マリー・マドレーヌの自叙伝 
C)箱舟の聖母社


【 献呈 】

 この本をリトル・ペブルさんに捧げます。私の生涯全てを導いてくれた御父と、イエズスに、聖霊に捧げます。そして、私のことを育ててくれているマリア様、ヨゼフ様に捧げます。


【 序文 】

 イエズス様:(2006年7月18日)
……リトル・ペブルのために、あなたは何もかもをささげてほしい。苦しむ3人のために、もっとよろこんでささえていくように、私はあなたにいう。何がたりないのかをしって、司祭に耳をかたむけて、従順する意志をあらたにして、ぜんぶをイエズスにまかせてほしい。「おおきなことはいえない」といった、あなたをはげますために、私はここにきた。ぜんぶをゆだねてほしい。しっかり長についていくように。あなたを祝福する。
 くるしみをになわせるために、ざいりょうが、過去、どんな人よりもわるく、また、これからさきにもないほど、よくないあなたにもやれることを、あなたにおしえる。男性が、ぜんこくかくちで、勇敢に、リトル・ペブルのためにはたらくことができるように、どうかささえてほしい。……


聖母マリア様:(2007年2月20日)
……じぶんは何かを感じる、そして、何かをえたいという思いで祈らないでください。幻視者になりたいと思わないでください。たいへんな悪魔の攻撃にあい、もしその人がなったら、たちまち、たおれてしまいます。幻視者や神秘家になることを定めた神は、その霊魂がたおれることのないように、たえず天使をつかわして、そして司祭にしたがうようにすすめます。
 いままで、マリー・マドレーヌに、たくさんあたえたメッセージは、かのじょが、かこにも、みらいにもないほど、あわれなそんざいで、神があえてそうしたからです。でも、かのじょは、最低最悪のじぶんをだすことで、めぐみをえるということを、りかいしました。……


聖ヨゼフ様:(2006年8月17日)
……いちばんおおきな重荷をおっているのは、愛する息子(ジャン・マリー神父)である。マリー・マドレーヌも、試練にあって、よわさを感じて、いまにも力をうしなうところまできている。かのじょのことをささえるのは、男性の3人が、どうしてもひつようである。 名古屋の共同体でも、2人の男性はくるしんでいる。かれらのために祈ってほしい。
 あえて、せいかくがたいしょうてきなメンバーを、この秋田の共同体においたのは、神の奇跡がおこなわれるためである。さいていさいあくな、……とくに女性はそうであるから……ただ、ささえがあって、いま、たもたれているので、じぶんのすべてをそそぎだして、神にささげてほしい。神は、このことを、しょうちのうえで、救いをあたえようとしている。……


 私、マリー・マドレーヌは、イエズスから、「かこにも、みらいにもないほど、さいていさいあくな霊魂」といわれてるの。ざいりょうがわるい霊魂で、そして、わたしは大罪人で、大悪党です。永遠の御父は、すべてのものをつくったかたなんだ。御父って、どのようにわたしの霊魂を創造したのかな? わたしって、ちきゅうじょうの何千兆人の、そうぞうされた霊魂のなかで、かこにも、みらいにもいないほど、ざいりょうがわるくって、さいていさいあくなの。

 それにたいして、人間のなかで最高の人がいるよ。それはわたしたちのこと、いつもやさしい目でみまもってくれるマリア様。マリア様って、だれよりもいちばんすてきでしょ?  マリア様は、せかいでいちばんにんたいづよくって、やさしいおかあさん。わたしたちの罪のため、かなしみのあまり、血の涙をながして泣いている。このマリアおかあさんが、いちばん何もかもがぐっちゃぐちゃのわたしのこと、「かわいい」って言ってくれるんだ。


 それとね、おどろいちゃうことあるんだ。こんなざいりょうがわるいわたしのこと、「すき!」って言ってくれるイエズス様がいるんだよ。かこにも、みらいにもいないほどに、「さいていさいあく」なわたしをだよ。マリア様は、いっぱーいわたしに、助け手をおくってくれたんだ。そう、幼きイエズスの聖テレジアを、ついこのあいだの木曜日(2006年9月28日)に、くわえてくれたんだ。この人が、神様の愛について、いっぱいかきのこしているんだ。ある人がお金持ちで、いっぱいものをもってたとするよ。その人が、べつのお金持ちの人と、乞食で、いえも、たべものも、何にもない人のところにきたとする。その人は、この2人のうち、どちらにあげたらよろこばれるかな?

おかねもちはみちたりているから、何もいらないけど、乞食には、じぶんのものをあげたくなるでしょ?

永遠の御父も、おんなじだっていうの。

いっぱいみちたりている人より、みじめで、ひさんな霊魂ほど、愛しがいがあるし、「何もかもおせわしてあげたい!」っていう心でいっぱいなんだって。

 わたしにとって、「はぎとられる」っていうことが、どうしてものみこめなくって、「なにもかもを、うしなってしまったら、こわい」ってしか思えなかった。でも、神様にとって、みじめな霊魂ほど、何がほんとうにすばらしくって、どういうことに価値があるかを、ちょくせつおしえたいんだなって、ようやく、このはなしをきいて、かんがえられるようになったの。

 わたしは、いちばん、さいていさいあくな「悪女」で、こんなわたしのことを愛してくれる神様だから、みんなは、愛されないはずないよ。だって、みんなは、わたしより、よい霊魂だもの。


 永遠の御父のこと、みんな、何もイメージしたことないかもしれない。ひとりひとりの霊魂を、そうぞうしてくださったんだ。その御父は、いっぱーいわるいことしちゃう人でも、愛してくれているんだよ。この御父は、ひとりひとりが救われるために、道をよういしてくれているんだよ。

 さいごの「私審判(ししんぱん)」のときにもなの。いっしょうがい、わるいことをして、すごした霊魂でも、たったひとつの愛を、御父にむけて、「わたしをたすけてください。あわれんでください」って言ったら、泥のように、よごれきっている霊魂でも、かけよって、「救ってあげる」って言ってくれる、やさしいおとうさんなんだ。御父は、じぶんからさばかないで、愛と、あわれみが、いっぱいある、永遠のお父さんなの。


 お父さん、じぶんで、わたしたちひとりひとりを、そうぞうしたんだからさ、すくわれたい人を、すくう義務あるよね? もし、わたしだったら、じぶんがそうぞうした霊魂だから、どんなにさいていさいあくな霊魂でも、さいごまで、ちゃんと面倒をみるわ!!

 わたしがうまれてから、いままで、いきてきたことを、この本で書いてみたよ。しゅんかん、しゅんかん、さいていさいあくな状態なわたしが、よくわかるよ。それでも、永遠の御父は、「これが、あなたにとって、最高最善のおくりものだよ。ほら、うけとって」って、いっしゅん、いっしゅん、さいこうさいぜんのものを、さしだしてくれた。これが、わたしの人生の、プレゼントなんだ。苦しみもね。悲しみも。なにもかも、このときにひつようだから、くれたんだ。どれほどに、わたしが、さいあくなのか、この本を見れば、わかるよ。おもいっきり、笑ってやってね。

2006年10月1日 幼きイエズスの聖テレジアの祝日
リトル・ペブル同宿会 同宿
マリー・マドレーヌ杉浦律子




 マリー・マドレーヌはほんとうにちっちゃかった!! 

私、マリー・マドレーヌは7ヶ月で生まれて、体重はなんと1050Gだったんだ。
このときは寒い冬。
私は冬に生まれたのに、冬は大の苦手。
7ヶ月で出てきちゃったもんだから、「早く飛び出しすぎ!」なんてよく言われたよ。
3ヶ月間、保育器に入っていて、その間に酸素を入れすぎて網膜をやられちゃって眼が見えなくなっちゃったの。
『未熟児網膜症』っていう病気なんだよ。
瞳の部分がにごっていて、『見る』という機能がぜんぜん使えなくなったの。
手術はできないんだ。
「網膜は脳に近いところにあるから不可能なんだ」とお医者さんに言われたんだよ。
このときに1ど死にかけたんだよ。
でも、神様は私に生きるようにって守ってくれたんだ。
見ることはできなくても「明るい」とか、「暗い」は判るように神様はしてくれたの。
そして、退院したよ。

ところがね、最近眼に感じる光は強いのじゃないとだめになったって今日司祭が私に言ったの。
つまり、電気の光はぜんぜん判らなくなっちゃったの。
太陽からさす光はかろうじて判る、そんな眼になっちゃった。
洸郭っていうらしいんだけど、光を眼に感じることができる程度はね、みんなそれぞれで、私はこの光を感じる力も落ちてきたんだなって思うよ。
昔は白い車が止まっていたら私が道を歩いていたときに、光の反射で1メートル以上離れてその車が在るのを眼で感じることができたくらい良かったの。
それから道路にある白線を眼で追いながら歩けたんだ。
光の反射で、眼に感じたんだと思う。


幼小期
小さい頃はよく音に反応してたよ。
でもね、消防車のサイレンとか海に行ったときに波音が聴こえたとき、とっても怖がったんだ。
眼が見えないぶん、音にたいして非常に反応してたんだと思う。
この音の反応は実は虫の羽音がすると嫌がるというきっかけにもなっちゃっていま、住んでいるところでも悩みの種になっちゃってるの。
とんでもないよね。
5歳ごろ、幼稚園に行ったんだけど、キリスト教の教会が経営している幼稚園に行ったんだ。
そこでは、おべんとうを食べるときにお祈りをしたり、クリスマス会が在ったり、神様のお話を聞いたりしたよ。
私はぜんぜん覚えていないけど、イエズスはもう私と一緒にいてくれたんだね。
このころ、音楽教室っていうのにも行って、夕方幼稚園のホールで先生からオルガンを弾くことやリズム遊びなんかをしたりして音楽の楽しさを教えてもらったのね。
その時からだんだん音楽が好きになっていった。
それから、鳥のレコードを聴くのが楽しみで「この鳥は○○っていう名前だよ」とか言って覚えたての鳥の事をよく話しをしたんだ。
それからね、私ってよく泣いたよ。
なにかあったら本当に泣いてて、泣き虫だったな。
それは小学生になっても直らなかった。
そう、中学のときもやっぱり泣いちゃうことは直らなくってね、「泣き虫は困る。イエス様は『泣け』と教えられましたか」なんて私より年の下のひとから卒業のときに貰った「サイン長」の中にメッセージを書かれちゃったほど弱かった。
小学生のころ、おねしょも直らなかった。
勉強もできなくて、ちょっと能力が劣るねってみんなが判るほどよくなかった。
自分で話すことができないで、誰かに言う事を考えてもらって私が話す。
そんな私だったんだ。
それは小学生のときに作文を書いて、みんなの前で発表するときがあったんだけど、私は全部お母さんの作った文章で発表したんだよ。
唯一学校で楽しかったのは音楽だった。
算数が一番できなくて、これは高校生になってもできなかった。



初めて教会へ
小学2年生ごろ、たまたまバスに乗っていて、母親が教会があるのを見たんだ。
看板に『日曜学校』って書いてあったのを私に読んでくれたのね。
なんだか日曜日にも学校をするのっておもしろいなって私、思ったよ。
そしてね、行ってみたいって行ったら日曜日につれていってくれたんだ。
そこは幼稚園を経営していた教会で、高校生になって先例を受けることになるプロテスタントの教会だったんだよ。



神秘的体験が始まる

中学生からの不思議な体験
教会で止まり会があって、夏ごろ、1泊したのね。
この時に不思議な体験をわたし、したの。
それは教会のなかであったことなんだ。
突然光がさして男の人の声で「頑張りなさい」っていう声を聴いたの。
私このときって何を祈ったのか覚えてないんだ。
そしてね、そのあと2度ほどお風呂から上がって脱衣所で男性の声を聴いたの。
このときにはなんと裸だった。
これってとってもびっくりすることなんだけどね、神様やイエズス様、天使たちが話しかけるのは大体聖堂っていうところで、とっても聖なる場所がほとんどで、私みたいに『裸』の状態で声を聴くなんて普通ありえないことなんだ。
デモね、この2度聴いた声はね、本当に脱衣所から上がってじきだったの。。
日にちを置いて2度在ったんだよ。
内容は残念ながら覚えていないんだ。
それから、ついでにこの話をすると、あるときに私は不思議な夢を見たの。
これは2年ほど前の話になるんだけど、ジャン・マリーと、コルベ・マリーとのメールでのやりとりが始まった年に話は飛ぶんだ。
私、夢でアダムとエバを見たの。
そしてエバはとっても美しくって背がすらっと高いようなほっそりした人だった。
このときにね、『裸』の姿のエバを見たんだよ。
とっても印象的だったの。
なんかね、その『エバ』なんだけど、私みたいだなって思った。
私はぜんぜん眼が見えないんだけど、このときに生まれて初めて『見る』という出来事があったの。
ビジョンって言うんだけど、みんながものを普段見るように私の眼に映ったんだ。
話を素に戻すと、中学生のときに聴いた男性の声のことで、
「もしかしたら話をしたのはイエズスだったんじゃない?」ってジャン・マリー神父に言われてるの。
これがはじめての天からの働きかけだった。

中学生のとき、合唱ではじめてラテン語の曲を歌ってね、初めてミサ曲と言うのを歌ったんだ。
英語を勉強してまもない私に衝撃を与えたんだよ。
そのころ、ラジオで音楽を聞いていたら『グレゴリオ聖歌』というカトリックの音楽を初めて聴いたの。
とっても単純で、天国のように美しい音楽と、天使のような声で歌う人たちの声に圧倒されたんだ。



一つの危険
中学に入って学校で英語を勉強し始めたけれど、ちょうど同じ頃にとっても不思議なことに出会い始めたんだ。
プロテスタント教会の若い宣教師さんたちが英語を教えにきて、イエスキリストの事を伝えたんだよ。
私はね、教会に行ってることをその人たちに話したらよかったら集会こない?」って誘われたのね。
そうして集会に行ったらとってもにぎやかな音楽で神様を讃美していたの。
ギターを使ってみんな歌ってた。
アメリカの宣教師さんが主催した小さな集会だったけど、このときにはじめてイエス様は病気の人を癒すんだという話を聞いたのね。
もちろん、私が行っていた教会では聖書で読んでいたけど、実際に手をその人の上に置いて祈るなんてしていなかったし、まさか私の眼を直してくれるなんて思いもしなかったの。
そうして9月15日(日にちだけ記憶にあるよ)の集会で祈ってもらって、みんな「癒された!感謝します』って言っていたの。
「見えるようになったんだから、ほら、歩いてごらん」って言われて少し歩いたよ。
デモね、私怖かった。
家に帰ったら、たちまち眼には光しか感じなくなって・・・。
両親からはものすごい怒られて、大変なときを過ごすようになったの。
「それでも直るって信じなさい」って宣教師さんたちに言われたけれど、ものすごい傷になったみたい。


洗礼を受ける
高校生になってすぐ洗礼を受けたの。
このときに母親も一緒に参加したよ。
そのあと、なんとなく母親との距離を感じて母親とはあまり話せなくなっていった。

音楽の勉強
将来音楽の事で仕事ができたらいいかなって思っていて、ピアニストが良いのか、歌う人になったら良いのかわからなくて悩んだの。
そうしているうちに「音楽コンクール」にでてみないかって学校の先生に言われて、参加したよ。
将来、どちらにするかを決めるため、ピアノの部門と歌の部門に出たの。
ピアノは先生について習ってたけど、歌は全く勉強してなくて、合唱で歌ったり教会で歌うだけだったから先生について習ってはいなかったんだ。
このときにラテン語の歌を私ね、歌ったの。
どっちかをやることを決めるために受けたコンクールはなんと両方優勝しちゃったの。
盲人の学生だけがでるコンクールだったのね。
そのあと、先生に相談して歌をすることに決めたんだ。


信仰の試練
教会へ通うことはこれから先、とっても複雑になっていったよ。
そう、友達につれていってもらって初めて「カトリック教会」に行ったのが高校2年生ごろかな。
その頃に初めてマリア様の事を詳しく聞いたの。
教会にはマリア像があって聖堂に入ったときにとってもあったかい雰囲気がして何か不思議なことを感じた。
今まで行っていた教会にはないあったかくて優しい空気だったの。
このときに友達がマリア様の事を書いた本をテープで録音してくれて私にくれたの。
その本にはマリア様がたくさんの場所で出現されてみんなにお話しをされて軌跡も起されているっていうお話しだった。
このときにリトル・ペブルさんというお名前を初めて知ったんだ。
その時にね、マリア像を貰った記憶があるんだけど、家では自分の机には置いてはいけなくて固唾蹴られちゃったんだ。
どこにいったか私はぜんぜん知らないの。
このときにね、友達に「ロザリオの祈り」とかパドアの聖アントニオに忘れ物とかなく下野を見つけてくれるようにお祈りをしたりしたの。

私は音楽の勉強をするためにいろいろしたけれど、高校を卒業して大学にはすぐにはいけなかった。
1年間、家にずっといて、大学に入るための受験勉強をしたの。
もちろん、このときには教会に行かせてもらえなくなった。
私はとっても辛くて、あるときに「自分は能力がないし、生きてたってなんになるんだろう。」って考えて生きるより死んだほうがいいみたいに思ったの。

ある友達が聖霊派の教会に通う人を紹介してくれたんだ。
1990年8月一日、韓国の人たちが集まる教会(家の教会だった)に友達と行って、ここで不思議な体験をしたんだ。
聖霊によるバプテスマ(洗礼)で、信者さんたちが私のことで祈ってくれて、牧師先生が按手をしてくれたんだ。
体にものすごい力みたいなものを感じて、横に倒れてしばらく息がはずんでた。
聖霊を受ける前とあんしゅされているときにいろんな予言が信者さんから出ていたよ。
天使が眼に刺さってるとげを抜いてるとか、大きなひしゃくで永遠の命の泉から水を飲んでるとか足の指先から鋭いものが出てる」とか・・・。
予言をしていた人の中には男の子もいたよ。
「『この鋭いもの』とはいったいなんですか?」と牧師先生らしい人が聞いていて、『神を求めている」と男の子が答えたんだ。
このときに聖霊を受けなさいって言われて、あんしゅされたんだけど、みんな泣きながら祈ってたなぁ。
このあと、2週間して、大変なことを経験したんだ。
これが大きな信仰によるトラウマになって自責の念にかられる一つのきっかけになったんだ。
どういうことかと言うと、私、ものすごい渇きを感じて、教会にいけないけれど、この教会に行って求めようと思って行ったんだ。
そうしたら『あなたは聖霊をけがした。聖霊があなたから取り去られた」と言われて、なきふしてしまったんだ。
実際、親の言うことを聞かないで罪を犯してたから、そうなんだろうとは思っていたけど、聖霊による洗礼を2週間前に受けたばっかりで、ものすごい恐怖を感じさせるようなことを言ったもんだから、私はものすごい心が砕けちゃった。
それが心の中に大きな傷となって、ジャン・マリー司祭に合うまで、癒されなかった。
一つの信頼が崩されてしまって、それ以降教会の人とは話もできなくなっていったんだ。
人を信じていたけど、ここで分離を味わって、不信になっていったのかなと私は思う。

この後も、浪人中というのもあって精神的な不安定はずうっと続いたんだ。
英語もままならない状態で、家庭教師をしていた人に会うまで、プロテスタントの教会でしばらく過ごしたんだ。

一つの不思議な体験
1990年、10月に一つの不思議なことがおきて、それ以降もんもんと悩むようになっていったの。
10月七日日曜日に教会(洗礼を受けた教会)に行って礼拝に参加していたときのこと。
自分の後ろから肩に手を誰かにかけられたような感覚が私におきて、ふっと息を吹き込まれたように感じたの。
その四日後、自分の家で、聖書を読んでたんだ。
そうしたら「盲人の眼は見え、足の不自由な人は鹿のように飛び跳ね・・・」というイザやの預言の言葉を読んでいたら『あなたを癒す』という声を聴いたんだ。
男性の声だったのを覚えてる。
私はびっくりして心が動揺したよ。
数日後『私自身が癒す」と言いう男性の声がまた聴こえたの。
そうしているうちに私の胸が激しい痛みに襲われて、火の玉がいくつも私の胸に刺さるように感じたよ。
それから、体全体が暑く、炎で燃えるかのようになって歌の練習もできないほどになった。
母親はこんなわたしの状態を理解できなかった。
私はこれからどうなるんだろうって心の中で悩んだよ。
私、あるとき聖書を読んでいて、マリア様が大天使ガブリエルから受胎告知を受けたところで、、天使が戸惑うマリア様に対して、エリザベトが洗礼者聖ヨハネを身ごもっていることを告げて、『神様には不可能なことはない』と言った後、マリア様が
「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」と言って全てを受け入れたことを読み返していたとき、ものすごい慰めを受けたんだ。
このときにね、歯にもなにかの力を感じるようになっていったんだ。

けれど、これが全部神様からではないということを知ったのはだいぶ後になってから。
ジャン・マリー司祭に会うまで、これも天からの働きかけではないというように言われた。
識別と言う点では全く聖霊派に属する教会はなっていなかった。
悪霊追い出しを強調するわりには、予言に対して全く全部神様からのものだと信じきっていたから、カトリックで言う『識別』をぜんぜんしないでいたよ。



盲学校で起した一つの事件
音楽の勉強をすることが盲学校でできることを知って普通の音大をすぐに受験するのをやめて、盲学校できちっと基礎を据えてから、大学受験をしようっていうことになって方向転換したんだよ。
受験は他の学科の人たちと一緒だったけど、私は一番成績は最低だったと思う。
ただ、音楽がやりたいからその望みをかなえてくれただけで、先生たちは私を学校に入れてくれたと思う。
2年いるところを3年勉強しなくちゃならなくなった私はここでも教会絡みで事件を起しちゃった。
家出して1ヶ月学校に行かなかったの。
そして、ここでも大きな傷を負ったんだ。
そのきっかけはやっぱり「肉体の癒し」を言う教会の信者さんとの出会いで、見えない人たちの中でも数名「カリスマ」てきな事を信じる人がいて、放課後祈り会をしたんだよ。
その信者の一人から「預言者」を紹介されて、電話で何度も話すようになっていったの。
そして、その人に会ってから私、ものすごいのめりこんでしまった。
いろいろと話しているうちに私のことを受け入れてくれたと私は思って、その人が教会を作ると言ったもんだから、私も一緒にっていって家出止まらせてもらってたの。
ところが、この人にも最後に裏切られちゃった。
私に対して、『あなたは私を殺そうとしてる」と突然言い出したの。
それはおもいもよらないことだった。
私は『どうして?わたしそんなこと思ってもいないし、殺そうという行動もしないですよ」と言ったのに『あなたの眼がそういってる』っていう返事が返ってきて警察を呼んで私を家から出したんだ。
その人と礼拝をして、歌を一緒に歌っていたときにある日『あなたの声、小さくして。私、○○大学に入りたかったんだ。あなたの声が私より大きかったら許さない」みたいなことを言ったのを覚えてる。
それからだんだん態度が変わってきて私に対してとっても感情を露にするようになったの。そして、私はまた『分離』を経験したよ。
このあと、不思議なことがあったの。
家に戻って時機に「あなたはこれからどうしたいのか?」と言う男性の声を私は聴いたの。
私は、このときにも心がずたずたにされていてこれからまた学校に戻って勉強できるか不安だったから『希望を持てるようにしてください」って祈ったのを覚えてる。

試練                        
教会生活はもう苦しくなっていったの。
受験を控えて夏は家庭教師をつけてもらったよ。
このとき、英語を教えてくれていた過程教師の人がカトリックの信者で、私がその人の家に行ったとき「ルルドの飴」をくれたの。
そして、くさらない水があることを教えてくれたんだ。
奇跡の水があることをこのときに初めて知ってまたカトリックに対する「憧れ」が沸いたの。
シスターになりたいというお話もしてみたけれど、無理だった。
このときにはじめて「修道院に行きたい」憧れが出たの。
でも、何にも当時はわからなかったな。
私ってね、このころ、カトリックのことに興味を持ったり、聖霊の働きを強く信じるキリスト教の教会の集会に興味を持ったり、あっちふら、こっちふらしてたな。
とっても複雑って書いたのはこのためなの。
一つに私の眼に対する『癒し』を望んだのが影響してるんだ。
「見えるようになりたい」という思いは何度も心の中に起きたんだ。
信仰はあるようでじつはなかったとおもう。
ね、そうでしょ?ガブリエルちゃん!
 カトリックの大きな教会に行ったのもこの時機だったかな、
事件を起して騒がせた私はプロテスタントの教会にしばらく行きたくなくって、教会に行かなかったけど、音楽を聴いたりしながらイエズスから離れるようなことをしないようにして過ごしてた。
でも、音楽だけでは心に安心して寄りかかれる場所がもらえるのは無理なんだ。
あるとき、学校の図書室でカトリックのシスターに出会ったのがきっかけで教会に行ってみたくなったの。
このときにね「ロザリオ」のことがふっと心によぎったの。
たしか初めてカトリック教会に行ったときみんな「ロザリオ」の祈りをしてたようにおもうの。
素朴さに私は心打たれててこのときに思い切ってシスターに「ロザリオがほしいんだけど」って話したら「教会に行ってみようか」って言われたの。
シスターはその時にお祈りの言葉を点字で書いてくれたんだよ。
プロテスタントにはないお祈りで、マリア様の事を「お母さん」として敬っていたのにはとっても心引かれたの。
そして、カテドラルという大きな教会に行って初めて修道院の院長さんに会ってお話ししたの。
そうしたら「マリア様が一緒に祈りましょうって呼びかけているんだわ」と言って喜んで私にロザリオをくれたの。
一つのいいおもいでなの。
シスターも交えて、祈るときがあったのね。
ところが、ロザリオの祈りのとき、1連祈ったあと、「栄唱』を言ってすぐに次の連に移っていったので、不思議に思ったの。
私はこのときにファティマの牧童たちのことを思い出して『そういえば『赦祷』があったよね。マリア様、どういういのりだったか思い出させてください」って祈ったことがあるんだ。
そうして祈り始めたら「あぁ、イエズスよ、われらの罪を許したまえ。われらを地獄の火より守りたまえ。また、全ての霊魂・・」まで思い出してしばらくこの先が思い出せないでいたんだ。
デモね、じきに『ことに主のおん哀れみをもっとも必要とする霊魂を天国へ導きたまえ。」という祈りの言葉を思い出すことができたんだ。
これは不思議な体験になっているよ。
でも、祈りの言葉の多さとロザリオを一生懸命祈ったけど、なんだか心に渇きがあってまたカトリックの信仰から離れちゃった。


大学生活
3年間、盲学校で音楽の専門の勉強をした後、無事に大学に入ったの。
大学に入って音楽を勉強したんだ。
このときにまたカトリックへ行く機会があったんだ。
先生が信者で、学校でサークル活動が在ったんだけど、このサークルで『グレゴリオ聖歌研究会』というのがあって、私そこに入ったのね。
そしてね、ラテン語の文字を読みながら点字の楽譜を覚えていったんだよ。
夢を見てるようで、わたし嬉しかった。
でもでも、やっぱり難しくって、歌うのに大変苦労したの。
眼が見えないのは私だけで、みんなに一生懸命ついていかなきゃならなかったからとっても緊張したんだ。

それと、古学研究っていうサークルにも4年生になって入って、あるとき、フランスの作曲家が作った神様を称える聖歌をラテン語で歌ったの。オルガンの伴奏で。みんな感動してくれたみたいで、音楽界のときの独唱だったので、とっても目立ったなぁ。
いい思い出になった。
 このころ、学校の帰りにね、教会に寄ってはマリア様のメダイとかイエズスの像など買って集めてた。
なんとコレクターしちゃったんだね。
いっぱいメダイを買ったりしたよ。
カトリックはきれいなものいっぱいあるんだなって思って、それを買うのがいつの間にか楽しみになっていったの。
あぁ、ガブリエルちゃん、私ってなんて変なんだろうね。
ちょっとしたことで、すっごくのめりこんだり、かと思ったらさっと冷めてなんにもしなくなったりって、ほんと、何を信じてるんだろうって思うよ。
サンダミアーノの御出現を信じる信者さんとの出会いもこの頃で、何年ぶりかに会えたんだ。
そして、またマリア様による神秘的体験にあこがれる時機を過ごしたの。
数年間、私の自分の部屋で、夜にご飯を食べて戻ってくると、甘いバラの花の香りを感じたりするようになった。
サンダミアーノの絵葉書も貰ったりして自分の部屋で飾ってたりしていたんだ。
ある信者さんから日本の巡礼のために作られたサンダミアーノのマリア様の白い像がかく家庭を回るという話を聞いて、祈り会に来ないかと誘われたんだ。
マリア様に手紙を書くと言うことがあって、このときに私『聖痕を下さい。シスターになりたい。早く洗礼受けて改修したい」などお願いを書いて点字のまま、マリア様に渡したんだ。
この手紙は巡礼の像の下に1日置いて、翌日にかたづけるようにとマリア様が言ったというので、メッセージを信じる信者さんはそのようにして、私のも預かってくれたの。
でも、やく3年ほど続いた「神秘的な香りはあるときなくなったの。
このあとに、またプロテスタントの聖霊派の教会の信者さんにある駅で声をかけられて出会ったのがきっかけでその足で教会の牧師先生のところに行って、毎週教会に通うようになっていったんだ。
それは確か1月26日ごろだったと思う。3年生の終わりごろから行き始めたよ。
でも、家では猛反対にあったの。
私の信仰のなさに嫌気をさした家族は理解できなかったんだと思うよ。
それでも、わたし、行ってね、教会で聖歌隊に入ったりして礼拝に出たよ。
この教会では祈りをするのに日本語の祈りと違った言葉を言う祈り(異言)という祈り方もしたの。
聖霊を受けたらこの祈りもできるようになるって教えられて祈ったんだ。
もちろん、この類はぜんぜん違ってて悪いものなんだよ。
ジャン・マリー司祭に出会ってから聞いたことなんだけど、この言葉で神様を呪っているんだっていうの。
異言として信じて祈っていたのにびっくりしたよ。
だって、「異言」で神様を称えているとか聞いてたんだもん。
聖霊によるバプテスマ(洗礼)は信者によって、私は受けたんだけど、信者が人に手を置くのは許されてないんだ。
カトリックでは唯一司祭だけが手を人に置くことができるの。
でも、プロテスタントで聖霊を信じる教会では信者であってもみんなくんれんすれば神様が働かれるようになるんだから、信仰をもってしよう」って言って祈り会の時にはみんなで祈ったよ。
わたしもそこで一緒に参加して心を合わせて祈ったりしたの。
このときにね、予言の賜物もあって声を聴いて予言したんだ。
これもね、実は違うの。
カトリックで言うローキューション(内的語らい)という天からの働きかけとはぜんぜん違っているんだよ。
私はここまでひどく悪い影響を受けちゃってしばらくこの事で苦しまなきゃならなかった。
いまでもね、とっても苦しくなることに出会うんだ。
ローキューションを受けて、この悪い影響がもろに出るようになった頃があった。
それは『口に言葉が置かれるようにしゃべらされる』状態になったの。
昨年11月七日ごろだった。
これを司祭がいち早く見抜いて「以前受けていた聖霊派の影響だから、口にしゃべらされるように感じたら、すぐ止めてしるしをすぐ求めなさい。もしこのときに不快な態度を相手が表したらそれは悪魔だから」という助言を貰ってそれ以降なにか滑らかなような感じで口に言葉が置かれるようにしゃべらされたらすぐとめてしるしを求めることをしていったんだ。
今ではこれが大変大きなガードになって神様に感謝してるよ。
なぜなら、聴こえてきた言葉を話す。これができるようになってきたんだ。
注意を注ぐこともだんだんできるようになった。



7年間の苦しみ
大学を卒業するころ、また教会に行けなくなっちゃった。
それから7年ほど、ずうっと教会には行けないで過ごしたの。
プロテスタントで言う聖餐式(カトリックではミサの中での聖体拝領)に出ることもだめになっちゃって、毎週日曜日が来るとさびしい気持ちになっていった。
本当にイエズスのパンと葡萄酒がほしくってとっても心がからからに乾いたのを覚えてる。
ね、まりあさま、このときの私ってイエズスを求めてたよね。
今は本当に毎日聖体にあずかれるけど、あの頃の飢えみたいな思いは本当にびっくりするほど今にはなくなっちゃった。
なんていうわたしなんだろう。
真剣にイエズスを探していたのにね・・・。
ごめんなさい、イエズス!
「聖体を大切にしなさい!」って何度も何度も言われてる私。
いま満ち足りちゃってるんだね、イエズス!
あの頃はまったく教会に行ける状況でなくってイエズスを信じる人が回りにいない寂しさ、孤独感にいっぱい浸ってた私は自殺をしかねないほどだったね。
この悲しみは大変なものだった。
なんて言葉にしたらいいかわからないほど辛くって「神様はどこにいるんだろう」ってしか思えなかった世。
それなのに、ガブリエルちゃん、あなたを知らないでいた私をいまのいままで守ってくれたんだね。
ほんとにありがとうね!!
あぁ、神様の優しさ、こんなに心が軽い私を愛してくれるこの大きな愛はものすごくってちょっとどうしたらいいかわからない!!
イエズスっていくら愛しても愛しきれないほどものすごい魅力たっぷりなんだ。
私はイエズスのとりこになっちゃった。
そう、イエズスが私の全部を握ってくれてて、何もかもいっぱいいいものをくれてたんだね。
私にとって辛いということでも・・・。


私の大きな傷
私は愛着形成ができないまま、育って一人でなんでもやれるようになるために甘えることも許されなかった。
料理を作ることや女性としてできることが当たり前にできない私。
高校生の頃、「家政科」っていうところで勉強しなきゃならなくって、眼が見えない私の将来を全部自分の力で生きていくための生活訓練も兼ねた勉強だった。
周りの友達は針仕事はなにも不自由なくやってたし、料理も楽しんで作ってた。
でも、私って本当に大変で、先生にいっぱい叱られたんだ。
料理の手順を覚えるのが当たり前で、授業はちゃんとみんなと一緒についてやってくのが当然なんだけど、私は「砂糖をスプーンに何倍・・・」とかいうのが覚えられなくってぜんぜんできなかった。
それが素で何にも作れない、みんなにご馳走する人になれなくなっちゃったんだ。
人を信じる、このことにもとっても大きな傷を負ってしまった私にとって、孤独でたまらない時を過ごした。
と言ってもどこか一人でいることを求めていたのかな。
そう思うことがときどきあるよ。
私にとって、教会の人と交われる喜びは学校での激しい孤独感にさいなまれる苦悩を和らげてくれる唯一のよりどころだった。
でも、いろいろと求めて、いろいろと、教会の人たちと会って、そこでも人間関係に悩まされるようになっていった。
優しい言葉をかけられると、すぐに人を信用してしまう私は何度も心が通わなくなる悲しさをこの身に味わうようになって、まさか信仰を同じく持っている人から裏切られるなんて、思ってもみなかった。
それはやっぱり人間だし、完全な交わりを求めるのは地上ではむりなのかなと思わずにいられないほど。
だから「自分の殻」に入っちゃうし、心の空虚な自分になるのは、この苦しみをずうっと負ってきたからかな。
 大学を卒業して、時期に一つの病気になった。
それはストレスからくる『小癲癇』だった。
ある先生のところで歌の勉強をしていて、とっても厳しいレッスンに私はついていくのが苦しくなって「プロになるのはむり」と言われて練習不足からくる不安と自分の将来をどうしていったらいいかわからなくなって大変苦しんだ。
教会にいけない苦しみと、仕事がない苦しみで私はいちじき自殺をしかねないほど、自分を責め続けていた。
そして、ようやく外へ出られるきっかけができて、点字を書くボランティアの人たちに間違いがないかチェックしてほしいと頼まれて、添削の仕事をした。
そのあと、パソコン教室がちかくであって、パソコンを覚えて作業所で働くようになっていったの。
このころから音楽の演奏の仕事もするようになっていった。


ジャン・マリー司祭との出会い
2004年6月にインターネットで「スカプラリオ」というマリア様の絵が入ったカトリックで使うものを検索していたの。
このときにたまたまリトル・ペブルさんのことが思い出されて「そういえば今リトル・ペブルさんはどうしてるのかな」って思ってリトル・ペブルさんのことも見てみたの。
そうしたらちょっと衝撃てきなことが書いてあって私、びっくりしちゃったんだ。
そして、もっと詳しく調べていたらなんと「シャーベル修道会」というのにぶつかってメーリングリストがあるのを知ったの。
そして、メールを出してみたらお返事貰ってやりとりが始まったのね。
私は久々に乾きが満たされるように思えて、何でも悩みを書いたよ。
家族にはいえないこともたくさん書く事で、私は喜びに満たされていったんだ。
教会へいけない、信仰の戦いはずうっと続いていて、魂がからからに乾いていた私は本当に慰められたんだ。
そうしたらジャン・マリーというひとがとっても不思議なメールをくれて私はびっくりしちゃった。
私はこのときにはジャン・マリーっていうんだから日本人じゃないよねって思ってたの。
でも名前は日本人の名前も書いてあって、これなんて読むんだろうってちょっと首傾げたんだ。
音声ではストレートに読んでくれなかったから・・・。
ジャン・マリーはね、私のメールに対してものすごいストレートに答えてくれてね、「お父さんはあなたを抱きしめてますよ。ギュ!」なんていうメール貰っちゃっていやぁびっくりしちゃった!思わず「えぇ!」って声を上げるくらい。
それに「あなたの傷にもキスしますね。ちゅ!」って言うのも送ってきて、もう絶対この人は日本人じゃないって思ったんだ。
嬉しいやらびっくりするやらで、毎日メール交換はとっても楽しいものになったよ。
このメールのやりとりのとき、不思議な体験があってメールでもいろいろ送ったり、助言を貰ったりしたんだ。



シャーベル修道会のメンバーとのメール
神秘的体験の発展


5月ごろ、インターネットで「スカプラリオ」を検索したいと思い、調べてみたら
いろいろとありました。
そのときにリトル・ペブルさんの記事でマリア様がスカプラリオを下げている姿をリトル・ペブルさんが幻視されているという箇所が乗って居るのを見つけました。
私は久々にリトル・ペブルさんの名前に触れました。
そして今リトル・ペブルさんはどうしているのかを知りたくて検索したところとっても驚きました。
何があったのだろうと思い、私はもっと知りたいと思って調べていたらシャーベル修道会の
ホームページにたどり着きました。
「心理の同盟メーリングりすと」に出会い6月からネット通信をはじめました。
 そこではいろいろな悩みをメールでやり取りしていました。
メールのやりとりをしているうちに神秘的な体験が始まりました。
ここでは9月にシャーベル修道会のメンバーと生活を共にすることになるまでの約3ヶ月ほど、私が家で体験したことの記録です。


6月29日(火曜日)
ひとつの夢を見ました。
朝なのですが、シスターでしょうか、どなたかと私が話していて、言葉では言い表せないのですが、
眼に何かを感じた。
そういう夢を見ました。

今の煉獄の霊魂の償いの勤めにつながるかも知れないので話します。
 私にとってショックな出来事がありました。
3人の視覚障害者の人が自殺してしまったのです。
何年か前に二人が、そしてあとでもう一人の自殺者が居た。
しかも一人の人は私が卒業した学校で自殺していたことが知り合いの話で判ったのです。
私は生きることをまた深く考えるようになっていきました。
同じ眼が見えない人が自殺するなんて考えられなかったのです。
 「視覚障害者の魂が救われるように」という願いが心に起きるようになりました。

話が遡りますが、2003年10月、あるプロテスタント教会でチャペルリサイタルをし増した。
私はそこでフォーレが作曲した『レクイエム』の中の「ああ、イエズスよ」を歌いました。
そのほかにラテン語の曲を3曲歌いました。
フォーレの レクイエムの時、私は鎮魂の思いをこめて歌いました。
演奏会が終わって、その夜不思議なことがありました。
自分の部屋で思い巡らしていたらものすごい慰めが訪れて私は泣き出しました。
喜びがあふれて涙が止まりませんでした。
「視覚障害者の魂を救ってください」という私の心の奥底にあった叫びを神様が聞いてくださったんだという喜びで満たされたのです。

このことをメールで書いています。


いま、私は天使の助けを借りてこの手記を書いています。
過去の事はなかなか思い出せません。
でも、思い出せないときも天使に頼むと思い出させてくれます。
その天使の助けを意識するようになったひとつの出来事が2004年7月一日のことです。
祈れないとき、またどのように祈ったらいいのかわからないときに天使が導いて『天子祝詞」を祈らせてくれました。
心が乱れたときもです。
 守護の天使を意識し始めたのはこのころからになります。
友情関係が始まったときです。


7月三日(土曜日)
母親に箱舟のメダイをそのとき初めて見られて「こんな物付けて!」と言われてメダイの鎖をひっぱろうとしたのです。
でも、大丈夫でした。
私は2回へ上がっていきました。
自分の部屋で涙していたら横に誰かがいてくれているような感じがしました。
でも、泣き崩れる以外になかったです。
これも神秘的な体験でした。


7月19日(月曜日)
私は不思議な夢を見ました。
このときに初めて映画を見るようにヴィジョンを見ました。
私はまったく物を眼で見るという経験はしたことがありません。
形や色の識別はまったく出来ないのです。
ただ、光の明るさや暗さが判ります。
 最近は蛍光灯の明るさを認識することが前よりも難しくなっていて電気の消し忘れに気を使うほどです。

朝、8時前です。
夢で神様が天地創造をされるのを見ました。
あまりにも強大だったのでどのように流れていったのか覚えていません。
アダムとエヴァがいるのを見ました。
私は強烈にエヴァに惹かれました。
言葉では言い表せない美しさ。
眼の前に美しい姿のエヴァを見ました。
体が大変美しかったです。
背がすらっと高かったです。
細い感じです。
とても美しいのです。
顔が大変美しく洋服はいっさい着ていません。
裸です。

夢の最後に「天地万物の創造主のみいつ」を感じました。
 多くの人がいろいろな神の名前を呼んでいます。
神々を拝んでいます。
そのとき『天地万物を作られた唯一の紙だけを拝みなさい』という権威に満ちたロー急所んを聴きました。
天から響くような声です。
 私はそこで眼が覚めました。
『主よ、哀れんでください』と祈らされました。
自分から祈ったのではなくて口から自然に祈りの言葉を言っていました。
ものすごい心が騒いだからです。


いま、起こっている肉体の疲れ、眠さや痛み、気持ちの悪さ、霊魂の疲れを経験しています。
その神秘的な痛みや疲れの始まりだと思うのですが、7月19日の午後31日の伴奏あわせのために外に出ていました。
なんだかかなり体の疲れを覚えました。
主に対しての痛悔の念しかおきず、『許してください」と、いのらずにはいられなかったです。
 マリア様に「助けて!」といいたくって『ミサにあずかりたい」とつぶやいてしまったほど霊魂が
疲れていました。
心の疲れは本当に重くて誰とも話したくないほどでした。
ただ、ロザリオを握っているだけでした。


体の調子に関して、神様が何かをしていると感じ始めて自分で意識したのが25日です。
 その日、私は体の調子が悪くて音楽団体の例会があって出かけましたが、早めに帰ってきました。
何かが始まったんですねとJAOTのメールに書きました。


今年の話になりますが、マリア様からの公的メッセージで「御聖体を手で受けてはいけません」と
「御聖体をあいしなさい」と「御聖体を大切にしてください」というメッセージを受けています。
「愛する子よ、あなたに伝えます。
リトル・ペブルを公に支持し、宣言することをあなたに命じます』と言うメッセージも受けています。

 昨年の7月25日のメールでこのように書いています。
 『私が言うと傲慢であるかと思いますが、お許しください。
どうかお願いです。
御聖体を本当にもっともっと敬ってください。
皆さんのほうが先にいただいていらっしゃいますし、そのおん恵みは計り知れないと思います。
私は待ち続けます。
主に希望をおいて。
リトル・ペブル氏を愛し、尊敬している私です。
これからももっともっとリトル・ペブル氏を知り、愛し、尊敬し続けたいです。」
 神さまはもうすでに御聖体に対する憧れとリトル・ペブルさんに対する愛と中性を私の心の中に注ぎ込んでいることを今このメールを読んで気がつきました。


 教皇様かリトル・ペブルさんからの倍ロケーションの訪問を初めて受けた体験かも知れませんので
ここに書きます。
7月25日(日曜日)
朝、教皇様らしき方を見ました。
浅い眠りの中です。
どなたかいらしていました。
リトル・ペブルさんなのかどなたなのかが判りませんでした。
その方は何もお話になりませんでした。
冠があったから教皇様だとわかったのではありません。
言葉ではいえないやさしさを感じたのです。
このように7月26日にメールを書いています。


7月28日ジャン・マリー助祭の指示に従って印を求めました。
ヴィジョンで与えられる印をくださいと頼むように、その印を貰ったら教えるように。
その印についてはどんな印だということは黙っているようにという助祭の助言を26日のメールでもらいました。

28日の朝私は読んですぐにお願いしました。
 そうしたらその日に印をいただきました。
従順に従うことがどんなに大切かを知るひとつの出来事になりました。


見えない聖痕の痛みが始まる
--------------------------------
2004年7月30日 金曜日
マリー・マドレーヌの神秘的体験
千葉県にて

--------------------------------

 今日ですが私の肉体、特に右手の甲や腕のところ、左手の方に痛みが走ります。

祈っていますが、これは何なのでしょう、識別が大変必要です。注意しないといけないのです。繰り返し読みます。時々痛みが走るので、思わず声を上げそうな状態です。

今日は金曜日でした。イエズス様の受難を黙想して、肉を食べないようにしようと思っていました。朝から間隔を置いてくるのでなにがあるかわかりません。

へりくだりたいですし、十字架の意味を感じさせられる状態です。感覚に頼らないようにと祈るのですが、その瞬間に痛みが走ります。

このことは言ってはいけないことだったでしょうか。本当に慎重に神さまに聞いています。今の状態は私にとって祈りしかできません。

足にも火のようなものを感じました。イエズスさまが打たれた傷がどこかロザリオを見ると判ると思います。皆さんは見ておられます。知っておられます。

私の思い込みではと思っていますが、痛みがきます。なにが起きているか私の状態を慎重に祈っています。昔も似たような経験があったのでよけいに慎重です。

このことをお伝えします。一日を神さまに感謝いたします。

と報告しました。



以前にあった痛みの説明を8月一日にメールでしています。
「1995年、カトリック教会へ行き、サンダミアーノの聖母出現を信じる信者さんと交流してメダイなどをもらっていました。
そのときに手首に痛みを感じるという経験をしています。
 印を求めることは当時知らなかったし求めもしませんでした。
識別をすることを知らない私はバラの香りやほかの匂いがあったことなどを人に話していました。
 今回「153本の聖ヨゼフの百合」を読んでいて印を求めることと識別することを知らされています。
再度印を求めたらありました」と報告しています。
 匂いに関しても、ビジョンが与えられたときでも、痛みに対しても印を求める。
このことを私はしていました。
 いまはローキューション、ヴィジョン、香り、痛みに関して印を求めていただいています。


8月四日(水曜日)
痛みの箇所が増えてきています。
手首や足の甲に加えて足の裏と足首、体に痛みを感じています。
体は胸の痛み、肩の痛み、わき腹にありました。
 それから夕方に疲労感を感じていました。
神秘的な疲労によるものです。
 朝早くから眼が覚めるようになり、祈りをすることが導かれ始めました。
 大体4時半ごろから5時過ぎに眼が覚めてロザリオの祈りをするようになりました。
 痛みが家でも外でも強くなっているように感じています。
十字架をおもっていて、償いのためなんだという理解が自分の中にありました。
 十字架を思い巡らしていることについてロザリオについている十字架をイメージしていて痛みが大体手や足にくるんだなとおもっていました。
 つぐのい(償い)ですが、自分の罪のためだとおもっていました。
 当時は公なものであるとはまったく知らなかったのであくまでも自分の罪に対して償うためなんだという理解でした。
8月四日のメールに一日の日曜日に受けたことを書いています。

私は家で十字の印をする意味の重要性について、神様によって知識を注付されるという形で
インスピレーションを受けました。。
言葉ではなくヴィジョンでもない形で巣。
私は『箱舟の聖母』のメッセージを読んでいて、リトル・ペブルさんやほかの幻視者のメッセージに必ず出てくる「父と、子と、聖霊との御名によりて」や『父と、子と、聖霊との御名によって祝福します」と言われるマリア様や天の方々の言葉に心がとまりました。
これは何なのかと考えて思いをめぐらしていました。
メッセージ全部に共通しているこの言葉について思い巡らしていたところ、『これは十字を切っていらっしゃるのかな』という重いがきました。
私はこのことが何なのかわかりませんでした。
ただ、リトル・ペブルさんも天の方々もみんなゆっくりと十字を切っているんじゃないかという
インスピレーションが私の心の中に与えられました。


8月7日(土曜日)
私はこの日また違ったタイプのローキューションを受けました。
見えない後輩に電話をかけたときのことです。
彼女が非常に落ち込んでいて『先生にきつく言われたから歌えない」と私に訴えてきました。
私はどうしたらいいのかわからず、マリア様に助けてくださいと心の中で祈りながら彼女の話を聴いていました。
そして私は自分の弱さがある事を話し、「答えがうまくできないの。でも、送りたいものがあるから読んでみてほしいの」と彼女に言いました。
その言葉を確認するかのように一言、胸の中から「箱舟」と聴こえました。
 女性の声です。
胸の中から声を聴いたのはこれがはじめてでした。
はっきりとした調子で聴こえました。

いろいろなタイプのローキューションがあります。
耳で聴いたり夢の中であったり。
今回は胸の中に響く声で聴きました。
 そのあと彼女にはすぐメールマガジンを送りました。
未信者に送った最初の人です。
この日から悪魔の笑い声が聞こえ始め、アタックを受けるようになりました。
ジャン・マリー神父(当時助祭)とコルベ・マリーと初めて会った日の夜からこのことがおきはじめました。


8月8日(日曜日)
真夜中2時ごろ、眼が覚めました。
眠れずにいたら笑い声が聴こえました。
悪魔のアタックです。
甲高くはっきりときこえました。

前日にジャン・マリー助祭とコルベ・マリー氏の二人に会ってジャン・マリー助祭から皇室を用いて神様が日本を大改心させる」という話があったことを思い出していました。
2時20分ごろです。
マリア様と静かにお話をしていました。
そうしたら皇室の女性のことで「3人」と言う言葉と「カトリック」と「ミッション」という三つの言葉を聴きました。
当時、勘違いもあって3人の皇室の女性が誰であるのかはっきりしていませんでした。
ただ、美智子皇后様と皇太子妃がカトリックの信者なのかなという思いでした。
今は3人の方については明らかに知らされています。
皇后様が聖心女学院を出られたこと。
雅子皇太子妃が双葉学園の出であること。
そして内面的にカトリックの信仰を持っていらっしゃるかたが紀宮様。
この3人です。


私はこの点に注目しています。
7日の日にジャン・マリー助祭とコルベ・マリーの二人に会った日から悪魔のアタックを受けはじめたこと。それから皇室に関する重要なローキューションがあったことです。


8月十日(火曜日)
7日の晩から両親の迫害が始まり、8日には母から「シャーベル修道会に行ったら?そこでお世話してくれるよ」といわれました。
翌日、父が「生きている間に修道会へ行ってくれ。」と言いました。
その日、母から顔面を平手打ちされています。
けれど、ジャン・マリー助祭とコルベ・マリー氏からは「経済力のあるシスター志願者が現れて、その人たちとチームを組んで修道院に住める状況になるまでは家で証を立てるように」と7日に言われ、9日には同様のメールを貰っています。
私は窮地に追い込まれました。
にっちもさっちも行かない状況のなかで、天が励まし、平安と慰めを伴う夢をくれました。
体の痛みも日に日に増してきました。

今日の朝、平安を伴う夢を見ました。
眼が覚めたとき印を求めました。
印があったかは覚えていません。
マリア様に祈りました。
夢の事を思い巡らしていて希望を下さるものであることがあとになって知らされました。
誰かと会話をしているときに「あなたシスターになるの?」と聞かれる夢を見ました。
私は「なりたい」と言っていました。

すでに以前行っていたカトリック西千葉教会の知り合いで、男性信徒と女性信徒から「このミッションと関わりを持たないように」とメールでいわれるというカトリック信者からのよくない働きかけも始まっていました。
本当に私は窮地に追い込まれました。


8月11日(水曜日)
悪魔のアタックも日を追って増えてきました。
喉の違和感、喉の神経が乱されて食べ物がうまく飲み込めない、咳き込むといった状態が起きています。
また、有体・離脱(ゆうたいりだつ)のような感覚を起こさせる危険なアタックもあります。
アッセンブリー教会の悪い影響からくるアタックです。
 カトリックで言われるバイロケーションや脱魂はまったくこれとは違います。
耳鳴りもあります。
右耳の耳鳴りはアッセンブリー教会に行っていたときにひどくなりました。
気になって検査をして見ましたが、特に異常はありませんでした。
悪魔からのアタックです。
家に連れ戻された101日間、両方の耳鳴りがひどくなりました。


8月12日(木曜日)
夜中に苦しさのあまり、眼が覚めました。
悪魔からのアタックで、空耳なのですが、友達の声が聞こえました。
何を言っているのか判らなかったです。
眼が覚めたと同時に「主よ、哀れんでください」と祈っていました。


8月13日(金曜日)
2時間ほど寝てしまったあと、夕方5時半過ぎです。
右の腰の後ろからまっすぐ前へ、つまりおなかのほうに痛みを感じました。
息が吸えない状態で、何かと思い、「この苦痛が主の御旨であれば尾ささげします」と祈りました。
毎日の痛みのなかでイエズス様の十字架の痛みは比べものにならないほどの痛みなのだと思わされています。
実際、家族といるときに痛みが来て、午前中など、暑さと痛みで汗が出ます。
その時点での体の状態です。
これから痛みのために汗をかくのが日常的になっていきます。

その晩、超自然的な喜びを体験しました。
両親といろいろなことがあって母が私の弱さを指摘しました。
こういうときには今までは私の顔が暗くなっていたのに、今度は逆になって私の奥底から何かが
沸きあがり、頬が上に上がり、笑みを出したのです。
でも、母がにやにやしていると捕らえ、ますます笑みがこぼれてしまったら「侮辱してるのか」と言って思いっきり叩かれました。


8月24日、25日
今年の8月に指導司祭との信頼関係をゆるがせようとする出来事が起こった後
14日にロンジン・マリーのところでミサに預かっていたときに背中のほうから体の前にかけて暖かく包まれるような体験がありました。
昨年【2004年】の8月24日と25日はこの出来事と類似するような体験が起きています。

8月24日(火曜日)
午前中です。
朝から体の具合が悪く、作業所に行ったのですが、やく2時間も居られず帰ってきました。
パソコン教室のインストラクターをしていましたが、途中胃が調子が悪くなり増した。
血のけが引けて行くようだったので、そばにいた人に顔色を見てもらったら青ざめていました。
は早びきして帰ったのですが、駐車場から出た車のしたにしろ杖が乗ってしまい、曲がってしまったのです。
そのまま私はゆっくりと帰りました。

バスのなかでめでたしの祈りをしました。
心の落ち着きを願っていました。
私は心の傷のため、罪責感に陥りやすい状態にあります。
そのときも人を裁いたのかなと思っていました。

家に帰ってどうにもならなかったので、しばらく寝ました。
3時過ぎに起きました。
大天使聖ミカエルの祈りをしてようやく落ち着いてきました。
そのときです。
強烈な叫び声を聴いたのです。
印を求められないほどの怖さを感じました。

翌25日明け方5時前だったでしょうか、ロザリオを握ったまま横になっていたら後ろから誰かが包んでくれているような不思議な感覚がありました。
背中のほうから胸にかけて暖かい手のような感じです。
眼が覚めたあとマリア様にお話していたら平安を感じました。
包んでくれただけでなく、胸のほうに傷を癒してくれるようなものすごい幸福感をそのときに感じました。
マリアさまの手なのかなと思いました。

朝ごはんを食べたとき、胃のほうになんとなく違和感を覚えて2回へ行きました。
横になっていたとき「この日、無事に過ごせるのか」
「昨日早く帰ったことで隣人に何か言われるのでは」という恐怖感に教われました。
私はそのままの状態で祈りました。
そうしたら「今は困難に見える状況下も知れないけれど、神様の手の中ではすべて良いんですよね。
うまくいってますね。だからこれからも悪いことおきないですね」という祈りに発展していきました。
自分では出せなかった祈りです。
希望の祈りに発展し始めた最初の出来事になりました。

この時機のローキューション
一言のローキューションで、私的なものが多いです。
けれど、悪魔のものも入ってきました。


8月30日(月曜日)
この日、悪魔からのローキューションで「死んで!」という一言が聞こえました。
この声は響き渡っていて声の高さは女性のようです。
強烈で恐怖感に教われました。
悪魔のアタックによる笑い声は8月7日の晩から始まって24日には午後3時50分過ぎ、大天使聖ミカエルの祈りをして落ち着いたと思ったら叫び声が聴こえ増した。
1週間ちょっとして今度はたった一言ですが、「死んで!」というはっきりとした調子で聴こえたのです。


9月一日(水曜日)
朝、バスを待っていました。
風が強いなかで待っていて、心のなかで不安ながらいろいろと思い巡らしていたら胸の中で「希望」という声を聴きました。
とってもはっきりとして居ました。
男性の声だったか女性だったか覚えていません。
でも、8月7日に聴いた胸の中で響き渡るような声だったのを覚えています。
この「希望」という言葉を聞いた後なんともいえないすっきりした心になりました。

耳にはっきりと聴こえるローキューションとは違いひらめきのような内的語らいを1度経験しています


9月三日(金曜日)
箱舟の聖母を読んでいたとき「バー」と言う言葉が出てきたところがありました。
初期のバックナンバーのものです。
私はそのとき、内的語らいを聞きました。
ひらめきと言った感じのもので「バーコード」という言葉です。


9月四日(土曜日)
この日、胃の調子が悪くなり、苦しみました。
8月24日にもそうだったのですが、おなかが大変冷えていました。
午前中に薬を飲んだあと急に胃の痛みがきたので2回へ上がって休みました。
苦しむ状態が続きまた不安を抱きました。
自然と涙して何かを感じて泣かずには居られなかったです。
苦しみを熱望するとはいえ、この状態が続くので辛く、涙していました。
そのとき、言葉にはいえないやさしさに包まれて苦しみが取り去られるのを感じたのです。 
私はこのとき祈りが変えられました。
「小癲癇もあり、苦しいことが多いけれど、神様どうか所有してください。あなたのものにしてください」という祈りです。
まったく自分ではこのような祈りをしたことはありませんでした。
マリア様の愛の働きかけが25日に始まってこのときに感じたのが2度目です。
話が前後して、今年のことですが指導司祭トの信頼関係を揺らがされる出来事を経験した後、励まし、慰めてくれるように体を包んでくれたのがやはりマリア様でした。
何か悪魔のアタックが強くあり、私の心の傷と合わさって困難な状態に陥るとき、マリア様が愛撫してくれるのです。
細やかでお母様らしく接してくださるマリア様の優しさ。
私の恐怖感を和らげてくれて悪魔の攻撃に対していつも励ましを下さるマリア様の介入を経験し、今になってこの恵みの深さになんて感謝したらいいかわかりません。
苦しむけれど、希望へと向かわせてくれるマリア様の恩寵に感謝せずには居られません。


9月7日(火曜日)

ロザリオ1連を唱えていたら睡魔に襲われました。
この日、ラップ音という悪魔のアタックが始まりました。

この日にはいくつかメールで報告しています。
ストレスからくると思われる一瞬記憶が飛ぶ上体になっていること。
小癲癇の状態に悪魔のアタックがあると思います。

それからこれは独特なもので、においに関することを書いています。
リトル・ペブルさんの確認をお願いしたところ取れています。
誰もいないのに清潔な修道服の匂いが私の目の前でして居たのです。
印を求めています。

このことに対して、リトル・ペブルさんが「あなたの良い霊魂の状態です。」という回答をしてくださっています。
天からのもので意味のあるメッセージであるという内容でした。

以前、匂いに関して、1995年ごろ、サンダミアーノの出現を信じていたとき、自分の部屋でバラの香りがしていました。
毎晩神秘的な香りがしていました。
それから今回のこの修道服から来る清潔な匂い。
良い匂いを経験しています。


体調に出てくる悪魔のアタック
体のだるさ、睡魔、頭痛、胃の調子が悪くなる。一瞬記憶が飛ぶ。

ビジョンに関して、悪魔のアタックがあったのは9月十日が初めてになります。


9月十日(金曜日)
昨夜悪夢を見ました。
私は視覚障害があって生まれつき物を見るという経験はありません。
けれど、今回起こった夢のなかで視覚という感覚に悪魔が働いてビジョンを見させるということをしました。

私は小さい子がピアノを片手で弾いているのを見ました。
その子は私のほうへ来て、両手で引く困難な曲も難なく片手で弾いて見せました。
私は驚いてしまって両手の引き方をその子に話しました。
けれど、その子は絶対片手で弾くことを変えませんでした。

夢の続きです、
生まれて初めてもやもやした太った小さいものを見ました。
なんともそれが気持ち悪くて悪魔なのか表現が出来ない形をしていました。
悪魔が健常者と同じように「見せる」という形でビジョンのアタックをかけてきたのはこれが初めてです。

先ほどラップ音という悪魔のアタックがあったことを書きました。
これはバちっという音で周りの人には聴こえていません。
それからミサ中司祭の説教が聴こえなくなるというアタックもあとになって受けることになります。
そのときは両耳がふさがれる状態に感じます。


痛みに関して9月から増してきています。
天からの物で在ろうとしたからのもので在ろうとこの痛みに関しては全部識別はしないで受け入れて
苦しみを進んで受け入れるように「もっとください(小さい子が言うようにもっとちょぉ)と痛みがきた瞬間に私は祈り願っています。



起きているときに見たビジョンと夢の中で見たビジョン

7月19日には夢の中でのビジョンを書きました。
この後9月12日になって起きているときにビジョンを見るという体験をしています。

9月12日(日曜日)
午後バスを待っていたときにリトル・ペブルさんと教皇冠を見て居ます。
私はマニフィカトという音楽を聴きながらバスを待っていました。
音楽の荘厳さの中で今までにない体験をしました。
神秘的な体験です。
リトル・ペブルさんが教皇であるというのが言葉ではなく神様の注付という形で私の心の中に埋め込まれました。
そのとき、背の高いキラキラと輝く冠があってリトル・ペブルさんの頭に載せられるのを私は見たのです。


9月15日から5ヶ月間はまったくビジョンもローキューションもなくなり、痛みだけになりました。
痛みだけが一番安全なのです。
先ほども言ったように識別をいちいちする必要はありませんから。
その反面、ビジョンとローキューションは大変慎重に識別しないと危険を孕み痛みに関して
9月ごろから痛みが強くなってきています。
霊的読書をしているときや祈りをしているときに体の痛み、手や足の激痛が起きています。
5ヶ月間修道会にきて過ごした時、毎日痛みが深まっていきました。
汗をかくほどの激しい痛みを体に受けるようになって歩けなくなるほどになりました。
今年、ポータブルトイレや車椅子を買いました。
5ヶ月間は指導司祭の下で痛みを受け入れる環境づくりがしっかりなされました。
私が十分に痛み、苦しめるように司祭のケアーがあり、受け皿を作ってイエズス様の受難の黙想が出来るように本を読んでくれたりトイレや旅行に備えて車椅子の準備もしてくれました。
神秘家1本でまったく危険のない、識別のいらない5ヶ月をすごしました。
理解のある司祭の基ですごすことが出来たのです。
それからプログラムはまったくなく自由の生活を送ることが出来ました。
今年の2月から101日間、家に連れ戻されたときにはこれとはまったく反対で環境がよくありませんでした。
先ず、痛みに関しての周りの無理解と私が痛み苦しんでいるのに無理解の故、放任するという状態でした。
日を王ごとに神様が痛みを免除されました。
だんだん痛みが少なくなり、昼間普通に起きる状態になっていきました。
けれど、5月27日以来また自由に痛み、苦しめる環境に戻ることが出来てから101日間の間に少なくなった痛みがまた強くなっていきました。
それに加えビジョンとローキューションが始まりました。
6月11日秋田県横手市に旅行してから長い文章としてのローキューションを受けるようになりました。
これが初めてです。
今までは一言の言葉だけでしたが、この日以来、ローキューションの長さがだんだん長くなってきて
いま現在に至っています。


--------------------------------
2005年5月27日
マリー・マドレーヌに与えられたメッセージ
東京から名古屋への道中、愛知県刈谷市にて
--------------------------------


午前、東京から名古屋への道中、胸の中に熱い燃える炎がずっとありました。また、体じゅうに痛みがあります。

午後6時頃、ジャン・マリー神父のミサ中、聖体拝領後、ビジョンがありました。目の前でミサをたてているジャン・マリー神父とは別に、自分の右手の方向にもう一人のジャン・マリー神父が見えました。しるしを求めると、しるしが与えられました。

午後10時頃、誰かはわかりませんが、とても優しく、したしげな声で、「あなたはマグダラのマリアです。彼女が皆から誹謗中傷されたように、これからあなたは皆から、世間から『ふしだらな女』と言われますよ」というローキューションがありました。


5月27日からの神秘的体験を記します。
((ジャン・マリー司祭の記録から))

5月27日からの「ベネディクション」
心が温かくなる。

5月31日ごろから「ベネディクション」の時、聖体による祝福時、「父とこと聖霊」のところで上から流れてくる雲に覆われる。(私は雲を見たことがない)
そのあとから御聖体に対する愛がわきあがってくる。(毎回)。

5月31日(火曜日)
第2ミサ PM12時(ミサのはじめローキューション)
「神の栄光を見よ」
やさしく権威ある男性の声。聖体拝領、ホスチアのみなのにウエファスの味に加えてワインの味がした。
聖ヨゼフが見せたヴィジョンだと思う。
「ベネディクション」の始め、「コールヨゼフ、プリッシムム」のとき、ジャン・マリーが裁断の前で動いているのを幻視した(しるしを求めたが何もなし)。

6月四日(土曜日)
聖変化式のあと、激しい脱力。後に「オムニスホーノルエットグローリア」で頭の神秘的痛みが激しかった。
第1ミサ後、聖櫃の前でとんとんとノックして、泣きながら平伏したとき「喜びなさい」とイエズスからのローキューションがある。

6月8日(水曜日)
第2ミサの時に「コームニカンテス」のとき。聖ヨゼフの名のとき、すごい喜びがきて、、しるしが先ずきて、次に百合のものすごい香りがした。

6月9日(木曜日)
ずうっと厚くて、厚くて、心には静けさがあった。
祈ってたときに煉獄かなと思って煉獄の霊魂が来たときには恐れがないことを思い出した。
そしたらやっぱり誰かがいて、名前は尋ねなかった。
下にずっと下りていって、奥底から喜びが沸いてきて、また降りていって今度は寒くなった。
 夜中の12時半過ぎから頭の前、手首、手の甲、手のひら、足の甲、足の裏、両肩に激痛が来る。
そのたびに丹念に「もっとちょー。穴あけてちょー。」と申し上げていました。
五日前の東京の集会のミサ中に初めて味わい、そして翌日の大阪の集会のミサ中にも同様に味わった
目の前が暗くなり、下に沈み落ちていく漢字に近いが、もっとゆっくり下がっていく感じで眼に感じる明るさの変化もない、沈み落ちていく感覚が起こった。
部屋はクーラーで寒いほどに冷えていたのに汗をかくほど厚く布団もみなはずしてしまった。
 非常にすぐそばに誰かがいることが感じられたが、名前は聞かなかった。
痛みと暑さが夜中の2時過ぎまで続いた。
奥底からの喜びが心にわいて来た。
ずっとそばにいただれかさんはそのときにいなくなった。
 引き続き、またゆっくりと沈み落ちていく感覚がきた。
今度は寒さがひどかった。
痛みも激しかった。
そのまま眠りに落ちてしまった。
夜じゅう、ずっと煉獄の霊魂を愛しました。
魂が救われるってこういうことなのかと初めて体験し、自分のことのように喜びました。

6月9日(木曜日)
ミサのとき、聖変化の時、2回茨の冠を押しかぶされる感じがした。
ベネディクションのとき、バラの強い香りがした。
全身、特に頭の痛みが猛烈で、時々吐き気もあった。
厚かったり寒かったりがあった。
頭の痛みで泣いてしまった。
しかし「もっとチョー」「穴あけてちょー」を忠実に申し上げていた。


6月十日(金曜日)
AM3時半前に左手の甲に痛みがきて始まった。
下に沈み落ちる感覚が来て寒さが同時に感じられた。
そして、沈み落ちるときに聖ヨゼフに祈って導きを求めた。
沈み落ちていくときに平安が着て、煉獄の霊魂のための償いである事がわかった。
 しばらくして私の目の前に一人の女性がいた。
その霊魂はとても美しいのに何か訴えかけてくる悲しみを覚えて「どうしたのですか?」と聞いたらたった一言「堕胎」という答えが返ってきた。
その女性は名前を明らかにしなかった。
 まだ沈み落ちていく感覚があるのと目の前が大変暗かったので、ファチマの射祷を唱えた。
しばらくしたらその女性はいなくなって私の心が大変軽くなり、そして平安が与えられた。
一番最後に霊魂の救いに対する喜びがまた新たにされた。

6月十日深夜
PM11時25分、聖ヨゼフへのノベナが始まると体の暑さを感じた。
沈み落ちていく感じもあった。
「キリエ」にさしかかるころ、女性の声が聞こえた。
何を言っているかもわからなかったし、印も求めなかった。

6月11日(土曜日)
ミサ中に新しい心が与えられる感じがした。
目の前に輪っかのよう名ものがあって、それが透き通るような感じに見えた。
「ベネディクション」で、(アドレームス)のところで、本当に崇敬したい望みと喜びが沸きあがってきて、そのときに印が雨のように降ってきて、私の右の傍らにイエズスがおられた。
またそれで喜びが湧き上がってきて、感謝と讃美に満ちた。
(新しい心が与えられる感じ)の説明
「何か今までと違うよ」というインスピレーション、心が何かがはめ込まれるような眼に焼きつくような映像はガラスのようにものすごく透き通っていて、円盤状のもの。
光っているのではなくて、透き通っているもの。

AM2時半過ぎ、沈み落ちる感覚が始まった。
暑さを感じ布団をはいでしまう。
しばらくして平安が着て、煉獄の霊魂のための償いであることがわかった。
そのあと、バラの香りが3回あって、そのたびごとに印を求めた。
印があった。
マリア様がいらした。
静けさと聖なる空気を感じて、厳かな雰囲気が感じられて、聖母の穢れなき御心がヴィジョンで示された。
圧倒されて『お母様』と言ったらもう1度心に静けさと寄与眼を感じた。
「どうぞ、お話ください」と申し上げた。
そうしたら「恐れないで。」しばらくしてからまた『祈りなさい」とすごく透き通っててやさしい声でゆっくりとおっしゃった。
声が遠かったので「もう1度教えてください」といったら繰り返してくれた。
(聖母の穢れなき御心のヴィジョンの説明)
 先ず、ハートが見えた。
ハートのまん中に上から下にむかって矢が突き刺さっていた。
ハートの脇にバラの花だけがあった。
茎も葉っぱもまったくありません。
 私は物を見たことがまったくありません。
色については説明できません。

このように神秘的体験が発展していった。

話をもとに戻そう。
 2004年8月七日、ジャン・マリーとコルベ・マリーの二人がわざわざ千葉まできてくれて、初めて会って話をしたの。
このときにはまたシスターになりたい憧れも出ていたからいろいろ話したよ。
そう、コルベ・マリーに初めて会った印象はというとね、「この人は修道士なんだよね。本当に静かな人だな」って私はおもったの。
「こんな修道士(ブラザーって言うんだけど)は今までみたことない。すっごく静かで控えめな男性はすごい!」って私は本気で思ったんだ。
そうしたらね、今はまったくその見方ではなくなっちゃった。
もうこの修道会に入ったらみんな笑いっぱなし。
こんな歌もできちゃったくらい。
       むかち、むかち、マリー・マドレーヌは、助けたジャン・マリーニ連れられて、シャーベル会にきてみれば、絵にもかけないあほらしさ!
この歌ね、なんと「浦島太郎」の歌を替え歌にしちゃったものなんだけど・・・。
ちょっと字余りで歌いにくいかな?
めっちゃ笑いっぱなしで苦しいことがあっても「何が在っても笑えるね」っていう言葉を毎日言ってる素敵な仲間に出会えたんだ。
よくよく一緒にすごしてたらみんなそれぞれに大変な問題を抱えてるのに、私は本当にびっくりしたほど、みんなは何でこんなに明るく笑い合えるのかなって思うことたくさんあったなぁ。

そう、私はね、イエズスからこんなこと言われたんだ。
「何があっても喜びによろこびなさい」って。
「体の具合の悪さも『すべて良い物』として捧げるように』って。
これがね、私にとって、一番弱いところでね、具合が悪くなると、どうしても弱音を吐いちゃって、自分の弱さをものすごくそこで見せ付けられるんだ。
体の具合の悪い事がいいものとして受け入れられないんだね。


リトル・ペブルさんに奉献
私、リトル・ペブルさんが書いた『最後の教皇』という本のことが心にひっかかって、いつか寄付できたらいいなって思ってた。
それで、9月8日(聖母マリア様の誕生日)のその日に私はおもいきって寄付をしたんだ。
自分のお金でしたんだけど、この日の夜、大変なことが起きた。
「1週間、考えて、彼らとの付き合いをやめなければ家からだす」と言われた。
でも、私はぜんぜん気持ちを変えないで、メールし続けたの。
結局9月15日(悲しみの聖母の祝日)に一人で名古屋まで新幹線に乗っていったの。
もちろん、助けを求めて。
それ以降3人で生活することが始まったんだ。
3人で過ごし始めた最初のころ、体に痛みを感じることだけだったから、とっても安全だったの。
ジャン・マリー司祭が「体に痛みを感じたらすかさず『もっとちょ!』って言え」って私に教えたんだ。
本当に見えない聖痕についてリトル・ペブルさんから識別をいただいていたから、どんどん痛みは強くなって行ったよ。
8月七日にジャン・マリーとコルベ・マリーの二人に会ってからその晩にすぐ悪魔による攻撃を受け始めたんだ。
笑い声がしたの。
それと、不思議な体験はこの日をさかいに増えていったんだ。
何日かして、ローキューションもあったの。
それは皇室のことに関わる事柄で、このローキューションは『カトリックと、』『3人』と『ミッション』という三つの言葉だけだったんだ。
これからの事を知る一つのきっかけになった。
3人の女性の方(美智子皇后陛下と、雅子妃殿下、そしてさや子さま、この3人が重要な人物だということがあとで司祭から聞いてよくわかったんだ。
カトリックに行っている女性が何で皇室に多いのかなって私、その時に思っててね、その時にこの言葉が聞こえたから、びっくりしちゃった。


イエズスが生贄として私を望まれた!
初めての幻視
そう、私に最初のビジョンが刈谷の家出在ったのは昨年1月七日(初金)だった。
それはこういうものなんだ。
ジャン・マリー司祭がリトル・ペブルさんへ送った手紙より
2005年1月7日 初金曜日 PM12:30

2つの輝く指輪が見えました。そのひとつは次第にクローズアップされてきました。(彼女には結婚指輪のように思えたそうです)


眼を覚まして司祭に話したよ。
あとで判ったことは大きいのは一人の女性のもので、小さいのは私のだった。

そして、私の指輪については『イエズスとの神秘的結婚を意味するものだと思います』というリトル・ペブルさんからのお返事を貰ってびっくりしちゃった。
まだ、ビジョンとかローキューションって人に対してのメッセージなんだってはっきり理解できてなかった私はびっくりして、初めて気持ちが動揺したのを覚えてる。
うらやましさとか、妬みの心が沸き起こるのに私は気がついてね、自分の心のなんと醜いかということをこの時になって嫌と言うほど知らされちゃったんだ。
エバの罪を持つ女性の存在が本当に自分そのものであると痛いほど認識させられたときだった。
妬む心が自分にあったんだなんて認めるのに本当に時間がかかった。


「執着からの離脱」
私、このことを知る前、司祭から「傲慢」について耳が痛いほど、指摘されたんだ。
特に音楽をしていた私に対して「芸術は人を完全に幸せにはできないよ」って司祭が言ったの。
一瞬の喜びとか慰めをもらえるかも知れないけれど、芸術家は感覚的な人が多くて、「全て「感じる」という事に価値を置いてるという話をしたんだ。
判断においても「好き、嫌い」で物事を片付ける傾向を持ってるのが芸術家なんだと言われて私、唖然としちゃった。
前の教会でもある人が予言の賜物を用いて「あなたは歌を歌うことで傲慢になってる。悔い改めなさい」って私に言って、大変なショックを受けたんだ。
家へ帰ったらもう激しく泣かされちゃった。
こんな出来事が在って、傷が深くなっていた私はもう歌うことが嫌になってどんどん歌を人に聞かせるという思いが剥ぎ取られていった。
そして、リトル・ペブルさんの事で、信仰を守るため、決意して家を出てから、司祭とコルベ・マリーの3人で暮らすようになったので、嬉しさでいっぱいだった。
けれど、私にとって「音楽」に対する執着はなかなか捨てられなかった。
まず、自分がぜったい音感があるって小さい頃から言われて、その才能を見込まれてピアノを習っていったんだけど、この与えられたものは全部神様が一方的にくれたものであったということをまたここにきて知らされたんだ。
私は自分の歌が「人に聴いてもらうための歌」ではなくって「修道者が神に向かって祈るために歌う」という事に切り替えるために、しばらくミサでは歌わないという決心をしたんだ。
司祭に執着を捨てるようにする一つの方法として「祈ることが第1になるまでは歌わない」って言われたんだ。
それと合わさって女性の持つ「傲慢」をまたいやと言うほど知らされて、私は苦しんだ。
でも、従順するということを教えられて、黙って自分の内面を変えていくしかなかった。
自分という醜い存在・・・。歌を歌ってたものにとって、人から見下げられるというのは非常に耐えられないように感じたんだ。
でも、この試練をくぐらなければ今の私はなかった。
エバの持つ罪・・・。
人とすぐ比較する私。
そして、陰口をいつも言ってしまう。
人の善をすぐに認めない悪い私。
あげればきりがないほど、私は腐っていて、どこも誇れるところはないのに、ちょっと良いことを経験したりすると、それで優越感に浸っちゃうんだ。
そして、自分を認めてほしい、そんな欲に心が満ちてしまう。
こんなこともある。
なにかとプレッシャーに弱いんだ。
死を迎えるまで、書けるだけ書いていく仕事が在るのに、なかなか手につかないできれいに書かなきゃとか、みんなに判るように順番を整えなきゃといったことを考えてしまって。
だから、「大人」としての私を意識してしまう。天が望まれる「幼子」になる道を歩くのに今でもいっぱい失敗しながら転んだり、怪我したりしながら進んでる。
この指輪に関して私は『イエズスとの神秘的婚姻を意味していると思いますよ』というリトル・ペブルさんからのお返事を貰ったときに、何がなんだかわからなかった。
司祭は私に「シスターにならない」ってこのときにはもう言ってたと思うの。
なのに、イエズスとの神秘的結婚?よく判らなかったんだ。
そうしているうちに「死ぬことによって神秘的結婚が完成されるよ」って司祭が言いだしたの。
そして、イエズスのためなら、またリトル・ペブルさんのためなら死ぬ覚悟を持つようにっていうことも言われ始めたんだ。
いまでもこの言葉は代わらずミサのときに確認するんだよ。
リトル・ペブルさんのために殉教っていうこともみんなに言ってる。


家に連れ戻される
2005年2月、ジャン・マリーと、コルベ・マリーは、奄美大島へ宣教旅行に出かけて、三日間家を留守にしたんだ。私はジャン・マリーたちが用意してくれた食べ物を自分で温めて食べたりしていたの。そうしたらなんと、以前住んでいた千葉の家族から電話がひっきりなしにかかってくるようになったの。私はとっても不安になりだしちゃった。
何度もかかってくる電話で、私は不安のレベルが増していた。電話に1どでたこともあったけれど、名古屋のロンジン・マリーがかけてきてくれたときにはほっとして電話にでたんだ。
でも、そのあとから電話は激しくなっていった。私はひっしで出ないようにしていたら、2がつ15日の午後、数名と両親が着て、私を家から出して千葉へ連れ戻したんだ。
昔から母親にはさからえなかった私はある一言を聞いて鍵を開けちゃったんだ。
自分から空けちゃったから、もうそのあとは外へでてしまった!!荷物も置いてパジャマ姿で出ちゃった。私は「帰りたい!」と何度も叫んだけど、誰も何もしないで私はそのまま車に乗った。それから、約3ヶ月ほどの大試練に合ったの。
そのあと、私がいなくなったのをジャン・マリーと、コルベ・マリーが知って、私に連絡を取ったんだけど、ぜんぜん話をさせてくれなかった。私は本当にショックで今までリトル・ペブルさんを愛し、信じていたのに、この後から人格がまるで全く別人のように変わってしまって、とんでもない不信仰を言い出したんだ。
 2月19日の夜、雨の日で寒かった。
、わたしの名前を呼ぶ声が聴こえて、私は家を走って飛び出した。そうしたらもみ合いになって、大騒ぎになった。近所の人も出てくるぐらい。私はひっしに帰りたいと言ったのに、ぜんぜん助けてもらえなかった。そうしているうちに話し合いで事を収めようという動きになって、私は見えない聖痕があることを医者に見せて、意思の診断をしてもらうことに同意するよう言われたんだ。
そして、病院へ行っていろいろ信仰のことを話していったんだ。3月の最初ごろまでは一生懸命リトル・ペブルさんのこと、シャーベル修道会の生活を思い起こしては話をしてた。
でも、はっきりと覚えていることがある。母親が眼が見えない人が入っていると言われている修道院へ行きたい、そして見たいといったのを私が確かめたときからだんだん自分の心が変わってきてしまったのを覚えてる。
それ以降、カトリックの地元の教会へ行こうという話がでて「もし、自分が神父さんに相談したい気持ちになったら友達に紹介してもらうから」と母親に言われ、私は行くことに決めちゃったんだ。
そうして、年配の司祭に会って、いろいろと聞いたよ。トリエントのミサのことはまだ頭にあったから、古いことをよく知っている神父さんだったら私が何を求めているか知ってもらえるかなと思って、心を開いて話したよ。
リトル・ペブルさんの名前も出して、私は洗礼を受けたことも言った。でも、教会に通いだして、あなたの洗礼は無効だと言われたんだ。
私はとっても心が同様しちゃった。私って今まで何を信じて生活したの?洗礼が無効?どうして」って思って本当にわたし鍵を開けなかったらこんな苦しみを負わないですんだのに・・・って思いになって、孤独感に襲われていった。
そうしてしばらく心の治療と言って、家にいてしばらく休んだりした。
以前、行っていた職場にもまた行き始めて4月からは教会に行くこともしたよ。でも、家ではパソコンが使えないから作業所で久々にネットを見たらとっても心が変わりだしたんだ。
だんだん気持ちが揺れだしたんだ。どうしてもリトル・ペブルさんのことが離れなかった私は、またそっとネットを見るようになって、いまどうしてるかなっていう思いで見たんだ。
このときに荷物も戻してもらって、もう刈谷の家には帰らないとまでいうようになって、弁護士に依頼して荷物を貰うこともした。
私、本当に信仰が変わってしまったんだ。
リトル・ペブルさんから教皇ヨハネパウロ2世は眠っているというメッセージがネットで載ってから私は本当に心が揺れた。私、リトル・ペブルさんを否んでいるんじゃないか。でも、もうどうしようもない。自分で鍵を開けたんだから・・・。って何度も何度も思って、自分の使命は終わってしまったんだとも思った。
 5月になって、カトリックの養理も点字で買って勉強を始めるちょうどその頃、またジャン・マリー司祭たちが私に会いにきてくれた。
 労働者聖ヨゼフの祝日の5月一日、この日は私、教会へ行って帰ってきたばっかりで、午後私の名前『マリー・マドレーヌ』って呼ぶ司祭の声が耳に入って、びっくりしちゃった!私、やっぱり罪を犯してる。今、会って誤りたい、そんな思いになって急いで外へ出たの。でも、もう誰もいなかった。
この日をさかいに私の心はだんだんリトル・ペブルさんの事を意識するようになっていった。でも、帰ることはしないと弁護士を通じて言ったことと本当の思いとがぶつかり始めて私は本当に苦しくなっていった。そう、教皇様のことが出たのはこの頃だった。私、リトル・ペブルさんのメッセージを職場の昼休みとかに読んでいたよ。
それに、職場に行っても以前のようには仕事はなくて、私は静かに過ごしてた。でも、何か自分の思いが自由に言えない感じがして、心の中には二つの人格があるようで、私は当惑してた。
それでも、職場の人や家族には『シャーベル会」の話をするたびに口あわせをするように悪いことしか言わないでいた。
ところが、自分の部屋に戻って一人でいると、ふっとわれに返ったようにまたみんなの事を思いめぐらしていたんだ。
私、本当にこの時をふりかえってみて、今まで信じてたことをひっくり返してよくも「信じない」って言っちゃうほど自分の心がめっちゃ汚くって、これほどの侮辱はないというほど、イエズス様の愛に対してまったくとんちんかんな事をしてたんだ。そう思う。
「来年洗礼を受けられるまで1年聖書の勉強会にいきます」って神父さんに言ったんだ物。
日曜日と水曜日は教会へ通えていたけれど、5月8日以降日曜日には行けなくなったかな。
火曜日に主任司祭の聖書勉強会があったから2度ほどかな、行ったけれど、だめだった。
そして、点字のカトリックの教えの本がようやく手元に届いたから、読み始めたんだけど、それをしたら今度はリトル・ペブルさんのことと、刈谷での生活が思い出されて「いつ連絡取れるかな」って思うようになっていった。


神様による奇跡
〜〜 無事にジャン・マリー司祭と会う〜〜


私がシャーベル会の信者であるということが教会に発覚して、役員の人が集まって会議をしたことを聞いたのは5月六日になってから。神父さんが来て私にもう2度と会わないように、そこには行かないようにって言われて、私は言われるままジャン・マリー司祭が書いた本と修道会の会則会憲を預けたんだ。
そうして、私の心の戦いはまた激しくなった。
慰めは唯一ネットを見て、シャーベル修道会のホームページを見て、情報を得る事で信仰を保とうとしてた。
ジャン・マリー司祭の声を聴いていらい、私の心の中にまたジャン・マリー司祭と名古屋のメンバーにも会いたい思いがわきあがってくるようになっていったの。
ついに私の心は一言ジャン・マリー司祭と話したいという思いになって日中一人になるときを待って連絡したんだ。
それは金曜日(5月20日)だった。一言声を聴いたら「もうごめんなさい」っていう言葉しか言えなくなっちゃった。そうしたらね、「なにが?大丈夫だよ」という司祭の声に私はびっくりしてもう泣いちゃった。
司祭が私の電話を受ける前、寝ていたときに不思議なことがあったという話しをしてくれた。私のローキューションを聴いたんだって。
何を話したのかは覚えていないって言ったの。眼が覚めてすぐに電話がなったから、取ったら私だったということを話してくれた。あぁ、神様は私を愛してくれたんだ。
私のこと、見捨てていないんだって思ったら本当に泣けちゃった。このとき久々に慰めを得たの。
少し話してすぐに電話を切ったんだ。
 1週間後、職場の帰りに全く鉢合わせでジャン・マリー司祭に会えたんだ。
私はまたここでも不思議な経験をしたんだ。
 前日、教会の祈りの勉強会に行って、年配の神父さんのところで一緒に詩篇の勉強をして、ミサにあずかったんだ。
この日のミサは、私、はっきり覚えているけど、イエズスの受難を黙想する意識が本当に強くって聖体拝領ができないままずうっとミサにあずかってて苦しくなっていたんだ。
この日に、私は「神の子羊」という祈りの場面にきたらもうどっと涙があふれて歌えなくなってしまった。
みんな、聖体拝領をするときになって、私はまだ身信者だから、受けられないという事で、祝福を司祭から受けるため、前に連れて行かれたんだけど、私はもうみんなの前で泣き出してしまった。
体の力も抜けてしまったので、何人かが私を支えて「大丈夫だから」って言ってくれたけれど、私は辛くって「神様、たすけて!」って心のなかで叫んでたんだ。
 この事があって、翌日は『イエズスの御聖体の大祝日』にあたっていて、朝方から私は左の頭が痛んでいた。その日、職場に行ったけれど、頭の痛みがあることを言って体調をみて仕事をするけれど、はやびきさせてくださいとお願いしたんだ。
お昼ごはんをすこし食べて、帰り支度をして、仕事場を後にしたんだ。
このとき、私はまっすぐ職員に連れられてバス停に行って、バスに乗ったんだ。職員と別れてすぐに私の後ろで「このバスは何分に発射するの?」という声がして私、びっくりしちゃった。
なんとそこにいたのはジャン・マリー司祭だったから。
私は急いでバスをおりたんだ。「非常に危険な状態で、もし見つかったら何があるかわからないって震えていた私に「いまからすることを言うよ。自分で考えてね」って落ち着いた態度でジャン・マリー司祭が話してくれたんだ。私は話を聴いて、このままジャン・マリー司祭と一緒に行くことを決めたんだ。
そうして、午後、ジャン・マリー司祭と養子縁組を東京の区役所でしたんだ。神様は大変な速さで、手続きを助けてくださった。そのあと、ホテルでこれから大きなすばらしい友情関係になるミシェル・マリー・フランソワ(奥田さん)と会って、夜を過ごして、翌日には久々にコルベ・マリーに会えたんだ。
車で移動中、ものすごい炎のようなものが私の胸にある体験をしたんだ。
リトル・ペブルさんにも後で手紙を書いているけれど、また神秘的な体験が始まったよ。
刈谷へ帰って夜に不思議なことがあったんだ。
女性の声で『あなたの名前はマグダラのマリアです。あなたは世間からふしだらな女といわれます』という声がしたんだ。
トイレに入っていたときだったよ。
あとで、ジャン・マリー司祭が言ったのには「たぶん、保護の聖人、マグダラのマリアかもしれないよ」だった。
わたしって、トイレでローキューションを受けたり、お風呂から上がって脱衣所のところで声を聴いたりとちょっと不思議なことを経験しているんだよ。

私はいま、思い出しながらこのことをかいている。
今年の4月30日に一つの出来事が起きたんだ。
イエズスが私の耳を聴こえなくするっていうメッセージを私にくれたんだ。
私を愛してくれている仲間の一人、ミシェル・マリー・フランソワの身代わりになって、私の聴力を失う代わりに彼の耳が完全に開かれるっていう約束を貰ったの。
そうしてね、今週この言葉を貰ってからいろいろと事が起き始めたんだ。
何度も何度も意識を失う発作に会うし、三日連続でこのことを経験してね、今日の夜には突然眼に光が入らなくなったの。
前に眼の検査をしたらもう蛍光灯の光を感じることがぜんぜんできなくなってて、私は光がそのときには照っていないのに「光を感じます」って言ったりとんちんかんの答えをしてたんだというの。
司祭に看護婦さんがその時に「ぜんぜん感じてませんよ。かわいそうに」って耳打ちしたんだって。
つい最近このことを私は聞いたの。
イエズスは『耳が聴こえなくなる』って言ったので、耳だけ聴こえなくなるんだなって私、思ってた。
でも、眼まで・・・。
光をまったく感じなくなっちゃった!!!
「目の前になにか動くような感じがする」って司祭にはなしたら
「それは脳が想像してるんだ」っていう答えをしたんだ。
いま、なんて言ったらいいんだろう。
「よろこべ。喜べ」って司祭に言われたけど、私は動揺して眼から涙がいっぱい出ちゃった!!!
夕食を食べていたときにもう眼の前が暗いんだ!!
いままで、聴こえること、光を感じることが当たり前の生活だったのに、「イエズスは『あなたが良いと思っていることを私はあなたから剥ぎ取った』ってメッセージで言ってたんだよね!!」
あぁ、なんという事を!!
本当に見えない、聴こえない人たちの苦しみ、私は一つたりとも判ってなかった!!!
「一緒にいてね!一人じゃいられないよ!」って司祭に泣きながら私、言っちゃった!!
これほどまでに弱い私はただみんなに身を任せるしかないんだよね。
「イエズスがしたいことなんだから何でもうけいれるように!」ってジャン・マリー司祭から私は言われてるよ。
私の眼が完全に光を失ったのは5月5日(初金)だった。
マリア様、1日1日と、イエズスの基に行く日が近づいているんだよね。
毎日いろんなこと起きるなかで、いつもイエズスの受難を黙想することはミサのときに意識してするように私は心がけているんだけど、光を眼に感じなくなった日から翌日、そして何日も体の力が抜けちゃってミサに十分あずかれていないように思う。
ものすごい眠気との戦いで、なんにも気力が沸かなくなっちゃって・・・。
耳も聴こえなくなる、眼も真っ暗。
そんな私は本当に何にもできないものになっちゃう。
「マリア様、ちっちゃい子だから、ちっちゃい子のように死なせて。お願いだよ」って私、最近のミサで祈ったの。
でも、イエズスは十字架につけられて「貼り付け」にされて何にもできなくなったし、人のまえでさらしものにされちゃったんだよね。
神さまであるイエズスが・・・。
私はこれから耳が聴こえない、メモ全く見えないという世界に飛び込んでいって、イエズスのそばで一緒に「何もできないちっちゃい子」として最後を迎えるんだね。
マリア様は最近「小さな子が追えるようにイエズスの十字架を担わせます」って言ってくれたんだ。
きょう「私何にもしません」って言うことを幼きイエズスの聖テレジアと言う24歳で亡くなった聖人が話していたと司祭から聞いたよ。
そしてね、私が体の具合が悪くて苦しんでたりしているときによく言われるんだけど、『イエズスのすることは何でも好き」って言っている幼きイエズスの聖テレジアのお話しもしてくれるんだ。
あぁ、マリア様、みんなお母さんに甘えるようにマリア様のところに走って行って甘えることできたらいいね。
そして、みんな「マリア様、大好き」ってマリア様に言えればいいのになぁ・・・。
私、メッセージを貰ったらすぐに書き起こすんだけどね、これがもう耳が聴こえなくなったらこの仕事できなくなるんだなぁって思ったの。
今までできてたことができなくなる寂しさ、またやりきれない思いは、聖痕を受けるというメッセージを貰って、生贄になってほしいといわれたときにそう思った。
イエズスがね、こんなこと言ったことがあるの。
「あなたは何もできなくなるジレンマを抱えている。私に信頼して全部身を任せなさい」って。
イエズスに対する府信頼がイエズスの心を侮辱することをこのときに学んだよ。
でも、私って何度も何度もイエズスを侮辱するような行動をしちゃってどうしようもないほどイエズスを痛めつけてるんだ。
ごめんなさい、大好きなイエズス。
あなたを離れては何にもできないのに、いろんなこと思って、あなたを悲しませてるよね。
特に人を信じないとか、ねたむとか、人の善を認めないとか・・・。
毎日、何度も繰り返される自分の弱さをイエズスは忍耐してくれている。
私には誇るところはいっさいないのに、何か在るとすぐ自分を持ち上げようとしちゃうんだ。
どこにも良いところ、ないよ。
自分は何かをすぐ誰かに言わないと心が落ち着かないところがあるんだ。
それに自分が頼んだらすぐに司祭を始、仲間はしてくれるけど、「これこれの事をやってね」って言われたら自分のしていたことを後回しにしてその人の望みをすぐに受け入れてすることって私に在ったかなってちょっと思った。
自分をごまかすこともよくしてしまう。
でも、ここにきてだいぶ自分の心の中を隠さないで司祭に話そうって思うから、悪いことでも自分の心の状態を素直に司祭に言うようにしている。
そうすると、自分に向き合えるんだ。
すぐわからないことや不安になったことを何でも話していくうちに、自分の心はいま何を求めているんだろうって知るんだ。
そして、自分はいまどこにいて、船の舳先がどこを向いているか司祭が教えてくれるから、危険から守られる。
マリア様、ありがとうね。
こんなに汚れきっていて、どうにもならないほど敗れている私を愛してマントで包んでくれる・・・。
ありがとうね、本当に。
人の悪口も、人がいないときべつの人に言ってしまう。
私には悪い癖、いっぱいあるよ。
自分に都合が悪くなると黙ったりしてた。
自分に弱さを見られて、指摘されるとぜんぜん自分の悪さを認めないんだ。
傲慢の塊なんだね。
自分には何もないですって言いながら『こんなに自分は良いんだ。っていうことを心の中で言ってたりしてる。
人とすぐ比べてしまう悪さを持ってる。
自分が認めてもらいたいから、そんなにして相手と比較しちゃうんだよね。
女性特有の『比較』、これは女性の存在が悪い方向に出る危険を持ってる。
人と比べて少しでも弱いところがあるとみたら、その人の弱さにたいして、陥れることするのが女性。
男性はそんなことしない。
比較する心を持ってないんだ。
いつかこんなこと思った。
女の醜さが私の心をしめてるんだったら、なんて哀れなんだろうって。
それほど、自分という存在を見るのに忍びなくなって苦しみしかなくなった時を過ごしたことがある。
それでも、神様、私を愛してくれて本当にありがとう。材料が一番最悪で、過去誰も見なかったほど、何もかも不足してる私をよくも愛してくれますね」っていま、本当に言えるほど、神様の愛は無限で、罪を許してくれるんだ。激しい試練もあるけれど、1歩1歩手を引いてくれる。
私は魂においては成長できないってこの間、司祭に言われた。愛着形成という人が生きるために一番必要な仮定をすっとばされて無理に『生長」』を要求され、大人になることをしていったもんだから、本当に情緒そのものに傷を負ってしまった。
イエズスは一番惨めな私を捉えてくださった。
 こんな話を司祭がしてくれた。あるスペインでの出来事。神父さんのところに貧しい女の子がいて、小さな子だった。その子に『愛するというのはね、一番大事にしてるものを神様にあげることなんだ。どっちが愛するのが多いか競争しよう』って言ったんだって。その女の子は、自分の一番好きなお人形しか持っていなくって、泣きながらイエズスの祭壇に捧げたんだって。
そうしたらじきにそのおんなのこは病気になって、神様のところに行っちゃったんだ。そのあと、神父さんはある共産主義者に殺されたという。
そういうお話を聴いて、私には一番大事なものを捧げるとすると、何ができるんかな。。そう今日の夜中、ミサで考えてた。
そう、私は韓国に旅行を先週したとき、一瞬命の危険を感じるような出来事に遭遇した。でも、無事に帰ることができた。
そのあとに自分の耳を聴こえなくするまでにイエズスが剥ぎ取るんだったら私はそれほど傲慢なんだから、そのようにしないといけないんだろうなって思うようになった。
だったら、全部、名誉も地位も、命までイエズスに捧げよう。そう考えていた。聖体拝領のとき、いろいろと過去の傷について、イエズス、マリア、ヨゼフにお話ししてた。とっても感覚的に来るものに苦しみを感じていたから、祈っていたら聖体を拝領してじきに涙が自然にこぼれてしまった。またイエズスの愛にひきつけられたんだ。



このように、だんだんローキューションが増えていって、7月には公的メッセージも受けるようになってきた。

ローキューションが1ヶ月ほど、なかったときがあって、大変苦しんだ。
神様はあるときまでは本当に母乳を与えて、守ってくれるんだ。
でも、だんだん霊魂を成長させて、硬い食物を食べれるようになるまで段階を踏ませるんだね。
『暗夜』が始まったときってびっくりしたよ。
自分にこんなに早く神様がやわらかいものを取り上げたんだから。




--------------------------------
マリー・マドレーヌの自叙伝 

--------------------------------

著 者 マリー・マドレーヌ杉浦律子

発行所 箱舟の聖母社
 〒012−0106
 秋田県湯沢市三梨町字清水小屋14
 電話・FAX: 0183−42−2762
 Eメール: charbeljapan@nifty.ne.jp
 



[ HOME ]
inserted by FC2 system