。
お願いですから、情報を得るためにメッセージを読むのではなくて、助けを願って読んでください。
絶えず司祭の指導に従ってください。
愛するがゆえに、厳しいことを言うのです。
そして、絶えず恵みを注いでいます。
イエズスの十字架を愛してください。
司祭の祝福を特に、マリー・レベッカにお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
今、26日の夜中です。
今日から旅行に行くので、前倒しで、26日の第1ミサを25日の夜からしていました。
先ほど、お話ししたように、ロザリオの祈りが始まって5珠目から6珠目に行く途中、女性の声で「これからも長上の言葉を強めます」と言われたのが聴こえました。
私はここで印があるかを求めるため、祈りをとめさせてもらいました。
悪魔のアタックが私の心に最近多いため、慎重になりたいと思っていました。
しるしを求めたら『識別のための印』をくださいました。
私は『しもべは聞きます。お話ください』と祈って待ちました。
私は24日の日に、心が砕けて、自分はなんだか使命がまっとうできないように感じて心が落ち着きませんでした。
どこかにいけるものなら行きたい、そんな思いにかられたので、もう心が塞ぎこんでしまって力が抜けてしまいました。
ベッドで塞ぎこんだまましばらく寝ました。
今回、マリア様が話をしてくれましたが、ジャン・マリー司祭が話をしてくれたのと全く同じでした。
「助けて」としか私は言えませんでした。
メッセージの途中一瞬混乱が生じました。私はしるしを求めるため、十字を切って祈りました。
「印はありますか?」と尋ねて少し待ちました。そうしたら『識別のための印』を下さったので、司祭に伝えて「再開してください」とマリア様にお願いしました。
最後にメッセージの確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』をくださいました。
「他にローキューションはありますか?」と尋ねて待っていたら「イエズス」と言われた声がしました。
私は「印は?印はありますか?」と尋ねました。けれど、印はありません。すぐに「サタン、イエズスのみ名によって命じる。出て行け!」と私は厳命しました。
しばらく待っていたけれど、何もありません。司祭に話しました。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねて印を求めました。けれど、印はありませんでした。


2006年7月28日(金曜日)
(PM4:57〜4:06)(名古屋共同体にて)
マリー・マドレーヌに与えられたインスピレーションとローキューション

私は『ベルナデッタの詩』と言う映画をみんなで見ていました。
だいぶ最後の場面にきたときです。ベルナデッタが一番最後の御出現が終って帰り道にお母さんとおばさんから「名前を聴いたの?」って聴かれて彼女は「無限罪のおん宿りと言われた」と話をしていたときです。
私はしばらくこの「無限罪のおんやどり」という名を思いめぐらしていました。
そうしたらいままで私がマリア様の御出現を受けたとき、『悲しみの聖母』とか『無原罪の聖母』とか『カルメル山の聖母』という名で話されたことを思い出したんです。
そうしたら「真実であることを、聖母の名前が証明する」というインスピレーションを受けたので、、ジャン・マリー司祭に映画をとめてもらうようお願いしました。
インスピレーションが天からのものであるか確認を取るために、ジャン・マリー司祭が聖堂に連れて行ってくれました。
司祭がベネディクトの十字架で悪魔祓いの祈りをしてくれて、聖水を撒いて祈ってくれました。「聖ヨゼフのいと清きみこころ、われらのために祈りたまえ」と3回唱えました。
 ところで、何が真実である事を証明するかと言うとね、ちょうどベルナデッタのときにパパ様が世界に向けて発表した『無原罪のおん宿り』のドグマがマリア様のこの御出現のタイトルによって証明された、そして、パパ様のドグマの発表によってベルナデッタへのマリア様の御出現が真実であることが証明された。
それと同じようなことがこれから起ころうとしてるんだ。
、いまベネディクト16世が発表しようとしているあるドグマが真実であることが私に語られたマリア様のタイトルによって証明される、それと同時に私が受けているマリア様の御出現が真実であることがパパ様のドグマの発表によって証明されようとしている。
このことをジャン・マリー司祭がその晩遅く説明してくれました。
ベルナデッタが無知、無学、無能であったように、私も同じく、何にも知らないんです。
 先ほどの続きですが、聖堂に行って、印があるかを尋ねて待ちました。
しばらく待っていたら『識別のための印』をいただきました。
 「何かローキューションはありますか?」と尋ねるよう、司祭から言われました。
私は尋ねて待ちましたが、印はありませんでした。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねて待っていました。私は心の中で『リトル・ペブルさんを愛します』といのりました。
この時に一言「メッセージを読み返しなさい」と言われる女性の声がしました。
私は印をこのときに求めました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
このローキューションがあったことを司祭に話したら「誰が話されたか聴いて」といわれました。
私は「どなたですか?印をください」とお願いしたら「聖母マリアが」と言われて、『識別のための印』をくださいました。
それから最後まで映画を見ました。

メッセージを読み返すと、昨年7月15日と、4月13日にマリア様から「私はイエズスと一緒に人類を贖いました。」と言われたことがあります。
私は当時、なにも知らず、このメッセージの意味がぜんぜんわからないまま、マリア様の言われるままに受けていました。
ジャン・マリー司祭がこのメッセージについて『贖いの共贖者のマリア様』と言われたけれど、私はなんにも知りませんでした。
けれど、これがリトル・ペブルさんがパパ様に世界に発表してくれるよう、願っているマリア様のドグマの宣言に、おおきな影響を持つんだとあとになってジャン・マリー司祭が教えてくれたんです。
ヨハネ・パウロ2世がマリア様のドグマを伝えようとしていたけれど、発表するまでにはいかないまま、今は神様のもとで眠っています。
リトル・ペブルさんが今、神秘的に教皇職を行っていて、現在のパパ様であるベネディクト16世が『贖いの共贖者』と『恵みの仲介者』であるマリア様のドグマを世界に向けて発表してくれるように、リトル・ペブルさんが手紙を書いています。
それで、パパ様がドグマを発表されるのを私たちは待っています。
昔、ベルナデッタの時代にいた教皇が『無原罪のおんやどりのマリア様』のドグマを宣言したあと、天が確認するように何も知らないベルナデッタにドグマが真実であるとマリア様が啓示してくれたように、私自身、全く無知無能なので、ベルナデッタが負った同じ役割を受けたと思います。
この映画をみている最中に「ドグマが真実であり、御出現が真実であることをマリア様の名前が証明する」と示されたので、私は本当にびっくりしています。
ベルナデッタの映画の中でベルナデッタが、「無原罪のおん宿り」と言われたけれど、その名前の意味をぜんぜん彼女は知らなかったし、自分に現れたのはマリア様だということもわからなかったんです。ただみんなに「貴婦人」と彼女はいっていました。
ベルナデッタは、『無限罪のおん宿り』という言葉を神父様に伝えるまで忘れてはいけないと一生懸命口のなかで何度もつぶやいていました。
このとき、マリア様は『無原罪のおんやどり』と言う言葉を彼女のなじみのある方言で言われたそうです。


2006年7月29日(土曜日)
(PM0:24〜1:04)
主イエズス様からの公的メッセージ
(名古屋共同体にて)

マリー・マドレーヌ
ロザリオの祈りをしていたときです。
2珠目に来たときに「耳が聴こえなくなる」と言われる声が聴こえました。
印があるか確認を求めるため、祈りをとめさせてもらいました。
しるしを尋ねたら『識別のための印』をいただいています。

主イエズス様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたを祝福する。
イエズスがあなたに話をする。
大きな試練の中にあるあなたがた一人ひとりを私は決して見捨てず、あなたがたの行くべき道を指し示している。
これからもあなたがたは一致団結して、リトル・ペブルのもとで身を固めていくように、私は言う。
 愛する恵みの霊魂として選ばれた一人ひとりに対して、あなたがたは神の事を証(あかし)するために、それぞれに与えられたものでこれからも進んでいってほしい。
一人ひとりの弱さを悪魔は突いて、滅ぼし絶やそうとするけれども、彼は神の赦す範囲でしか動けない。
全能の神の一声によって、悪魔は退散をするのである。
 子供たちよ、勇気を出しなさい。
決して過去をふりかえらないように、前を見て、イエズスについてきてほしい。
私はあなたがたを全て悪いものから守ってあなたがたに危害を加えないようにする。
勇敢でありなさい。
 司祭として、これから立てられる男性の仲間は、互いに深く愛し合って友情のもとで助け合い、励ましあっていくように、私はあなたがたにお願いする。
男性は傷を持っていても純粋さは女性よりもあるので、愛しやすく互いの事を励ますことができる。
エバが犯した罪は、女性にずうっと存続しているために、いつもねたみや争いを引き起こしている。
男性は権力争いの罪を避け、憎しみを持つことをしないならば、友情を結ぶのには非常に大きな影響を多くの人に及ぼす事ができる。
自分を見つめることは、女性のほうが多くしてしまう。
男性は自分よりも相手の事を優先にできる心を備えている。
愛している。あなたがたは、いっときもイエズスから離れないで、身を捧げていってほしい。
 マリー・マドレーヌの耳は徐々に聴こえなくなっているので、ミシェル・マリー・フランソワの身代わりとして、彼女に与えていたものを剥ぎ取っていく。
一番惨めでいつも揺れやすい彼女には、さっぱりした環境が必要である。
傷のゆえに絶えず不信や反感を持つので、男性の支えが必要である。
女性であるけれども、虐待の傷とともに植えつけられてしまった悪徳なので、マリー・マドレーヌは、いつも女性の問題で苦しみ、心を痛めている。
マグダラのマリアとマルタのように。
マグダラのマリアの悪徳は、ある時をきっかけに劇的に変わっていったように、マリー・マドレーヌの心の弱さは大きな変化を伴って変えられる必要がある。
これからも戦いは続くけれども、最後まで使命に生きる事ができるように支えてほしい。
 これから多くの病気を患った人たちが一つの印によって集められていく。
 子ども達、前にマリアが話したように、泉が寺沢で湧いて、多くの病を抱えた人が癒されていく。男性はもちろん、女性も子どもも、年を取った人々も癒される。
でも、マリー・レベッカと、マリー・マドレーヌは、神が十字架を負って歩ませるために、彼らとは違う道を歩くことになる。
リトル・ペブルのために捧げられた二人は十字架を担う事でのみ、証(あかし)をしていく。
 子ども達、これからも互いに愛し合ってほしい。そして、喜びと笑顔を絶やさないようにしてほしい。
自然に喜ぶ姿を見て、大きな改心を見ることになる。
祝福を送る。
司祭の祝福をお願いする。

マリー・マドレーヌ
今日は早めに第2ミサをしました。
ミサ中の説教のとき、司祭が「避雷針の役割としての機能を果たさなかった」と言われたときから私は「自分が原因で役割を果たすことをしなかったからかえってみんなに大きな苦しみを与えてしまったんだ」と思い、「どうか赦してください」とイエズスに祈っていました。
そうして、マリー・レベッカの事も合わせて祈っていました。
今日は『マルタの祝日』ということで、説教の時にマルタの欠点をジャン・マリー司祭が言っていたけれど、私にもその弱さを持っていることを心に思いながら過ごしていました。
でも、涙が途中出てきてしまいました。
つい先ほど「喜んで」と言われたばかりなのに、私はなんだか悲しみが心に押し寄せる感じで、「イエズス、こんな私なんだ」と言っていました。
でも何とかして自分の心を押しとどめてミサに集中するようにひっしに戦っていました。
私はどうしても自分を見つめてしまう悪い癖を持っています。
そして、ここが悪いと指摘されたらそれだけを見て、良いほうに考えられなくなるといういつものパターンで心を傾けてしまうのです。
でも、今日は「こんな私を愛してくれるんだよね」とイエズスに話をしていました。
 聖体降福式を終えて、ロザリオの祈りを始めました。
2珠目のとき、「耳が聴こえなくなる」と言う男性の声を聴きました。
そのため、祈りをとめてしるしを求めました。
そうしたら「『識別のための印』をいただきました。
イエズス様が話をしてくださいました。
今回、はっきりメッセージのなかで、「自分の事に眼を向けるのは女性だ」といわれたのですが、まさに私のミサの中で起きた事を言われたんだと思いました。
また、寺沢の事で、希望のメッセージを下さったので、感謝しています。
最後に確認をしました。
「このメッセージは本当ですか?印はありますか?」と尋ねました。
そうしたら『識別のための印』をいただきました。
続いて「他にローキューションは在りますか?」と尋ねるように、ジャン・マリー司祭が言ってくれました。
私はそのように尋ねて印を求めて待ちました。けれど、何もありません。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねました。けれども、印はありませんでした。
私は「感謝します」とイエズスに話をしました。


2006年8月2日(水曜日)
(PM1:16〜1:36)
聖母マリア様からの公的メッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖母マリア様
愛する子(マリー・マドレーヌ)、あなたの願いを聞きました。
聖母があなたにお話しします。
「泉が湧いて、多くの女性も、男性も、子供たちも、年を取った人々についても癒しを与えるけれども、マリー・マドレーヌと、マリー・レベッカは違う道に行く」とこの間はなされたことをあなたは覚えています。
あなたは先ほど、「マリー・レベッカを癒して。癒されないで進むのは私だけでいいから」という訴えをしました。
マリー・レベッカについて、マリー・マドレーヌはかみあうことができなくて、愛することのできない心の痛みを抱えているというのを聖母は知っています。
マリー・レベッカは癒されます。
あなた(マリー・マドレーヌ)一人が傷を負って、愛する息子(ジャン・マリー神父)のチームの中で過ごします。
許しを子供たちに与えています。
祝福を送ります。
司祭の祝福をお願いします。

マリー・マドレーヌ 状況説明
2日の第1ミサをしていました。
このとき、説教で、「兄弟が言い表した望みに対して、嬉々として、かなえてあげること」といわれました。
速やかに従う、このことを司祭がまたはっきりと私たちに話をしてくれました。
私はミサ中マリー・レベッカを愛することの不足が心に迫っていて、会話ができてもどうしてもかみあわないことを思い、哀れむ心がないんだなぁと思っていました。
そして昨日膝の痛みを自分が経験したので、そのあとからマリー・レベッカはいま大変なんだろうな、そう思っていました。
「激痛があって、苦しみを持続して捧げるとはいえ、これからの女子修道院の柱になる人が動けないのはちょっとたいへんだな」そう思っていました。
そうしたら「自分の愛に限界があるけれど、マリア様、どうかマリー・レベッカを癒して。私だけ癒されなくていいから」という訴えが心の奥底から湧いてきました。
情緒の傷からくる問題で女性といつも私はかみあわず、恐怖症を自分で起こしてしまうのでこれから会う人たちにも慣れることを願いながら「これだけしかできません」と心の中で叫んでいました。
ロザリオの祈りが始まって、第2珠目のときに女性の声で「マリー・レベッカに」と言われたのが聴こえました。
私はジャン・マリー司祭に「祈りをとめてほしい」とあいずしました。
「印はありますか?」と尋ねて待っていたら『識別のための印』があったので、ジャン・マリー司祭に話しました。
私は「しもべは聞きます。お話しください。」と祈って待ちました。
そうしたら聖母マリア様が話してくださいました。
最後に「このメッセージは本当ですか?」と確認をしました。
印があるか尋ねたらすぐに『識別のための印』がありました。
続いて「ほかにローキューションがあるかどうか尋ねるように」とジャン・マリー司祭が言われたので、私は尋ねて待ちました。けれど、何もありません。
「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねました。けれど、印はありませんでした。

2006年8月4日(金曜日)
(PM4:42〜5:24)
聖ベルナデッタからのメッセージ
(秋田県湯沢にて)

聖ベルナデッタ
愛する子、あなたに挨拶します。
ベルナデッタがお話しします。
みんなは、これからちっちゃい子たちを心にとめてください。
私はなんにも知識がなく、ただ、起こる事そのままを受けいれて、大好きな天使と一緒に遊ぶようにしていたし、全く教会で教えてもらう勉強は覚えられないでいました。
大好きな貴婦人の姿で私に話しかけてくれたマリア様はいつもどのように喜んで試練に耐えることができるか教えてくれました。
「大人になって、結婚して、子どもを生む」と言われていたけれど、なんにも心に残るものはなかったです。
計算して動くなんてひとかけらもしなかったし、働ける事が喜びだったから、働いていました。
 みんなは私にたくさん御出現の事を質問して、いっぱい同じことを答えなければならなかった。これが私の一番の苦しみだったし、悲しみでした。
みんなは、知識を誇らないようにしてほしいんです。
何にも判らないのが安全だし、天の方が望まれる事に「判りました」と言って、なんにも疑わないで従うのが小さい子の行動です。
泣いてしまう事があっても、そのまま祈って「良き主は、この試練に対して、良くしてくれる」と希望を持つのが一番天の方が喜んでくれることです。
 私は15日間マリア様に会うことしかできなくて、本当に無理解の中を生きなければなりませんでした。
激しい喘息と、最後にはけっかくになって、苦しい毎日を過ごさなければなりませんでした。
でも「苦しいと思ったことはないです」と話したように、人には、その姿を見せないように、たくさん心の中で、お話しをしていました。
小さい子のように振舞ってほしいんです。なんにも知識はいりません。
「イエズス、大すき」。「マリア様、この事をしたいけど、やれるよね」といったことをお話ししてください。
聖人のみんなが仲良くなりたいといつも呼びかけています。友達になってください。
 大人の人は、自分の生き方が誇りになって、考え方がしっかりとしているので、単純で馬鹿みたいなことを言う人が目の前に来たときに、「その幼さが合わない」と言って毛嫌いします。私はそうされても、なんにも気にしなかったし、ぜんぜん悪く思うこともしなかった。
天の助けによって、喜びしか心に起きなかった。そんな時を過ごしました。
みんなが聖人のように私を見る。これが一番嫌だったし、そんなふうに見られるような人格はぜんぜん持っていませんでした。
『いつもお話ししたい。ただ、マリア様と一緒にいたい』。それが私の願いで、心の支えになっていたんです。
いつもみんなの事を愛しています。いつも取り次いでいます。
マリア様の望みに耳を傾けて従ってください。
祝福を送ります。神父様の祝福をお願いします。



マリー・マドレーヌ 状況説明
今日は第2ミサをして、説教の中で『自分ばかり見つめないで、もう他の国の救いが近いんだから、兄弟が望む事を聞いたらすぐに従うんだ』とジャン・マリー司祭がまたはっきり言いました。
自分を奴隷のようにみるんだとも言われました。
そして、ハンディキャッパーと職員の関係を話してくれたんです。一生懸命、彼らの望みにどう答え続けるか、磨いているのが職員なんだという話も聞いたんです。
私はこのとき、心が解れる感じでした。
まさにジャン・マリー司祭が私に接してくれている事がそのとおりだからです。
ミサ中、私は世界の救いのために祈り続けました。
このミサ中に、そういえば寺沢に行った日はマグダラのマリアの祝日だったなと思い出しました。
「天の方々がたくさん私に恵みを下さっているのに、従えていなくてごめんなさい」と私は祈りをしていました。
 ロザリオが始まって、『めでたしの祈り』の第1珠目で『ちっちゃい子のようにふるまって』と言われる元気のいい女の子の声が聴こえました。
なんだかはじけるような、軽やかな調子で話をしたので、一瞬『イメルダちゃんかな』、そう思ったけれど、声の高さが違ったし、今まで聴いたことのない声でした。
私は印を求めるため、祈りをとめさせてもらいました。
「印はありますか?」と尋ねたら『識別のための印』がありました。
ジャン・マリー司祭に私は印があったことを伝えました。
私は「しもべは聞きます。お話しください』と祈って待ちました。
ローキューションが始まって「ベルナデッタが」と言われたとき、一瞬びっくりして声を上げてしまいました。
感動して嬉しくなりました。
ベルナデッタは本当に小さな子が好きだったんだな、そうメッセージを聞きながらわたしは思いました。
そして、ベルナデッタの生き方が知らされて、とってもベルナデッタが好きになりました。
私自身、ここ何日か心の中で「またしっかりしなきゃ」といった考えを持ってしまって、どこかで『大人になる』ことに意識をむけてしまったので、ベルナデッタが「ちっちゃい子のようにふるまって」と言われて、またも天の方々が私を治してくれたんだと思いました。
「小さい子のためにこれから書き物をしないといけないから、どうか助けて」と私は心のなかで祈りをしました。
最後にこのメッセージの確認をしました。
「メッセージは本当ですか?印はありますか?」と私は尋ねたら『識別のための印』を貰いました。
 「ほかにローキューションはありますか?」と尋ねて印を求めて待ちました。けれど、なにもありません。
続いて「リトル・ペブルさんに伝言はありますか?」と尋ねました。でも、印はありませんでした。
私は心の中で「ベルナデッタ、どうもありがとう」と感謝しました。



8月六日(日曜日)
           怖がりの私
私ってね、マグダラのマリアとかベルナデッタが御出現した時嬉しかったのもあるんだけどね、実は「また叱られるんじゃないか」ってどきどきしてたんだ。怖がってたの。だってね、マグダラのマリアってワルトルタの本のなかでものすごい語調で「臆病もの!」っていろいろ心配する婦人たちにむかって言ったんだ物。
それと、ベルナデッタも映画のなかでね、シスターがマザーの乳がんを見て、蛆虫がわいてるからピンセットでつまんでた。志願者の人が嫌がって身を引いたら『臆病もの!』ってベルナデッタが叱り飛ばしたところがあるの。
私って臆病だし、勇敢さがひとかけらもないから、ぜったいなにか言われるって身構えた んだ。
そうしたらね、二人とも本当に優しかったの。
私って、天の方々にたいして、ぜんぜん心開いてないね。
そう、マリア様がね、あるシスターを叩いたんだって。シスターが夜、罪を犯しそうになったら急にマリア様が御出現してそのシスターを打ったんだ。そのシスターは朝まで気絶しちゃったんだって。ミシェル・マリー・フランソワが本で読んだらしいの。
私、びっくりしちゃった。だからこの話を聞いた後からかな、、「マリア様、私なにか罪を犯してないよね」って御出現の前に祈りをするようになっちゃった。
そういえばね、大天使ガブリエルも私、怖くって、自分の守護の天使だと言われて、もうびっくりしちゃったよ。
本当にこわがりなの、私って。
洗礼者聖ヨハネの誕生を大天使がザカリアに告げたんだけど、ザカリアの不信仰に対して「子どもが生まれるまであなたは口がきけなくなる」っていってかれはおしになってしまったんだもん。

幼稚園であったこと
私、もういくつか書いてなかったことあるの。
それはね、幼稚園でスクーターにのって遊ぶのが好きだった私は庭で走って遊んでたのね。
そうしたら男の子が私の髪の毛を引張ったの。毎日やられたよ。わたし、よくその子に泣かされた。
でもね、後で、そのこったら「結婚してくれる?」なんて言ったんだよ。ちっちゃい子なんだけど、結婚だって!!
 ところでね、『赤毛のアン』という本があるけど、アンの毛をギルバートが見て「にんじん、にんじん」ってはやしていたんだよ。
男の子ってそういってはいるけど、実は好きなんだね、その子の事が。
私もその子に好かれちゃったのかな・・・?

ジャン・マリーから聞いたんだけど、男の子って、好きな女の子を見ると、意地悪しちゃうんだって。素直に好きって言えないんだね。
髪の毛をひっぱったり、何かで補うんだね。それで、女の子に嫌われちゃうんだよね、男残ったら。
裏目に出ちゃうんだってジャン・マリーは言ったなぁ。
私は小さいころ、手先のいたずらをよくしたの。
洗濯機のところに張っているシールをつめではがしたり、カセットテープを引張っては壊したりね。なんどもなんども親に怒られた。
そして、外の土壁を食べることもしたの。これは『異食』と言ってね、ストレスからこういう行動をしたんだってジャン・マリーから聞いたよ。

        一人遊びをした私
そしてね、私って一人遊びをするのが好きだった。中学生になっても、ひとりで遊ぶのは直らなかった。
その当時、「しょうこうじょセーラ」っていうアニメの番組をしてたのね。私ってそれをテープに録音して、意地悪なおばさんのせりふを覚えて一人でなにかお話し作ってはそのおばさんを登場させてせりふを言って、テープに録音したんだ。
サンルームが家にできたとき、個室みたいでなんだか自分の世界を楽しんだよ。おもちゃを持ってきては、劇を一人でしてた。
サンルームの響きがなんともいえない空間を感じさせてね、家にはないまた別世界の部屋みたいで、私の遊び場に最適な場所だった。
でもね、親がなにかいろいろ物を入れ始めたらもうそこは遊び場所にはならなかった。
私って声優になるのが夢だったの。でも、画像とかを見てせりふを言うんだってことが判ってから、その憧れは諦めなきゃいけないんだって思ったよ。

8月8日(火曜日)
本当に私は悪女!!

何で、こんなこと書くかって言うとね、私、1日に2度もミサにあずかっていて、聖体拝領を2回貰っているにも関わらず、おとといの夜、ジャン・マリー司祭がミサをあげているとき後ろで途中「なんでミサをするの?」って怒りのような感情がわいてきたんだ。本当にこんな心の持ち主なんだよ、私って。恵みをいっぱーい貰ってて、みんなとは違う環境においてもらったのに、ジャン・マリー司祭に対して、怒りをもつんだもの。もちろん、悪魔のアタックで、そのあと眠っちゃった私に突然群集のような声で笑うのが聴こえたんだ。私は思わず、大声上げたらね、ジャン・マリー司祭が飛んできてくれてすぐに聖水撒いてくれたんだよ。
根っこがこんな私だったことをまた改めて知ったよ。
本当にミサを司祭がたてて、信者が預かるのはすごい功徳があるんだ。いっぱい苦行をするよりもだよ!!
ミサにあずかる、この功徳は本当に大きいの。ジャン・マリー司祭にこの心が起きたことを昨日私は打ち明けたんだ。そうしたらさっき言ったように司祭が1回たてるミサは功徳が本当に大きくってそれにあずかることがどれほどすごい大きな功徳を得るかっていうことを話してくれたんだ。
司祭はミサで、世界の救いのために戦ってるの。私、そこについていってるだけなんだ。
私、こんな心を起したことに本当にショックで、昨日泣いちゃった。
昨日の夜、えどーろー」を見にいったんだけど、行く前にも私はすぐに従えなくってだだっこしちゃった。
自分ってすぐになにかいいことがあると、自分にもらえたって喜んで、浮かれちゃうの。騒いで、自分だけがもらえたっていうふうに態度でふるまっているはずだよ。仲間に聞くと判ると思う。私って自慢ばっかりする。そして、奢っちゃうんだ。
なにか仕事をするにも自分の苦手としたものをやらないといけないときに限って、自分が好きなことを先に優先して嫌なことを後回しにして、結局自分の苦しみを増してるんだよね。
すぐに喜んですればいいものを。ジャン・マリーはね、こう言ってた。人から何か頼まれたりしたら『二つ返事で機嫌よく』だって。修道会では従順がもっとも監督にいく道で求められてて、一つでも符従順になったら習練長の権限で志願者を家に帰すことができるんだ。
でも、いま、私はジャン・マリー司祭のもとでいっぱい符従順してしまって司祭を泣かせてるけど、私には帰る家はもうないから、。そんなにひどい私をよくも愛してくれるな、そう思うんだ。
2年前の8月七日、私はコルベ・マリーと、ジャン・マリーに会ってお話しをしたんだ。
6月からメールのやりとりをしていて、ジャン・マリーが大変悩んだことがあったんだって。私は罪責感の塊で、愛着形成がなっていないのに、幻視者の卵で、どうやってこれから子の厳しい使命に生きることができるんだろうって。
本当に材料としては過去にも現在にもそして、未来にもいないほど最低最悪な私なんだ。60億人いる地球の中にいる人口で60億番目の悪者なんだ。
犯罪を犯して刑務所にいるとかそういう人たち以上に、霊魂は汚れ腐ってる。
毎日自分を最低最悪なものとして自分を見下し、自分を憎んで過ごす。これを過去の聖人たちはしてたし、神からも人からも見下げられるのを喜んでいたんだ。私も、神の前にはまったくなきに等しいそんざいなんだ。虫けら同然に扱われて当然なんだよ。いや、虫気来場に悪いね。
それとね、女性のプライドについて、私は本当にすごいプライドの塊で、人が良い物を貰ったとか、何か満たされたことがあったことを見たらね、一緒に喜べないんだよ。
喜んでいると口では言うけど、実際心の中では気にしてて、その人の事を「祝福の眼」で見れないの。イエズスが前「あなたは人の事をこれから「祝福の眼でみてほしい」って言われているのにね。
もう、まったくー。私はこれほど汚くってみんな私に近づいたらそれだけ汚くなるよ。はきけすると思う。
 今回、「プライド」がテーマになって、一生この『プライド』の罪と戦わないといけないんだ。死ぬ直前まで。
特に女性はそうなんだと私ははっきり言うよ!!エバが持った罪について女性はずうっと内在しているんだということを覚えてほしいの。
優しさ、お母さんらしさ、それは持っている良い物の一つ。でも、知識、お金、生活してて洋服とか家具とかいいものを誇るのは大体女性なんだよ。
後は、子どもを持ったお母さんだったら「うちの子はとってもかわいい意」とか『成績がいいのよ」なんて言うんだ。もう私はうんざりしてる。

面白いメール
8月8日(火曜日)は湯沢は最高気温が、なんと、午後3時で35度だったんだ!!
この日、めっちゃ暑かったんだけど、私は「暑いよー」ってコルベ・マリーにメールで書いたら、こんなメールがきちゃった。

十M アヴェ・マリア

 そうなのだ! 暑いのだ!

 そこで、ここは我慢して、たっぷり脂肪をたくわえて
おくのだ! そして「あざらし」さんのようになって
北極に進出するのだ! そうすれば一生涼しく暮らせる
ようになるよ!

なんちゃって……にゃは!

コルベ・マリー@猫のお兄さんでした。


そう、メールにあった「猫」なんだけど、じつわ、コルベ・マリーは猫ちゃんだったー!!
挨拶するとき「ニャー」って私にいうんだわ。
私も無意識に「ニャー」っていうときあったもんだからもうだめね。『猫だー』って喜ばれちゃったさ。

        私のへんてこな愛称
ところでね、私の周りにここ何ヶ月かで、いっぱいぬいぐるみが増えちゃったんだ。熊野プーさんが好きな人がいて、私にいくつか熊さんをくれて、そのあとから何人かがテディベアをくれたりしたもんで、『熊』っていう愛称がある。
それと、『ペンギン』って言われたり、「キューピーちゃん』って言われたりしてる。
ジャン・マリーは『マルセリーノボーヤ』って私に言うよ。顔を洗うのが早いからってさ。
マリア様、私ってなんだかイッパーイ名前あるよー。その名前は笑われるものばっかり。ペンギンちゃんはどうしてかっていうと、コルベ・マリーいわく、『後姿がそうなんだ』だって。キューピーちゃんはジャン・マリーがつけたんだけど、私の体系がね、おなかがちょっと出てしまってて、骨盤が女性にしては小さいんだって。
熊野プーさんは私も好きだから、自分でかってにつけたんだよ。
キューピーちゃんも実は私、好きなの!!
ね、へんてこな私でしょ?











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マリー・マドレーヌの自叙伝 

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2008年6月28日UP

著 者 マリー・マドレーヌ杉浦律子

発行所 箱舟の聖母社
 〒012−0106
 秋田県湯沢市三梨町字清水小屋14
 電話・FAX: 0183−42−2762
 Eメール: charbeljapan@nifty.ne.jp
 



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