153本のマリアさまのバラ
(C)箱舟の聖母社


【 献 辞 】

この本をリトル・ペブルさんに献呈します。





【 序 文 】

 この本はマリア様のことをまったく何も知らない人のために書きました。しかし、まったく不思議なことに、マリア論の権威の神学者さえもが読むべき本に書きあがりました。

 マリア様のメッセージを正しく理解し、その本質をくみとることは、マリア様自身を知らなければ不可能です。それでマリア様のメッセージを読む人は、この本を読んで、理解するための基礎を身につけて下さい。そうしてはじめてそれらが可能になります。たとえあなたが何十年も天からのメッセージを読んでいても、マリア様に関する書物を多読してきていても、この本を読めば、自分がマリア様のことをほとんど知らなかったのだと気がつき、マリア様との関係を一から築きなおさなくてはと痛感するはずです。

 マリア様のことを初めて聞く人は、この本によって最初から正しい道を、マリア様と共に歩きはじめ、信仰の正しい土台をすえ、マリア様の大聖人への道を巨人のように進むことができます。この本はあなたのためだけではなく、あなたが救いたい人のためにも救霊の道具として役立てるべき本です。身近な人にプレゼントして渡すことで、マリア様のもとに多くの霊魂を連れていって下さい。





【 第1章 】

 今、死にゆく人の90%は地獄に行っています。地獄は永遠に出ることができません。絶対、地獄に行かないで下さい。罪にそまりきった生活を送っていることに気づいて下さい。

 例えば、週刊誌でヘア・ヌードを見るとします。少女マンガでSEXシーンを見るとします。それだけで霊魂はたいへん汚くなります。もう天国に行けません。天国に行くためには、罪から足を洗わなければなりません。それはとってもむずかしいことです。

 マリア様のたすけがあればできます。マリア様を信じ、マリア様を愛し、マリア様に望みをかけて下さい。マリア様はお母さんです。どんなに罪にそまっていても大丈夫です。どんなに、うみ、ただれ、汚れた子供でも、母親なら抱きしめるでしょう? 罪にそまりきった自分を、新しく生まれ変わらせてもらうのは、マリア様の胎によってです。

 自分のみじめさを、マリア様にうちあけ、「助けてください」と願ってください。それは「お祈り」といいます。毎日お祈りして下さい。お祈りの時間は、マリア様のお恵みの母乳を飲んでいるのです。何千回、もとの罪に舞い戻ってしまっても、決して絶望してはダメです。最後までマリア様にすがって罪と戦い続ければ、必ず天国に行きます。マリア様の胎は、イエズス様を育てた場所です。マリア様の母乳は、イエズス様を育てた栄養です。マリア様によって、イエズス様と似た者に生まれ変わり、天国へ行きます。

 イエズス様は、すべての人を救うために、身代わりとなって十字架をにないました。天国へ行くために、イエズス様と同じように、十字架をになわなければなりません。それは第一に、自分の罪との戦いをすることです。そして罪滅ぼしのために、すすんで苦しみを受け入れることです。

 ファチマでマリア様の御出現を受けた3人の子は、吹雪のように霊魂がたくさん地獄におちていくのを見ました。おそろしい光景でした。その後、死ぬまで、自発的にたくさんの苦しみを受け入れました。ロザリオの祈りもたくさんしました。霊魂が地獄に行かないようにと、それをマリア様にささげました。ヤシンタちゃんとフランシスコくんは、まもなく亡くなり、二人の体は、今も生きている時のままです。

 パパ様は、二人をこの5月13日(2000年)に、「福者」の位にあげます。ファチマでのマリア様のメッセージは、もう罪を犯さないように、つぐのい(償い)をするように、祈るようにと言っています。神様を信じないことは、大きな罪です。世界中に無神論を広めた張本人は、共産ロシアです。マリア様は、このロシアを「聖母のけがれなき御心」に奉献して欲しいとも言っています。



--------------------------------
【 第2章 】

 人は、天国に行くために生まれます。天国へ行くか行かないかは、個人の自由にまかされています。どうしたら天国へ行けるか、知っている人はわずかです。罪にそまっている霊魂は、天国での永遠の命を生きる資格を失って死んでいます。霊魂を清く生き返らせてくださるのはマリア様です。マリア様が一人一人の霊魂を、イエズス様の十字架のもとに生んで下さいます。

 各自は、イエズス様といっしょに、十字架をすすんでになうことによって天国へ行けます。イエズス様の流された血で洗われて、罪のゆるしを与えられて救われます。天国に入る前に、各自、罪ほろぼしを完全にすまします。それは生きている間に、自発的に苦しみをささげることによってです。つぐのい(償い)きれなかった分は、死んだ後、強制的に苦しみを受けることによってです。そこは煉獄と言い、神様の無限のあわれみによって救われた人々が、神様の完全な正義にたいして、罪のうめあわせの苦しみをささげています。

 ほとんどの人が、人生で何を頑張っていいのか理解していません。何よりも第一に頑張るべきことは、自分の罪と戦うことなのです。罪は霊魂を汚し、殺してしまうからです。例えば、妊娠中絶をしたり、させたり、医師から看護婦にいたるまで、かかわった人が犯した罪は、地獄にあたいする重さなのです。中絶するようにすすめたり、カンパしたりした人も含まれるのです。どうかほとんどの人が、このままでは地獄に行くことをわかって下さい。実際、今死ぬ人の90%が地獄に行っています。

 罪のおおもとは何かわかりますか? それはこの世の快楽と名誉を求める自愛心です。そこからプライド、残忍性、ねたみ、悪意、うそ、ぬすみ、ひきょう、にくしみ、計略、などの罪が生まれます。この世の快楽と名誉を求める自愛心を捨てない人は、神様も他人も愛せません。これを捨てない人は、他の罪も捨てられません。でもほとんどの人にとって、この世の快楽と名誉を求める自愛心が生活の原則です。天国からどれほどかけはなれているかわかるでしょう? 

 ですからマリア様にすがって決して絶望しないことが不可欠です。マリア様はすべての人の本当の母で、ご自分にすがって最後まで罪とたたかう人を決して見捨てません。まずマリア様を愛し、信頼し、望みをかけて下さい。そして話しかけて下さい。「私はみじめな罪人です。助けて下さい!」と。

 マリア様と話しながら、どうやって罪とたたかっていくか考えて下さい。あなたはマリア様に言葉で、心の中で話します。マリア様はインスピレーションを心の中に与え、実際の助けと力をくれます。これは「祈り」といいます。それはちょうど、マリア様が母乳を与えてくださることです。ですから毎日祈ってください。そうすればマリア様の胎内で、すこしずつかたちづくられ、あるいは恵みの母乳で強められ、たおれてころんで罪におちいった時も、傷をあらい、薬をぬってくださいます。マリア様はマントでつつんで守り、あたためてくださいます。

 ですから大丈夫です。どんなに今、罪にそまりきっていようとも、自分の罪深さをみとめ、罪とのたたかいを、マリア様とともにはじめ、死ぬまで絶望せずに続けるならば、地獄には決して行きません。


【 第3章 】

 この世のすべての人々が、近いうちにしるしをつけられます。「十字架のしるし」を受けるのは、マリア様に聞き従い十字架をすすんでになう人です。この人達は、イエズス様に救われて天国へ行きます。「666」の獣のしるしを受けるのは、それ以外の人です。ロード・マイトレーヤを神として受け入れ地獄に行く人です。

 電車のつり広告で、ロード・マイトレーヤとベンジャミン・クレームの名を見ませんでしたか? ロード・マイトレーヤは、悪魔の総大将ルシファーが人の姿をとったものです。ベンジャミン・クレームはその使徒です。

 マリア様は、人々が「666」の獣のしるしを受けないようにと世界中で訴えています。なぜなら、額、または右手にマイクロチップを埋め込むことが始まったからです。この世の快楽と名誉を求める自愛心を生活の原則にしていれば、このマイクロチップを受けます。たとえ肉体の命を失っても、天国の永遠の命を得ようと強く決心しない人もこれを受けます。なぜなら、近い将来、ロード・マイトレーヤを神とした、世界宗教、世界政府、世界経済に統一されていき、マイクロチップをうめこまない者は、売ることも買うことも出来ず、生きる権利すら奪われ、犯罪者あつかいにされるのですから。

 今、マリア様のメッセージに聞き従い、最後までそれをつらぬく人は、その時には、額に「十字架のしるし」を天使によってつけられます。このしるしは、この忠実な人々同志の間では、目に見えるようになり、身の安全を守ることに役立ちます。

 どうか今、マリア様のメッセージを読む人は、おもしろ半分ではなく、真剣に生き方を変えるように決心して下さい。

 たとえばお金の魅力、よい服、ぜいたくな食事、便利な道具に心がつよくひかれるなら、それは物質主義という罪にそまりきっているのです。神様は人の心を真理に、また善徳に、また聖なる生き方にひきつけられるようにしました。自分の物質主義とたたかって、善良なものに価値をおくようにならなければ、善良さそのものである神様を、最終的に選ぶことはできません。逆に、むなしいもの、この世かぎりのものに自分をささげて、それらを得るためにルシファーであるロード・マイトレーヤを神として選び、最終的に地獄に行きます。

 今、物質主義でない人は、ほとんどいません。天国に行く人はわずかなのです。生まれたからには、何としても天国に行かなければ。地獄は永遠の拷問です。今、死ぬ人の90%が地獄に行っています。

 唯一の頼みのつなは、マリア様です。マリア様を信じ、愛し、望みをかけて下さい。「みじめな私をたすけて下さい」と、マリア様に話し、マリア様の胸にすがって下さい。そこは安全な避難所なのです。悪魔にとりかこまれていても、マリア様の胸にすがり、そこにかくまわれることで守られます。

「あなたのふところの避難所に、私達はかくれる。おお神の母よ。私達の祈願を無視なさいますな。さしせまった時に、危険からお救い下さるあなただけが、もともときよい、祝された方だからです。」

 これは、ローマ皇帝を神とみとめるのを拒んだために、残酷に殺されていった、当時のカトリック信者が祈った祈りです。彼らは最後までマリア様とイエズス様に忠実にとどまり、天国で神様の最も近くに、永遠に喜びつついるのです。

 自分が罪にそまりきっていることを謙遜にみとめ、マリア様にすがり、自分の罪とたたかうことを、絶望せずに最後まで続けるなら、イエズス様はかならずあなたを救って、天国に入れてくださいます。



--------------------------------
【 第4章 】

 ソドムとゴモラの二つの町は、同性愛がさかんで、天からの
火で罰せられました。今の世界は、この二つの町よりもはるか
に悪いのです。地獄に行く若者のほとんどが、性的な罪によってです。この罪にそまっていない若者はほとんどいません。

 心の中で性的な空想をすることは罪なのでしょうか? はい、罪なのです。オナニーは罪なのでしょうか? はい、大きな罪なのです。肌をたくさん露出した服や、体のラインを強調する服を着ることは? はい、異性にも罪を犯させる2重の罪なのです。海辺でのビキニも同様です。結婚前にSEXすることも、大きな罪なのです。

 神様は純潔を愛します。清い人に祝福を与えます。神様は不潔の罪を憎みます。それをあらためさせるための罰を与えます。今の社会も、文化も、世代も、神様のとがめをうけています。

 その中に生きていながら、清い心にもどれるでしょうか? はい。たいへんむずかしいですが、戦わなければいけません。この世のつかのまの快楽よりも、永遠に続く無限の喜びのほうがいいではありませんか?

 マリア様によりすがって、自分の罪と戦うのです。不潔の罪は霊魂のライ病のようなもので、霊魂はくさり、くち、うみ、ただれ、おそろしい悪臭をはなち、天使たちも逃げ出します。しかしマリア様だけは、その状態でも、助けを願う人のもとに来ることができるのです。その霊魂にとって本当の母ですから。

 自分のみじめさを悟ってください。そしてマリア様に話して下さい。「みじめな私を助けてください」と。「この性的罪とたたかいます」と。何度もくりかえしころんでしまうでしょうが、決してあきらめても、絶望してもいけません。マリア様を愛し、信じ、望みをかける人は、絶望しないかぎり救われます。必ず。

 天からの火は、まもなく繰り返されます。核弾頭と「コホーテク」という彗星と「ワームウッド」という彗星によってです。時はあとわずかしか残ってないのに、その短い時を肉の快楽のために使って、あとは永遠に地獄で悪魔から拷問されるのを選ぶのですか? 残された短い時の間に、悔い改めて、つぐのい(償い)として自発的に多くの苦しみを受け入れて、それを神様にささげ、祈って天国の永遠の喜びを得たほうが良くはありませんか? 

 核戦争のことは、ファチマの第3の預言が、そして今、世界中で続いているマリア様の御出現が告げています。コホーテク彗星に関しては、リトル・ペブルさんらを通して、マリア様が1970年以来、教えて下さっています。ワームウッド彗星は、核戦争の最終段階で、人類が全滅する前にこの地球にぶつかり、戦争を終わらせ、すべての神の敵にまわったものを滅ぼします。「大懲罰(大天罰)」というできごとです。

 どうか、今、マリア様のメッセージに心をひらいて下さい。時間は本当に少ないのですから。



--------------------------------
【 第5章 】

 完全に謙遜(けんそん)の徳を実践した、完全に謙遜な人はマリア様です。謙遜な人を神様は祝福します。傲慢(ごうまん)な人は祝福を受けません。天国に、傲慢な人は入ることができません。

 たとえば、人を軽べつしているとします。その人は傲慢です。同じように神を軽べつしているとします。その人も傲慢です。超能力を身につけようとする人は、神に対する傲慢の罪にそまっています。人間が、神に等しいものになろうとしているのと同じだからです。こういう人に、人間をこえた力をさずけるのは悪魔たちです。宇宙において、自然の法則を超越して働く力は、神様御自身からのもの以外は、すべて悪魔からのものなのです。

 とても多くの人が、この罪にそまっていることを知って下さい。超能力、オカルト、うらない、手相、コックリさん、手かざし、くちよせ、これらは今、大はやりです。でも人間が通常できること、わかることをこえて、何かするとき、知るとき、そこには悪魔が働いていて、霊魂を悪魔に、そのかわりに与えるという取引が行われています。おもしろ半分ではすまない、おそろしい現実なのです。この世で、願望を悪魔にかなえてもらって、死後は永遠に悪魔に拷問されるとは。

 もしマリア様を愛し、信頼し、望みをかけて、自分の罪と英雄的に戦い続けるならば、不思議なことをやはり体験するかもしれません。でもそれはマリア様の取次によるものです。本人は、ますます自分のみじめさに気づき、謙遜になり、信仰を深めます。そして、ますます自発的に苦しみを受け入れて、神様にささげるようになり、マリア様と神様に感謝をささげるようになります。こういう結果にならないならば、体験した不思議は、神様によるものではありません。神様や天使や聖人に化けた、悪魔によるものです。

 超能力や、オカルトや、UFOや、あらゆる占いから、どうか離れて下さい。それは罪であり、神を軽べつし、悪魔に霊魂を与えることなのです。これらにかかわってしまった人が、悪魔の手から逃れることはむずかしいのです。心にその魅力を感じている間は、悪魔との契約はまだ続きます。ですから、救われたいのなら、これらを霊魂のすべてをあげて拒否し、きらい、にくまなければなりません。

 マリア様に「悪魔のくさりをたちきってください。あなたにすがります」と話してください。これは、本人とマリア様の力をあわせた、悪魔との戦いです。最後まで、マリア様とこの戦いをあきらめずに信頼しつつ戦うのです。そうすればイエズス様は、必ず救ってくださいます。



--------------------------------
【 第6章 】

 マリア様もイエズス様も、幻視者を通じてのメッセージで、一人一人の霊魂に語りかけています。そしてマリア様もイエズス様も、人間の側からも語りかけてくるように願って、待っています。それは「お祈り」です。子供のように、親に対しての親しみと信頼の表現をすればよいのです。それは愛です。マリア様もイエズス様も、この愛をひたすら望んでいます。

 ですから、一日を終えて、何か心に残ったことを日記に書くように、ささいなこと、ありきたりのこと、人に言えないことを語りかけるのです。マリア様も神様も天使たちも、耳をかたむけて大喜びで聞いています。それは愛と信頼にあふれた対話になってゆきます。

 天からの返事は、言葉ではなく、霊魂に直接かえってきます。はげます力、なぐさめる力、反省させる力、頑張りぬかせる力、何をすべきかを知る照らし、自分の状態を知る照らし、そしてマリア様の愛、神様の愛をもっと知る恵み、……何とたくさんの返事を返して下さることでしょう。はじめはわからなくても、信じて続けて下さい。

 救われるためには、お祈りは必要でしょうか? はい。とても必要なのです。それは愛だからです。天国にいくのは、神様を愛する人だけなのですから。

 罪にそまっている人にとって、とても大切な祈りがあります。「神様、私は罪を犯して、あなたを悲しませたことが悲しいです」「この世で時間があるかぎり、つぐのい(償い)たいと思っています」「私の罪をゆるしてください」

 救いは、罪のゆるしによるのです。「ゆるしてほしい」と言わなければ、ゆるされません。神様を罪によって苦しめたことを悲しみ、あやまらなければ、ゆるされません。罪ほろぼしをする気がないのなら、ゆるされません。神様だけが罪をゆるすことができ、しかも、人が永遠に地獄に行くことのないように、罪をゆるしたくてしかたがないのです。それでも人は、自由な存在としてつくられました。自分の罪をみとめたくない、あやまりたくない、つぐのいたくない、ゆるしを願いたくないなら、神様はその人の意志を尊重されます。そうやって90%の人は、自分の意志で地獄に行っているのです。何と悲しいことでしょう。そして人間は、何とごうまんなのでしょう。

 このごうまんを減らしていき、ついにけんそんを身につけるにはどうしたらよいのでしょうか? よい方法はあるのでしょうか? 

 はい、あります。赤ちゃんの時、ごうまんでしたか? 幼児の時、ごうまんでしたか? マリア様を母として受け入れて、もう一度幼児に戻るのです。自分の霊魂を、弱く、何もできない、何も知らない、すぐころび、すぐ泣いてしまう霊魂、母によりすがらないと生きていけないものとして考え、そのようにマリア様に対してふるまうのです。どうぞ、やってみてください。

 マリア様に対して、このようにふるまう人に、もっともマリア様は母らしく助けることができるのです。一日中、何につけても子供のように、幼児のようにマリア様に話しかけ、助けを願って下さい。

 つらい時、苦しい時には、マリア様の胸でなぐさめを得て下さい。マリア様の母としてのすべては、そうする人のものなのです。その口づけ、まなざし、愛撫、腕、ひざ、母乳も、語りかけも。こうしてマリア様に育てられ、いつしか、ごうまんな人間から、けんそんな人間に、マリア様の胎によって、生まれ変わらされて行くのです。



--------------------------------
【 第7章 】

 罪の根っこは、快楽と名誉を求める自愛心です。 自愛心と傲慢(ごうまん)は、ひとつに結びついています。自愛心を生き方の原則としているかぎり、謙遜(けんそん)にはなりません。自愛心の反対は、神とまわりの人に対する愛です。神とまわりの人に対する愛は、謙遜とひとつに結びついています。

 神を否定し、エゴイズムをますます強める今の時代に生きる人は、子供のころから、もう自愛心と傲慢にそまりきっています。今、死に行く人の内、わずか10%が救われていますが、その多くは純真無垢な赤ちゃんと幼児でしょう。何と、傲慢にそまってしまった人達のほとんどが、地獄に行くことでしょう。天国に行くには、謙遜でなくてはならないのです。自分の罪をみとめ、あやまり、ゆるしを願わなければならないのです。

 傲慢な霊魂には、自分の罪をみとめることさえできません。自分を愛して、自分を理想化しているからです。天国に行くには、神様に仕えたいと思わなければならないのです。傲慢な霊魂には、できません。それは、自分自身をいやしめなければならないからです。彼は、快楽と名声への、自分の望みに仕えるだけです。そのためには何でもします。盗みも、うそも、策略も。それで人を愛しません。ただ利用するだけです。

 さて、傲慢な霊魂は、またゴシップとかスキャンダル、うわさ話しを喜んで聞きます。そして、しょっちゅう人を悪く考えます。人を引き下げれば、相対的に自分が上に立てるからです。なんとあさましい生き方でしょう。

 この自愛心と傲慢にそまりきった自分を変える頼みのつなは、マリア様だけです。生まれ変わることを可能にして下さるのは、母だけです。傲慢な人は、人をさばきまくり、他人を悪の原因としますが、謙遜になるためには、自分をさばき、自分を悪の原因と見なさなければなりません。

 マリア様は、よりすがって傲慢と戦おうとする人に、真実のその人の霊魂のさまを理解させて下さいます。その人が、自分で自分を責め始めるように助けます。それはつらいことですが、マリア様はやさしくいたわりつつ、その仕事を続けさせます。快楽と名誉を求めるのをやめようという気持ちを起こさせます。すすんで苦しみを受け入れ、神様のために、はずかしめられることを受け入れようという気持ちを起こさせます。その道はつらい道ですから、マリア様はいつもそばにいて、やさしくなぐさめ、はげまします。こうして、まるで幼児の歩く稽古につきそう母親のように、一歩一歩を手をそえて導き、ころんだら抱き起こし、なぐさめ、やる気をまた起こさせて下さいます。これほどのお世話をしてもらわなければ、誰がこの根元的な罪から清められるでしょうか? 

 ですから、強く強くマリア様によりすがって下さい。「傲慢と自愛心を捨てて、謙遜と、神と人とに対する愛を持ちたいのです。マリア様、あわれな私を助けて下さい」と話して下さい。その日の自分の努力、失敗、成功、むずかしさ、喜びを、マリア様にうちあけて下さい。

 この努力の途中で死ぬことになっても心配いりません。マリア様はイエズス様にとりなして下さいます。神様の前で、弁護者となってくださいます。ですから決して希望を失わずに、このたいへんな道を、マリア様にすがって進んで下さい。



--------------------------------
【 第8章 】

 「あの人に悪いことをしたなあ……」と後悔することがありますよね。「何かうめあわせをしたいなあ……」という思いが続いておこりますよね。心は悲しみに満ちてますよね。悪いことをしてしまった相手が、命の恩人のような人に対してだったら、心は悲しみに打ち砕かれてしまうでしょう。神様に対して、同じことを、もっと強く感じなければならないのです。これは「罪の痛悔(つうかい)」と言います。

 天から与えられたメッセージを読めば、一番強く感じるのは、神様がいかに愛して下さっているかです。同時に、人間の罪をいかに悲しみ、苦しんでいらっしゃるかです。そして人がゆるしを願い、うめあわせをしようと決意するのを、いかに待っておられるかです。

 神様は、ゆるしを与えたくてたまらないのです。愛しておられるからですよ。愛しているその相手が、罪を犯すことも、罪にそまりきっていること自体も、愛しているものにとっては、計り知れない悲しみと苦しみなのです。そのままいけば、永遠に地獄で苦しみ、しかも神を憎む存在になると知っているからです。

 今までの人生で、後悔とか、痛悔の悲しみをどれだけ感じましたか? 今の時代に生きる人は、罪の意識を失った利己主義者がほとんどです。ほとんどの人は、この種の感覚を持ちません。かわりに自己憐憫(じこれんびん:自分自身をあわれむこと)の悲しみは持っています。自分だけを愛しているからです。そのうえ恩知らずだからです。

 このような霊魂のままで、天のメッセージを読む人は、神様の愛も、神様の悲しみも、苦しみも共感できず、ただ、迫ってくる罰を受けなければならないという事実にたいして、自己憐憫と恐怖を感じるだけでしょう。

 これほどの愛の語りかけを受けながら、霊魂が病み、悪くなっているために、愛を理解し、受け止めることができないとは、何となさけないありさまではありませんか。この大きなみじめさをわかって下さい。そしてマリア様にすがってください。マリア様は、神様にたいして罪を痛悔するけんそんと、愛にいたれるように、じょじょに、じょじょに、そして確実に歩ませて下さいます。それは、母にしかできない心遣いと忍耐をもってです。

 子供は、母から愛を一番最初にならうものです。母の悲しみを見て、悪いことをしたことを理解しはじめます。母の苦しみを見て、痛悔の悲しみをはじめて体験します。まず、マリア様を自分の母として受け入れることです。そしてマリア様の赤ちゃん、幼児としてやりなおすのです。マリア様に話して下さい。幼い子のように「マリア様、罪を痛悔することを教えて下さい。わからないのです」と。

 罰せられるという恐怖から、自分の罪をみとめない人もたくさんいます。神様はゆるしてくれないと思っていますね。神様は厳罰主義だと思っていますね。いえいえ、神様は正義の前に「あわれみ」を置かれたのです。どんな罪人も、罪をみとめ、痛悔し、ゆるしを願うなら、救われます。その神様のあわれみの全権をあずかっているのがマリア様なのです。母の胸に抱かれた状態でなら、こわがらずに自分の罪をみとめることができます。そこにはあわれみと、やさしさしかないからです。

 どうか、いつもこの状態にいてください。マリア様の胸にすがりついて、初めて神様の愛とあわれみをわかりはじめます。そうしたら、恐れなく自分の罪を認めることができるのです。
 自分の罪、弱点、悪さ、みじめさをマリア様に話してください。それはお祈りです。お祈りは、マリア様に授乳してもらっているのです。マリア様の清さ、マリア様の良さ、マリア様の強さ、やさしさ、愛を、マリア様の胸から恵みの母乳を飲むことによってもらうのです。ですからマリア様に祈ることは、しあわせなことです。楽しいことです。



--------------------------------
【 第9章 】

 人の霊魂は、愛そのものである神によって、一人一人創られます。それで霊魂は、愛するように創られています。何かを愛さずにはいられないのです。それで、神様とまわりの人と善徳を愛さない人は、自分自身と、この世の快楽と名誉、悪徳を愛します。90%の人が、最後の最後まで、神様とまわりの人と善徳を愛さず、自分自身と、この世の快楽と名誉、悪徳を愛して地獄に行っているのです。

 いったいどうしたら、この地獄に導く悪い愛を捨てることができるのでしょう。まず神様の愛の深さと、自分のみじめさを理解しなければなりません。そのためにこそ、マリア様は世界中を巡りに巡って、多くの幻視者、幻聴者を通して、愛のメッセージ、改心を呼びかけるメッセージを与えているのです。マリア様からの働きかけに、耳と心を開くことではじまります。「マリア様、神様の愛と、自分自身の悪さ、みじめさをわからせて下さい」と話して下さい。マリア様は大喜びで助けてくださいます。

 人には愛する力が与えられているように、憎む力も与えられています。それまでは神様を逆恨みしたり、人を憎んだり、善徳への努力を嫌悪したりして、与えられた憎む力を使っているのですが、この大きな力を自分自身の罪深い本質への嫌悪、この世の快楽と名誉のむなしくはかないことへの嫌悪、悪徳への嫌悪として使うのです。こうして、今まで好み、愛していたものを、嫌い、憎むのです。

 自分自身の罪深い本質に気づいて下さい。天国に導こうとして、神様がやってほしいと望んでいることと反対のことばかり望んでいるのではありませんか。たとえば神様は、目も、心も、思いも、体も清くあってほしいと望んでいますが、その反対に人はポルノを見たり、SEXを空想したり、婚前交渉、フリーセックス等々を望んでいます。たとえば神様は、困っている人、苦しむ人を助け、かばうように望んでいますが、その反対に人は、面倒なことにまきこまれないように、知らぬふりをすることを望んでいます。

 こうした我意を憎み、捨て去ろうと戦わなければなりません。自分自身の我意に対しては、憎しみをふるいおこし、神様のお望みに対しては、愛をふるいおこして受け入れる。このように霊魂に与えられた愛と憎しみの力を、両方とも使って戦うのです。

 また、悪魔そのものをも、激しく憎まなければなりません。悪魔は、人を地獄に連れていくことしか望んでいないのですから。悪魔は、自分の思い通りにふるまう人には、この世の快楽も、富も、名誉も与えます。それが、その人の良心をますます鈍らせ、思い上がらせ、神様のことを忘れはてさせるからです。それでもこの世の快楽と名誉を求めますか。それは、味わえば、ますます欲望を刺激する麻薬と同じです。天国に向かって上昇できなくする、足かせにつなぐおもりです。そんなものは憎むべきものです。

 そして悪徳は、霊魂をみにくくし、けがし、弱らせ、ついには殺します。ごうまん、プライド、うそ、ねたみ、憎み、どんなに日常的に習慣化していることでしょう。これらは自分も損ないますが、まわりの人も損なうのです。そうして、まわりの人をも地獄へ道連れにした責任を背負い込ませるものなのです。

 自分自身を不幸に、しかも永遠に不幸にするこれらの悪徳を、憎まずにはおれないはずです。逆に、この戦いを助けてくださるマリア様、イエズス様、天使たちを強く愛してください。





【 第10章 】

 今の時代の罪深さは、ノアの大洪水の時代より、はるかに悪いのです。今の時代は、また、黙示録の時代です。ノアの時代には、ノアとその家族だけが箱舟によって、大洪水から救われました。今は、黙示録の箱舟であるマリア様が、人類を地獄から救おうと、愛と悔い改めを呼びかけて、世界中を巡っています。今でも死にゆく人々の90%が地獄に行くというのに、このままほっておけば、ほとんどの人が地獄に行くことになります。

 そのうえ、黙示録の中の反キリストが、もう活躍しているのです。彼の名はロード・マイトレーヤで、ルシフェルが人の姿をとったものです。近い将来、人類が彼を「救い主」として受け入れ、彼を神とする世界統一宗教、世界統一政府、世界統一経済によって総支配されることを、マリア様は知っているのです。(ルシフェルとは、地獄の総大将、悪魔たちの頭です)

 マリア様は、世界中でメッセージを与えて警告しています。マリア様のメッセージに耳も心もふさぐ人は、ノアの時代の箱舟に乗らなかった人と同じように滅んでしまいます。つまり地獄に行くのです。

 ロード・マイトレーヤは、まことの神である救い主イエズス様の猿まねをして、12使徒を持っています。そのうちの一人、ベンジャミン・クレームが、日本を担当しています。

 ロード・マイトレーヤ自身、ルシフェルそのものですから、いつでもどこにでも自由に出現できます。日本にも何度も出現して、多くの人にスピーチしています。東京や長崎や大阪の、日本の宗教の信者の集会にです。ロード・マイトレーヤは、約18分話し、姿を消します。病気を治す水を残しますが、悪魔の力による病気の癒しです。18は6+6+6です。こうして騙される人は、世界統一宗教の協力者となるのです。

 黙示録の反キリストが、「666」という獣の数字を、すべての人に額か右手に受けさせて、それを拒む者は売ることも買うこともできなくなる、という預言の実現が始まっています。それはマイクロチップを、額か右手にうめこむことによるのです。これはすでに、多くの赤ちゃんに対して行われています。

 近い将来、全人類がマイクロチップのうめこみを強制されます。拒めば、社会から閉め出されます。飢え死に、投獄、処刑がまっています。黙示録の中で預言されているとおり、拒んだ人たちは、多くは殺されてしまいますが、天国に行きます。マイクロチップのうめこみを受け入れた人は、皆、地獄に行きます。

 今の人類は、まことの救い主イエズス様を愛さず、改心して、つぐのい(償い)として、すすんで苦しみを担いなさいという教えを拒み、この世のしあわせだけを求めているのに、自分の命を捨てる覚悟で、マイクロチップを拒むことができるでしょうか。自分自身とこの世の快楽と名誉を求める人には、できるわけがありません。

 だからこそ、今、マリア様のメッセージを受け入れて、心を改める必要があるのです。マリア様を愛し、信頼し、望みをかけて、自分の罪を認め、その罪に対して戦い抜く人は、箱舟に乗ったノアのように、地獄行きをまぬがれます。

 私はカトリック信者で、マリア様に祈っているから大丈夫だと考えてはいけません。今の教皇ヨハネ・パウロ2世の次に、ローマのバチカンに君臨する教皇は、反キリストの反教皇なのですから。黙示録の中の、小羊のような姿をした獣が、その反教皇です。その反教皇が、すべてのカトリック信者にロード・マイトレーヤを神として拝ませ、マイクロチップのうめこみを拒む者は破門すると宣言して、これを強制するとき、拒否できますか?

 マリア様は、ほんのわずかのカトリック信者が、マリア様に忠実を示すだろうとおっしゃっています。その時、彼らは地下教会となり、イエズス・キリストの間近い再臨まで頑張り抜くのです。そうやって地下にもぐった、まことの教会を導くのが、リトル・ペブルの役目であり、彼が最後のまことの教皇、ペトロ2世ロマーヌスです。反教皇もペトロ2世を名乗りますが、ペトロ2世オリーブの栄光という名で、エルサレムにやがて聖座をうつし、全人類にロード・マイトレーヤをメシヤとして受け入れさせ、マイクロチップを受け入れさせ、地獄に連れていく人物なのです。

 今のカトリック信者にとっても、マリア様のメッセージを受け入れることが、救いのつななのです。どうか涙を流して、血の涙を流して聞いてくれるように訴えるマリア様に、耳と心を開いて下さい。日本では、秋田で101回も涙を流されたではありませんか。



--------------------------------
【 第11章 】

 神様は、ある個人の生命のはじまりの瞬間に、その個人の霊魂を、愛をもって創造し、肉体にお入れになります。その霊魂が、いつか神様と永遠に生きることができるように、前もって配慮し、その瞬間からすべての必要な助けとチャンスと導きを、肉体の死の時まで与えてくださるのです。一人一人の霊魂はこれほど愛されているのです。

 個人の生命の始まりは、受精の瞬間です。肉体と霊魂を備えた一人の存在を、この世に生み出すのに、夫と妻が神に協力しているのです。セックスは快楽のためのものではありません。神に協力して新しい生命を生むためのものなのです。

 さて、受精卵の着床を妨げるピルを飲むのは、いったい何をすることでしょう。それは殺人を犯すことなのですよ。そこには既に霊魂があるのです。神様がこれほどまで愛し、創造し、世話なさる霊魂が。全ての期間において、胎児の妊娠中絶が殺人と同じなのです。おお、今の時代に恐ろしい罪に手を染めていない女性がどれほどいるのでしょう。殺された赤ちゃんとその胎盤から、化粧品会社は化粧品を作り、女性はそれを顔に塗るのです。

 天使は吐き気をもよおし、それらの霊魂の父であり創造主である神様は怒り、それらの霊魂の母であるマリア様は、苦しい涙をとめることができません。これらの大きな罪に、直接に、間接に関わった人々と当人には、永遠の地獄が待ち受けているのですよ。でも神様のあわれみは限りがなく、この罪人たちも悔い改めれば赦され、天国にいけるよう道を備えてくださいます。

 これほどの肉欲と残虐の罪を犯している霊魂と、完全に清い方、正義そのものである神様とをつなぐ道とは何でしょう。それがマリア様です。マリア様は、この世でどんな恐ろしい罪を犯した人も、母の愛で愛することができます。

 その人が「私は悪い人間です。マリア様あわれんでください」と言って心からすがるなら、その人を抱きしめて決して離しません。神様の正義に打たれないよう守り、死後の裁きにおいても「この霊魂は私を愛し、信頼し、望みをかけてくれました。この霊魂は、私の胸で罪を悔い改める決心をしました」と、その他に何も良いことをしなかった人でさえ弁護してくださいます。そして神様は、この弁護によろこんで負けるのです。

 マリア様は、暗闇にさまよっているあなたを連れ戻そうと必死になっているのです。それであなたはメッセージを目にしました。そこにマリア様の愛を感じました。そしてどうするかは、あなたの自由意志なのです。

 自分の罪をへりくだって認めるかどうか。神様を苦しめたことを後悔するかどうか。謙遜に赦しを願えるかどうか。罪のうめあわせのために、自分からすすんで苦しみを捧げられるかどうか。自分の罪と弱点に対しての戦いを、あきらめず最後までやり抜けるかどうか。

 すべてのことに、マリア様の助けを願ってください。子供のように、苦しさ、弱さ、むつかしさを打ち明けてください。やり始めるならマリア様が喜んで助けます。何度ころんでも抱き上げて、傷を癒して、また立たせて下さいます。その努力、目標、失敗、成功についてもマリア様に話してください。マリア様は、子供の声が聞きたいのです。一日中でも。

 これは祈りです。マリア様に祈ることは、マリア様の母乳を飲むことです。子供が日々成長するように、マリア様の恵みの母乳で霊魂は養われ、成長し、強くなっていきます。



--------------------------------
【 第12章 】

 心が満たされていると感じていますか。この世的なものを追い求める現代人は、決して心が満たされることはありません。たとえば車であれ、ドレスであれ、何であれ、それを愛したとしても、愛し返してはくれません。恋人であれ、親であれ、子であれ、望むほどには愛してくれません。人間の愛はもろいものです。まったく愛してくれないものと、不十分にしか愛してくれないものを愛しても、心は満たされません。

 マリア様、イエズス様が愛のうちに心に住んでくださる時だけ、心は満たされます。私達が限られた愛で愛するのに、無限の愛で愛し返して下さるからです。

 どうか、今のままの生き方では、たとえ全世界を手に入れても、心は満たされないことをわかってください。この世でも満たされず、死後も地獄で苦しむことを望みますか。マリア様のメッセージに心を開き、従うなら、苦しみの道を自発的にたどるのです。自分の罪を認めなければなりません。自分の罪と戦わなければなりません。罪ほろぼしをしなければなりません。

 しかし、心と霊魂は満たされます。愛される喜びに満たされます。神様に従っている安心感に満たされます。そして死後、永遠に完全な幸せを手に入れます。永遠に比べれば、一瞬にすぎない苦しみをいやがって、この道を歩かないのですか。

 たとえ全世界を手に入れても、地獄に行くなら何になりますか。今死にゆく人の90%は地獄に行っています。その人達の人生も、やはり苦しみに満ちていたのですよ。マリア様のために苦しむか、自分の利己心のために苦しむかを、どうぞ選んでください。でも、どれほどマリア様が傷つき、悲しみ、苦しみ、嘆くかを考えてからにしてください。

 マリア様は完全で、無限の母性愛をもって、最悪の罪人までも愛しています。御心は愛で激しく鼓動し、愛の炎が燃えさかっています。霊的子供たちの恩知らずに傷つけられ出血しています。この御心の中に、ご自分にすがる子をいれてかくまい、天国に至るまで守り抜くことをどんなに熱望していることか。ほとんどの人にとって、永遠の運命について心配してくれる唯一の人なのです。

 物質主義の罪の本質は、こんな良い母であるマリア様に「マリア様は好きじゃない。マリア様に頼らない。マリア様なんか知らない」と言って、その御心をズタズタに引き裂くという行為なのです。

 この世のものへの欲望という、この致命的な罪を捨てるにはどうしたらよいでしょうか。まずマリア様の愛を受け入れ、かみしめ、味わうことによって可能になります。マリア様の愛の母乳は、この世で比べるもののないおいしい食事なのです。それで、今まで味わっていたものが、味気なく感じるようになります。こうして執着が弱められ、その欲望から離れやすくなります。

 マリア様と愛の交流を、次に始めるのです。会話がなければ、愛はさめたままです。会話が多ければ、愛は盛んになっていきます。子供のように、母に何でも話すのです。こうして、ますますマリア様の愛を感じ、味わいます。

 これは祈りであって、マリア様の胸から、そのたびに母乳を飲むのです。その胸で、マリア様の愛の鼓動を聞くように祈り、その胸で、マリア様の御心の燃え盛る母性愛の火の熱に暖められるように祈り、まったく身をゆだねて安らぐように祈るのです。その胸をすかして、マリア様の御心に与えてしまった傷を見て、痛悔の情を起こすのです。

 どうですか? マリア様がいれば簡単です。


【 第13章 】

 世界のあちこちで起こっている戦争や大災害のテレビ報道を見ているでしょう。生き残った人々は、愛する家族も、家も、友も、学校も、職場も、服も、食べ物も、お金ももう持ってないという姿を。そんなことが近い将来、身にふりかかるのですよ、とマリア様はメッセージで警告しています。

 愛して執着しているものを失うことは、大きな苦しみです。今、心の中で愛して執着しているものは、戦争や大災害で失ってしまうものばかりではありませんか? そうでしょう?

 では、そのとき心に何が残りますか? 大きな苦しみだけでしょう? 心が何よりも神様と善徳と天国を愛し執着している人は、この世の富をすべて失っても、幸せでありつづけます。どんなことが起こっても、それは決して奪われないからです。

 実は、この世の富への愛と執着は罪なのです。神様と善徳と天国を愛し執着することをできなくするものなのです。唯物論と物質主義に凝り固まった現代社会に生きる人々の心の中に、神様と善徳と天国に対する望みはもう存在しません。いつか滅びるものを愛して同一化しているので、その永遠の運命も滅びです。この罪に陥っている人々を、永遠の滅びである地獄行きから救うにはどうしたらいいのでしょう。どうすれば、その罪の状態に気づかせることができるのでしょう。

 方法は、愛し執着しているものを取り上げることです。けれどもマリア様は限りなく優しくて、そんな懲らしめを受ける前に、子供たちに気づかせたいのです。子らの、この世での悲しみも、マリア様の母の心には苦しみなのです。今の世代の人々にとって、過ぎ去るこの世のものに対する淫らな愛と執着の罪に気づき、悔い改めるには、マリア様のメッセージが頼みの綱なのです。

 たとえば、あなたが24時間、心の全部をこの世のものに捧げているとすれば、マリア様のためにたった15分でも捧げるのです。マリア様のメッセージを読み、自分の罪を深く内省してみるのです。それをマリア様とのお話にかえるのです。これが祈りであり、罪との戦いなのです。

 マリア様を愛し、信頼し、望みをかけてください。何も話せない赤ちゃんが、微笑んだり、泣いたりするだけからはじめるように、愛と後悔の感情だけでもいいのです。マリア様は、大喜びで抱きしめてくださいます。マリア様自身がインスピレーションを与え、片言を話せるようにしてくださいます。マリア様に話しかけることが、喜びになるようにしてくださいます。こうして精神的な喜びを味わい、それに価値を見出せるように導いてくださいます。



--------------------------------
【 第14章 】

 エイズの予防にコンドームを勧めていますが、間違っています。神様が、淫らで不潔なこの世代に与えた罰であるエイズは、禁欲によって防ぐのです。コンドームの使用は罪です。セックスは夫婦の間でのみ許されます。セックスは出産と、夫婦の愛を強めることを目的とします。夫婦は、セックスにおいて妊娠する可能性を消してはいけません。これが神様の掟です。現代の常識とはかけはなれています。

 でも考えてください。明治時代なら、現代の常識が淫らで不潔であったでしょう。今の、罪に染まりきった時代に生きる人にとっては、神様の掟を守ることは難しいでしょうが、それはどんなに神様から離れきって、悪魔の導きのもとに生活しているかを示しています。

 地獄は永遠に続く拷問です。そんなところに決して行ってはいけません。二度と出られないのですよ。それなのに90%の人が、自らすすんで地獄を選ぶのです。罪から離れる決心をしないからです。罪の楽しさに未練があるからです。

 たとえば、心の中で淫らな空想を思い浮かべないように決心しますか。ヌード写真や不潔なマンガ、小説を見ない決心をしますか。結婚するまで貞潔をつらぬく決心をしますか。結婚後、禁欲以外の方法で、避妊しない決心をしますか。

 ほとんどの人は、そんなこと無理だ! と言うに違いありません。でも、出来るのです。地獄の罰を考えるだけでは足りません。マリア様と、マリア様の完全な清さを愛さなければなりません。そうしなければ、戦いの難しさに挫けてしまうでしょう。自分ひとりでは無理なのです。

 愛は、愛する対象と同一化させる力を持っています。清いマリア様を、愛すれば愛するほど、マリア様の清さを分け与えられます。不潔な罪と淫らな傾きは、霊魂の病気と傷なのです。マリア様は傷を洗い、薬を塗り、包帯し、病気には看病して下さいます。

 このマリア様の完全な母性愛と完全なお世話に、子供のように全く信頼してください。そして何回もとの状態に逆戻りしても、絶望しないで戦い続けてください。マリア様は喜んで助け、抱き起こし、やり直させてくださいます。マリア様は、子供達があきらめず戦いつづけるのを見ることを喜びます。

 マリア様に話しながら戦ってください。「私は清くなりたいのです。弱い私を助けてください」と。



--------------------------------
【 第15章 】

 「放任主義」の子育ては、子供をわがままで利己主義の大人にします。わがままで利己主義の大人が、それに輪をかけたわがままで利己主義の子供を育てます。

 たとえば、あと10分で津波が来ると屋外スピーカーが知らせたらどうしますか? われ先に高いところに逃げますか? 体の不自由な人、病人、老人、幼い子のところに駆けつけて助けようと考えますか? 利己主義者は、人の身になって考える事ができません。ほとんどの人は、われ先に逃げ出すでしょう。

 しかし自分の命よりも、もっと大切なものがあります。それは自分の霊魂です。自分の霊魂が救われて、天国に行くこと以上に大切なことはありません。「友のために命を捧げるより大きな愛はない」のです。そういう愛を持てたなら、天国に行きます。なぜなら神様は愛そのもので、神様の国である天国に入るには、自分自身よりも神様と周りの人を愛することを条件になさったからです。

 今の世の人の90%は地獄に行っています。神様と周りの人を、自分自身よりも愛さない人ばかりということです。利己主義とは何とおそろしい罪なのでしょうか。

 あなたは神様を喜ばせ、満足させるために生きることが出来ますか。周りの人を喜ばせ、満足させるために、自分を犠牲にすることが出来ますか。小さい頃からこの様に生きてこなかった人にとって、このことは生まれ変わるほどの大転換ですよね。

 この新しい生き方に生まれ変わらせて下さるのがマリア様です。イエズス様をかたちづくったマリア様の胎は、私達をイエズス様に似たものにかたちづくります。私達の方からは、自分の罪深さを認め、マリア様に助けを願って、自分の罪と戦うのです。

 あきらめないで戦い続けてください。利己心との戦いは一生続くでしょうが、ずっとマリア様の中で生きていくなら、いつか必ず「友のために命を捧げる」ほどの大きな愛を持てるようになります。そして天国に行けます。

 マリア様に話してください。「自分しか愛せない私を、神様と周りの人を愛する人間に、あなたの胎で生まれ変わらせてください」と。赤ちゃんにとって、胎内は天国です。マリア様を愛し、信頼し、望みをかける人は、この苦しみと戦いの世にありながら、マリア様の安全な胎内に住み、天国の喜びを前もって味わうでしょう。


【 第16章 】

 人生の目的を、楽しみを味わうことにおいていませんか? これを快楽主義と言います。快楽主義の人生の終わりに、口をあけて待っているのは地獄です。

 人生の目的は、神様を知り、神様を愛し、神様に仕えて天国へ行くことです。このためには禁欲主義でなければなりません。天国への道は、いばらと岩だらけの狭い道です。地獄への道は、平坦で広い道です。天国へ行きたいと強く願い、そのために激しく努力しないなら、天国へはいけません。この世にただ合わせて、流されて生きていくなら地獄へ行ってしまいます。

 たとえば、テレビゲームをしたとします。楽しかったでしょうが、それだけです。天国へいくためにはなりません。むしろ地獄に近づきます。その時間を、楽しみたいという自分の欲望にのみささげたからです。家族のだれかを喜ばせるために使うか、友達のだれかを喜ばせるために使うかできる時間でした。まわりの人を愛することを通して、神様を喜ばせることができるのです。そうしたなら天国への道を進めたでしょう。

 このようなことを教えてくれる人は、誰かまわりにいますか? ほとんどの人はいないはずです。ですからマリア様が、とってもとっても重要なのです。マリア様のメッセージを、心と耳をひらいて聞けば、天国へ行くためのなすべきことを、一から十まで教えてくださいます。まず、マリア様を知り、愛し、仕えれば、もうすでに神様を知り、愛し、仕えているのです。

 マリア様は母ですから、子供を導くように優しく教え、たやすく実行させ、親しく愛させてくださいます。いつもマリア様がいっしょにいてくださって、はじめて天国に行きたいと強く願い、そのために激しく努力できるようにトレーニングできるのです。自分の欲望を抑え、神様からいただいた時間と才能を、善い目的のために使えるようにトレーニングできるのです。

 どうかマリア様にしっかりとすがりついて、快楽主義と手を切って、自分の霊魂を鍛え、罪を避け、罪ほろぼしの、自発的に犠牲を受ける「禁欲主義」を取り入れてください。



--------------------------------
【 第17章 】

 天国には、努力してほんとうに善人にならなければ行けません。全ての人は罪人です。罪に染まりきった状態から改心して天国を目指すのです。その第一歩は、地獄を恐れることで始まります。

 永遠ということを考えたことがありますか。この世には時があり、すべて時に従って変化します。この世を去り、永遠に移れば、時はなくなり、全ては不変です。地獄に行けば、地獄にいる状態は決して変わりません。永遠に悪魔から拷問されるのです。しかも今死ぬ人の90%は地獄に行っているのです。

 地獄を大いに恐れてください。地獄には絶対行きたくないと思いつめて下さい。どの霊魂も天国に行けるようにと、必死に働いて下さっている方にすがりましょう。それはマリア様です。

 マリア様を愛し、信頼し、望みをかける生活を始めましょう。そうすればマリア様は、天国にふさわしい者に生まれ変わらせるために、胎内に私達を宿し、イエズス様のようにかたちづくり、イエズス様の十字架のもとに生んで下さいます。

 天国へ行くためには、自分の十字架をにない、イエズス様にならって歩きぬかなければなりません。つらい険しい道です。第一に自分の罪深さを認め、自分の罪と戦い、罪ほろぼしを神様に捧げなければなりません。しかし、どちらがいいか、よく考えてください。永遠に地獄で悪魔から拷問されるのと、短いこの世の苦しみを自発的に受け入れて、永遠に天国の無限の幸福を与えられるのとでは。

 たとえば、人の悪口を平気でしょっちゅう言う罪に染まっているとします。それを悪いこととも認めず、改めようともせず、神様にゆるしとあわれみを請わなければ、永遠に地獄で口と舌を焼かれてしまうことでしょう。そんなことになりたくないと強く思えば、この罪を改める戦いの骨折りを受け入れることがたやすくなります。

 毎日、その罪を犯さないよう注意しつつ、マリア様に助けてくださいと頼んで回数を減らしていくのです。失敗してもマリア様のやさしさに信頼して、何度でも立ち上がるのです。そうやって、マリア様と話しながら、相談しながら続けるうちに、地獄に対する恐れより、マリア様と神様を、罪によって悲しませたくないという考えから、罪と戦う第2の段階に進んでいくことになります。これは愛による痛悔です。



--------------------------------
【 第18章 】

 たとえば以前には何度も万引きをしたとします。このごろはちっとも万引きをしていないとします。過去の罪だから、神様も忘れたと思いますか? いいえ。神様は何ひとつ忘れたりしません。過去の罪も、赦(ゆる)しを願わないでほっておいたなら消せないのです。

 盗みは大きな罪で、霊魂をはなはだしくよごします。誰もよごれきった霊魂で天国へは行けません。どうか一生涯の罪を、神様に赦してくださるように願ってください。

 イエズス様は、罪の赦しを私達が受けるようにと、十字架で死に、その拷問で流した血で罪を消してくださいます。マリア様が私達の上に、イエズス様の血を注いでくださいます。このことを信じますか? 罪の赦しを望みますか? でしたらまず心の中で洗礼を受けたいと望みつづけてください。このまま死ねば、「望みの洗礼」がさずけられたことになり、一生涯の罪を赦していただけます。

 救いのための全ての恵みは、マリア様の手から私達に与えられます。マリア様を強く愛し、信頼し、望みをかければ、それだけ多く、マリア様は私達に恵みを与えることができるのです。マリア様は母ですから、子供がよごれきって悪臭をはなつ服を着ているのを、純白でよい香りの服に着替えさせて、父である神様に連れて行きたいと、どんなに願っていることでしょう。

 過去の罪の赦しを願うようにしてください。あなたにとってそれは過去でも、時を超越した神様にとってはそれは現在であり、今、その罪によって、つまり恩知らずの行いによって苦しめられているのです。

 マリア様のメッセージでわかるとおり、これほど愛してくださる方を苦しめてしまったのですから、申し訳なく感じなければなりません。ですからマリア様に話してください。「マリア様と神様を苦しめたことが悲しいのです。赦してください。罪滅ぼしをするのを手伝ってください。二度と罪を犯さないよう助けてください」と。マリア様は大喜びで助け、なぐさめと、霊魂の力を与えてくださいます。



--------------------------------
【 第19章 】

 「謙遜(けんそん)の徳」は、神様からたいへんに好まれる徳です。マリア様ほど謙遜な人は誰もいません。マリア様の謙遜の深さはどんな天使にもまさっています。

 もし、誰かを軽蔑するなら、それは傲慢(ごうまん)です。テレビでは毎日、誰かをキャスターやコメンテーターが裁き、軽蔑しています。それを見る人も裁き、軽蔑することに、当然のように加わります。ゴシップやスキャンダルがもてはやされるのは、この世代の人が傲慢なので、他人をひきずりおろして、相対的に自分をひきあげたいからです。このことでも、今は、どんなに人間が謙遜でないかがわかります。

 傲慢な人は、天国に行けません。傲慢というのは何と恐ろしい罪でしょう。そして謙遜の徳は、何と大切なのでしょう。天国へ行きたいのなら、謙遜の徳を身に付けるように必死に努力し、同時に傲慢を直すよう必死に戦わなければなりません。

 たとえば、自分に、何か人から好まれたり、たたえられたりする美点があるとき、その美点を自分自身のものだと思ったとします。これは神様の前で、傲慢な行為なのです。

 マリア様は、全ての美点を持っていました。けれども、それを自分自身のものだとは決して思いませんでした。みな神様がして下さっているもので、自分自身は無に等しいと思っていました。マリア様には罪も汚れもありませんが、私達は罪にまみれて汚れきっています。

 良いところは神様が貸してくださったもので、自分のものではありません。ですから、いつ取り去られるかもしれません。傲慢な人は、死ぬとき、すべてを取り去られて地獄に行くのです。神様の前で、自分自身が持っているものといえば、実は罪だけなのです。それで人は、神様の前でへりくだり、ゆるしとあわれみを求めることしかできないのです。どんなに良いことをしたとしてもです。そんな自分のみじめさを認めるなら、まわりの人を軽蔑することをやめたくなるでしょう。まわりの人を軽蔑する資格などないのですから。

「謙遜の徳」を教えてくれる最高の先生はマリア様です。マリア様に話してください。「謙遜にしてください。傲慢を直してください」と。そしてマリア様の謙遜を考えて、自分とくらべてください。これは祈りと黙想です。祈りと黙想は、霊魂を養ってくれます。その時マリア様は、あなたを胸に抱いて、恵みの母乳を与えてくださっているからです。

 どうか傲慢との戦いを、死ぬまで決してあきらめずに続けてください。そうすればマリア様は、清い胎内であなたを謙遜な霊魂にかたちづくり、天国に住むという永遠の命に産んでくださるのです。



【 第20章 】

 全ての人は、霊魂に神様の声を聞いています。それは良心と呼ばれていますが、霊魂に教える神様の声なのです。良心に従うことは、道徳を守ることです。良心に従うことは、神様に従うことです。ですから道徳を守ることは、神様に従うことです。

 今の世代の人は、道徳を守ることなど価値がないと考えています。でも、マリア様のことも神様のことも知らない人にとって、道徳をできるだけ完全に守るかどうかが天国へ行くか地獄へ行くかの分かれ道なのです。

 この世の大部分の人が、マリア様のことも神様のことも知りません。しかし、この世のすべての人は、霊魂に神様の教える声をいつも聞いています。それでも90%の人が地獄へ行くのは、良心に従わず、不道徳に生きるからです。特に今は性道徳が全く無視されています。純潔と慎みの価値など全く認められていません。しかし若者のほとんどが地獄に行く理由は、まさに純潔と慎みに違反したからなのですよ。

 マリア様はミニスカートをはきませんでした。マリア様は胸のカットの大きい服を着ませんでした。ノースリーブやタンクトップやシースルーやボディコンを着ませんでした。

 なぜでしょう。そういった慎みに反する服は、異性に罪を必ず犯させるからです。異性の純潔を破壊するからです。そういった慎みのない服を利用して、異性に汚れた思いを起こさせる悪魔の協力者になるからです。

 マリア様は、女性達に特にこいねがっています。ご自分のような服装をしなさいと。肌をさらさず、体のラインをかくしなさいと。そうすれば、男性は性道徳を守れるようになりますと。今の性道徳の消失の責任は女性にあるのですよと。

 どうかもう一度、良心の声に耳を傾けてください。これほど堕落した世の中で、その流れにさからって、慎み深く純潔な生き方を実行するのは勇気がいることですし、そんなデザインの服を、店で見つけられないでしょうが、どうかまず、マリア様に祈ってください。「マリア様、勇気をください。笑われバカにされるのがこわいのです。」と。子供が心から助けを願うとき、母ならば駆け寄って助けます。マリア様は、完全な母性愛で、弱い子を力づけます。勇気と実行力の恵みを与えてくださいます。



--------------------------------
【 第21章 】

 「ああ、マリア様!」となげくとき、これはマリア様の心に強く訴える祈りです。自分が罪にそまりきっている汚れた霊魂だと悟る時に、思わず「ああ、マリア様!」と言えるなら、どんなに良いでしょう。すぐさまマリア様は胸に抱きしめてくださいます。解決できない問題をかかえている時も、「ああ、マリア様!」となげくことができたら、どんなに良いでしょう。

 マリア様の手の中に、すべてのことの解決があるのです。それはその問題や苦しみや悩みをマリア様にささげて、自分の罪滅ぼしとして神様にささげてもらうことなのです。そうすれば、すべての苦しみは意義あるものとなるからです。

 一日中、たびたびマリア様のことを思い出すようにしてください。お母さんから離れられない幼な子の時期があります。ちょっと遊んでは、お母さんがそばにいるか気にします。なにかあるとすぐお母さんのところへ走っていきます。天国へ行くためには、幼な子のようにならなければなりません。つまり霊的にマリア様の幼な子となって、マリア様から離れないようにしなければならないのです。

 母親のことを思い出すのは、自然でたやすいことです。ですから神様は、神様にたどりつくために、マリア様を母親として私達みなに与えてくださいました。じっさい、死を目前にしたら、多くの若者は母親を思い出しました。神風特攻隊員の遺書を読めば、みな、自分の死で悲しむ母親に思いをはせています。そして許してくださいと書き残しています。

 実は、イエズス様にとって、母親のマリア様が、むごたらしく殺される自分を見て死ぬほど苦しむことの方が、むごたらしい処刑よりもはるかに苦しい拷問でした。

 マリア様は私達一人一人を救おうとして必死なのです。なのにマリア様の目の前で罪を犯して、自分の霊魂を汚し腐らせ殺すので、マリア様は一人一人のために、御子イエズス様の十字架刑であじあわれた苦しみを再びあじわうのです。それでマリア様は「悲しみの母」なのです。

 そんなマリア様を、どうかひんぱんに思い出し、「ああ、マリア様!」と、たとえため息でも、つぶやきでも、なげきでもかまいません、言ってください。そこには、マリア様に対する愛と信頼と希望が含まれています。それこそが、悲しみの母をなぐさめるのです。



--------------------------------
【 第22章 】

 母親は、自分が産んだ赤ちゃんを初めて抱くとき、「この子のためなら命をささげられる」と思うものです。あなたの霊魂が罪によって汚れ、みにくかろうがどうであろうが、「この子のためなら命をささげられる」とマリア様は本当に思っているのです。この世のすべての人は、この圧倒的な愛をマリア様から注がれているのです。

 「どうして人を殺してはならないの?」という質問があります。あなたが殺してもいいと考えているその誰かに、マリア様が注いでいる「身代わりに死ぬほどの完全な母性愛」を考えるならば、その誰かを殺すのではなく愛すべきだと自然にわかります。

 あなたもマリア様から限りなく愛されています。あなたの命は尊いのです。そして他人もマリア様から限りなく愛されています。他人の命も尊いのです。
 マリア様のこの限りない愛を永遠に楽しむために、天国に行けるようにマリア様にいつもお願いしてください。子供らしい言葉でお願いすればよいのです。また、地獄に行けば、マリア様のこの限りない愛を永遠に失ってしまいますから、マリア様に地獄に行くことのないようにお願いしてください。

 「マリア様、あなたを愛します。天国に連れて行ってください。地獄に行かないように守ってください。」 マリア様は、あなたが話しかけるのを心待ちにしています。



--------------------------------
【 第23章 】

 今の世代の人々の心には絶望が巣くっています。肉の快楽を味わうこと以上の善はないと感じています。生活の快適さを味わうこと以上の善はないと感じています。それですら、金や地位や権力がないので得ることができないとわかっています。それで、求めているものは得ることができない、全てはむなしいと感じています。

 この絶望は、人々を確実に地獄に行かせます。神様のあわれみにさえ絶望させるからです。死ぬ時、人は一生涯の罪を神様から見せられます。その時、今では90%の人が「私の罪は重いから、神様がゆるすはずがない」という絶望にこりかたまるのです。そして「無限のあわれみ」を拒んで、地獄に自ら飛び込んでいるのです。たった10%の人が、「私の罪は重いですが、神様、あなたのあわれみは無限です。あなたのゆるしに希望します。」と希望し続け、救われるのです。

 「絶望」は、霊魂を地獄に引きずり込むための悪魔の最も強力な道具です。どんな罪でもゆるしを願えば神様はゆるして下さいますが、ゆるしを願わせない「絶望」という罪は、ゆるされようがありません。神様のあわれみに絶望するという罪は、最も大きい罪なのです。

 この絶望は霊魂の深い傷ですから、絶望からいやされるためにはマリア様の胸がどうしても必要です。マリア様の胸には無限のあわれみがあり、しかもインスピレーションのうちに感じさせ、確信させてくださいます。

 「マリア様、あなたに希望します」という一言は、たった一言でも、絶大な効果のある祈りです。祈りは、マリア様の母乳を飲むことです。マリア様の母乳は、悪魔が注ぎ込んでしまった絶望という猛毒を、完全に解毒する唯一の薬です。神様は、絶望という罪でもって最終的に神様のあわれみを拒んで地獄に行くのをくい止めようと、希望を与える母を私達に与えてくださいました。

 単純な真理ですが、人は希望しないから絶望するのです。どうかマリア様の胸に飛び込んで、そこで抱きしめられてください。もうすでに絶望の毒におかされていることを感じているはずです。何のために生きるのかわからないなら、すでに絶望の状態にあるのですから。

 マリア様は、清い恵みの母乳を飲ませてくださいます。最後の最後までマリア様に希望し続けなければなりません。そうすれば必ず天国に連れていっていただけます。



--------------------------------
【 第24章 】

 あなたは良いことをする喜びを親から教えられましたか? 少なくとも良いことをすれば気持ちが良いと感じますか? 良いことをたくさんする一日は、喜びにあふれていると思いませんか?

 マザー・テレサの一日は、喜びにあふれていましたね。しかしマザー・テレサは自分が痛むまで人を愛しなさいと教えました。人の満足と喜びを求めることが人を愛することですが、そのためには自分の満足と喜びを犠牲にしなければなりません。がまんしなければなりません。なのに、善を行う満足と喜びに満たされます。
 今の世代の生き方は、まったくこの逆です。自分の思い通りになれば、赤ちゃんは喜びます。思い通りにならなければ泣きわめきます。善を行う喜びを学ばず、このまま成長してしまえば、むかついてばかりいることになります。人生は、年がいけばいくほど思い通りにならなくなるのですから。

 自分の満足を求めるなら、人が犠牲になります。そうやって思い通りにしても、味わえるのは瞬間的な喜びにすぎません。これは何と喜びのない惨めな人生でしょう。しかも行き着くところは地獄です。

 マリア様はメッセージで、どうやったら神様を喜ばせることができるか教えて下さっています。マリア様の言葉を無視しないで実行すれば、がまんが必要ですが、善を行い、神様を喜ばせることができます。その時マリア様は、母だけができる、子供にとっては何よりもうれしい愛撫を与えてくださいます。霊魂はそれを感じます。地上のお母さんが、良いことをしたらなでてあげて、良いことをすることの喜びを教育するのと同じではありませんか?

 しみついてしまった悪い生き方を変えるのは、並大抵のことではありません。最も賢く、やさしい、知恵に満ちた教育係が必要です。それがマリア様なのです。ですからマリア様を拒否しないで下さい。罪深い生き方を変えられるかどうかは、マリア様を受け入れるかどうかにかかっています。



--------------------------------
【 第25章 】

 マリア様が与えて下さる恵みで、最も大切なのは痛悔(つうかい)の恵みです。あなたは自分が罪人だと感じていますか? おそらく自分は善い人間だと思っていることでしょう。しかし神様の御前に出て、自分が善い人間だと言える人など一人もいないのです。マリア様以外の人は、最も聖なる人も一日に何回も罪を犯します。

 驚かないでくださいね。愛をもって行わないことは、思いも、言葉も、行いも、みんな罪なのです。全ての思い、言葉、行いを、神様への愛をもってなさったのはマリア様だけなのです。

 マリア様は、一人息子であるイエズス様が、むごたらしくなぶり殺しにされていく間ですら、イエズス様を苦しめる人に対して毛ほどもうらみをいだきませんでした。うらみをいだくどころか、あわれみ、愛し、彼らの救いのためにイエズス様と共に命をささげていたのです。

 マリア様は、私達のみにくさを映しだす鏡です。マリア様の人生と、実行なさった徳、あわれた苦しみを考える時、私達の愛のない人生、徳の不足、忍耐のなさが見えてきます。あなたは自分のまわりの悪い人と比べるので、自分は善い人間だと思うのです。マリア様と比べたら、自分は善い人間だとは決して考えなくなります。本当のことですが、あなたは絶えずうらみを心にいだいています。復讐心を絶えずいだいています。いつも他人を軽蔑しています。ねたみの気持ちをすぐにおこします。

 さて、これらすべてのことはみな罪であって、神様を悲しませているのです。神様は、あなたが「神様、あなたを悲しませてしまったことを私は悲しんでいます。ゆるしてください」と心から言うのを待っています。でも、この痛みを感じ、悔やむことは一人ではできません。自分が罪人だと理解するのにもマリア様が必要なのと同じく、マリア様の恵みによって、はじめて人は、神様を悲しませたことの痛みを感じ、悔やむことができるのです。そして、「ゆるしてください」と言うのなら、神様はどんな罪でもゆるしてくださいます。死の瞬間、天国に行くか、地獄に行くかの選択は、へりくだって痛悔するか、ごうまんに痛悔しないかの選択なのです。ですから痛悔の恵みは、最も大切な恵みなのです。

 どうかマリア様によりすがってください。救われるためにはマリア様がどうしても必要なのです。マリア様を愛し、信じ、より頼んでください。そして自分の罪深さを認め、今、マリア様とともに自分の罪と戦ってください。死の瞬間までのばしてはいけません。今、マリア様を拒むなら、その時も拒んでしまうでしょうから。
【 第26章 】

 マリア様が若い人たちに何を望んでいるかわかりますか? それは清さです。純潔です。清らかな心は神を見ます。不潔な心は神を見ません。心も体も思いも清いということの価値はとっても高いのです。このマリア様のお望みに応える人に、神様は豊かな祝福を与えてくださいます。

 今の若い人は、子供のころから悪いテレビや本、マンガによって清さを失ってしまっています。マリア様のお望みに応えるには、清さをとりもどす戦いから始めなければなりません。

 心の窓は目です。世の中と悪魔が見せつけるものを拒否して見ないようにしてください。レイプ、セックス、同性愛、ポルノ、わい談、子供の清らかな無知の翼は、まだ幼いうちにたたきおられてしまうのです。マリア様は血の涙を流して泣いています。子供までこの罪にそまって、地獄に行ってしまうのですから。かつてこんな時代があったでしょうか?

 神様の掟は、結婚するまで純潔でいることを命じています。これに反することを望んだり、空想したりすれば、思いにおいて純潔ではありません。実際に行わなくとも罪を犯すのです。自分の心をよく見張って、望まないよう、考えないよう、思い出さないように、誘惑のたびに戦わなければなりません。この骨の折れる自分の罪との戦いは、天国に行くために担わなければならない十字架なのです。

 若い人は、異性に平気で肌を見せています。慎みはどこにいったのでしょう? これは文化ではありません。不潔な罪です。服においても、態度においても、会話においても、全く慎み深くしなければ、異性に罪を犯させます。悪魔が、その慎みのなさ必ず利用して罪にいざなうからです。

 90%の人は地獄に行っています。若者のほとんどは、純潔に反したことによって地獄に行っています。地獄は永遠なのですよ! 今、道をあらためなければなりません。決心するなら、マリア様が必ず助けてくださいます。マリア様に「清くなりたいのです。助けてください」と、誘惑のたびに必ず言ってください。自分ひとりの力では無理なのですから。マリア様は清さそのものですから、あなたを抱きしめて、ご自分の清さに同化させてくださいます。



--------------------------------
【 第27章 】

 誰かがあなたに、ひどく意地悪なことを言ったとしましょう。心が傷つくと同時に、腹が立って、仕返しがしたくなります。心の中でさっそく相手の悪口を言います。相手を傷つけてやらないと、気持ちがおさまらないかもしれません。

 じっとがまんするだけでは、いつか限界がきてしまいます。でも天国に行くために、自分の罪深さと戦い、善徳を身に付けようとしはじめるなら、そんな相手の行いに対しても喜びを感じることができるようになるのです。

 傷つけられたら傷つけ返すなら、自分の中にこれっぽっちも徳は身についていないのです。傷つけられても、マリア様にならって柔和にしていられるなら、罪との戦いの勝利であるし、自分の中に柔和の徳が存在していることを喜べるではありませんか?

 このように喜びに満ちた人生は、罪を犯さないように、そして徳を身につけるように努力することで、勝利の喜び、進歩の喜び、達成感を、試練や迫害の中で味わうことにあるのです。

 「いい子だね。よくできたね。えらいね。お母さんもうれしいよ」と、マリア様がいつも励ましてくださいますから、自分の罪深さとの戦いを、やせがまんばかりの疲れきってしまう戦いだなんて決して考えないでください。自分の中に美しい徳が生まれ育つのを見る喜びは、この世のむなしい喜びよりはるかに大きく、しかもずっと続くものなのです。ついには、マリア様のふところに永遠に抱かれる喜びにつながる喜びです。

【 第28章 】

 神様が創ったもののうちで、一番強いお方はマリア様です。地獄の全ての悪魔がたばになってかかっても、マリア様には全くかないません。あなたの霊魂が悪魔のかぎ爪にがっしりとつかまれていても、マリア様に助けを心から願えば、マリア様は悪魔の手から堂々とあなたを奪い取ることができるのです。

 特に人の永遠の運命が決定する最後の瞬間に、数え切れない霊魂をマリア様が悪魔の手から奪い取って地獄をまぬがれさせました。その霊魂たちは最後の瞬間に絶望せずに、マリア様に希望をかけたからなのです。

 あなたも永遠の地獄に行きたくないなら、まずマリア様を愛し、信頼し、望みをかけなければなりません。悪魔はあなたの霊魂にかみつき、へびのように毒を注入しました。それで霊魂は弱められ、罪と戦うことも、マリア様にすがることさえむずかしくなりました。でも、どんなにむずかしくとも、天国に行くためです。意志をふるいおこしてマリア様にすがってください。マリア様の胸にすがりつくなら、マリア様は悪魔の注入した毒の唯一の解毒剤である御自分の母乳を飲ませて下さいます。

 救いに必要なすべてをマリア様は持っているのです。あなたが弱く、悪く、罪深いなら、なおさらマリア様の胸にすがり、そこから決してはなれないようにするのです。「ああ! マリア様!」これ以上何も言えなくても、愛をこめてしがみつくのです。マリア様は本当に強い方なのですから。



--------------------------------
【 第29章 】

 あなたは自分の死の瞬間について考えたことがありますか? マリア様はいったいどんな方なんだろう? ピンとこないなあという人は、自分の死を想像してみてください。
 そのとき、神様は霊魂に全生涯をまざまざと見せます。赤ん坊と幼児の頃の純心無垢をいつか失い、この世の不潔さに同化していった生涯を見るのです。神様にゆるしを願う気持ちになれるでしょうか。

「ゆるしを願う、あわれみを請うなんてまっぴらごめんだ」と90%の人は、その時決心します。ああここでマリア様の助けがあるので10%の人がかろうじてゆるしを願い、あわれみを請うためにへりくだる決心ができるのです。

「お父さんはゆるしてくださいますからね。一緒にあやまってあげますからね。」 あなたのお母さんは、幼い頃こう言ってくれませんでしたか? 「この子はよくわからなかったのです」と弁解してくれたでしょう? これがマリア様です。

 そしてマリア様が最後の切り札を出せば、神様は必ず喜んで負けてくださいます。その最後の切り札とは「この子は私を愛してくれています」という言葉です。死の瞬間にマリア様がこう言えるように生きてください。マリア様のメッセージを信じ、受け入れ、実行するのです。



--------------------------------
【 第30章 】

 人を裁くことは正当な行いでしょうか? いいえ、それは罪なのです。悪いことをした人を悪く言うのは当然だというのですね。不倫の現行犯として連れてこられた女性を前に、イエズス様は「罪のない人から、この人に石を投げなさい」とおっしゃいました。ですから悪人に対しても、思いや言葉でその人を裁くことは罪なのです。

 今の時代の人々は、どれほど情け容赦なく人を裁いていることでしょう。人は、自分がはかったはかりで神様からはかられるのです。これは自分のためにきびしい審判を準備していることなのです。人を裁く時、喜ぶのは悪魔たちだけです。批判された人は、ますます悪くなってしまうからです。

 もし人を批判する気持ちが起こったなら、ただちに相手を祝福してください。「神様、彼(彼女)を救ってください」とか「祝福します」と心の中で言って、批判の思いも考えも、ただちに頭と心から追い出すのです。これは偉大な功徳があります。聖ステファノが「彼らに罪を負わせないで下さい」と石殺しにあったとき祈ったので、迫害者パウロが神の使徒に変わる恵みを得ました。

 しかし、人を裁かないことほど難しいことはないのも事実です。ほんのちょっと不親切にされただけでも、相手に対して批判的な思いがおこります。でも練習によって、どんなことでもやさしくなるのです。そしてこの練習は即、大きな功徳になります。マリア様がそばについていて、何度ころんでも助け起こして、愛撫して、励ましてくださいます。神様のあわれみぶかい裁きを受けることができるよう、どうかやってみてください。やりはじめれば、ずっと幸せになっている自分を発見することでしょう。



--------------------------------
【 第31章 】

 幼子は母親なしには何もできませんね。逆の言い方をすれば、母親は幼子が必要とする全てを持っています。そして与えています。これが私達の生活の実際なのです。

 私達の霊魂の生活においてもこのとおりです。マリア様なしには何もできません。マリア様は、私達が必要とする全てを持っています。そして与えています。私達の霊魂は、神様のみ前にいつも幼子です。神様のもとに行くまでずっとマリア様にすがらなければなりません。

 この「マリア様が私達の必要とする全てを持っていて与えて下さる」という真理は、私達を本当に励ましてくれます。これを強くひたすら信じてください。マリア様に希望をかけることは救いの保証です。また、すべての問題の解決も、マリア様の内にあります。マリア様にすがる人は決して絶望しません。

 世界の問題も日本の問題もいよいよ深まってきています。その根深さのゆえ、人間の力では改善することはありません。これほどひどい状態でも、マリア様の取次ぎによって全能の神様は、私達を、日本を、世界を救うことができるのです。

 メッセージでは、マリア様ご自身が、私達に祈りを切に求めていらっしゃいます。私達が祈るなら、もっと取り次ぐことができるとおっしゃってくださっています。これは私達に、救いの協力者になってくださいと頼んでおられるのです。はかない存在である私達に、人生を有意義に用いられる道は、決して他にはありません。なんと幸せな呼びかけなのでしょう。



--------------------------------
【 第32章 】

 マリア様にとって、霊魂を永遠の滅びである地獄行きからまぬがれさせる働きは、いったいどんなものなのでしょう。それは、暗黒の荒れた海で、遭難者を救助するようなものです。

 まず光が必要です。それがメッセージです。そして浮き輪にロープをつけて投げ与えれば、やがて救助船に引き上げることができます。浮き輪がスカプラリオで、ロープはロザリオです。スカプラリオを身に付けさせて浮かばせ、ロザリオを唱えさせて、そのたびに引き寄せるのです。90%の霊魂が地獄に滅んでいる今、非常に危ういあなたの救いを確実なものにするてだてを、マリア様だけが持っていて与えて下さいます。

 メッセージを読んでください。スカプラリオを肌身はなさず首からさげて下さい。ロザリオを毎日一連、マリア様に愛をおこしながら、うやうやしく唱えてください。わずか10分でできることです。この毎日の10分にあなたの永遠がかかっています。
 これほど簡単な手段をあなたが拒否するなら、あとマリア様にいったい何ができるでしょうか? 神様は救われたいと望まない者を、お救いにはならないのです。どれほどマリア様が、神様の御前に必死であなたを弁護しても、あなた自身の望みがなければダメなのです。

 あなたが救いを望むのなら、どうかマリア様が与えてくださったこの手段を実践してください。それをマリア様は、血の涙を流しつつ、あなたにこいねがっています。あなたはマリア様にとって、かけがえのないいとしい子なのです。



--------------------------------
【 第33章 】

 霊魂を救うこと、それはすなわち霊魂を地獄に引きずり込もうと働きまわっている悪魔との戦いです。そして戦士はあなたなのです。マリア様はこの戦いに、あなたの武具としてスカプラリオとロザリオを用いなさいと命じています。スカプラリオは鎧(よろい)と盾(たて)です。ロザリオは剣です。総司令官はマリア様です。

 メッセージを読み、マリア様の指示に聞き従い、スカプラリオを肌身離さず首から下げ、毎日マリア様に対する愛を込めてロザリオをうやうやしく唱えるなら、あなたが救うのは自分一人ではありません。その愛と、多くの人々を救いたいという望みの強さに比例して、あなたは数え切れない霊魂を悪魔の手から救えるのです。全ての人が、この戦いに召されています。多くの人が応えて、このやさしい実践を行なうなら、マリア様は日本を救うことができます。

 それはこういうことなのです。マリア様は神仏ではありません。悪魔に対する絶対的勝利者として神様から創造された、完全無欠な全人類の母です。たった一人の救いのためにも、すべてを尽くして取り次ぐお方です。私達の祈りは、マリア様の取次ぎの力を強めるのです。悪魔は、神様によって力を奪われ、握っていた獲物である罪人の霊魂を手離さざるをえなくなるのです。
 日本人の罪に対する神様の正義の罰を、のばし、やわらげ、あるものはとりやめてくださるようにと取り次いでいるマリア様に、さらに力を与えるのも、私達の祈りです。その罰とは、富士山の噴火による数百万人の死、中国の侵略による全人口の60%の死、いくつもの巨大地震、大津波、火山の噴火、凶作と伝染病、彗星による火の雨、放射能汚染と数え切れません。しかも最後には、日本列島そのものが海の中に沈んでしまいます。これらの出来事は目前にきています。

 自分の救いと日本の救いを望むならば、まずあなたがマリア様の戦士として戦い、あなたのまわりの人にも戦士として戦うよう宣べ伝えなければなりません。マリア様は日本を救うために、あなたを必要としているのです。 



--------------------------------
【 第34章 】

 人間は胎内で受精の瞬間、新たに神様から創造された霊魂を受けます。そして肉体を形作り、胎内からこの世界に生み出してくれるのは母親です。人間がこの世界から天国に住むためにも、同じことが定められています。

 この世界で罪に汚れて生きる霊魂は洗礼の瞬間に、永遠の生命を天国ですごす権利を受けます。そしてこの霊魂をイエズスの似姿(にすがた)に形作り、この世界から天国に生み出して下さるのはマリア様です。全人類は天国に行くために、一人の例外もなくイエズス様とマリア様が必要です。

 赤ちゃんにとって母親の胎内は、安全でしあわせな天国といえるのと同じで、マリア様の胎内は、この世界に住む間の安全でしあわせな天国です。マリア様を愛し、信頼し、より頼む人は、このつらい世にあって、すでに天国を味わい、天国行きをますます確実にすることができます。

 マリア様の胎内に住むために、どうかたびたびマリア様に子供らしく話しかけてください。マリア様は一日中あなたの語りかけを待っています。あなたが話しかければ、マリア様の心は喜びでおどります。そしてあなたの心にはインスピレーションという形で答えが置かれるのです。

 話さないのは冷たい心です。冷たい心は愛のなさです。愛がないなら、あなたの信心はいつわりになってしまいます。ですから話すのです。打ち明けるのです。呼びかけるのです。そうすれば生きた愛の交流が、あなたとマリア様の間に生れます。



--------------------------------
【 第35章 】

 マリア様に対して、他人の母親に対するようなよそよそしい態度ではいけません。マリア様はあなたのお母さんです。あなたを世話する愛情の深さ、細やかさ、完全さにおいては、まるであなただけのお母さんのようです。

 マリア様は、あなたの何から何まで世話をして、あなたを導き育てたいのです。それにはあなたがマリア様に身をまかせることがとても大切です。

 今まであなたは、きらいな人、いやな出来事にイライラして、いやいやながらそれを受け入れてきました。マリア様に身をまかせるとは、身の回りのすべての出来事にマリア様の配慮を確信して、よろこんで受け入れることです。起こるすべてのことを喜ぶのです。これを実行するなら、心に平和と喜びがやどります。今までストレスだったものが、そうではなくなるだけでも大きなことです。自分がいつもマリア様に愛され、保護され、教育されていると感じることは、絶対的な安心と勇気を生みます。

 自分をマリア様の幼な子だと自覚して、どうぞマリア様に身をまかせてください。そうすればこれが天国への最も安全な近道だとわかります。 



--------------------------------
【 第36章 】

 中学生、高校生でSEXをする人の割合がどんどん高まっています。彼ら、彼女らにそれが罪だと教えるべき親が、それを教えていません。子も親も、この罪に責任を負っています。子も親も神様に背き、地獄に向かって進んでいます。どちらもあわれです。

 いいですか、よく聞いてください。目にも耳にも、性欲をそそるものを受け入れてはいけません。テレビも、絵も、写真も、音楽も、小説も、会話も。イエズス様だったら、マリア様だったら、こんなものを受け入れたでしょうかと考え、吟味してください。

 SEXのことを空想して楽しむことも、オナニーも罪なのです。コンドーム、ピル等の人為的な避妊行為も罪なのです。着床を妨げるピルは、堕胎と同じく、純然たる殺人なのです。若い人のほとんどは、貞潔に反する罪を犯していて、この罪のために、とても多くの若い人が地獄に落ちています。

 マリア様は血の涙を流して悲しんでいます。どんな小さな罪もマリア様を苦しめ、悲しませます。「私はマリア様を悲しませてきたんだ。私はそうすべきではなかったのに。私はマリア様を悲しませたことを悲しみくやみます」という心をいだいてください。それから地獄をおおいに恐れてください。「地獄に行きたくありません。もう罪をおかさないように助けてください」とマリア様に心からすがってください。「マリア様を悲しませた償いに、この罪を犯さないように努力する戦いと苦しみを、罪ほろぼしとして捧げます」と言って、自ら進んで苦しみを引き受けてください。これが「罪のゆるし」に必要な痛悔です。

 マリア様は、あなたの痛悔を神様に運んでくださいます。イエズス様はマリア様の取次ぎによって、十字架で流した血をもって、あなたの罪を洗い清めてくださいます。貞潔を守ってください。貞潔を愛し、あこがれてください。マリア様にできるだけ似るように、ますます純潔を完全なものに磨いてくださいね。



--------------------------------
【 第37章 】

 全ての人に、救われて天国に行くチャンスがあります。「あんな人、絶対に地獄に行くよ」とみなさんが思うような人でも、マリア様から見ると、みな死の時までチャンスがありつづけ、実際その時、マリア様によってきわどく救われる人が多いのです。

 日本における聖シャーベル修道会が、ネット宣教をはじめて、今日で一周年です。人は誰一人、死の時まで、救われるか滅びるかは確実ではないのですが、マリア様を愛し、聞き従うことは救いの保証なのです。天はみなさんを救うために、イエズス様やマリア様の何十万通ものお手紙を皆さんに届けています。それを読み、受け入れること、これが「時の終り」という暗黒の時代において救いを得る最大の手段だからです。イエズス様やマリア様から、これほど多くのお手紙をいただくなんて、何というしあわせでしょうか。読まずに投げ捨てる人がほとんどですが、まだこの手紙は、ほんの一部の人に届いたにすぎません。

 すべての人に救われるチャンスがあり、天からの手紙を読むことが、このチャンスを最もよくつかませるなら、皆さんに愛があるのでしたら、どうかメッセージを隣人に伝え、ひろめてください。マリア様の郵便配達人になってください。

 みなさんは愛の使徒、愛の宣教者として召されています。





【 第38章 】

 この世のありとあらゆる悲しみを集めても、マリア様の御心の悲しみの大きさと比べれば何でもありません。愛するひとり子イエズスが、目の前で拷問され、なぶり殺されました。自分自身がそんな目にあうよりも、ずっと大きな拷問でした。

 イエズス様が、マリア様のその苦しみを見たために、ますます苦しまれるのを見て、マリア様は無限の悲しみの淵にしずみました。永遠の御父は、イエズス様には愛する母の苦しむ姿を、マリア様には愛するひとり子イエズス様の苦しむ姿を、最も苛酷な拷問道具となさったのです。お互いの姿によって、お互いの苦しみが無限に増幅していきました。それは人知を超える神の無限性に至る悲しみ、苦しみです。

 これほどの悲しみに満たされているマリア様の御心には、慰めを与えてくれるものがほとんどありません。今も愛する人類の一人一人が、目の前で悪魔にひきずられ、地獄に失われていきます。この悲しみに満ち溢れるマリア様に、あなたのささやかな愛が、どれほど貴重な慰めか理解できますか? マリア様への愛の証しとして身につけるメダイ、たった10分のロザリオ、メッセージを喜んで読むこと、つらい時に「ああ、マリア様」、うれしい時に「マリア様ありがとう」、こんなささやかな一つ一つが、マリア様にとって生き返るほどの喜びに感じられるのです。

 今週、カトリック教会は、マリア様とイエズス様の受難を記念しています。悲しみ嘆くお二人のみ心を、小さな愛でどうか慰めてください。








【 第39章 】

 マリア様は「信仰」を生む母です。イエズス様が殺されてしまった瞬間から、復活を信じて信じぬきました。全人類にかわって、マリア様だけがイエズス様の言葉を全て信じぬきました。信じることを知らない全世界と、信じさせまいとする全地獄の力に、ただ一人で立ち向かい、ただ一人で打ち勝ちました。こうしてエヴァの不信仰を完全に償い、イエズス様とともに全人類をあがなったのです。イエズス様は、マリア様のこの完全な信仰にこたえて復活してくださいました。マリア様を通して復活なさったのです。この世に人となって来てくださったのも、マリア様の完全な信仰の「はい、おっしゃるとおりこの身になりますように」という言葉によってでした。マリア様を通して救いも、あがないも、すべての恵みが私達に与えられているのです。

 今日から40日間、教会はイエズス様の御復活を祝います。御復活は、マリア様がイエズス様とともに全人類をあがなってくださった方であることと、救われるための全ての恵みは、マリア様を通してのみ私達に与えられることを明らかにあらわすのです。ですから信じるために、そして罪の生活という死から徳の生活という命に生き返るために、まずマリア様にすがってください。

 誰が何と言おうと、まずマリア様なのです。マリア様のもとに行って初めて、あなたは愛することが本当にできるようになるでしょう。子供はお母さんに愛されて、愛することを学ぶでしょう? 霊魂をもって愛することは、霊魂のお母さんに、つまりマリア様に愛されて初めて実行できるようになるのですよ。



--------------------------------
【 第40章 】

マリア様をお母さんとして、自分をその子供とするようマリア様は願っています。幼な子であるあなたが、お母さんに対して自然にとる態度と行動とは、よりすがることです。マリア様によりすがることは真の謙遜です。

 一日中、何につけてもマリア様によりすがる人がいます。何日も、全くマリア様によりすがらない人がいます。あなたはどちらの方ですか? 自分はマリア様なしに何もうまくできない。自分一人では良いことは何もできない。そう心から確信している人は、小さなことにいたるまで、お母さんであるマリア様といっしょにやりたいと望みます。そしてうまくいった時はマリア様といっしょに喜び、うまくいかない時はマリア様にもっとよりすがります。しかし、マリア様がお母さんで、その子供が自分なのだとわかっても、ごうまんな人はマリア様によりすがりません。自分一人でできる、自分一人でやるべきだと確信していますから。

 あなたは霊魂において謙遜になりたいのでしょう? 内的謙遜を確実に手に入れる方法はただひとつです。マリア様に何事においても幼な子のようによりすがる。これです。きわめてわずかな人しか知らない、そして実践しないこの方法を、海の真珠のように、畑に隠された宝のように貴重なものとみなしてください。そうするなら、マリア様とあなたはどれほど親密な親子になることでしょう。そして、マリア様の深い謙遜にあなたは似たものとなるのです。



--------------------------------
【 第41章 】

 今の世代は「うらみ」に支配されたあわれな世代です。心にうらみを持っているなら、マリア様はその心に住めません。うらむ生き方は、愛する生き方と正反対の生き方だからです。

 一歳の赤ちゃんがいるとします。お母さんへの愛着が赤ちゃんにもう出来上がっています。母子とも病気になって、大人の病棟と小児病棟に別々に入院します。その子はお母さんがいないので泣き続けますが、お母さんは来ません。お母さんが来ないことに、あれほど泣いて怒って抗議していたのに……。しばらくして、その子は泣かなくなります。
 やっと病気が治ったお母さんが会いに来たとき、その子はお母さんを見て大喜びすると思いますか? お母さんを見ると、その子はお母さんから顔をそむけ、抱き上げられても抱きつかず、お母さんを拒否します。お母さんに「うらみ」を抱いているのです。「絶えず愛してくれるのが当然な人」がほんの短い間取り去られるだけで、一歳の赤ちゃんの心にさえ「うらみ」が生まれ、心に巣くってしまうのです。

「絶えず愛してくれるのが当然な人」であるマリア様も神様も教えられないで幼児期を終えてしまう今の世代は、まわりからほしい愛が得られなくなるとき、心にうらみを生じ、それをだいて生きるはめにおちいるのです。

 このあわれな世代を救うことができるのはマリア様だけです。あなたの心にある「うらみ」を追い払う方法は唯一で、それはマリア様の宇宙よりも大きな母性愛を受け入れ、このマリア様を全力で愛そうと、固く決心することです。信じてください、マリア様はすべての問題の解決を持っている方なのです。



--------------------------------
【 第42章 】

 10年前にはマリア様は、死にゆく人の80%は地獄におちているとおっしゃっていました。今は、死にゆく人の90%が地獄におちているとマリア様はおっしゃいます。

 この世的な楽しみは、この10年間、ますます増えてきました。舌をよろこばすもの、目をよろこばすもの、耳をよろこばすもの、感覚にこころよいもの、情欲をあおるもの、それらの大洪水の中に霊魂はおぼれ死んでしまっています。五感を通して入ってくるそれらの快楽の水かさは、霊魂のはるか上まで届いた水のように、霊魂を窒息させています。あなたの霊魂を生き返らせることができないなら、行き着く先は永遠の地獄です。

 どうすればいいのでしょう? まずマリア様に目を注ぎ、マリア様がどのように生きたかを見て、まねてください。外目にもはっきりわかるのは、マリア様の節制です。マリア様のように、五感の楽しみをわずかな量にするのです。
 けれども、これをまねしはじめたら、あなたは最初、とてもさびしく感じるでしょう。心を満たしていたもの、それは霊魂にとって有害無益なものであるにしろ、それが少なくなったあとは、ポッカリあいた穴のようです。そのとき、自分がさびしがりやの子供になった感じがするでしょう。それでいいのです。お母さんであるマリア様といつもいっしょにいるようにつとめてください。何をするにしても、「お母さん、いっしょにいてね」「お母さん、これをいっしょに行ないましょう」と言って、本当にさびしがりやの子供になればよいのです。

 やがて快楽の洪水はひいてゆき、霊魂は息をすることができるようになります。そしてあなたは一日中、いつもマリア様といっしょにいることを身につけていることでしょう。



--------------------------------
【 第43章 】

 マリア様のメッセージを読む人は、マリア様を信じ、その言葉を受け入れます。まず、自分自身のお母さんだということを受け入れるのです。次に、子供らしくお母さんに話し掛け、お願いや悩み事の打ち明け話をするたびにお母さんと親しくなってゆき、だんだんマリア様といっしょにいるという生き方が身についてゆきます。

 この段階で実践してほしいことがあります。それは、マリア様をまねるために、心の目にマリア様を思い描くことなのです。そうです、まねるためにね。赤ちゃんであればあるほど、言葉ではなく、まねることによって学んでいるのを、身近な母と子から気がつきませんか? マリア様に愛をささげるために、マリア様を心に思い浮かべてきましたね? 生活のあらゆる状況でマリア様を思い描くようにするなら、一日中もっとマリア様のことを考え、マリア様から学ぶことができます。

 こうしてマリア様をまねていくなら、いつかあなたの人生は、マリア様の人生の延長であると言えるほどの段階にいたることができます。マリア様があなたの中にもう一度現代に生き、あなたを見る人があなたの中にマリア様を見ることができるほどの段階に達することができるのです。むずかしい学問でもなく、きびしい苦業や長い祈りによってでもなく、もっと子供らしく愛しまねることによってです。どうかこの実践を始めてみてください。とてもやさしい道、甘美な方法なのですから。



--------------------------------
【 第44章 】

 日本の皆さんに気がついてほしいことがあります。それは、復讐心という悪意を心に宿していることです。あなたの日常生活のいろいろな場面で、思い、話し、行動することにおいて、この復讐心が影響していませんか?

 同じ場面でマリア様のことを心に思い描くなら、ゆるしにつぐゆるし、完全なゆるしによって思い、話し、行動するマリア様が見えるでしょう。親類、同郷の人、同じ民族からのひどいひどい誤解、非難、侮辱、罵倒を受けつづけては、完全にゆるしぬく御生涯でした。御ひとり子のイエズス様を迫害されて十字架刑で殺されることまでも、御自分に加えられる以上に苦しみ、相手をゆるしぬきました。

 イエズス様が昇天なさったあと、その神秘体である教会に加えられた迫害も、御自分に加えられる以上に苦しみ、ゆるしぬきました。ひとかけらの遺恨ももたず、いつもいつも完全にゆるしました。イエズス様の受難と死の本当の下手人である私達、全人類の一人一人に対しても、完全なゆるしを行ないつづけていて下さっています。

「ゆるす人は2倍愛する」これはイエズス様のお言葉です。おお、それでしたら、ゆるすということは何とすばらしい行いでしょうか。あなたがマリア様に似たもの、もう一度この世に生きてくださるマリア様になるためには、ゆるしぬくマリア様を生活のあらゆる場面で心に思い描き、その思い、言葉、行いを手本にして、自分を変えてゆくことが必要です。



--------------------------------
【 第45章 】

 マリア様のメッセージは、皆さんに「生き方を改めなさい。そのままでは地獄に行ってしまうのですよ」と言っているのですが、「私の生き方はどこが間違っているのだろうか?」と皆さんが自問しても、きっと「私はそんなに間違っていない」という答えをだすことでしょう。でも実際は、どこかが間違っているという程度のものではありません。生き方そのものが根本的に間違っているという深刻な事態なのです。

 「生きていても意味がない」と自殺する若者が大勢いて、ますます増えています。これは自分の幸福のために生きる生き方の最もあわれな結末です。あなたは自分の幸福などちっとも求めず、他人を幸福にすることのみを望んで生きるように神様から求められているのだと、メッセージを読んで気がつきませんでしたか?

 この世での自分の幸福を追求する生き方は、それ自体が神様を傷つけます。神様はそのためにあなたを創造したのではありません。その生き方は罪深い生き方です。これほど根本的に罪深い自分に気がついたら、どうかマリア様にひたすらよりすがってください。マリア様の胎で新たに生まれ、マリア様の母乳で新たな生き方に成長し、イエズス様の兄弟になるために!





【 第46章 】

 今日は聖霊降臨の大祝日です。皆さんを含め、この世のものはすべて、神様にささえられ続けていなければ、存在を続けることが決してできません。でもそれを皆さんは意識していません。これと同じように、神である聖霊によらなければ決して神様を愛することはできないのですが、それを私達は意識していません。神である聖霊は、私達のうちに働き、神を愛させる神なのです。幼い子が「神ちゃま、あなたがだいしゅきでしゅ!」という時も、キリシタンの子供が、役人に燃える炭火をつかめと命ぜられ、平然と握りしめた時も、神への最初の愛のめばえから英雄的愛にいたるまで、すべて聖霊が働いて愛させて下さっているのです。

 次に書くことは、とても重大なことです。その聖霊とマリア様の意志は完全に一致していて、私達のために聖霊は必ずマリア様とともに働かれるのです。例外はありません。私たちの改心と聖化のために、聖霊がマリア様ぬきで単独で働くことは決してありません。ですから神を愛し、日々改心し、日々聖化されるためにマリア様によりすがらなければいけないのです。つまり、すべての恵みはマリア様によって配られていますから、マリア様に「ください」と頼む人に最も豊かにそそがれるのです。以上の真理を教会は、マリア様を聖霊の浄配(花嫁)、すべての恵みの仲介者と呼んで、教え示しています。



--------------------------------
【 第47章 】

 今日は三位一体の大祝日です。あなたは三位一体の神をどこにさがしますか? 三位一体の神は、マリア様のうちに住んでいます。時間にも空間にもしばられない神様は、マリア様にご自分の全てを与え、ご自分の全てにあずからせることによってマリア様のうちに住みます。どんな被造物にも、偉大な天使たちにさえもこの恵みは与えられていません。

 御父の全能、御子の全知、聖霊の全善を完全に映す鏡。神がご自身の愛の全てを注ぐことができる唯一の被造物。その愛を少しも減らさず愛し返すことができ、そうしていらっしゃる唯一の被造物。神を完全に満足させる唯一の被造物。これがマリア様の本質です。

 このマリア様の取次ぎと功徳によって罪人である人類を救うのが三位一体の神のご計画なので、マリア様はよりすがる者にとって、サタンにたいする無敵の保護者です。マリア様のうちに三位一体の神が住んでいらっしゃるのに、どうしてサタンがマリア様に抵抗できるでしょうか?

 マリア様はこれほど素晴らしいお方なのですから、マリア様を愛しましょう! たたえましょう! よりすがりましょう! 芸術家が、その作品を愛したたえる人によって栄光をうけるように、私達が三位一体の完全無欠な最高傑作であるマリア様を愛したたえる時、マリア様を創造なさった三位一体の神は最も栄光をお受けになります。



--------------------------------
【 第48章 】

 今日は聖体の祝日です。以前、スイスのネッスルが貧しい国々に粉ミルクを売り込み、とてもたくさんの乳児が死亡しました。その国々には不潔な水しかないからです。そこでは乳児のための唯一安全な水分は、母の乳首から直接すう母乳だけです。しかも母乳には、母の持つ免疫が入っていて、その土地に存在する病気から乳児を守っています。

 皆さんの霊魂も、神の御前には乳児です。不潔な風俗・習慣・書画・思想の水しかない国の乳児です。この霊魂にとっても、神の命に生きるには、マリア様の胸から直接すう母乳が必要です。それが真っ白く丸い小さなパンの外観のもとに、現存してくださっているイエズス様です。霊魂を養う糧になるため神様がなさった大発明、それが今日祝う「聖体」です。
 「マリア様の母乳はイエズス様です」と考える時、マリア様との対話は霊的聖体拝領となります。「ああ、マリア様」と、もっとたびたび申し上げ、マリア様との子供らしい語らいのうちにその母乳を飲み、イエズス様と一致してください。
 乳児に必要なすべてのものは母の中にあるように、霊魂に必要なすべてのものはマリア様の中にあるのです。



--------------------------------
【 第49章 】

 全人類のためにマリア様は世界中に来て、話しています。マリア様はこうおっしゃっているのです。「あなたたちはたいへんな罪人です。たいへん間違っています。このままでは地獄に行ってしまいます」と。

 メッセージを読む私達の霊魂に「私達はたいへんな罪人です。たいへん間違っています。地獄に落ちて当然な人間です」、そういう理解が生まれているでしょうか? それが生まれていないなら、最初の一歩からやり直しです。

 救い主イエズス様を受け入れる準備をさせるためにつかわされた洗者聖ヨハネは、痛悔の心を人々に持たせようとつとめました。イエズス様ご自身が来て教えはじめられたときも、痛悔の心を持つように教えました。「私は罪人です。あわれんでください」と心から言った人は救われ、「私は善人です。ほめてください」と思った人は滅びの道に行きました。

 今、時の終りに、洗者聖ヨハネ役を果たしていらっしゃるマリア様は、彼のきびしさと激しさにかえて、やさしさと平和にみちた御自分の胸にすがりついて痛悔するように、両手をひろげて招いてくださっています。罰せられるおそれから守られるマリア様の胸で、痛悔することは何と幸せなことでしょう。

 マリア様の胸で、けんそんの徳の最初の一歩をはじめましょう。今日、教会は洗者聖ヨハネの誕生を祝っています。生まれたばかりの彼は、落ち着きのない強い子だったのに、マリア様の胸に抱かれると、いつも静かに平和になったのですよ。



--------------------------------
【 第50章 】

 今日はイエズス様の「いと尊き御血の祝日」です。イエズス様の御血は、たった一滴で全人類の罪を洗い清めることができます。それは全人類を救いたいという無限の望みによって流されたからです。この同じ無限の望みによって、マリア様も涙を流されました。イエズス様のいと尊き御血はマリア様の涙がいつもとけあわされ、いよいよ尊いものになっています。

 生まれて八日目のイエズス様は律法の定めるとおり、おちんちんの先を切り取られ、痛み、苦しみのうちに私達のために最初の血を流され、マリア様もお泣きになりました。十字架の刑の時も、イエズス様は御血を流しつくされ、マリア様も涙を流しつくされました。こうしていつもイエズス様の血は、マリア様の涙でとかれました。

 このようにイエズス様とマリア様はいっしょに私達をあがなってくださったのです。ミサで、ワインだけを聖変化させるのではなく、少量の水を加えて聖変化させるようイエズス様がお定めになったのは、マリア様がイエズス様と共にあがなってくださった「共贖者」であることを教え示すためです。

 私達は、私達を救いたいというマリア様の無限の望みに信頼し、よりすがりましょう。






【 第51章 】

 今、死んでゆく人の90%が地獄に落ちているというのに、今、生きている人の中で「私は罪人だ」と思っている人は皆無に近いでしょう。

 人は、マリア様と天使に霊魂がともなわれて生きるなら、深い平和を感じつつ、自分の罪深さによく気がつきます。しかし、今の世代の人々はそうではありません。神様を否定し、拒否しているので、霊魂は悪魔にともなわれ、悪魔の思うようになっています。深い平和など全く感じることがなく、自分が罪深いだなんて決して認めません。

 でも、悪魔の友になっていることが罪深くないのですか? 地獄に向かって歩いていることが罪深くないのですか? 自分の霊魂を救おうと努力しない一瞬一瞬は、「時」という神様からの最高の恵みを投げ捨て、踏みにじる罪の連続なのですよ。

 皆さん、救われる10%にはいるには、イエズス様とマリア様のあがないに、自分の痛悔を加えなければなりません。マリア様は「痛悔しなさい」と何度おっしゃったことでしょう。

 ですから「私は罪人です。はなはだしい罪人です」と今、心から思えるか調べてみてください。痛悔は救われるために絶対必要ですから、どうかマリア様に頼んでください。「私の罪深さを教えてください」と。こう頼むことは、マリア様をとっても喜ばせますから。



--------------------------------
【 第52章 】

 今、死んでゆく人の10%が地獄をまぬがれています。そのうちのほとんどの人が煉獄に行っています。まっすぐ天国に行く人はとても少ないのです。

 煉獄には13段階があります。下に行くほど清めのための苦しみは大きいのです。霊魂は地上で果たせなかった償いを果たすために、ふさわしい段階に神様から送られます。8段階から下には悪魔がいて責め苦を与えるので、その苦しさは地獄に近いほどです。これは霊魂にとっては清めであり、悪魔にとっては罰なのです。なぜなら、霊魂は一段一段上がっていき、いつか必ず天国に行くのに、悪魔は永遠にねたみの火に焼かれ苦しむからです。

 とにかく煉獄の苦しさは生きている私達の理解をこえています。煉獄の一日が、その苦しさゆえに地上の数百年、あるいは数千年、あるいは数万年にも感ずると言えば十分でしょう。数知れない霊魂が今、この苦しみの中にいます。

 マリア様のお望みは、私達が彼らを愛することです。彼らは私達を愛して助けているのですから。彼らを助けるためには、マリア様に私達が祈るのです。マリア様の地上でのご生涯の一瞬一瞬は、絶え間なく神様を完全に愛した一瞬一瞬でした。ですからマリア様お一人で積んだ功徳は、アダムから最後の一人にいたるまでの全人類にゆずってもなおありあまる量なのです。神様は生きている私達が祈ることによって、煉獄の死者たちにマリア様の功徳を適用し、解放を早めてくださいます。

 マリア様の取次ぎの力がどれほどであるかを示す具体例をあげましょう。7月16日は「カルメル山の聖母の祝日」です。この祝日のために9日間の祈りがあります。「カルメル山の聖母よ、神のあわれみによって霊魂を解放し、私達を救ってください」と3度繰り返す祈りを9日間続けます。マリア様は「この9日間の祈りを成し遂げたら、100万の霊魂が救われて解放されます。それは私の『カルメル山の聖母』の名のもとでの、私の取次ぎによるのです」と約束してくださいました。明日の祝日から9日間、あなたがこの祈りをささげるなら、あなたは100万人の煉獄の霊魂を天国にのぼらせることができるのです。

 この世のどんな苦しみにもまさる苦しみの中にいる人々に対する愛徳は、本当に価値ある愛の行為です。マリア様と共に、マリア様のうちに、マリア様によって彼らを愛しましょう。
【 第53章 】

 7月16日の「カルメル山の聖母の祝日」の季節以外にも、マリア様によって、かわいそうな、そして私たちを愛し助けてくれている煉獄の霊魂を助けるすばらしい祈りがあります。一年中、いつでもできる祈りです。もちろん毎日でも。

「あなたの聖なる血の涙によって
 あなたの母なるあわれみの涙によって
 あなたの功徳によって
 そしてあなたのご意志によって
 煉獄の53000の霊魂を解放するか、階級を上げてください。
 地獄の53000の悪魔をくさりにつないでください。」

 次に、めでたしの祈りを三度くりかえします。

 こんな小さな祈りをマリア様にささげるだけで、これほど大きな恵みが与えられるのは、ひとえにマリア様によってだからなのです。マリア様は恵みの大海です。果てしない大洋です。そこから私達が祈りのバケツでいくらくんでもくんでも恵みが尽きることは決してないのです。



--------------------------------
【 第54章 】

 日本では神は罰する者として恐れられています。「さわらぬ神にたたりなし」ということわざは、それをよくあらわしています。イエズス様を知った後も、たいていの人が神の正義を恐れつづけています。マリア様を母として赤ちゃんのように愛する人にとって、そんな恐れは全く必要ありません。

 神様は正義そのものですから、私たちを各人のあり方に従って正しくあつかわれます。奴隷のように、ただ神の罰を恐れて従う人を奴隷のように、やとわれ人のように利益をあてこんで従う人をやとわれ人のように、忠実なしもべのように神のことも自分のことも考えて従う人を忠実なしもべのように、友のように神の聖心の愛と苦しみまでも考えて従う人を友のように、子のようにまったく自分を忘れ神のためだけに従う人を子のように、それぞれあつかわれます。

 私達が完全な愛によって神を愛するとき、恐れはそこにありえません。父を愛する幼な子のように神を愛するものを、神はかよわい幼な子のようにあつかってくださるからです。

 私達が幼な子になるために、マリア様を与えてくださったのは神様です。かたときもお母さんを離れては生きていけないほどに、マリア様にたよりきって、何でもマリア様といっしょに行ない、いつもマリア様にまなざしを向けていましょう。お母さんに幼な子のようにたえず語りかけ、そして、マリア様のなすがままになって安心しきっていましょう。「幼な子のようにならなければ天国にはいれない」と、せっかくイエズス様が天国にはいるこんな簡単な方法を教えてくださったのですから。



--------------------------------
【 第55章 】

 メッセージでマリア様は、「あなたたちの祈りをください。そうすれば、もっと多くの霊魂を救うことができます」とおっしゃいます。何とうれしいことでしょう! 私達は、マリア様によって多くの霊魂を救うことができるのです。これは全くマリア様のおかげです。私達には何の力も功徳もないのですから。

 どんなに罪深い霊魂にも、また、イエズス様やマリア様を知りもしない愛しもしない霊魂にも、人生の最後の瞬間まで、あらゆる瞬間、あらゆる機会を通して、自分の罪深さを認め、神にゆるしをこうようにと内的に働きかける、それがマリア様のなさっていることです。

 もし私達に、全ての人を救いたい、全ての人の罪をつぐなってあげたいという愛と望みがあるなら、私達はマリア様とともに世界中の全ての人のもとに行くことができます。マリア様は、私達の愛と望み、祈りと苦しみを利用して、もっと力強く霊魂たちに働きかけることができるのです。



--------------------------------
【 第56章 】

 亡くなった人が地獄に行ってしまったと知らせる時、マリア様は悲しみに満ちて「その人は最後まであわれみを拒否しました」とおっしゃいます。マリア様はすべての人に対して、それぞれの生涯の一瞬一瞬、あわれみの呼びかけをし、あわれみの手をさしのべ、あわれみに心をひらくように働きかけていらっしゃるお方です。

 マリア様はどんなお方かと言うならば、決して見捨てないお方です。たとえ世界中が見捨てようが、実の親が見捨てようが、マリア様は決して見捨てません。このマリア様のすがたを、身をもってあらわしたのがコルベ神父様という方です。この方は、アウシュビッツで餓死刑に処せられる囚人を最後まで愛でつつみ、絶望から守るために、その中に自分から加わり、彼らのために命をささげました。

 皆さんが救われて天国へ行くためには、マリア様のあわれみを拒んではだめなのです。それはマリア様をあなたが見捨てることであり、最後まで決して見捨てないマリア様のあわれみを拒んでしまえば、もうあわれみはありえないからです。残るのは永遠の罰という運命です。ああ、どれほどマリア様は、さしのべたあわれみの手にあなたがすがるのを待ち望んでいることでしょう!







【 第57章 】

 マリア様はルルド、ファチマ、そして今、全世界の何千ヶ所にも御出現になって、最も強調なさるのは「罪ほろぼしをしなさい」ということです。

 私達が「罪ほろぼしをしたい」と考え、すすんで苦しみをささげる時、この望みと行為を受け取って、神である御子イエズス様に持っていってくださるのがマリア様です。神である御子イエズス様は、それをご自分が人間となって苦しんだ苦しみに一致させます。こうしてはじめて私達の望みと行為は、御父に罪ほろぼしとして受け入れられるのです。

 たったひとつのわずかな罪でさえ、たとえ私達が全財産を与えても、この身を死に渡しても、マリア様とイエズス様なしでは償うことができないのです。ですから、洗礼を受けている人だけが、罪ほろぼしとしての価値がある行ないをすることができるのです。

 カトリック信者の使命は、自分の罪だけでなく、他人の罪、特に洗礼を受けていないために罪ほろぼしの価値ある行ないをできない人々の罪を、かわって償ってあげることなのです。

 マリア様に助けていただければいただくほど、多くの他人の罪を償うことができます。もちろん自分の罪もです。信じてください。今、最も緊急かつ重要なことは、マリア様を愛して受け入れ、マリア様とともに罪ほろぼしをすることなのですよ。



--------------------------------
【 第58章 】

 この時代は、一人の人が自分の犯した罪を償いきることが、この世ではできなくなってしまった時代です。それはあまりにも多くの罪を犯すからなのです。マリア様はメッセージで教えてくださっています。今は一人の人の罪の償い、つまり罪ほろぼしに、二人以上の協力者が必要になっていると。

 では、あなたは自分の罪を、神様が時間を与えてくださるかぎり償って、罪ほろぼしをしたいと願っていますか? 99パーセント以上の人の答えが「いいえ」です。では、あなたは他人の罪までも、かわりに償って、罪ほろぼしをしたいと願っていますか? 99.99パーセント以上の人の答えが「いいえ」です。では、あなたは自分の罪の償いに協力して罪ほろぼしの祈りと苦しみをささげてくれる人を二人以上もっていますか? 「はい」と答える人は、ほとんど世界中にいないでしょう。いたらその人は何としあわせな人でしょうか! 何とうらやましい人でしょう!

 8月28日は聖アウグスティヌスの祝日です。改心して大聖人になった人です。彼は「罪の償いを、残りなく果たして、神様のみもとに帰りたい」と熱望し続けました。お母さんの聖モニカが、彼の改心と償いのために身をささげ続けたので、罪人が聖人になりました。

 皆さんにとっての聖モニカは、マリア様です。そして皆さんが明日の聖アウグスティヌスになるために持つべき愛の望みとは、神様と隣人のために、自分と他人の罪を全て償いたいという望みでなくてはなりません。マリア様を愛し、信頼し、より頼むなら、この愛と苦しみの十字架を望むことも、実際に荷(にな)うこともできるのです。



--------------------------------
【 第59章 】

 あなたは、自分を特別にかわいがり、愛し、世話をしてくれる恩人を苦しめ、悲しませてしまったらどうしますか? 大急ぎであやまりますよね。それだけですか? 悲しませ苦しめた以上に、今度は喜んでもらえることをしようとがんばりますよね。

 マリア様が罪ほろぼしをしなさいとおっしゃるその償いとは、恩人の中の恩人である神様に、これと同じようにすることなのです。罪によって悲しませたから喜ばせるのです。この喜ばせたいという気持ちは、必ず持たなければなりません。そうでなければ償いにはなりません。償いの行いに価値を持たせるのは、そこにこめられている愛なのですから。

 さて、愛は自分中心の視点を捨てさせ、相手の身になって考えるよううながすものです。あなたが神様の身になったとしたら、愛するゆえに生まれさせ、天国に入れてあげようとしているのに、ちっとも感謝も愛も持ってくれないし、そむかれてばかりだと心がズタズタになってしまうと思いませんか? そのズタズタになった心をいやすためには「神様、ゆるしてください!」というひとことが必要ではありませんか?

 ですから私達は、神様の苦しみと悲しみを減らすために、まず「神様、私をゆるしてください!」と心から申し上げましょう。そして、そむいたのですから、従うことでうめあわせましょう。

 そうです! 今までのそむきを帳消しにできるほどに従うとは、神様が今、地上いたるところにおつかわしになっているマリア様の導きに、全力をあげて従うことなのです。マリア様のメッセージを信じ、聞き従うことこそ神様の絶対的命令なのですから。神様に従うと言いながら、マリア様に聞き従うことを拒んでいる人は、神様にあまり従ってはいないのです。私達は、その人達の救いのために、その人達の分までマリア様に聞き従って神様に償いをささげましょう。



--------------------------------
【 第60章 】

 煉獄の霊魂の訪問を受ける人が世界中にいます。その人たちに煉獄の霊魂は、自分の償いをかわりに果たしてくれるように頼むのです。「私が地上で傲慢だった償いに、謙遜の行ないを実行してください」「他人に無慈悲だった償いに、慈悲の業を行なってください」
 このように、ある罪を償うとは、その罪の正反対の徳の実践に努めることだと、徳の次元では言えるのです。皆さんが地上にいる間に、自分自身の罪を全て償えば、煉獄の苦しい清めをへずに、まっすぐ天国に行けます。ですから、しばしば犯す罪、目立つ悪徳と正反対の善業と善徳の実践を、償いとしてマリア様にささげましょう。

 でもマリア様を愛して、その御心に同情するとき、それだけでは足りないと感じるはずです。なぜならマリア様は、世界中の全ての霊魂、リンボと煉獄の全ての霊魂を愛しているのですから。

 私達はもっと進んで、この世界でしばしば犯される罪、目立つ悪徳と正反対の善業と善徳の実践を、償いとしてマリア様にささげましょう。マリア様はあなたを常に抱きしめて、恵みの母乳を飲ませてくださっていますが、あなたも悲しみに満ちたマリア様を抱きしめて、涙をぬぐって差し上げてくださいね。



--------------------------------
【 第61章 】

 この世はますますこれから互いに憎みあい、裁きあい、呪いあう世界になっていくことでしょう。犯罪も、テロも、戦争も、人々を憎み、裁き、呪うようにしむけます。加速度的に暗闇に落ち込む世界の中で、皆さんにはマリア様をじっと見つめつづけるように励ましたいと思います。

 マリア様が何をなさっているかよく見てください。愛し、ゆるし、祝福していらっしゃいます。最も凶悪な残虐な人に対しても、愛し、ゆるし、祝福します。なぜなら、これによってのみ霊魂は良くなることができるからです。皆さんが個人や集団を憎み、裁き、呪う時、相手はますます悪くなります。ですから地獄の悪魔も、この世で悪魔の仲間になっている人もそうしています。そしてこの世はさらに悪くなるのです。

 この世を良くするため、一人一人の救いのために、私達にはこれだけがゆるされています。すなわちマリア様とともに愛し、ゆるし、祝福することが。そうすればこの世に善が、信仰と希望と愛が生まれます。神の友は皆そうしています。忘れないで下さいね。マリア様のなさっていらっしゃるとおりに私達も行なう時、マリア様の重荷を減らしてさしあげ、涙をふいてさしあげ、抱きしめて慰めてさしあげているのです。



--------------------------------
【 第62章 】

 学校で、弱い子供をクラスメートがよってたかっていじめています。職場で、一番要領の悪い社員を皆でいじめています。家庭で、抵抗できない幼児を親が死ぬまで虐待しています。なぜ? どうして? というインタビューには、スッキリするからという答えが返ってきます。人を苦しめてスッキリするのですって?! 何ということを!

 皆さんの良心は死んでいます。良いことをしたらスッキリし、悪いことをしたら、たまらなくいやな思いがするのが良心の声です。良心が声をあげることがなくなっているなら、皆さんの霊魂はすでに罪の積みかさねによって押しつぶされて死んでしまっているのです。

 霊魂も死に、良心も死んでいるなら、自分が罪深い人間だと悟ることなどありえません。そんなこと夢にも思わないでしょう。自分が罪深いなどと決して認めないなら、死も地獄も恐れないのも当然ですね。何をしたって平気なはずです。

 さて、そんなあなたをじっと見つめて、マリア様の両目から血の涙が次から次へとこぼれおちます。ドキッとしてショックで良心が目覚める人がいるのです。マリア様の血の涙は、母の心のほとばしりで、救いのための最後の手段です。まず皆さんがこの血の涙を受け止めてください。「これほどあなたを苦しめたのですか?」と聞いてみてください。全てはその問いかけからはじまります。「私は罪人です」と胸を打つことができないあなたにとって、マリア様の血の涙は最後の頼みの綱なのです。



--------------------------------
【 第63章 】

 今日はロザリオの聖母の祝日です。めでたしの祈りの繰り返しと黙想、おお、何と単純な祈りなのでしょう。めでたしの祈り自体が単純さのきわみです。天使からの真理の表明が女王に対してなされます。お告げの時です。

「マリア様にごあいさつ申し上げます。
 あなたは恩寵にみちあふれていらっしゃいます。
 主はあなたとともにおいでです。」

 人間からの真理の表明が女王に対してなされます。エリザベト訪問の時です。

「あなたは女のなかで、祝された御者です。
 そしてあなたのご胎内の御子イエズス様も祝された御者です。」

 大天使聖ガブリエルと聖エリザベトの口を通して神様が語られた「天使と人類の女王」の真理が単純にのべられるだけです。

 神様は天使の創造の前から、無限に単純で謙遜なマリア様を、未来に存在するであろう悪と罪に対する勝利者として予定し、ご計画のうちに所有していらっしゃいました。そしてマリア様の祈りとしてロザリオを、勝利の武器として定めていらっしゃいました。この最も単純で謙遜な祈りをおつくりになり、大天使聖ミカエルは、ロザリオが埋め込まれた剣を持つ天使として創造されました。これを用いて大天使聖ミカエルは、ルシフェルとその仲間を地獄にたたきおとし、最も単純で謙遜な彼が、天使の中で最も高くあげられました。

 ところで、なぜ皆さんはロザリオの祈りを無価値なもの、退屈なものとしてばかにしているのですか? それはあなたが単純さ、謙遜さから遠いしるしです。そして今からマリア様を愛そうとする霊魂たち、マリア様の胎内にやどり、イエズス様の似姿にかたちづくられるためにロザリオはへその緒なのですよ。



--------------------------------
【 第64章 】

 明日は、アヴィラの聖テレジアの祝日です。大聖テレジアと呼ばれる偉大な方です。若いころ美しいシスターでした。自分の姿を鏡に映して虚栄にふけっていた時、神様からこの罪のために地獄に行ってしまうことを示されました。以後、彼女は痛悔し、大聖人になりました。髪の毛、顔、肌、胸、手足、皆さんはどれほど外面をほこり、気にかけ、みせびらかしていることか。そしてこれは罪なのです。

 この虚栄という罪を最初に犯したのは、最高の美と知恵と力を与えられて創造されたルシフェルでした。ルシフェルは、神様が、未来に創造なさるマリア様を全天使に示した時、自分よりも偉大な方が存在することを受け入れませんでした。

 マリア様のことを考えてみてください。ひとつの霊魂としても、一人の女性としても、全人類に対する母性、イエズスに対する神的母性においても、完全で最高なのです。なのにマリア様はそれを決してほこりません。ご自分をいやしいはしためとおっしゃり、かぎりなくへりくだられ、謙遜の影の中にとどまります。

 これを見習ってください。ルシフェルにならう人はルシフェルのところへ行き、マリア様にならう人はマリア様のところへ行きます。ロザリオを唱えつつ、マリア様の徳とご生涯を心に思いうかべ、そこから模範をくみとるのですよ。マリア様はあなたを変えてくださいます。

【 第65章 】

 神への愛と、隣人への愛はひとつです。神を愛する人は必ず隣人を愛します。つまり、敵をすら愛し、誰をも憎みません。今、私達は神を愛すると言いながら、人を憎む人間の典型をテロリストたちのうちに見ています。

 彼らは信仰の英雄でしょうか? いいえ、彼らのうちに神への愛は存在していません。なぜなら、隣人に対する憎しみをもっているからです。皆さんの日常とは、家庭や学校や職場ですから、ごく限られた人との関わりです。たぶん百人もいない日常の隣人に対して、例外なく愛を持ち、善をほどこすなら、皆さんが神を愛していると言うとき、うそにはなりませんが、そうでないなら、それはうそです。

 マリア様は、今回のテロの被害者のうちに多くの英雄的行ないがありました、とおっしゃっています。「目立たないようにすわっていて!」と電話の向こうで頼む家族に「それはできない!」と答えてハイジャッカーに立ち向かった男性に、隣人を愛する人の典型を見ることができます。目の前の隣人よりも自分の都合を最優先するテロリストと、自分の都合や利益をまったく無視して、知りもしない隣人のために立ち向かっていった男性を対比させてみてください。これは私達の日常において、自分の都合を第一に考える人は、隣人も神も愛せないのだという教えになっています。

 ロザリオを祈りつつ黙想してみましょう。マリア様はイエズスを宿したとき、自分の都合を後回しにして、老いて妊娠したエリザベトを手伝いに行き、老夫婦に全ての奉仕をささげました。「マリア様、あなたのようになりたいのです」と、心のそこからマリア様に申し上げましょう。そう頼むなら、マリア様はよろこんで助けてくださいます。





【 第66章 】

 今日はロザリオの月の最後の日曜日です。ロザリオの鎖はほんとに細い針金でできていますが、悪魔をしばります。悪魔をしばりあげ、力をうばい、自由にさせません。また、まったく逆の意味なのですが、神のしもべである私達が、十分な熱誠をこめてロザリオを祈るとき、その鎖は神の正義をしばります。その珠のひとつひとつは涙のように御父に罪人と世に対するあわれみを強要します。
 ロザリオは、世と罪人にあわれみをかけたくて、御父ご自身が、マリア様を通して与えたものなのです。御父は神的正義をやわらげるため、私達の涙に負けたいのです。私達の熱烈な望みにしばられたいのです。

 マリア様とともに祈っていることが、ロザリオの力です。私達の貧しい弱い祈りも清められ、十分な熱誠のこもったものとみなしていただけるからです。貧しく、弱く、悪い私達には、マリア様が全てです。マリア様なしには何の価値ある行ないもできません。ロザリオだけでなく、私達の神への贈り物はすべて、マリア様の手を通ってイエズスに、そして御父にといたるのですから。



--------------------------------
【 第67章 】

 今日はヨハネ・パウロ2世の霊名のお祝いの日、つまり聖カロロ・ボロメオの祝日です。メッセージでマリア様は「ヨハネ・パウロ2世のために祈りなさい」とおっしゃいます。そしてヨハネ・パウロ2世に対して愛を持つことを要求なさっています。

 ヨハネ・パウロ2世の誕生日である5月18日を、マリア様は「箱舟の聖母」の祝日とお定めになりました。彼はイエズス様の再臨を準備させる教皇として、マリア様が育て即位させた特別な方です。ノアの箱舟の外に残った人が誰も大洪水から救われなかったように、マリア様の外に残った人は誰も救われません。

 この聖シャーベル修道会と「箱舟の聖母」のご出現を支持する人々の姿は、ヨハネ・パウロ2世とマリア様に両手をひかれて歩いているごく小さな弱い子です。そして彼の保護の力とマリア様の愛の力を与えられて成長しつつあります。二千年の間、教会が悪魔に打ち勝ってきた秘訣がそうであるように、正当な教皇とマリア様の手をしっかりと握りしめているのが私たちの特徴で、リトル・ペブルさんが次の、そして最後の正当な教皇になることで、これは世の終りまで続きます。

 カトリック信者ではない皆さんも、神の御旨に従うことで救いを得るためには、ヨハネ・パウロ2世とマリア様の手を愛をこめて握らなければなりません。マリア様の「ヨハネ・パウロ2世のために祈りなさい」という言葉の重大さは、一人一人が箱舟であるマリア様の御心の内に入るか、外に残るかを分けるほどに決定的なのです。「マリア様、ヨハネ・パウロ2世を祝福してね」、この一言だけでも、マリア様は大喜びで聞き入れていただけますよ。



--------------------------------
【 第68章 】

 マリア様によりすがるとはどういうことでしょうか? 日本人は「がんばれ」とよく言います。欧米では「全力をつくせ」とよく言います。マリア様によりすがるとは、がんばっても全力を尽くしても、自分一人では何も出来ないと悟った人が、前進するために用いる行動様式です。逆に言えば、うぬぼれ、自負心、プライドを捨てないで、自分一人で前進できると思い込んでいる人は、仮にマリア様によりすがっているつもりでも、実はよりすがってなどいないのです。

 神様は一人一人に主要な弱点を与えています。あなたが自分の最も大きな弱点との戦いを、もしも真剣に始めるならば、自分一人では、がんばっても全力を尽くしても何もできないと悟ることができますよ。悪魔は強く、人間は弱いのですから。この過程をとおってうぬぼれ、自負心、プライドを捨てなければ、自分を頼んで前進しようとすることをやめようとしないのが私達です。おろかですよね。

 マリア様を受け入れ、愛するなら、マリア様はいっしょにいてくださいます。だからこうしましょう。「最後までがんばりぬこう」と言うのをこんりんざいやめて、「最後までよりすがりぬこう」というように。



--------------------------------
【 第69章 】

 赤ちゃんが母親によりすがるのは本能的なものです。赤ちゃんは母親から全てをもらっていますから。体のためにも、知恵のためにも、精神のためにもすべてをです。この依存ということの他に、赤ちゃんの興味ということに着目してみると、私達のマリア様へのよりすがりに役立つヒントがあります。

 赤ちゃんは、お母さんに興味の大部分を集中させています。目で追いつづけ、ハイハイしだしたら後追いし、おしゃべりしだしたら、お母さんの口の動きに見入っています。「お母さん、何してるの?」を連発しながらつきまとうようになります。やがて興味が遊びや、兄弟、友達、そして外に広がっていくのに反比例して母親への興味がなくなっていき、自立してゆきます。大人である皆さんの頭の中は、今はこの世のことへの興味でいっぱいです。メッセージを読んでも、マリア様自体には興味をもっていません。よくて未来の預言、身の安全、病気の回復、死後のこと、地獄への恐れetc、というところです。

 ところが、マリア様によりすがっている人は、「お母さん、何してるの?」を連発しながらつきまとっている幼な子そっくりなのです。マリア様に興味の大部分が集中しているのです。マリア様の瞳には何が映っているのでしょう? 世界が、人々が、私がどのように見えているのでしょう? マリア様の口は何を語っているのでしょう? 神様になにを祈っているのでしょう? マリア様の感情は? 思いは? 望みは? そして、どうしたらマリア様に喜んでいただけるの? こうして一日中、マリア様、マリア様なのですよ。マリア様によりすがるヒントになりましたか?



--------------------------------
【 第70章 】

 今日は「王たるキリスト」の大祝日です。イエズスが王として宣言されたのはどこで、いつ、誰からか知っていますか? ゴルゴタの刑場で、十字架の荒木の玉座について、茨の冠をかむり、王のひごろもとして御自分の血で真っ赤にそまった時です。世界を支配していたローマがその称号を与えました。「ユダヤ人の王、ナザレのイエズス」というすてふだを頭上にかかげたのです。

 服までもはぎとられ、何も持たないイエズスが、その時、王として与えてくださったものが2つあります。罪を痛悔し、イエズスを救い主として信じた盗賊に、「今日、汝、我とともに楽園にあらん」と天国をくださり、使徒ヨハネを代表者として私達に「子よ、汝の母なり」とマリア様をくださいました。

 いったいどこの世界に、これらを王として与えることができる王がいますか? ご自身は、世の終わりまでの全人類のうち、地獄にすでにおちた、または未来におちる者のすべての罰の責苦を霊魂にくわえられていたのに、逆に私達に天国を与えてくださいました。ご自身は、おん母であるマリア様からも見捨てられたと心に深く感じるという、最も徹底的な全てのもののはく奪を、あがないのための責苦として受けていたのに、逆に私たち皆におん母マリア様を与えてくださいました。

 痛悔と信仰のうちに死ぬ人には天国を、この世に生きつづける人にはマリア様をです。それはマリア様のふところだけがこの世の天国であり、またそれは箱舟であって、私達を天国まで確実に連れて行ってくれるからです。王たるキリストは、天国に行くために必要な全ての恵みをマリア様の中に持たせ、そのマリア様を私達に、王と宣言されたあの時くださったのですから、私達は今、マリア様を全面的に受けましょう。愛の使徒ヨハネにならって!



--------------------------------
【 第71章 】

 今日から待降節という季節にはいります。クリスマスまで、イエズスが救い主としてこられるのを期待して待つ時期なのです。私達は、マリア様がなさったように愛の火に燃えつつ待つべきですが、それはつまり、間近にせまったイエズスの再臨を、花婿を待つ花嫁のように待つことだということを深く考えてみてください。

 人類史上空前絶後の大艱難をくぐっている私達に与えてくださる救いだけを待つのなら、あなたの心と霊魂には、イエズスに対する愛情がありません。それは自分自身しか愛さない利己主義者であるしるしです。イエズスご自身に早く会いたい! イエズスご自身を永遠に所有したい! 自分の全てをイエズスに永遠にささげ尽くしたい! という望みをいだかなければ、イエズスをイエズスとして愛してはいないと言えます。これを読む今日から、あなたは愛の修業を花婿イエズスのために始めてください。この意味の花嫁に男、女は関係ありません。

 同様に自問してみてください。マリア様に早く会いたい! マリア様を永遠に所有したい! 自分の全てをマリア様に永遠にささげ尽くしたい! と熱烈に望んでいるかどうかを。会いたい、所有したい、ささげ尽くしたい、この3つは御父、子、聖霊、マリア様に対していつもだいていなければならない望みです。天国の喜びは、この望みが永遠に続き、しかも永遠に完全にかなえられ、満たされることがその本質なのですよ。






【 第72章 】

 マリア様が原罪をもたずに聖アンナの胎内に宿られた。こう書いても、皆さんは何の感動も覚えないでしょうが、創造されたこの瞬間から、マリア様のご霊魂が、どの天使にもまさって最も強く神を愛し、最も完全に神を理解し、最も深く被造物としてのむなしさを認められたのを見て、そのとき天国の全ての天使は驚嘆し、歓喜し、賛美したのです。お体はまだ一個の受精卵にすぎないその時から、どんな熾天使よりも愛に燃え、どんな智天使よりも上智に満ち、どんな座天使よりも謙遜で、その程度は天使たちですら計りえないほどなのです。そして、これを絶え間なくお続けになっているのです。

 今日、12月8日、無原罪のおんやどりの大祝日に、皆さんも全ての天使とともに驚嘆し、歓喜し、マリア様を賛美してください。ご霊魂の創造の瞬間から、聖霊はマリア様にご自身の全てを与えつくされました。マリア様と聖霊の一致は完全で、それがマリア様のこれほどの超越性の理由です。聖霊を通して三位一体はマリア様のご霊魂に住み、マリア様のご霊魂は三位一体の天国となっています。皆さんに神様が与えてくださったお母さんは、こんなにすばらしいお方なのですよ。ますます愛し、よりたのみ、希望をたくしましょう。



--------------------------------
【 第73章 】

 病気の人は医者をありがたがります。そのように自分が罪深いと痛感している人だけが、救い主を喜び迎えることができるのです。自分の罪の認識と痛悔と謙遜なしに救い主をお迎えすることはできません。ですから、ちまたの場ちがいな浮かれ騒ぎをのがれて、静かな内省の時間を持ち、自分の霊魂の馬小屋の準備にとりかかりましょう。動物のふんや、くさったわら、くちた木や石ころ、しめった地面、すきま風、かたづけることは山ほどあります。これらはあなたの罪のいろいろな種類です。不潔さ、悪臭、暗さ、冷たさしかない自分の霊魂に、なんとかイエズス様の住める場所をつくって下さい。それには救い主の母のマリア様の助けが絶対必要です。クリスマスに向かって、マリア様にすがって、マリア様と共に、自分の罪との戦いを行なうのです。

 私はあなたにいくつか質問します。あなたは怒らないように努力して戦っていますか? 人を憎まないように努力して戦っていますか? 人をうらまないように努力して戦っていますか? 人に復讐心をいだかないように努力して戦っていますか? まわりの誰か一人にでも、上にあげた悪意をほんのちょっとでもいだいていませんか?

 愛と平和と善意を霊魂から閉めだしてしまうこれらの罪と戦って、愛すること、ゆるすこと、隣人を祝福することを実行することだけは、せめてどうしてもやって下さい。マリア様とともにですよ。

 あなたの霊魂の不潔さ、悪臭、暗さ、冷たさが、クリスマスまでに十分改善できなくっても、「ここに、すでにマリア様をお迎えしています。だから私の馬小屋に来てください!」ということができるなら、イエズス様はあなたのマリア様への愛にめんじて、愛と平和と善意を与えに必ず来て下さり、罪からの救いに導いてくださいます。



--------------------------------
【 第74章 】

 明日はクリスマスの夜です。部屋で一人になった時、これを読み返してみて下さい。心に馬小屋の全くの貧しさを思いうかべ、物にかこまれた自分をくらべてみて下さい。次に馬小屋にみちる聖家族の愛と、自分と家族の自己中心的な冷たさをくらべてみてください。最後に、馬小屋の中にみちる平和、そして充実感に対し、自分の現在と将来の不安とむなしさをくらべてみてください。

 あなたはだいじな宝を持っていないということに気がつきませんか? その宝とは、たとえばマザーテレサと姉妹たちがもっている宝です。あなたが持っている宝とは物質的な宝で、逆に彼女たちはそれを持っていません。あなたは心の中でわかっています。自分の欲が物質的な宝ばかりに向かっていて、その欲に身をまかせて生きているってことが。それは物であり、快適さであり、つかのまの楽しみだけだということが。そしてあなたのまわりの人々も皆そうしているっていうことが。

 けれども、あなたの精神が本当に望んでいるのは、人にも社会にも流されない、堅固な道徳観念と崇高な生き方です。あなたの霊魂が本当に望んでいるのは、神を愛し、自分を忘れて人々に奉仕する心です。

 では、ひとことで言いましょう。あなたはもっとも大事なもの、神様を持っていないのです。これらの精神的な宝と霊的な宝は、神様をもっていなければもてないのです。

 もうすぐイエズス様、救い主である神様がお生まれになった時刻です。マリア様に心から願いましょう。「私にも神様を下さい」と。馬小屋の聖家族はこう語りかけています。「実にあなたの人生を価値のない不毛なものにしているのは、物質主義という恐ろしい罪悪なのだ」と。あなたは物質主義の生き方を捨てさることができますか? このマリア様の問いかけに応える悔い改めの日にこのクリスマスがなりますように。



--------------------------------
【 第75章 】

 あとわずかで1月1日、神の母の大祝日です。今年、マリア様のメッセージはあなたの愛と意志を動かしたでしょうか? それともあなたの知識だけをむなしくふとらせたのでしょうか? 

 今年この国はますます罪に深くはまり込みました。中絶に加え、着床をさまたげるピルによって、一人の女性が数十人単位の人殺しになってゆきます。姦淫と殺人のとがめを、ほとんどの人が負っています。悔い改めなければ地獄に行くというのに! 

 神の正義の清めを待つ、血ぬられたこの国で、あなたは罪の負い目をとかれ、とりもどした霊魂の白さを保って生き抜くようにと神様に呼ばれています。神様の命令は「あなたは、あなたの霊魂を救いなさい」であり、それはあなたの愛と意志だけがたよりなのです。マリア様はそのために涙の訴えをもって私達に話し続けて下さいました。今までの習慣を変えよう! 罪を犯すのをやめよう! 自分のためではなく、神と隣人のために生きる生き方を始めよう! この過ぎた年を反省し、新しい年の目標を定める週に、愛と意志の力をふるいたたせてこのように決心してください。

 三位一体の神様の第二の位格は、罪と悪にみちあふれた、くさった海のようなこの世に来られる時、無原罪のマリア様をご自分のお母さんにすることを望まれ、マリア様ゆえにこの吐き気をもよおす世界に、まことの神でありながらまことの人となって来ることがおできになったのです。だから私達も、極みまで悪化したこの世でイエズス様のように清く生き、この世を清めつつ生き抜くために、神の母であるマリア様のうちに生き、マリア様を通して働きましょう。来年こそはそうしましょう。



--------------------------------
【 第76章 】

 赤ちゃんのイエズス様を三人の王が礼拝する絵を見たことがありますか? マリア・ワルトルタという幻視者に、一人はモンゴルの高地から、一人はアフガニスタンあたりから、一人はエチオピアあたりからの聖徳と学識と財産に富んだ有力者達だったと神様は啓示なさいました(日本語の本あり)。日本人と同じモンゴル系の人が救い主を拝んだのですねえ。今日はその祝日です。

 それぞれそんな遠くから、しかも異教徒でありながら、遠い危険な道のりを三人は一つの星に導かれて、安全にイエズス様までたどりつきました。この導きの星はマリア様を象徴しています。そして今も、マリア様の御出現とメッセージが私達を救い主イエズス様まで導こうと輝いています。星の示す意味を理解し、星から目を離さず、どんな苦労もかえりみず、黄金、乳香、没薬(もつやく)のささげものをたずさえ、救い主イエズスのもとを目指した三人の王のように、私達はマリア様の御出現とメッセージの語るところを理解し、目を離さず、どんな困難もかえりみず、愛という黄金、祈りという乳香、償いという没薬のささげものをたずさえてイエズスを目指しましょう。
 三人の王は何よりも自分の心をささげたのです。そのように心をすべてささげてください。まずマリア様に、マリア様を自分の命とし、マリア様なしに生きられないまでに強く愛着し、マリア様のためだけに生きるのです。自分の心をこうしてすべてマリア様にささげたなら、その時、マリア様があなたにイエズス様を与えてくださるのです。



--------------------------------
【 第77章 】

 今日はイエズス様が洗礼を受けた祝日です。洗者聖ヨハネは神に命じられて「悔い改めよ!」と説教し、悔い改めのしるしとして洗礼をさずけていました。神であるイエズス様はその洗礼を受け、逆に洗礼の意味を神的に変化させました。それは新しく生まれるという意味にです。

 天国に入るためには新しく生まれなければなりません。皆さんは洗礼を受けたなら、新しく生まれ、新たな人になります。この恵みをイエズス様は十字架にかかって死ぬことによって、御父からいただいてくださいました。そして新しく生んでくださるのはマリア様です。みなさんが洗礼を受けたいと希望する時、マリア様の胎内にみなさんはやどります。これだけでも何とすばらしいことでしょう。突然の死を迎えたり、様々の理由で洗礼を実際には受けずに死んでも、「望みの洗礼」というかたちの洗礼で天国へ行けるのですから。また、洗礼を受けていなくても、この信仰のために殉教したなら「血の洗礼」というかたちの洗礼で天国へ行けるのです。いずれにしても、洗礼を受けたいと望みつづけることによって、すでにマリア様の中に生きているのです。マリア様の胎内でしっかりと保護されつつ徳と信仰に成長するには、洗者聖ヨハネの洗礼の原点である悔い改めが必要です。

 これはむずかしいことではありません。マリア様と毎晩お話しすればいいのです。「今日は何かマリア様を喜ばせてさしあげることができましたか?」 良くできたことからふりかえるのが子供らしいやり方です。それから「今日はこんなことが悪かったです。マリア様、ごめんなさい」と反省し。日々悔い改めつづけるのです。洗礼を受けたいという望みと、日々のマリア様を通しての悔い改めは、いまだ原罪の汚れをもつ、罪深い生活を続けるみなさんを、御父の正義の厳しさがとどかないマリア様の胎内にとどまらせてくれるのです。どうかいちはやくマリア様の胎内に避難してくださいね。正義の時はすでに始まっているのですから。



--------------------------------
【 第78章 】

 明日は聖アグネスの祝日です。かわいらしく美しく、やさしいひびきの名の少女は、13歳の若さでローマで裁判にかけられ死刑になりました。304年のことですが、彼女の言葉が残っています。

「天使がお仕えしているおかた、太陽と月が感心するほど美しいおかたと結婚しています。彼だけに忠実を守り、彼だけに私のすべてをささげます。」「私の体を刀で殺すことはできても、キリストにささげた私の体を汚すことはできません。」

 殉教は殉教者にとって勝利であるばかりではなく、イエズスへの愛に燃えて、恐ろしい拷問にも平然と耐える力をイエズスから注がれて殉教する人は、この世に対してのイエズスご自身の最も大きな勝利なのです。

 ところで、日本の多くの人々を救うには、私達の莫大な苦しみのささげものが必要です。それによって恵みの水門を開いていただけるのですから。それで私達はリトル・ペブルさんへの忠実、ローマ・カトリック使徒教会の信仰のゆえに迫害をたくさん受ければ受けるほど多くの同胞を救えます。鍵は迫害を喜び迎え、できるだけたくさん受けることです。

「私のために、人々があなたたちをののしり、あるいは責め、あるいは数々の讒言(ざんげん)を言うとき、あなたたちは幸せである。喜びに喜べ。あなたたちは大きな報いを受けるであろう。先人の預言者たちも同じように迫害された。」 これがイエズスご自身が教えてくださった、幸せな人にこの世でなる、そして天においても幸いなものとして認められる秘訣です。

 それで、迫害をみなさんは避けてはいけません。迫害や試練を避けるために信仰することを恐れているなら、どうか悔い改めてください。なぜなら喜んで苦しむ人だけが愛する人だからです。すなわち苦しみを避けるなら、それは愛のない信仰で、にせものの信仰です。

 マリア様はイエズスの御受難のさい、イエズスの苦しみを全部かわりに受けたいと熱望なさいました。このマリア様の愛を模範にしましょう。マリア様によりすがって、マリア様のふところから、迫害、試練、苦しみをながめなおしてください。そうすれば、それらは甘美な喜ばしいものにみえるでしょう。それによってのみ、あなたが愛する人たちを救えるのですから。



--------------------------------
【 第79章 】

 イエズスは生きているまことの神です。イエズスを信じるということは、イエズスの弟子になることだと、生き生きとした考えを持つべきです。イエズスの弟子になるには善い人にならなければなりません。つまり、生き方を変えなければいけないのです。具体的に言えば、柔和な人、節制する人、あわれみ深く謙遜な人、隣人と神を愛する忍耐強い人になることです。天国には、生き方を変えて、自分自身をこのようにきたえなおした人だけが入るのです。

 ある宗派のメンバーになって、教会費をきちんとおさめた人はみな救われて天国に入るというのは全くの間違いです。イエズスの弟子としてふさわしい人間に自分を変える努力を最後まで続けた人だけが救われて天国に行くのです。

 イエズスはあわれみそのものの先生であり、友です。できの悪い弟子を切り捨てる先生では決してありません。弱い友を見捨てて先に行ってしまう友ではありません。真っ先に模範を示し、限りない忍耐をもって導く先生ですし、絶えずなぐさめ、はげまし、重荷をかわってになってくれている友です。ただ皆さんに、善くなりたいというつねに変わらぬ望みと、生活を変えようという強い意志を求めています。本当につよい意志が要るのです。なぜなら、自分を善くしていく努力は、川を流れに逆らって、上流にのぼっていくようなものだからです。罪にしばられている人間性が、絶えず悪へと押し流そうとするからです。努力をやめた瞬間に悪くなっていきはじめ、苦労して進んだ道のりを、あっという間に逆戻りしてしまいます。

 皆さんはこの努力を一生続けなければいけないと知って、しり込みしてしまいますか? 嫌気がもうさしてしまいましたか? ではマリア様の胸に飛び込んで、しっかりとすがりついてください。ここには、イエズスが求めている善くなりたいという不変の望みと、自分を変えようという強固な意志を保たせ、ますます強くする飲み物があります。マリア様とお話しすることによっていただく恵みの母乳です。そして世間の罪と悪の逆流が届かない、そのふところに安全に抱かれたままでいつづければ、マリア様が上流へと運んでくださるのです。自分が弱く、貧しく、悪いものだと感じる謙遜な人はみな、マリア様の胸に必死にすがりついてください。こうしてマリア様の優しい胸の中で、自覚している自分の悪さを日々悔い改めているうちに、あなたはイエズスの弟子に、それも本当に生き生きとした信仰と、活発な愛と同情心に満ちた、師そっくりの弟子に変わってゆくでしょう。 

【 第80章 】

 10代の子供までがかわいそうなホームレスを、よってたかって殺したり、人を生きたまま焼き殺したりしています。こんなひどい罪を、何かのはずみで突然犯していると思いますか? いいえ。大きな罪を犯すにいたるまでには、小さな罪をたくさんつみかさねているものなのです。

 ひとつの例をあげます。男女をとわず「むかつく」という言葉を皆、ひんぱんに口にします。むかつく心の動きには怒り、憎しみ、うらみ、復讐心が混じり合っています。そのどれもがたいへんみにくい罪です。でも「むかつく」ことが悪いことだと誰が認めていますか? 神にそむく、この心の動きは、皆から肯定されています。この心の動きを野放しにしている子供や若者が、人殺し予備軍の大群です。悪魔にちょっと背中を押されたら、もう残虐な行為に走ります。怒り、憎しみ、うらみ、復讐が、すでに生き方になってしまっているので、悪魔の言いなりになります。

 皆さんはイエズス様を知りました。マリア様を知りました。お二人の生き方が、反省するための鏡として与えられました。それは柔和で謙遜。誰をも愛し、ゆるし、祝福する心の動き。深い平和を保つ生き方です。

 皆さんは怒り、憎しみ、うらみ、復讐心が神様から固く禁じられていることをいまや知ったのですから、「むかつく」たびに、この心の動きをおさえる戦いをしようと、悔い改めて決心してください。うそが泥棒のはじまりなので重大なのと同様、「むかつく」のは人殺しのはじまりで、悔い改めないなら結果は地獄です。今死ぬ人の90%が地獄におちていることを考えてください。

 あなたが平気でおかす日常の罪を見て、その恐ろしい結果を知っていらっしゃるあなたの母であるマリア様は、剣で心をさしつらぬかれ、そのみ心から血を流して苦しんでいらっしゃいます。あなたにあわれみの心があるなら、マリア様の心の傷を癒すように努めてください。「ごめんなさい。もうしません。あなたを悲しませたくないのです。」 こうマリア様に語りかけ、生き方を変える努力を、マリア様にすがりながら、マリア様と共にはじめましょう。



--------------------------------
【 第81章 】

 今の世代の人々は、恥知らずな、慎みのない目をしています。清い目を持った人はほとんどいません。この清くない目で、異性を無遠慮に眺め、肉欲を起こします。また、お金持ちの富みを見、お金を貪欲に望みます。さらに地位ある人々の権力を見、権力を渇望します。

 イエズス様も、マリア様も、ヨゼフ様も決して異性の体や、お金や、権力を望みませんでした。それらをあさましい目で見ることなど一瞬たりともありませんでした。私達はどれほど悔い改めて、日常生活を根本から変えていかなければならないことか! そうやって心を清めてゆかなければ天国で神様を見るしあわせには、けっしてあずかれないのですから。

 心を清めるためには目を清めなければなりません。すなわち目が異性、富、権勢をむさぼり見るのを許さない事です。そうすれば、貞潔、清貧、従順の聖徳が心の中に生まれます。最も力をそそぐべき戦いは、異性をつつしみなく見ることに対する戦いです。これができるようになれば、お金、権力への欲望も抑えることができるようになるからです。

 本当に私たちの世代は罪が普通になっています。それゆえ自分が罪深い生き方をしていることに気づくことさえありません。こんな社会の中で、目と心の清さを身につけ、保つことはなんとむずかしいことでしょう。でも私達にはマリア様がいます。そばにいつもいて、何度ころんでも助け起こし、励ましてくださるマリア様が。「マリア様、あなたに信頼します」と心から、たびたび話しかけてください。あなたがマリア様を信頼すればするほど、マリア様はあなたをもっと助けて清めることができるのですから。

【 第82章 】

 カトリック教会は四旬節(しじゅんせつ)が始まりました。イエズス様のご復活を祝う前に40日間苦行をささげて、自分と世界の罪のゆるしを祈り求めるときです。それは自分と世界の罪が、イエズス様を拷問にかけ、十字架の上で殺したからです。なかでも不幸な人々を愛さない罪は、イエズス様をひどく苦しめました。

 イエズス様はご生涯の間、苦しむ人、しいたげられた人、貧しい人、病気の人、家のない人の友となり、彼らに愛と助けと友情を与えてお過ごしになりました。そして皆がそうするようにと手本と教えで、お命じになりました。

 イエズス様は不幸な人々を友となさったのですが、みなさんはどうでしょうか? メルトモ、出会い系サイトによる犯罪が多く起こっていますね。そのような友達づくりは、自分の楽しみのためです。つまり功利主義の生き方の反映です。イエズス様は功利主義の生き方を、根本的に悔い改めるよう求めていらっしゃいます。

 四旬節の間、空腹や不便を積極的に体験し、それによって難民、ホームレス、病人、苦しんでいる人々の気持ちを理解しようと努め、自分を彼らの友とすることを天は望んでいます。

 難民や、病人や、囚人、ホームレスや、差別されている人、いじめられてる人を友として愛して受け入れる場所があなたの心にありますか? 彼らに関心を持って神様の助けを祈ってあげていますか? 彼らの救いを祈り求めていますか? 「はい」と答えることができる人はほとんどいません。そんな愛のない功利主義者の皆さんを、自分の愛する子として受け入れ、救いのためには何もかも与えつくそうとなさっているのがマリア様です。何の報いもあてにせず、自分の不利益になるのもかまわず、ただ神様は喜ばせるために人を愛することの最高の模範です。自分の愛のなさと、マリア様の純粋で無私の愛を比べてみてください。皆さんは愛においてこれからどれほど変わっていかなければならないかが分かるでしょう。これからの長い道のりを、マリア様に手を引いてもらって、決してその手を離さずに歩いていきましょうね。
【 第83章 】

 イエズス様は馬小屋で生まれ、エジプトで難民としての暮らしを経験し、ナザレトで身分の低い大工として働き、宣教者としての3年間は暑さ、寒さ、飢え、渇き、つかれの中で、各地を無一物でめぐり、十字架の上ですべてをはぎとられてお亡くなりになりました。神様であるイエズス様が、節制の大切さを自らの手本でもって教えてくださったのです。

 今本屋さんに行けばファッション、食べ物、インテリアの本があふれていますね。そして皆さんの友達との話題もほとんどが何を着て、何を食べ、何を持つかです。これが肉の思いと呼ばれ、むなしいことの代表です。

 これらの空しいことを好む人は、自分のことしか考えない快楽主義者、利己主義者になり、貧しい人々のことを忘れ果てます。靴も、服も、食べ物も、家もない人々を少しも思いやれなくなるのです。さらに悪いことに、これらの空しいことを好む人は、霊魂の救いにとって大切な貞潔、謙遜、清貧、節制、賢明、忍耐を嫌うようになります。本来最も羞恥心にとみ、慎み深いはずの少女たちが、いまや足や肩を全部人前でむき出しにしています。異性から注目される望み、チヤホヤされる望みがこのファッションを支えています。これらの望みは人をみだらで、傲慢で、他人を堕落させるものとしてしまいますし、この望みに反する貞潔、謙遜、清貧を嫌わせます。

 またグルメブームは貪食、貪欲の罪に支えられています。貪食、貪欲を抑えなければ、ありきたりのものや、わずかなものには満足できなくなり、感謝を知らない人間になります。なんでも体験したいという望みを野放しにすることで、そのうち許されないことまでも試してみたくなるのです。そのため心の中の節制、賢明、忍耐の徳の芽を踏みにじり、抹殺してしまいます。

 マリア様は急いで風俗を改めなさいとおっしゃっています。救われるために節制を生活に再び取り戻さなければならないからです。節制は罪の誘惑に対して強く戦えるように心を鍛錬する唯一の手段です。服装においてはつつしみ深さとして自分と他人の貞潔を守り、向上させてくれますし、食べ物や持ち物に関しては量と質において我慢するなら、すべてを感謝をもって受けることができる人間としてくれ、満足と喜びの多い生活を送らせてくれます。

 そうです。今の皆さんの節制の基準は、神様の基準とはかけ離れています。もっと天国のためにのみ生きるように急いで生き方を、興味を、そして価値観を変えましょう。マリア様とヨゼフ様は極度の貧しさの中で、イエズス様がいるだけで幸せでした。皆さんも、ただイエズスのみを求めるように、お二人を見習いましょう。



--------------------------------
【 第84章 】

 他人の不幸は蜜の味という言葉があるそうです。人の不幸を喜ぶ人が世の中の大半だからでしょう。心の中を注意深く見つめ続けるならば、ねたみが自分の心の中にも確かにあると誰もがわかります。

 自分が選ばれず人が選ばれたとき、または、自分が失敗し人が成功したとき、または、自分が持つことができないもの人が持ったとき、心に感じる苦しみはねたみなのです。このようなときに、ねたみがむくむくと頭をもたげてくるならば、日ごろは感じなくとも、私達の心はねたみに絶えず毒されているのです。

 ねたむ人は悪魔にとても似ています。悪魔は天国を永遠に失いましたから、人間が天国に行くのをねたんでいます。それで人間の永遠の不幸を望んでいるのです。そして人間を地獄に引きずり込もうと絶えず働いています。悪魔の正反対をなさっているのがマリア様です。皆さんが悪魔そっくりではなく、マリア様そっくりになりたいならば、ねたみを捨て、広大な愛を身につけなければなりません。他人のわずかな不幸にもおおいに同情し、他人の幸せをいつでも望むことです。それに加えて人の究極の幸せは天国を得ることですから、この広大な愛を身につけるためには、すべての人の救霊を熱く望まなければなりません。つまり皆さんの心の望みは、選ばれることでも、人より成功することでも、人が持てないものを持つことでもなく、ただただ多くの人が天国へ行けるようになることでなくてはなりません。

 マリア様と自分の言葉でお話しするときも、この望みを心に起こし、この望みを表明するようにしてみてください。ロザリオの一連をおささげするのも、マリア様がその祈りを用いて多くの霊魂を救えるようにと望みつつささげてみてください。マリア様はあなたがこの望みのみに燃えあがった人生を送ることを求めています。この望みをささげることのなかった今までの人生を根本的に変えるように願っています。マリア様に従って生きることの本質がそこにあるからです。



--------------------------------
【 第85章 】

 四旬節は悔い改めのときです。皆さんは、イエズスのご受難を考えなくてはなりません。なぜなら私たちの罪がひとつ残らずイエズス様の御受難のさい、イエズス様を苦しめたからです。だからこそ私達が痛悔をもって、イエズス様にゆるしを願う罪は、ひとつ残らずゆるしていただけるのです。

 戦時中、兵士として多くのレイプ、拷問、虐殺をしたお年寄りが、私たちの身近にいることでしょう。中絶によって、またはピルによって無垢な胎児を何人も何十人も殺した人、それにかかわった人がそこら中にいますし、皆さんの家庭にもいることでしょう。これらの甚だしい罪も、痛悔してイエズス様にゆるしを願うならば、ゆるされるのです。

 神様には時はありません。永遠に現在だけです。何十年も前に犯した罪も、神様の目の前で、今犯した罪なのです。隠し通した罪、忘れ去った罪も神様は知っており、忘れていません。自分は平均的な良い人間だから天国に行けるだろうと考えるなら大間違いです。天国に行くには、すべての罪がゆるされなければならないのです。ですから、自分の罪を知ること、それを痛悔すること、そしてゆるしを願うことは、私たちの救いにとって最も重要なことといえます。

 しかし悪魔は私たちを地獄に落とそうと、これらを妨害しています。悪魔からのインスピレーションは「そんなことはたいしたことではないのだから痛悔する必要もないし、ゆるしを願う必要もない」とそそのかします。この罠にかからないようにマリア様の胸に飛び込んで悪魔から逃げましょう。つまり、ひんぱんにマリア様と自分の言葉でお話しするのです。心にインスピレーションの形でマリア様が答えてくださるからです。こうした悪魔からのインスピレーションよりも、ずっと多くのマリア様からのインスピレーションを得るようにすることで、マリア様から手を引いて導いていただけるようになります。マリア様が導いてくださるのは、ゆるしを用意して待っていてくださるイエズス様のもとにです。イエズス様は私達の罪が流させたご自分の御血で私たちの罪を洗い清めてくださいます。私たちはゆるされ、救われるために、ますますマリア様と親密になりましょう。もっともっとマリア様とお話ししてくださいね。



--------------------------------
【 第86章 】

 今日は長崎の信徒が1865年3月17日にプチジャン神父にローマカトリック信者であることを打ち明け、日本の教会が復活した記念の祝日です。鎖国と大迫害の時代を日本の地下教会が生き抜いたことは、全世界に驚きと感動を与えました。このことは現代の教会にとっては別の新たな意味を持っています。それは間近に迫る反キリストの統治のとき、マリア様が地下教会を用いて信者を救ってくださるという約束の保証としての出来事という意味です。

 キリシタンがプチジャン神父に「サンタマリアの御像はどこ?」と言ったことが、約300年も続いた公権による過酷な弾圧を経ても、信者の信仰が地下で受け継がれ、しかも異端にもおちいることがなかったのが、マリア様の特別な保護であったことを証ししています。司祭が1人もいないにもかかわらず、七代にもわたる潜伏の期間、洗礼はラテン語で正しく有効に授けられ続けており、ロザリオは唱えられ、四旬節の過ごし方でさえ守られていたのです。このようなことは世界史上、他に例がありません。しかも迫害による殉教者の数は、一民族として世界一の多さです。私達は日本人としてこの信仰に忠実な地下教会が、かつて存在し、マリア様に偉大な保護を受けたことを誇りにすべきです。彼らがマリア様を愛し、よりすがっていたからこそ、迫害からも異端におちいることからも守られたことを忘れてはいけません。私たちは近づく殉教の時代のために、霊魂の準備を彼らをお手本にして進めましょう。

 マリア様は、日本が世界の光となる特別なご計画をお持ちです。皆さんがこの素晴らしい計画にあずかれるように呼ばれているのは、殉教者たちと地下教会のキリシタンたちがつんだ功徳によると、マリア様はおっしゃっています。天国にいる彼らに助けを願ってください。あなたは彼らの血を引いているかもしれません。すべての日本人を彼らは特別に愛して、天から恵みを降らせてくれています。彼らのようにマリア様を愛し、マリア様により頼み、希望かけましょう。私たちがそうするなら、マリア様の日本に対する特別の御計画は、実現させていただけるのですから。



--------------------------------
【 第87章 】

 今日から聖週間という、一年のうち最も大切な一週間に教会は入ります。5日後の聖金曜日は、十字架刑によってイエズス様が全人類のあがないのため、お亡くなりになったことを祝います。そして7日後はイエズス様が復活された日です。マリア様は復活の時まで、引き続きあがないのための苦しみをささげ、お二人がささげた苦しみによって、この日、人類はあがなわれました。このあがないの恵みによって、アダムとエワの罪、つまり原罪によって霊的にひどく病弱になっていた全人類は、その時をさかいにかなり回復し、強められました。それと同時に、神の命令に従わないときの責任も重くなっています。従うための十分な力を受けているからなのです。

 あなたが人を憎めば、あがない以前なら大目に見ていただけましたが、あがないがなされた今は、あなたには敵をも、迫害する人も愛することができる力が与えられているので、その罪はあがない以前より、はるかに厳しく罰せられます。憎しみはいつなんどきでも罪です。だれを憎んでも、それを正当化されることはありません。

 しかし今は終わりの時であり、憎しみが好まれるようになってきています。400年前から日本のキリシタンが、自分たちを憎み、殺す人々をまったく憎まず、それどころか彼らの救いを祈りつつ、彼らと後の時代の全ての日本人を愛しつつ殉教したことを考えると、今の世代の悪さがきわだちます。神を愛するということは、神の命令を守ることです。憎むなという神の命令を踏みにじりつつ、神を愛することはできません。ですから人を憎みつつ神を愛することはできませんし、あり得ないのです。憎む人から神は離れます。憎しみという罪の恐ろしさはここにあります。憎みつつ死んだら、永遠に憎む以外、何もできない地獄の住人になります。地獄の炎は憎しみの炎で、憎む人は生きている間に、この世で霊魂をチリチリと地獄の炎に焼かれているのです。

 イエズス様、マリア様を愛そうとしている皆さんは、人を憎みつつ神を愛しているというような、うそつきの偽善者にならないように、自分の心を憎しみから清めてくださいね。2千年前、憎しみは「神殺し」を行いました。今も憎しみは、あなたの霊魂に住まわれる神を殺します。この聖なる週間、マリア様の悲しみを特に黙想し、マリア様の悲しみに満ちた心に同化して、イエズス様とすべての罪人たちに深い同情を寄せましょう。マリア様を慰め、涙を拭いてさしあげましょう。



--------------------------------
【 第88章 】

 今日は復活祭です。マリア様ぬきに語れない日です。というのはイエズス様がお亡くなりになった金曜日の午後3時から、マリア様はただ1人、信仰を保ったお方だからです。地獄のすべての悪魔が、マリア様の信仰を奪おうと、マリア様に挑み、この世から信仰を消し去り、教会を滅ぼそうと全力を尽くしました。このマリア様の霊的戦いは、逆にマリア様の無限の功徳となり、信仰をなくしかけた男女の弟子たちが失われてしまうのをふせぎ、守りました。皆さん、これはまさしくノアの箱舟ではありませんか? マリア様のうちに教会は生き残り、イエズス様のご復活によって勝利者として全世界に広がっていったのですから。

 それで今日、イエズス様のご復活を祝うとともに、箱舟の聖母に感謝をささげましょう。そして間もなく到来する反キリストの時代に、箱舟の聖母のうちに教会は生き残り、イエズス様の再臨によって、勝利者として全世界に罪も死もない平和の時代をきずくことを思い、ますます箱舟の聖母を信頼し、愛し、希望をかけましょう。

 「あなた」という個人においても、イエズス様のご復活は、喜びに満ち溢れさせるものなのですよ。それは、報いについて考えさせてくれるからです。マリア様がよく言います。「あなた方の天で受ける報いは非常に大きいのです」と。今日、あなたはイエズス様のうちに自分の受ける報いを見せていただいていて、その素晴らしさに圧倒されるのです。そして、「地上でもっともっとマリア様のために苦しんで、天の報いをもっと素晴らしいものにする方が、地上での喜びを求めるよりもずっと良い。なぜなら地上の喜びはつかの間だが、天での報いは永遠に続くのだから」、と心から思うに違いありません。

 そして今日、復活したイエズス様に会ったマリア様の無限の喜びを思い描いてみてください。あなたが罪を悔い改め、償いに生きるなら、マリア様が罪のうちに死んでいたあなたのうちに、イエズスの生命が生き返るのを見て、どんなに喜ぶことでしょう。あなたの復活によって、マリア様を大喜びさせてあげてくださいね。







【 第89章 】

 明日はお告げの大祝日です。大天使聖ガブリエルがマリア様に、救い主の母になる使命を告げました。マリア様は、全宇宙よりも大きな苦しみを受けることになるのを十分承知で「ハイ」といい、その「ハイ」によって神が人となって胎内の実として宿りました。マリア様は命の木です。イエズス様はその実です。マリア様に近づく人はイエズス様を手に入れて、永遠の生命を得、天国を取り戻します。全人類の母である楽園にいたエバは、神様が禁じたのに楽園の中央の木に近づき、その実を食べ、死ななければならなくなり、楽園からも追放されました。エバをだましたサタンに神様は、女の子孫である一人の女性が、お前の頭を踏み砕くだろうと預言しました。そして、この預言通り、マリア様の「ハイ」によって悪魔は敗北したのです。その瞬間、マリア様は神の母となり、神の子らの母となりました。そして母として神の子らのために取り次ぐとき、「ハイ」といって神の母となったマリア様に、イエズス様が子としてしたがい、「ハイ」といってどんなことでも聞きとどけるのです。この神的母性によるマリア様の取り次ぎの力は無限です。

 あなたの甘美で優しいお母さん、マリア様を明日は、悪魔を粉砕する無限の戦闘力を持った神の母として、目もくらむばかりのその「みいつ」を眺めてみましょう。あなたはその頼もしさに、ますますマリア様を信頼し、自分のすべてをあずける大胆さに至るでしょう。あなたのすべてをマリア様にまかせてください。そしてマリア様に身も心もささげたなら、何も恐れることはありません。「マリア様、あなたを信頼します。」と繰り返し申し上げて、マリア様の胸で安らかにいこいましょう。

 ただしあなたが、マリア様によりすがることが理解できないなら、あなたはまず自分自身の力をあてにする傲慢を悔い改める必要があります。自分では何一つ良いことはできないのだと悟らないなら、子供のようによりすがることは理解できないのですから。




【 第90章 】

 マリア様の愛徳は完全です。あなたはマリアの愛徳に習いたいと思っていますか? マリア様の愛徳は広く、全人類の一人一人に例外なく向けられます。聖なる人にも、良い人にも、悪い人にも、敵にも、悪魔のような人にも、マリア様は愛を尽くします。あなたの愛がこのような広いものになればなるほど、マリア様の愛徳に近づいて行けるのですが、実際はあなたの愛は極度に狭いままにとどまっています。なぜでしょうか? あなたの愛徳を縛っている鎖の正体は偏見の罪です。この偏見の罪はあなたの中でどのように働いているのでしょう。それは警戒心、軽蔑、憎しみ、敵意を生み出しています。それは心が愛を起こすより先に現れる判断なので、愛が起こるのを妨害しています。そればかりか「愛してはいけない」という命令ですらあります。ある場合、虫けらのように踏みにじってやるのが正義だとさえ信じ込ませます。偏見は、あなたに、人から心を離れさせ、人を冷たく突き放させます。人に対して無理解にならせ、頑固にします。そして憎しみを抱かせます。

 愛徳に対して、これほどの破壊行為を絶えず続けている偏見の罪が、自分自身の中にあることに気がついていますか? 多くの人が自分は愛徳にあふれていると思い込んでいますし、気に入った人に対しては確かに愛を実践しています。しかし、神様の基準からは、そうではありません。愛徳と偏見の罪は共存し得ないからです。この罪を自覚して、痛悔し、悔い改める努力を始めない限り、あなたの自然的・動物的愛は決して超自然的愛徳にはなりません。

 マリア様の愛をモデルにしましょう。そのためには、マリア様と一緒に、マリア様の愛をかりて愛することから始めることです。自分の貧しく、愛とはいえないほどの狭い愛をマリア様の御心に入れて、マリア様の清く、無限で母性的な愛を自分の心に入れて、マリア様と心の交換をするのです。とりかえっこです。愛せていない自分を自覚したなら、何の遠慮もいりません。マリア様に頼むのです。「マリア様、あなたの愛と私の愛を交換してね」と。ここからスタートです。やってみてくださいね。


【 第91章 】

 マリア様はいつも祝福してくださいますね。愛するとは、好き嫌いを超越して、相手の善を望むことであり、それはとりもなおさず祝福することだからです。マリア様のように愛するには、例外なくすべての人を祝福しなければなりません。しかしあなたは相手の不幸を望むことがあります。いえいえそれどころか相手の不幸を望むことが、息をすることのようになっていて、それを原動力に生きている人がいます。その人にとって相手の不幸を望むこと、それを見ることは喜びであり、飲み物や食べ物のように自分を元気づけるのです。

 相手の不幸を望むことを「呪う」と言います。例外なくすべての人を呪う存在は悪魔です。悪魔には愛することが決してできないからです。あなたの心の中に「呪う」という罪が、どのくらいあるか、よく調べてください。あなたが機嫌が良く、幸せな気分の時に、あなたの本当の霊魂の状態は分かりません。怒っているとき、我慢を強いられているとき、苦しんでいるとき、侮辱されたとき、不正な扱いを受けたとき、霊魂は本当の姿をあらわします。「バチが当たれ! 死んでしまえ! 地獄に落ちろ! 病気にでもなれ! 火事になってしまえ! 失敗しろ!」 そんな呪いの言葉を心の中でつぶやきませんか? 実際に相手が不幸にあうとき、内心喜んではいませんか。あなたが人に嫌がらせをするのでしたら、それは心に抱いていた呪いが行為となったということで、あなたの心は呪いによって占領されているのです。

 呪いはそれ自体が罪であり、しかも恐ろしい罪です。というのは、呪う人は悪魔に協力を呼びかけていて、悪魔との取引を知らずに行うからです。悪魔は呪う人の望みの実現に協力しつつ、その呪いを呪っている本人に返します。つまり人を呪えば、あなたが悪魔からの呪いで呪われるのです。心の中にこんな恐ろしい、惨めな罪がある限り、あなたは愛することができません。

 それで、この罪に対して痛悔し、悔い改めるのは本当に必要で、大切なことなのです。マリア様によりすがって、この罪からなにがなんでも足を洗い、清められねばなりません。この罪が自分にはないという人がいても、それは良心がよっぽどにごっていて鈍くなっているので、罪が見えないのか、あまりにも傲慢でうぬぼれているので、自分が罪人だと考えられないのかのどちらかです。マリア様の愛に近づくには、まず謙遜の谷間におりて自分を見つめなければなりません。愛される値打ちがない自分を愛し、祝福してくださるマリア様の愛が、それによってはじめて理解できます。そしてあなたは誰をも愛し、祝福すべきだと納得します。あなたが例外なくすべての人を愛し、祝福すれば、神様とマリア様はあなたを地上においても天においても愛し、祝福してくださいます。



--------------------------------
【 第92章 】

 今日は聖ルイ・マリー・ド・モンフォールの祝日です。ちょうど今から300年前にフランスで活躍していた彼は、マリア様の偉大な聖人で、マリア様を熱愛し、マリア様のために働き、マリア様へ自分を使い果たして完全にささげきった人です。マリア様の聖人たちの生涯は、準備、働き、苦しみの3段階です。

 準備の期間は、マリア様のことを深く知るための読書、勉学。マリア様との心の対話によって、愛の炎を生き生きと燃えさからせる祈りが生活の主要な部分です。次に働きの期間があります。疲労、困難、迫害を耐え忍びつつ、過労死せんばかりに働きます。生活のほとんどを人々のためにささげて働いているのがこの期間です。最後に苦しみの時期があります。過労、病気、老齢、迫害による牢獄や収容所への監禁、拷問など、働くことはできず、苦しみ、苦しみ、苦しみ、ただそれだけが続く日々です。聖コルベ神父様にとっては、それはアウシュビッツ強制収容所の日々でした。

 皆さんにマリア様が「苦しんでほしい」と願っていらっしゃるのを、メッセージで読み取っていますか? どんなタイプの苦しみでも、また、どこからもたらされる苦しみでも、それを甘んじて受けて、マリア様への贈り物として、マリア様へおささげするようにとおっしゃっているのです。そのとき苦しみは価値あるものとなります。例えば「病気の私がいったい何の役に立つでしょう?」と誰かが言うとしましょう。実際、痛みのある病気、消耗する病気などは、祈ることも働くこともできないものです。しかし、マリア様のためにただひたすら苦しむことで、祈ること、働くこと以上に役に立てるのです。それだからこそマリア様の聖人たちは、人生最高の、成聖にあふれている時期に、苦しみによってマリア様に仕え、聖徳の絶頂へと駆け上がるのです。苦しみを喜び迎えましょう。どんな苦しみもマリア様にささげれば、偉大な価値がで、ささげなければ無駄になってしまうのです。せっかく与えられている苦しみを一つも無駄にしないようにしましょうね。

 邪欲、つまり肉欲、物欲、出世欲などの誘惑との戦いの苦しみも、もちろんマリア様にささげるなら偉大な価値を持ち、あなた自身のためでなく、あなたが戦っているのと同じ罪に染まっている人々の救いのために、マリア様が用いることができるのです。

 あなたにとって今は、準備の時に当たるでしょうが、こうして苦しみをささげることが今も、いつでもできるのです。苦しみを喜んでささげるあなたをマリア様はどれほど慈しんでくださることでしょう。あなたがささげる苦しみは、マリア様からの母の愛撫、母の口づけとなってあなたの心を慰めるのです。



--------------------------------
【 第93章 】

「友のために命を捨てるほど、大きな愛はない」、この言葉を知っていますか? これはイエズス様の教えです。でもこれは人生の最後に一回きり、やることではありません。一生やり続けるべきことなのです。そして友とは、あなたに好意を示してくれるわずかな人たちのことではありません。それは救われなければならない人々すべてを指しているのです。

 あなたが誰かに与えることができる最も価値あるものとはなんでしょう。考えたことがありますか? あなたの命よりも価値あるものなのですよ。それはズバリ「神」です。その誰かがもう失うことなく永遠に神を所有できるようにすることが、その人に「神」を与えることなのです。ちりあくたにすぎない罪人であるあなたに、そんなことができるなんてなんと美しい現実なのでしょう!

 それであなたは「マリア様、私もあなたに協力して、あなたの苦しみに私の苦しみを合わせます」と言ってください。自分だけを救う最小限度の聖徳で満足しては決していけません。あなたにはマリア様がついているのです。「自分が救われるかどうかも自信がないのに、人を救うなんて考えられない」などと言ってはいけません。マリア様に「私があなたと一緒に祈り苦しみますから、あの人を救ってください」と言ったなら、マリア様がどれほど力強く取り次いでくださるか知らないのですか? 

 まずあなたは、大きな愛と大きな望みを持つよう決心してください。そして持っているものは何もかも、苦しみだけでなく、罪も欠点も弱さも、いっさいがっさいをマリア様の御心の愛の炎の中に投げ込むのです。これはつまり、あなた自身がマリア様の御心の愛の炎の中に飛び込むことなのです。そうすると、マリア様の人々の救いに対する激しい愛と望みの炎は、あなたに浸透してゆきはじめます。人々の救いのために自分を焼きつくすほど愛に浸るものにあなたは変わってゆきます。そして、あなたがマリア様の炎に完全に浸透され、自分を一つの大きな愛と望みの炎にして、人々の救いのためにささげ尽くしたとき、あなたの愛は完全で、あなたの聖徳もどんなに大きいことでしょう。あなたは、マリア様によって、これほどの完全な愛と聖徳に達することができるのですよ。マリア様の御心はあなたを迎えようと大きく開いています。さあ、その中に飛び込みましょう。








【 第94章 】

 「義人はいない。一人もいない。」という聖書の有名な言葉があります。そのとおり人間はみな罪人で、最高に聖なる人でも一日に七回は罪を犯すといわれています。ですから毎日痛悔し、悔い改めるべきです。ただ考え、言葉、行動をよりよく正してゆくだけでは足りません。生活を改めるだけでは足りないのです。痛悔しなければならないのです。

 痛悔には心の痛みが必要です。子供の頃を思いだしてみてください。悪さをして母の心を苦しめたり,悲しましたり、怒らせたりしたことがあったでしょう。泣かしたことさえあるかもしれません。そんなとき、母を愛しているから心が痛んで「お母さんごめんなさい」と言わずにおれなかったはずです。神様が私たちに要求するのは、ご自分に対する愛だけです。罪人であるあなたが神を愛するなら、神を慕う思いに加えて、神のみ心を傷つけたことに対する心の痛みがないとおかしいのです。良い子だから愛してくださるのではなく、悪い子なのに愛して下さっているのだと実感するとき、神様の愛の大きさがよりいっそう体験でき、なおさら神を強く愛するようになります。

 私たちの神に対するささげもので最高のものは「痛悔する心」です。正しく立派な生活も、意向が神のためでなければ天国を得るための価値はありません。しかし、心の痛みをともなう痛悔と悔い改めは、そこに神に対する愛と、神のためにという意向があることを証明するもので、天国を得るための価値を持っています。私たちのどんな些細な罪も、神様の心をとても深く傷つけてしまうので、私たちのためにとりなしてくださる方がどうしても必要です。その方は同じ人間でありながら、ただの一度も神様を傷つけたことがなく、存在そのものが神の慰めであるマリア様です。お母さんであるマリア様によりすがりながら、罪に対して心の痛みを起こすようにやってみてください。そうすればマリア様は、真実に神を愛するよう導いてくださいます。



【 第95章 】

 イエズスのご受難を考えてみてください。エルサレムに集まった大群衆のほとんど全員がイエズスを憎みました。彼らの頭の中は、イエズスをもっと苦しめてやりたいという望みでいっぱいになっていました。誰かを苦しめてやりたいと思うとき、すでにあなたの心は憎しみに毒されています。そしてその考え自体がすでに罪なのです。

 イエズスはマリア・ワルトルタという幻視者の著作の中で、マルジアムという少年にこう教えています。「だれも憎まないでね。天国には憎む人は入れません」と。イエズスの教えは愛すること、ゆるすこと、積極的に苦しむことを実践することです。憎むこと、つまり人の苦しみを望むことは絶対にいけません。虐待された子供、レイプされた女性、家族を殺された人、マルジアムもそんな人たちのひとりですが、それでもイエズスは言います。「今は彼のために祈れないって? じゃあね、祈らなくてもいいから、憎むのはやめなさい。何をすればよいか教えてあげましょうか。過ぎ去ったことを、振り向いて見たりしてはいけません」

 イエズスのご受難の時、イエズスとマリア様だけが、憎しみに狂った人々を愛し、ゆるし、彼らの救いのために積極的に苦しみました。特にご自分の子をなぶり殺す人々を完全にゆるし、まったく憎まなかったマリア様を見てください。イエズスにこれほど従いました。私たちの人間的な理性が、自分の憎しみを正当化しようとする時、このマリア様の愛ゆえの従順を見習って戦うべきです。マルジアムは子供らしく「はい、そうします。あなたが好きだから」と言ったのです。憎しみという自分の罪に対する戦いの勝利の秘訣は、マリア様を熱愛することです。自分を忘れるまでに情熱を傾けてマリア様を愛するのです。その時、マリア様への愛のゆえに何でも簡単になっていきます。心の底からの大きな憎しみさえ捨て去ることすらできるようになるのです。忘れないでください。マリア様は全ての問題の解決を持っていらっしゃることを。



【 第96章 】

 イエズスとマリア様を一言でいうと、この世にくだったあわれみです。イエズスとマリア様に従う人はあわれみの弟子ですから、何よりもあわれみを第一にしなければなりません。このあわれみそのものであるイエズスとマリア様が、カルワリオという処刑場にイエズスが十字架をになってひきまわされて行く途中、出会いました。苦しむ2人が「母さま!」「子よ!」と何度も呼びかわすと、ローマの兵士たちにさえもあわれみの動揺が広がりました。しかしユダヤ人たちはお二人には全くあわれみを感じなかったのです。

 あわれみの反対は残酷です。同情心にかける人は残酷な人です。日本は凶悪犯罪がとても多くなっています。社会全体が同情心にかけ、残酷になっているしるしです。子供たちも執念深く、陰湿に、クラスメートをいじめるのが日常当たり前の出来事になっています。しかもあわれみにかられて、いじめられる人の側に立つ子供が全くいません。

 今もマリア様は私たちのもとに来て、あわれみのメッセージを与えてくださいますが、このマリア様のあわれみに執念深く、陰湿に、残酷に迫害を加えている日本人がいます。彼らは同情心を持っていません。あわれみよりもひとりよがりの宗教、思想、イデオロギーを第一にする人はイエズスとマリア様の弟子では決してありません。みなさんも同情心に富むように自分を変えなければ、メッセージでマリア様が伝えたいと思っていらっしゃることの本質をくみ取ることはできませんし、メッセージを実践することもできないのです。

 90%が地獄に落ちていると聞いて、皆さんの心は同情ではりさけそうになりませんか? すべての人のために「マリア様、彼らを救ってあげてください!」と叫ばずにはおられなくなりませんか。自分のこの世での快楽は全て捨てて、彼らを救うためだけに生きようという気になりませんか! もしそうならないのなら、あなたの心はあわれみを感じにくい残酷な心ということです。この石のような心を、愛に燃える心に取り替えていただくように、マリア様に頼んでください。マリア様にはその奇跡が行なえます。心からへりくだり、忍耐づよく頼み続けてください。マリア様はあなたをご自分の愛で温め、変え、変容させてくださいます。



--------------------------------
【 第97章 】

 天国の天使、聖人たちの幸福は、神を所有することにあります。彼らは幸福の源である神様を自分のものにしているのです。なんと素晴らしいことでしょう。私たちは、まだこの世にいながら、神を所有する幸福を味わえないものでしょうか。

 神は清い心のその真ん中にご自分を置く人によって所有されます。マリア様を見てください。完全に清い心のその真ん中に神を絶えず置いていたので、マリア様の心は三位一体の住み家、天国でした。ですから私たちもマリア様を見習うことによって、この世から神を所有しはじめることができるのです。

 清い心は悔い改めによって得られるのです。自分の邪欲と戦いましょう。肉欲、物欲、金銭欲、名誉欲、自己顕示欲などと忍耐強く戦い続けるのです。失敗したら、マリア様にすがって何度でも立ち上がっては続けてください。そしてマリア様がなさったように心の真ん中に神を置くとは、神のことをいつも第一にすることです。神の望みを何よりも優先し、神を何よりも大切にすることです。神が喜ぶように生きることしか興味がないほどに神のために生きることです。

 こう努力するならば、まだまだ神様にふさわしくない段階であっても、マリア様は私たちの望みを神様に伝えてくださいます。神様はマリア様の願いを決して拒みません。私たちにマリア様を通して神様がご自分を与え、所有させてくださるのです。こうして私たちはこの世で内的に幸福なものとされ、外的なあらゆる不幸にも打ち負かされることがなくなります。外的で、つかの間の、はかない、この世的な幸福を求めるならば、幸福の源である神をこの世でも、永遠においても失って不幸になります。ですから悔い改めでくださいね。
【 第98章 】

 あなた方への愛のゆえに、こんなにも傷ついている神様とマリア様に同情してくれないでしょうか? 永遠の滅びに瀕している全世界の人びとに同情してくれないでしょうか? これは天からのメッセージの基本的な呼びかけです。それで神様とマリア様のお言葉をふさわしく理解できるかどうかは、あなたが同情心に富んでいるかどうかにかかっているといえます。

 メッセージを読んで、神様がすべての人を愛しているのに心を打たれませんか? あなたがあわれみに感じやすく、愛に心を動かされる人であるなら、神が隣人を愛するのを見て、神が愛しているその隣人を自分も愛そうと思うはずです。

 旧約聖書で最も有名なアブラハムとモーゼは、二人とも、罪人と神様の間にはいり、罪人をあわれんでくださるようにととりなして、決められていた正義の罰を取りやめてくださるようにと一生懸命嘆願しました。同じように旧約の預言者たちは皆、民に向かって天罰を告げるように言われ、それを実行しましたが、同時に民のために神のあわれみを必死に祈り求めたのです。神様はそれを聞きいれてくださり、天罰を取りやめたり延期したりしてくださり、預言は人間的に見るならはずれるのですが、それは神のあわれみと預言者たちの隣人に対するあわれみの心の大勝利でした。しかし人々は預言者をあざ笑い、殺したのです。預言者たちは殉教の運命を受けました。

 現代も幻視者たちは、告げるようにと言われるままに天罰を警告し、同時に罪人をあわれみ、天罰をゆるめてくださるようにと神に叫び求めています。そして神様からあわれみを勝ちえているのです。もしあなたに同情心が豊かにあるなら、幻視者たちと一緒に、御計画を変えてくださるようにと祈り、出来事が起こらなかったなら大喜びして感謝するでしょう。預言がはずれたからとつまずいた人、幻視者をあざ笑う人は、その行いによって自身が同情心のない人間なので、神のあわれみもメッセージの基本的な呼びかけも理解できないということをさらけ出します。

 どうぞ悔い改めて、あわれみそのものであるマリア様の子として、あわれみ深いものになってください。マリア様の似姿となるほどにあわれみ深くなることが、メッセージに応えることなのですよ。



--------------------------------
【 第99章 】

 神の慈しみについて考えてほしいのですが、このことについて静かに思いめぐらしたことはありますか? 何かの事故に巻き込まれて、自分に確実な死が十分後に迫っているとしましょう。その十分間のうちに死を迎える心構えをつくらなければなりません。あなたは何を考えますか? 生涯犯し続けたたくさんの罪が気にかかると思います。それに引き換え、わずかしか神様に応えていないことが残念に思えるかもしれません。地獄に落ちてしまうかもしれないと考える人もいるでしょう。ここで常々2つのことを思っているかどうかが重要になります。ひとつは罪をゆるしていただきたいと願っていることで、もうひとつは神の慈しみに希望をかけていることです。

 死を間近にすると、悪魔が神のゆるしに対して絶望させようと猛攻撃をかけてくることを考えれば、神の慈しみに希望をかけるのは、そうたやすいことではないことに気がつくでしょう。ですから、いつもメッセージや聖書やマリア・ワルトルタの著作に書かれている、イエズス様とマリア様の罪人に対する優しさ、その御心のあわれみ、慈しみに最大の注目を注ぎ、それについての理解が心の確信にまでなるように、繰り返しこのテーマで黙想しなければなりません。

 90%の人は最後の最後に、自分の罪はゆるしていただけるはずがないと、神の無限の慈しみを侮辱する罪を犯して地獄に行ってしまっています。あなたがそうならないためには、マリア様に信頼し、希望することが大切です。あなたの心をマリア様にまず向けてください。マリア様の胸に信頼深く身をゆだねつつ、神の慈しみについて思いめぐらして、罪のゆるしを願うのです。あなたの心は慈しみに希望することで喜びを感じ、神に応えていないことに悲しみを感じるでしょうから、それを子供らしくマリア様に全て打ち明けるのです。どうかこのことを実行してくださいね。



--------------------------------
【 第100章 】

 皆さんは心の喜び、気分の良さ、楽しさを得るために、この世が差し出すいろいろな情報を、又は娯楽を追い求めています。実際に皆さんの心はそれらに喜びを感じているからそうするのです。しかし、もっと良いもの、もっと素晴らしいものがあることを知っていますか? それは神のあわれみを見いだすという喜びと、神の慈しみに希望を持つ喜びです。これは天的な喜びで、霊魂をうるおすものです。この世的な喜びが長くは続かず、味わえば味わうほど渇きがひどくなるのと全く対照的です。この天的な喜びに比べたら、この世的な喜びは、ちりあくたにしかすぎません。

 ところで、天的な喜びを得るために踏む第一歩とはなんでしょうか。それはこの世的な喜びを追い求めるのをやめることなのです。そのためローマ・カトリック使徒教会には、修道生活という特別な生き方があります。実に多くの男女が、この世の喜びに熱中しても当然な若い年代にありながら、この世的な喜びが皆無に近い修道生活に自ら飛び込み、一生涯をささげてきました。このように、今の皆さんの生活・風俗のままでは、天のこと、神様のことを味わうことが難しいので、それを根本から見直す必要があります。改めなくてはならないのです。テレビやラジオの視聴を、音楽の鑑賞を、小説や雑誌の読書などを思い切って減らすことによって、いわば体の目、耳をとじるようにするのです。心が静まり落ち着くよう、外からの情報をカットするのです。こうしてあなたの記憶のダムが、この世のものでいっぱいになっている状態から、減っていけばいくほど、天的なものが入る余力ができてきます。マリア様はあなたに天的な喜びを与えたくて待っています。でも今のあなたは満水のダムで、それができません。この世においても天的な喜びで満たしたいと熱く望んでいるマリア様の愛と好意を無駄にしないでください。
まずこの一歩を踏み出しましょう。
【 第101章 】

 皆さんは他の宗教を信じているかもしれません。家の宗教に従っているかもしれません。二つ以上の宗教を同時に信じている人も、いろんな宗教の気に入ったところを寄せ集めて自分なりの信仰を独自に持っている人も多いことでしょう。

 神様は大警告の直後に、生き残っている人類が一時的に皆、ローマ・カトリック使徒教会を唯一の真理として認める状態に強制的にします。この短い平和は半年から一年半で、ルシフェルであるロード・マイトレーヤによって破壊されます。その後、自分を神と宣言するロード・マイトレーヤに従うか、マリア様に従うか、すなわち世界統一宗教に属するか、リトル・ペブルさんに率いられたレムナントチャーチに属するかの2つだけになり、マリア様に従う人だけが最後に救われます。

 今、強制的にではなく、自発的にマリア様に従えば、あなたは信仰の功徳を積むことになります。ただしマリア様のメッセージを信じ、ローマ・カトリック使徒教会の教えを唯一の真理として認めるということは、それ以外のすべての宗教の教義を捨て去ることを、まず行わなければなりません。次にローマ・カトリック使徒教会の教えは、100あれば100全部信じなければなりません。これができますか? マリア様はあなたが信仰による功徳をつみ、偉大な報いを得ることができるよう、強制的ではなく、自発的にそうするようにと願っています。輪廻転生、因果応報、吉凶、占い、気、たたり、さわり、etc。これらはみな真理ではありません。マリア様が信じるようにとおっしゃるローマ・カトリック使徒教会の教えと、これらを混ぜ合わせることは信仰に反する罪で、罪を犯せば恵みは受けられません。どうか皆さん、マリア様を絶対的に信じてください。絶対的に信じてこそ、マリア様の子供として絶対的に保護され、安全に天国に導かれるのです。





【 第102章 】

 修道者のように生きるとは、いつもより多くの功徳を集める方を選ぶことを、日常のすべての場面で実践することです。それは人間的な好みから言えば、より辛い方を選ぶことになります。これをローマ・カトリック使徒教会の用語でいえば、自己放棄、または自分に死ぬと言います。マリア様から多くの人が「私の保護のマントの下においでなさい」と呼ばれます。また呼ばれた人には皆、何らかの使命が与えられています。しかし、ほとんどの人がその使命を途中で放り出して、マリア様のマントの下から去っていきます。多くの場合、本人は気づかないうちにそうしてしまうのです。あなたがそうならないためには、修道者のように生き、絶えず自分の好み、わがままを踏みにじっていく必要があります。そうすれば安全です。

 例を挙げてみましょう。イエズスは人の上に立って権力をふるうものにならないで、人に仕えるものになるように命じています。これは人間の自然の好みに反することです。しかしこの命令を文字通り実行しなければ、やがてあなたはマリア様のマントの下から去って行くことになります。同様にイエズスは敵を愛し、迫害する者のために祈れと命令しました。これを実行しなければ立ち去ることになります。人を裁くな、人の悪口陰口を言うなと命令しました。これを厳密に日々実行しなければ立ち去ることになります。世間の人が生きる生き方とは全く違うことがわかりますね。世間の精神を捨てることが、マリア様に応えるためには必要なのです。そうしない人はマリア様に従い抜くことはできないのです。

 あなたにとって何十年も生きて染み付いた世間の精神を捨てるのは、たやすいことではありません。自分の力では決してできませんから、この戦いをマリア様によりすがって戦ってください。世間の精神を捨てよう、修道者の精神を持とうと、その意志を持ち続け、実生活の場面では、マリア様だったらどうするかを思いめぐらしてみるのです。より高潔で理想的なことを選ぶなら、マリア様は大喜びしてあなたをますます強めてくださいます。マリア様はあなたを速やかに大きな聖性に至らせてくださるでしょう。


【 第103章 】

 新聞やテレビで毎日犯罪のニュースが流れます。あなたは犯罪者となった人の親が、どんなに悲しみ、苦しんでいるか、思ったことがありますか? あまりのつらさに耐えかねて自殺する親も多いのです。親というものはそんなものなのですよ。神様はあなたのこの世の父以上の本当のあなたの父です。マリア様はあなたのこの世の母以上の本当のあなたの母です。あなたが罪を犯すとき、神様の聖心とマリア様の御心をあなたは剣で貫いてしまうのです。これが罪を犯すということの本質です。小さなたった一つの罪ですら、神様とマリア様を傷つけ、悲しませ、苦しみに突き落とすのです。

 神様とマリア様のこの痛みを信じられないのですか? では、十字架像を見つめてみてください。御子の亡骸を抱いて悲しむマリア様の姿であるピエタの像を見つめてみてください。この苦しみはあなたへの愛です。たったひとつの小さな罪でも、これほどの罪ほろぼしを必要としますから、あなたを愛する神であるイエズスと神の母であるマリア様が、あなたに代わって苦しみを引き受けているのです。もしあなたが、神様とマリア様の痛みを罪を犯しても感じないなら、どうして本当にすまなかったと心から思えるでしょうか? あなたの痛悔と悔い改めが真実のものになるためには、神様とマリア様を痛ましくも傷つけてしまったことと、その罪を悔い改め、ゆるしを願うまでは、悲しみと苦しみが慰められないことを悟らなければなりません。

 マリア様が血の涙を流している絵や像を写真で見たことはありませんか? マリア様の悲しみを思ってください。ロザリオをしながら目に浮かべてみてください。マリア様はあなたにご自分の悲しみを感じさせたいと思っています。あなたもマリア様にそれを願ってください。偉大な恵みとしてそれを望んでください。






【 第104章 】

 イエズス様は罪人に対して限りなく優しいのです。自分を罪人だと認め、へりくだってゆるしを願う人は、イエズス様にあたたかく迎え入れられます。しかしイエズス様は偽善者には厳しいのです。良い人間のふりをする愛のない人間が偽善者です。なぜなら愛がなくても良い人間のふりができる人は、厳しく指摘する以外、自分の罪深さに気づいて悔い改めるそのきっかけさえも持ち得ないからです。その厳しさは、彼らが救われるようにとふるう愛のムチです。

 ところで自分に愛があるのかないのか、どうしたらわかるのでしょうか。誰にでもあてはまる識別の仕方があります。侮辱された時、その人がとる行動でわかるのです。隣人愛をまことに身にまとっている人は、人々から受ける侮辱に対して、忍耐をもって応えます。議論しません。あたかも祝福されたかのように、喜びと平和を心の中に保ちます。これにひきかえ、隣人愛をまとっているようにたとえ見えても、その実、愛のない人は、すぐ不忍耐におちいり、侮辱に対して言葉を返します。黙ってゆるすことができません。

 あなたの日常をふりかえってみて下さい。まわりの人すべてに対して、例外なく忍耐深いですか? そうであるなら、あなたには真の愛があります。それ以外の人は、自分の愛のなさを認めましょう。せめてマリア様の前では良い人間のふりなどせずに、愛の足りなさを悲しみをこめて打ち明けましょう。「私はまだまだダメです。愛がないので、お母さん、私に隣人愛を下さい」と申し上げてください。こうしてマリア様のふところに身をかくすなら、偽善者に対する神の厳しい愛のムチによって気づかされるのでなく、お母さんらしいやり方で、マリア様が愛することを教えて下さいます。それはあなたのためにマリア様が悲しみの涙を流していて、あなたがそれを祈りのうちに感じようとする時、よく行なわれます。心から「僕は悪い子です」と認め、誰よりも劣った者と自覚しつつ、愛と忍耐と謙遜の行いをこつこつと積み重ねて行きましょう。




【 第105章 】

 悲しむ人は幸いである。彼らは慰めをうるであろう。これはイエズス様の言葉です。悲しむ人が幸せなんて不思議に思いませんか? しかし皆さんがメッセージを読めば、マリア様も、聖人たちも、天使たちもひどく悲しんでいることがわかります。何を悲しんでいるかを読み取ってください。2つあります。ひとつは、神様に対してなされていることについてです。神様は愛そのものですし、愛の源です。全人類一人一人に無償で無限の愛を注いでいます。しかし人間は罪を犯して神を傷つけます。罪とは、神の愛に対する恩知らずであり、軽視であり、裏切りです。愛する神が愛されていません。それを見るのが彼らの深い悲しみです。

 もうひとつが、罪を犯す人の不幸せに対する悲しみです。罪は罰なしにはすみませんし、幸せの源である神から遠ざかり、残酷な刑吏である悪魔の支配を受ける度合いが増します。ますます永遠の不幸に近づく人が気の毒で深く悲しんでいるのです。

 なかでも悲しみに満ちたマリア様の御心は、その目に血の涙を流させるほどなのです。皆さんはお母さんが悲しんでいるとき、その傍らでお祭り気分でいられますか? お母さんとの愛情のきずながあるなら、共感し、一緒に悲しみたいと思うはずです。そこで皆さんにも2つのことで悲しんでほしいのです。ひとつは自分自身がマリア様の悲しみのもとになっている罪を犯していることです。もう一つは、天の方々と同じ理由、つまり神に対する同情と人々に対する同情です。この聖なる悲しみを日々、心に起こすように努力して、祈り、思いめぐらすことを続けるなら、やがてあなたは自分に対する聖なる憎しみと軽蔑、神と隣人に対する愛と敬いを心に感じるようになるのです。その時、自分の心に神の国が立ちつつあることで、あなたは神からくる慰めを受けるでしょう。






【 第106章 】

 メッセージでは、助けを求めなさいという言葉が本当に頻繁に出てきます。あなたが助けを求めることが、助けを得るためには絶対不可欠だからです。では、私たちは一日中、何でもない些細なことにまで天の方々の助けを求めるべきなのでしょうか? はい。そのとおりなのです。

 これは自分で何でも出来ると考える自負心を捨て去ることを意味しています。この自負心は、自尊心、うぬぼれ、傲慢の根です。策略をめぐらす人は、この罪に深く染まっています。自分の力と才能に思い上がり、それをたのみに目的をとげようとしているからです。またそれは、自分の欲求が正しいものと決めつけ、神にそれを押しつけることでもあり、自分の理性を神よりも上におく恐ろしい傲慢の行いです。

 皆さんは目に見えないイエズス様、マリア様、ヨゼフ様、天使たち、聖人たちの絶え間ない助けをすでに受けていて、やっと今、真理にめぐり会えたところです。その真理の道を自分の力だけではただの1cmも前進できないし、踏みとどまっていることすらできないと認めていますか? この自分では何も出来ないという弱さの自覚が、マリア様の子供の特徴なのです。母親が近くにいることを始終確認しては安心している幼子をまねてみましょう。やっていることは今迄と変わりませんが、始終イエズス様、マリア様、ヨゼフ様、天使たち、聖人たちにちらっと視線を送るのです。これはあなたに、守られているという安らぎと、子供らしい大胆さをもたらします。まったくマリア様に信頼し、逆に自分にはより頼まない人になってください。そういう人は絶対策略を用いません。いつも正々堂々と事を行ないます。それでいて自分の弱さを謙遜に認めています。

 天の方々は皆、あなたの「助けてね」という言葉を心待ちにしています。この言葉は恵みの水門を開きます。マリア様の勧めに従って、何をするにも助けを求めましょうね。



【 第107章 】

 マリア・ワルトルタの著作をぜひ読んで下さいね。マリア様がそう願ってます。その著作の中で愛の使徒・聖ヨハネと裏切り者の使徒・イスカリオテのユダとが、著しい対称をなしています。聖ヨハネはいつも満足しているという彼だけの特徴を見せます。暑さ、疲れ、飢え、渇き、荷物の重さ、いろいろなことに他の使徒たちはすぐ不満を言いますが、彼だけは違います。逆にイスカリオテのユダは、いつも何かがしゃくにさわっています。心は不平不満で一杯です。隣人に対しても聖ヨハネは、相手は自分よりも良い人だと見て、いつも満足の目を注いでいます。逆にイスカリオテのユダは誰をも尊敬しません。見せかけの尊敬は得意ですが、本当は自分の方が相手よりも良いと思っているので、誰に対しても不満で、いつも隣人を批判します。

 皆さんは聖ヨハネのいつも満足しているところ、特に隣人を満足の目で見ることをどう思いますか? 仮に自分がある人から不満を持たれ、いつも批判の目で見られたら、あなたはその人を我慢できますか? それであなたは隣人に対してそのようなことをしていませんか? その時、相手はもちろん不幸ですが、あなた自身も不幸ではありませんか? 

 隣人を愛するということは、相手に幸せを、満足を、喜びを与えることです。これができない人は、聖ヨハネの何に対しても、誰に対しても満足するという徳を持っていません。あなた自身も、隣人も幸せにするために、悔い改めてくださいね。これはマリア様にならうことでもあります。マリア様は、本当は私たちは罪人で悪い子でマリア様の悲しみの種でもあるというのに、私たちのほんのわずかな善を見て、良い子よと呼び、満足を示して下さっているのですから、マリア様にそうしてもらっている私たちは、同じ事を隣人に対しても行ないましょう。





【 第108章 】

 子供は知恵がつくと、同時にうそをつきはじめます。しかられたくなくてうそをつき、時には兄弟姉妹、友達に罪をきせ、相手をだますのがおもしろいのでうそをつき、自分をよく思わせるためにうそをつきます。誰が教えたのでしょう? それは悪魔なのです。悪魔のことをうその教師といいます。エバを誘惑する時にうそをつき、だましました。エバとアダムは罪を犯したのち、神に対してただちに不正直になり、その罪を自分ではなく悪魔であるヘビのせいだ、エバのせいだと他者にきせようとしました。このようにうそは知恵の悪用で、悪魔に対して従順に従うこと、つまりあなたの知恵を悪魔にささげることなのです。自分の利益のためにうそをつく人はずるい人間です。人に罪をきせるためにうそをつく人間は卑怯者です。裁判のような場で偽証するのは卑劣な人間です。しかもうそをつくことを悪いことだとも思わない人が沢山います。そういう人は良心が死んでしまっている人で、悪魔のいいなりになっている、悪魔の忠実なしもべです。行く手には確実に地獄が待っています。

 いったいイエズス様、マリア様を愛する人が、うそをつく必要などどこにあるのでしょうか。悪いことをしてしまったら、受けるべき罰をこの世で受けて、この世で償いたいと思っているはずですから、正直に罪を認めます。この世で罰をのがれて、煉獄や地獄で罰せられるより良いではないですか。神様に守られている確信があれば、うそをついて自分をかばう必要など感じないはずです。

 うそは、ごく幼いころから始まり、一生のうち数えきれないほど犯す罪ですが、悪魔の支配からのがれるためには、絶対悔い改めてやめなければならない罪です。習慣化している罪は、悔い改めるのが難しいです。難しいならマリア様にすがりましょう。マリア様は、弱くて悪い私たちのために神様が与えて下さっている母であり、マリア様の母乳は、罪に対する薬です。あなたがマリア様をひたすら信頼し、赤ちゃんのようにマリア様に身をまかせるなら、マリア様は恵みの母乳であなたを強め、回復させてくださいます。



【 第109章 】

 「友のために命を捨てるほど大きな愛はない」とイエズス様は教え、自ら文字通りそれを実行なさいました。イエズス様の弟子でありたい者は皆、友のために命を捨てることを理想として目指すはずなのです。しかし皆さんは現代の日本人で、恐れにとらわれやすい傾向が非常に強いので、他の国民に比べてそれがむずかしいですが、マリア様にすがることできっと恐れを克服できます。恐れは神様に従うことを不可能にします。自分の身に困難や危険がせまるのを逃れようとするなら、神様のために、また隣人の救いのために立ち上がることはできません。

 この恐れに加えて、皆さん日本人には別の大きな恐れがあります。それは自分の帰属する団体の中で単独行動をとることに対する恐れです。家、親族、地域、会社、世間、友人の輪、何らかのグループの中で正しいことをしようにも、まわりの人々が反対しそうだとそれができません。あなたが本当に隣人を愛し、彼らの善を望むなら、波風がたとうが、自ら正しいことをそっせんして行ない、良い模範となり、皆を正しい方へ導くべきなのです。日本では、このように個人として自覚をしっかりと持ち、信念に従って行動し、その責任を自分がとるということを本人が恐れますし、まわりもそれを恐れてはばみます。

 これら2つのタイプの恐れにがんじがらめにされている皆さんは、愛するということを本当に行なう前提として、「恐れない」という課題をクリアしなければなりません。恐れは悪魔が特に日本人に対して使う最も有効で強力な武器です。これに対して戦うには、「恐れるな」というイエズス様の命令を、単なる勧めではなく、絶対の命令だと受け止め、マリア様に徹底的に信頼し、身をまかせる以外に方法はありません。これが、聖母の御心に自分を奉献することなのです。マリア様の御心には、あなたをかくまう子宮のような場所があり、あなたが無防備でも絶対確実に守られます。マリア様の御心の愛の炎はあなたをつつみ、悪魔と彼らが起こす災いをあなたに決して近づかせません。あなたはマリア様の愛の中心に入るのです。これがマリア様の汚れなき御心であり、その、御心に身を奉献することなのです。
【 第110章 】

 マリア様があなたに求めていらっしゃる償いとは何でしょうか。自分の罪の罪滅ぼしをすることが一つの側面です。犯した罪に再びおちいらないように戦う努力をささげ、日常のいやなこと、つらいこと、我慢のいることなどを罪滅ぼしの目的で喜んで受け入れ、ささげること、これです。

 もう一つの側面は、神様が望んでいらっしゃるのに世間が行なわないことを世間に代わっておささげすることです。人類の歴史上、今ほど人間が利己主義にこりかたまり、神と隣人に愛を拒んでいる時代はありませんでした。このことから最もささげるべき償いは、神を愛し、隣人を愛することだと言えます。

 イエズス様は、隣人を通して神を愛するようおっしゃいましたから、神のために隣人を愛することに力を尽くさなければなりません。力を尽くし、心を尽くし、思いを尽くし、神のためにあなたの隣人を愛するのです。自分のことは忘れ去るほどに隣人の善と喜びと満足のためにつくすのです。思いも、言葉も、行いも隣人への愛に用いるのです。これはまさに償いの生活です。常に自分が後まわしになり、損をするのですから。でも、そういうふうに生きたマザー・テレサは不幸せに見えますか? この償いの生活を徹底すれば最高の幸せが手に入るように見えませんか?

 ところで、この償いの生活を皆が目指す場所をマリア様がつくりつつあります。マリア様ご自身が会則会憲を与えた聖シャーベル修道会の共同体です。父も母も子供達も若者も夫婦も、この理想、この召命のもとに生活する場所です。聖シャーベル修道会は償いの修道会です。イエズス様、マリア様、ヨゼフ様の聖なる愛にみちみちた家庭生活を、家庭という単位のままに生きながら、模倣し、再現し、神様が世間からは受けることができない愛をささげて、お慰めし、償うのです。皆さんの中にもきっと多くの人がマリア様からこの生活に呼ばれています。この呼びかけを心に感じていませんか?



【 第111章 】

 新約聖書を読んでみましたか? まだ聖書を持っていない人がほとんどでしょうから、旧約聖書を読んだ人はわずかでしょうね。新約はイエズス様が生まれた後のことで、旧約はイエズス様が生まれる前のことですが、どちらの聖書も預言が多いのです。しかも人々がそれを聞いて、あるいは読んで、こういう出来事がいつごろと考えたように起こった預言などほとんどありません。ですから人々にとって預言ははずれたわけで、神の預言者をあざわらい、殺す口実となりました。

 マリア・ワルトルタの著作で、イエズス様は12使徒たちにこう教えています。「預言された未来を左右するすべがないなら、未来を知ったとしても何の甲斐もない」と。つまり神からのまことの預言とは、人々に預言された未来を左右させるために与えられるとおっしゃっているのです。

 あなたは今、神のまことの預言を読み、イエズス様、マリア様の声をじかにその中に聞いていますが、聖書の時代の人々と同じような間違いを犯しているのではないでしょうか? 私たちのホームページには、すでに言われている時が過ぎた預言を堂々とのせています。それはその預言をあなたに左右してもらわなければならないからです。

 神はあわれみそのもので、私たちの善と救いだけを望んでいます。あなたが「神様、私は悔い改めます。助けて下さい、罰をとりやめて下さい」というのを神様が期待しているのに、あなたはそう言っているでしょうか? もしあなたがそう祈っているなら、あなたは自分の霊魂は愛しています。

 あなたが隣人を愛しているかどうかは、「神様、私が彼らに代わって祈り苦しみますから、彼らを罰するのをとりやめて下さい」と祈っているかどうかでわかります。マリア様はこう祈る人を一人でもふやすために来ているのです。メッセージを読むあなたは、マリア様の目で見、マリア様の心で感じ、マリア様の愛で理解し同情し、常にマリア様を通して行ない、あなたの人生がマリア様の声のこだまとなることを目指すのが基本だということに目を向けましょうね。



--------------------------------
【 第112章 】

 時間というものは神様が与えてくださる最も貴重なものです。あなたたちより先に呼ばれた人たちの祈りと犠牲と嘆願によって時はのばされ、そのおかげであなたはメッセージに出会うことができました。もしそれがなかったらあなたはどうなっていたことでしょう。ですから、この貴い時間を一瞬たりとも無駄にしてはいけません。

 今あなたがすべきことを4つあげてみます。もっと愛を強めること。もっと望みを強めること。もっと自分を罪から清めること。もっとイエズス、マリアを知ること。今あげた4つは、その程度を無限に増すことができます。

1.あなたが体験した強く純粋な愛で最も熱烈だったのは初恋だったのではありませんか? そのように神様に、マリア様に自分の最も熱い愛をささげてください。

2.試合に勝つこと、試験に合格すること、何かほしいものを手に入れたい時、あなたは一日中それを望むことができるし、そのために多くの犠牲を払うことができます。そのように罪がゆるされ、救われ、天国に行けることをあなたは自分と全ての人のために、寝てもさめても望むことができるのです。世間の人が「お金がほしい。お金がほしい」という望みで頭の中をいっぱいにしつづけるように、あなたは「霊魂がほしい。霊魂がほしい」とそればかり望む人間になってください。

3.罪から自分を清めることとは、世間と自分の欲望と悪魔の誘惑との絶え間ない戦いをすることで、戦いに強くなることです。強力な誘惑にも負けなくなることなのです。最前線の兵士のように激戦の中で見張り、警戒し、罪の糸口が見えたら直ちに全力で抵抗してはねかえし、心に侵入させてはいけません。
4.もっとイエズス、マリアを知ることは、読書に黙想を加えることで深まります。マリア・ワルトルタの本、聖書、メッセージを読んでください。そしてロザリオをする時、思い出し、対話してください。皆さんは内的生活においては赤ちゃん、しかも未熟児です。だからこそ内的生活においては何から何までマリア様にすがってください。あなたのか弱さをすべてマリア様にあずければ、マリア様はどんな母親にもできないほどに素晴らしくあなたの面倒を見てくださるのです。



--------------------------------
【 第113章 】

 マリア様の罪人に対する母性愛は宇宙よりも広大で、何もさまたげることができないので、マリア様はどんな人でも我慢できます。天使たちが離れ去り、悪魔たちにとりかこまれている人、心の中に悪魔をよろこびむかえて住まわせている人、そんな人の罪さえマリア様の母性愛をさまたげません。神が与えてくださった救いの命づな。それがマリア様なのです。そして生きている限り、どんな人もマリア様によって悪魔から自分の霊魂をとりもどすことができます。

 多くの人がまもなく死に直面するでしょう。その時あなたは今と全く違う精神状態になります。今は悔い改めなくっても死んだら天国にいくと思っていますが、死の寸前には良心が息を吹き返し、悔い改めなかった罪をとがめるので、絶望の思いがわきおこります。「もうおそい」と。その時、「マリア様だけは決して誰も見捨てない。まだ間に合う!」と考えられたら、その人は絶望して地獄に飛び込むことが避けられます。「自分の罪を神様がゆるすはずがない」と思えるとき、「でもマリア様だけは、ゆるしをとりなして下さる」と考えられたら、その人はゆるされる希望をとりもどして、ゆるしを願うはずです。自分の霊魂のみにくさ、おぞましさに身震いして、神様から嫌われていると思える時、「でもマリア様だけはあわれみしかいだかないので平気で抱きしめてくれる」と考えるなら、神様から逃げ出さずにすみます。

 「ああマリア様、助けてください」と叫んだ人で、マリア様から見捨てられた人など昔から今に至るまでただの一人もいないのです。だからマリア様をもっと大事に思ってください。マリア様に自分の永遠の命がかかっていると確信してください。そしてこの救いの命づなを死ぬまで決して離さないぞと決心してください。



--------------------------------
【 第114章 】

 過去、現在、未来の全ての人間の中で一番偉大な人は、神であるイエズス様です。その次はマリア様です。その次はヨゼフ様です。マリア様とヨゼフ様の偉大さは、意向の純粋さにあります。台所仕事や大工仕事が神様の前に途方もない価値を持ち、莫大な功徳を積んだのは、それをただひたすら神様のためにという愛の動機から行なったからです。

 神様を喜ばせたいと働く時、祈る時、苦行する時、その意向が知らないうちに不純なものになってしまう第一の原因は功名心です。功名心は子供のころに芽ばえています。「おりこうさんだねえ」とか「かわいいねえ」とか「よくできたねえ」とほめられて喜ぶ時、同時に感じる誇らしさがそれです。あなたがマリア様にロザリオをささげるとします。マリア様を喜ばせたくてするのと、マリア様にほめられたくてするのとでは全く違う価値の祈りになるのです。前者の動機は愛ですが、後者の動機は功名心です。

 あなたはメッセージに出会いましたね。そしてマリア様のお望みを知りました。次はマリア様の望みを果たすことですが、マリア様のお望みはメダイを首からさげ、ロザリオを祈り、罪を犯さないようにするという単純でたやすいことで、今までのあなたの生活を外面的に大きく変えるものではないかもしれません。しかし、内面的には、あなたの根元的な部分において変わらなければならないのです。ほめられたい、認められたい、評価されたい、人より優れていたい、競争したい、人とくらべたい、自己満足を味わいたい、達成感を味わいたい。世間はこれらの欲求を認め、良いこととします。これらの動機を強化すれば成功すると言います。いいえ、これらの意向であなたは神様の御前に価値のあることは何ひとつできません。

 悔い改めるということの真の意味がつかめましたか? 思い、言葉、行ないだけが改める対象ではなく、むしろ、より求められるのはあなたの意向、動機、目的が改められることなのです。マリア様、ヨゼフ様のように、ただ神様と隣人への愛のために全てを行なうところまで行くために、マリア様と最初の一歩を踏みだしましょう。



--------------------------------
【 第115章 】

 この世が神様にささげるのを拒んでいる徳の一つは清さです。子供、若者で地獄に行く者は、ほとんど肉欲の罪のせいなのです。淫猥の精神が今、全世界をおおいつくしています。それは目から耳から心に入り、空想させ、汚します。思春期前の子供たちもこのようにして不潔の罪に早くも染まってしまっているのです。

 大人たちがつくる本、マンガ、テレビ、ビデオ、音楽、ファッションが、無垢な子供を性的に無理やり目覚めさせます。清さを守るために戦うことを教えられていないので、異性の体やセックスの行為を空想するようになります。あなたの良心は、これが悪いことだと判断できますか? これは罪ではないとほとんどの現代人は考えるでしょうが、これはすでに罪です。ある幻視者に祈りを頼みに現れた煉獄の霊魂は女の子で、セックスの空想をしたので煉獄で罰せられていると言いました。そうです、肉欲の思いを心に入れると、霊魂は大被害を受けるのです。あなたはどうやったらこの罪を悔い改めて、再び清い霊魂を取り戻せるのでしょうか。

 まず、あなたの肉欲を刺激するものから離れてください。良くないものは捨ててください。次に、肉欲の罪の重大さを、誘惑のたびごとに思い出してください。それは「このわずかの快楽を味わうことは、地獄行きの切符を買うことなのだ」と繰り返すのです。そして、心の目に肉欲の映像ではなく、あなたに裏切られて血の涙を流すマリア様を映しだしてください。あなたの一生涯のすべての瞬間、あなたを清さに導き、天国に連れて行こうと、真心の愛であなたに尽くしてきたマリア様を、あなたはほんのわずかな罪深い楽しみのために裏切って、その愛を踏みにじろうとしているのだからです。

 「地獄を選ぼうとしている」、「マリア様の愛を裏切ろうとしている」という理解は、あなたを正気に戻してくれるはずです。それからマリア様にお祈りし、話しかけ、対話し、その母乳を飲んでください。淫猥の毒を消し去るマリア様の母乳が絶対に必要なのです。



--------------------------------
【 第116章 】

 90%の人が地獄に行っており、しかも人類が滅びようとしているのに、マリア様のご要求はロザリオの祈りです。「本当にそれだけでいいの?」とあなたは驚いているのではありませんか?

 「私は何か偉大なことをしなくてはならないのではないだろうか?」と考える人も多いことでしょう。偉大で、難しくて、複雑で、目立つこと、そういう何かをするなら悪魔に打ち勝てると、そうあなたも思いませんか? しかしロザリオの祈りは謙遜で、簡単で、単純で、人に知られない祈りです。何かをしたという誇らしい気持ちは生まれません。自分が働いたという実感がないのももっともです。働いたのはあなたではなくってマリア様ですから。

 マリア様に働いていただく、この戦い方しかないということを理解してください。あなたは弱いのです。赤子の手をひねるようなものという言葉がありますね。悪魔にとってあなたをたたきつぶすのも、あなたの業をみずのあわにしてしまうのも、朝めし前の仕事です。悪魔が手も足も出ずに敗北する相手は、ただマリア様なのです。マリア様はあなたのため、全人類のためにますます活躍したいのです。

 神様は人間を無理やり救うことはせず、自由意志にまかせます。ロボットのようではなく、動物のようでもなく、自由意志をもって神か悪魔かを選ばせるためです。それで、マリア様に取次ぎの全能の力と悪魔を征服する力を与えながら、そのマリア様が働かれるために私たちのロザリオの祈りを条件とし、私たちに決定権を与えています。そして、ロザリオの祈りを愛するか愛さないかは、本当の信仰か偽の信仰かの試金石となっています。

 自分の感覚・理性・行動に信頼を置く人は、それにたよっているだけで、信仰は実はもっていません。神様のやり方に「なぜですか?」「私はそうは思いません」「もっと良い方法で行います」と言う人は、神を信用するのではなく自分を信用しているのです。こういう人々が「価値がない」とするロザリオという手段だからこそ、神様はこの祈りを使うべき手段に指定したのです。

 あなたの人間的な思いを悔い改めてください。神の思いに全面的にゆずることこそ信仰であり、その真の信仰が功徳なのですから。



--------------------------------
【 第117章 】

 世界には数えきれないほどたくさんの宗教と宗派があります。しかし、霊の世界では単純です。マリア様 対 悪魔の2つの陣営しかありません。悪魔は、総大将ルシフェルが受肉し、今ロード・マイトレーヤという人間として地上にいて、多くの霊魂をだまし、地獄への道に引きずり込んでいます。大警告の時、このままでは非常に多くの霊魂が地獄に自ら飛び込んでしまいます。大警告の直後は、全世界の生き残った人々がマリア様を受け入れ、ローマ・カトリックになっていますが、日本の国土はもう海中に没しています。人々の改心は長くは続かず、マリア様に従うローマ・カトリックと、ロード・マイトレーヤに従う世界統一宗教のどちらかを人は選びます。ロード・マイトレーヤを選んだ人は、イエズス様の再臨によって全て地獄に落とされ、生き残ったマリア様を選んだ人は平和の統治に入ります。

 天からのメッセージはそれを読む人々への召集令状です。箱舟という不沈戦艦の水兵になって戦いなさいという神様の命令です。この箱舟に乗る人は、マリア様に献身し、マリア様の望みを全て果たす人です。全人類を乗せることが可能な巨大な箱舟ですが、召集に応えたわずかな水兵が乗り組んで戦っています。日本人の持ち場はほとんど空席です。それでもわずかな水兵が、天の日本人の殉教者たちの助けを願いつつ奮戦しています。

 皆さん、霊の次元での戦いが今、どれほど熾烈かわかりますか? 地獄のサタンとデーモンが全て地上に出てきており、受肉して人としても地上にいるルシフェルのもとで総攻撃をかけているのです。自分の霊魂を救い、隣人の霊魂を奪い返すために、神様はあなたに今戦えと命じています。その手段として箱舟の聖母を使えと命じています。あなたがどんな宗教、どんな宗派であろうと、共通の敵ロード・マイトレーヤ、つまりルシフェル、そして全ての地獄の住人とその手下どもと今、戦いに入れと命じているのです。

 あなたは箱舟の聖母への献身を誓い、そのメダイを首にかけ、ロザリオを祈り、日々の悔い改めによって聖人をめざします。これはカトリック信者でなくても誰でも今、できることです。箱舟の聖母はあなたをご自分の所有物として自由に使い、あなたの信仰、愛、従順、償いの功徳を用いてサタンを打ち破り、多くの霊魂を奪い返し、あなたをきたえ、聖人にします。

 良く考えてくださいね。原爆よりも水爆よりも悪魔全部よりも強い武器は箱舟の聖母です。神様がこれを使え、箱舟の水兵になれ、そして敵を打ち破れと命じているのです。なぜ他の手段をさがすのですか? あなたの手段と神様の手段では、どちらが役にたつのですか?







【 第118章 】

 マリア様は必要でないと考える人は間違っています。あなたがマリア様という存在を知りながら愛さないなら、あなたはイエズス様のお手本がわかっていません。

 イエズス様は神様ですから全能です。いきなり完成された30才の大人としてこの世に来られることは不可能ではありませんでした。しかし、マリア様を通して来られ、マリア様によって形作られ、生まれ、育てられ、従順と孝愛をつくし、私たちが同じ道をたどるよう手本を示されたのです。何もできない幼子であった時、イエズス様は本当にマリア様を必要としたのです。子供から少年、青年へとなった全ての瞬間、イエズス様はマリア様を本当に親として愛したのです。神でありながらそうなさったのには、私たちにもそうさせるためという目的からなのです。

 永遠不変の神様が、地上のご生涯を終えたあとは、やり方を変えるということなど決してありません。今も永遠にまで、神様はマリア様を必要となさっています。私たちにご自身を与え、またご自身の恵みを与えるために、マリア様を通してそうなさるのですから。そして神から私たちへ下る全ての恵みがマリア様の手を通して配られると同様、私たちから神様へのささげ物も全てマリア様の手を通して神に届けられるのです。マリア様が、いただいた御子イエズス様を、あがないの時、十字架の足元で、不忠実で罪深い全人類にかわってささげました。マリア様という祭壇からイエズス様といういけにえのささげものを御父はお受けになり、人類と和解なさったのです。これは今も永遠にまで変わらない道すじで、この他の道というものは、実はないのです。つまり、私たちと神様を結ぶのはマリア様で、マリア様こそ全人類一人一人になくてはならない愛すべき方です。

 マリア様をひくく見る人は、もう一度言います。間違っています。どうか謙遜に悔い改めてください。この手段を決めた神様への侮辱にならないように。


【 第119章 】

 あなたは「私が悪いことをするのは、あの人が悪いからだ」としばしば考えたりしていませんか? あなた以外の人、環境、事情が、あなたに罪を強制するのならそのとおりでしょうが、強制されるなどというケースはまずないはずです。それらはあなたへの試しとなっているだけで、あなたがそれに打ち勝って徳を証明し、徳を強固にするようにと神様が許されたことなのです。ですからあなたは試練と戦い、勝たなければなりません。試練を言いわけにして自己正当化をするなら、あなたは謙遜の徳をいつまでたっても身につけることはできないでしょう。なぜなら人は試練の時、本当の自分を認識できるからです。神様もそうやって、人が自分の弱さ、罪深さを再認識するのを願って試練を許されています。

 徳というものは、どんな状況においても実践すべきもので、それができてはじめて徳が身についたと言えるのです。平和で順調に物事が運ぶ時、またはあなたが望むように人が反応しているとき、自分はかなり善い人間だと錯覚します。だからこそ、そうでない状況がなければ、あなたは傲慢になってしまうのです。あなたがマリア様の望む悔い改めを実践したいなら、試練が来るのを大喜びしてください。そしていっさい自己弁護、自己正当化なしに、悪い自分の姿を見つめ、へりくだるのです。試練のない時の自分を基準に自己評価している人は、もうそれだけで傲慢の悪徳におちいっていて、しかも男らしくない卑怯者です。試練に負けて罪を犯す時の自分を基準に自己評価している人は、謙遜と誠実の徳をすでに身につけています。

 これを読むあなたはきっと自己の認識の基準を後者の方に切り替えてくれるでしょうね。そしてあなたが試練を最大限に生かすために、試練のさなかでもっとマリア様の名を呼び、助けを切に願わなければなりません。悪魔はあなたが罪におちいるのを望んで試練にかけますが、その時こそ逆にマリア様への信頼と愛にあふれて、マリア様の胸にすがりつくチャンスです。いつもこうしてくださいね。そうするなら、悪魔があなたをマリア様から離れさせようとあなたにかける試練が、かえってあなたをますますマリア様に近づかせ、悪魔の計画はこっぱみじんになってしまいます。試練の時、「マリア様! マリア様! マリア様!」と絶えず心で叫び続けるなら、あなたは罪を犯さないでしょう。



--------------------------------
【 第120章 】

 皆さんは、まだ洗礼を受けていないと思いますが、マリア様に自分自身を奉献できますし、そうすべきです。外にあらわれる奉献のしるしとして箱舟の聖母のメダイを首からさげ、ロザリオの祈りを毎日おささげするのですが、マリア様のすすめに聞き従うこと、マリア様を信頼し、愛し、希望をかけることを内的に実行することが奉献の本質です。そしてあなたのマリア様への奉献を、あなたの外的な生活にも、内的な精神生活にも反映させ、あなたの存在すべてにゆきわたらせるために、今から私が書くことを、忘れずに実行してくださいね。これを知らないと、奉献はうわすべりして形だけに終わってしまいかねませんから。

 それはつまり、あなたに起こることはみな、例外なく、マリア様の手から敬意をもって受け取るということです。マリア様は、あなたの奉献を受け入れ、あなたをご自分のものとしました。あなたのことは、いっさいあなたの霊的善になるよう完璧にはからいます。ですからあなたに起こるすべては、極端な場合、迫害、拷問、殉教さえも、マリア様が愛をこめて、あなたのためになるようにとくださるのです。あなたにとってつらいこと、いやな人、試練や病気、死による別離さえも、それがあなたにとって最高のものごとだから、マリア様が手ずからあなたにお与えになるのです。この確信をもって、与えてくださるマリア様の配慮に敬意をもって、すべてをマリア様の手からいただければ、すべてが喜びとなり、あらゆることを楽しめます。こうしてあなたのマリア様への奉献は実を結び、あなたはマリア様がそう呼ばれているように、「さいわいな者」となるのです。

 あなたは常にマリア様のなすがままになり、マリア様の胸にやすらい、その恵みの母乳をいつも飲み、満ち足りています。今から奉献しようとする人は、忘れずに最初からこれを守ってくださいね。すでに奉献していて、このことを知らなかった人は、やり直すつもりで始めてください。あなたの奉献は真実なものとなるでしょう。



--------------------------------
【 第121章 】

 日本人には母なるマリア様が、父なる神様に行くためにまず必要です。母なるマリア様がいないと、父なる神様を理解できないのは本当のことです。マリア様は慈悲です。日本人の頭は論理よりも情緒のほうにずっと傾いているので、慈悲は各自それぞれに何となくあいまいにであっても、受けとめることができます。そして慈悲の観点から正義を見ると、神の正義が真に理解できます。いきなり神の正義を理解しようとしても、こわくなって逃げ出すでしょう。間違った理解をしているからです。

 では慈悲の観点から見てみましょう。父が子を罰する時、父の心は罰せられる子よりも苦しんでいます。この父の苦しみ痛みが、父の父たるところです。この心がなければ父とは言えません。日本人が一般にしているように、神を「たたる神」として恐れのうちに見ることがあっては決してなりません。しかし、慈悲そのものであるマリア様が、霊魂に慈悲とは何かを伝え教えないなら、神において正義と慈悲は結合していると言われても、誰がその意味をさとることができるでしょうか。

 マリア様はさとらせてくださいます。本当に父は、母が子らを弁護することを心から望んでいて、それは子らを愛していて、裁きたくないからなのだと。おお、全人類が母なるマリア様のもとに行くなら、子らを愛し、裁きたくない父はどんなに喜ぶことでしょう! しかし人類のほとんど、そして今のカトリック信者のほとんどが母なるマリア様を拒否しているのです。正義をいやいやながら行使しなければならない父の苦しみ、痛みはいかばかりでしょう!

 それで皆さんはもうわかったでしょう。母なるマリア様に連れられて私たちが父なる神様のもとに行くという神様の定めは論理的だということが。皆さん、誰が何と言っても確信をもってマリア様を通して神様のもとにいきましょう。



--------------------------------
【 第122章 】

 皆さんは聖書を読んだことはないかもしれませんが、貧しい馬小屋でマリア様がイエズス様を産んだお話しと、十字架刑にイエズス様が処せられたお話しは聞いていると思います。それでイエズス様とマリア様をしいたげられた弱い人のように見てはいませんか。それは大きな誤解です。一瞬先に何が起こるかさえ知らない私たちと、イエズス様、マリア様を同じように見ているのではありませんか。

 イエズス様は神としての知識によって、マリア様は無原罪の特権による傷のない理性によって、あがないの業にともなうお二人の苦しみをあらかじめ御存知でした。知っていながら御父の命令を果たすために、いけにえとなるために駆けていったのです。どんな労苦もどんな屈辱もいとわなかったし、世の終わりにいたるまでの人々の忘恩と、それを大恩だとも認識しない無知も意に介しませんでした。ユダヤ人の迫害、嘲笑、侮辱、人民の非難と叫びを前にしてもたじろぎませんでした。これほど強い人がいったいどこにいるでしょうか。イエズス様とマリア様は、御父が戦場に送りこんだまことの戦士、まことの英雄で、お二人は悪魔から、その奴隷となっている全人類をたったお二人で奪い取り、解放したのです。

 この世にこれ以上ない強いお方に皆さんは共に戦うように呼ばれています。皆さんは自分の弱さのために恐れる必要はありません。あなたがイエズス様とマリア様に従うなら、お二人があなたを守るのですから。

 はっきり言っておきます。マリア様は地獄の全ての悪魔をたったひとにらみするだけで敗走させてしまうお方です。あなたはマリア様を信頼しはじめ、そして信頼しぬくことが必要です。マリア様へのあなたの信頼の強さが、この戦いにおけるあなたの強さなのですから。



--------------------------------
【 第123章 】

 あなたはマリア様に会いました。信仰するとはどういうことかを、マリア様からその御生涯を手本として教えていただくことが今はできるのです。信仰の基本は、自分の意志を脱ぎ捨てて、神の意志を、マリア様の意志をまとうことです。このことを言い表すのに「我意を殺す」とか「意志を殺す」とか「自分に死ぬ」とか言います。あなたが自分と神様のおつきあいをふりかえって見るなら、自分の望みを神様に押しつけていることに気がつくはずです。

 マリア様は神様のお望みをご自身に押しつけました。そうです。あなたの信仰は基本において間違っているのです。これは重大なあやまりで、このままでは本当の信仰にいたることができません。本当の信仰にいたった人は、神様からも、人間からも何の報いも求めることがありません。神に対する奉仕の中に自分自身の満足を求めず、隣人に対する奉仕の中に自分自身の利益を求めません。ひたすら純粋な愛によって奉仕します。先に言った「我意」「自分の意志」「自分」という言葉には、自分の利益を意識してか無意識にか必ず求めている「清くない望み」という意味があります。

 誰でも最初は自分自身の利益のために神を愛する「やとわれ人」のような愛から出発します。この愛を純潔に、ひたすら神を愛し、神の名の栄光と賛美しか念願しない、我を捨て去った愛にまで清めていくことが、究極的なあなたに対する神の望みで、あなたはその神の望みを自分に押しつけてまことの信仰を得るのです。

 そのためにあなたはマリア様に手をひかれ、一歩一歩前進し、何度倒れてもマリア様に助け起こされては歩き続けなければならないのです。この道をあなたは自分の力ではたった一歩すら進めません。すなわち、マリア様からの恵みがあってはじめて清さの階段を上がっていけるのです。マリア様は完全な清さです。そして清める方です。マリア様の清さがあなたの心に入いるように、どうかマリア様にもっと近づき、マリア様を愛し、マリア様と語りあってくださいね。あなたの言葉をマリア様は聞きたくって待っていますよ。



--------------------------------
【 第124章 】

 あなたが良い人間になりたいなら、そしてマリア様のようになりたいなら、あなたは決して人の悪口を言ってはなりません。皆さんが楽しむおしゃべりを聞いていると、自分は良い人間で、まわりの人は悪い人間ばかりだと言っているように聞こえます。あなたは人を裁いているのです。マリア様は決してそうしませんでした。あなたはイエズス様が「人を裁いてはいけない。あなたが人を裁いたそのはかりであなたも神様から裁かれるのだ」と教えて下さっていることを知っていますか? 「これは大変!」とショックを受けましたか? そうです。人を裁くことをすぐやめないなら、大変なことになります。あなたの心の中を神様はすべて知っていて、心の中で裁いたことも、あなた自身の裁きとなって返ってくるのですから。

 人を裁かないためにはいったいどうしたら良いのでしょうか。それには、人間の意志を裁かないようにすれば良いのです。人間の意志のなかに、その人の悪意を見ないで、神の意志を見るのです。たとえばあなたが侮辱されるときは、神の意志があなたの善徳を試すためにこれを許すのだと判断するのです。あなたを侮辱する人は神が選んだ道具であって、その人の意向は善良なのだと思うようにするのです。明白な悪意に出会う時は、ただ同情して下さい。あなたに対してマリア様はそうして下さっています。あなたも人にそうすべきです。

 あなたの成長には、そして霊魂の聖化と清めには、たくさんの試練が必要です。それをマリア様は完全な心くばりで、最高の時に最高のものを与えて下さっているのです。あなたはマリア様の配慮に対する感謝と、子供のような委託をもって、マリア様の手からいただけば良いのです。あらゆる出来事、あらゆる人間とあなたの間にいつもお母さんであるマリア様を入れるのは、ちょうどまだハイハイできない子が何でもお母さんから取ってもらっているのと同じです。試練の時、やさしさとあわれみに満ちたマリア様の顔をすばやく心の目に思い出せば、その試練はもう試練でなくなり、あなたとマリア様をより強く結ぶ刺激でしかすぎなくなりますよ。



--------------------------------
【 第125章 】

 あなたが不当に非難されたら、どうしたらよいでしょうか。非難されるべきことなど決して行なわなかったマリア様はどうなさっていたでしょうか。マリア様は絶えず絶対に神様に従っていましたから、その思いも言葉も行ないも非のうちどころがありませんでしたが、ご生涯の間、たくさんの非難を受け続けました。同居する前に妊娠したふしだらな女。夫に指図する横柄な女。子供のいいなりになるダメな母親。イエズス様が公けに伝道を開始する以前でさえ、村人や親戚たちからたくさんの非難をかげでも面と向かっても言われていました。しかしマリア様は自分自身に対する非難によって神のために苦しむのを喜んでいました。では私たちもマリア様にならって自分自身に対する非難を、これによって神のために苦しむのを喜びましょう。神様が下さる試練なのですから、不当な非難であれ正当な非難であれ、私たちのためになるのですから喜びましょう。

 あなたが、人が人から非難されるのを見聞きした時はどうしたらよいのでしょうか。イエズス様が人から非難されるのを見聞きした時、マリア様はどうなさっていたでしょうか。私たちなら心が乱されて、イエズス様を非難している人を非難してしまうにちがいありませんが、マリア様はその人たちに対して同情なさいました。マリア様の心は乱されることなく、常に神の愛である聖霊と固く一致していましたから、このあわれみを絶やすことが決してありませんでした。私たちもマリア様にならってこのような情況を隣人に対する同情の機会とし、あわれみの徳を実践し、深めましょう。つまり非難する人に対しても、非難される人に対しても同情し、非難がましいことを避けるのです。

 私たちには人を裁く権利がないということを覚えておいて下さい。あなたがマリア様にならう時、あなたの霊魂は内的平和を得て安らぐでしょう。そしてあなたのまわりにある争いを静め、自分のまわりに平和をもたらすことができるでしょう。マリア様は平和を、あなたを用いてこの世にもたらしたいのです。人を非難することは自分の内的平和も、まわりの平和も破壊することです。非難には非難が返され、第三者がどちらかに同調し、非難の連鎖反応はとどまることなく広がります。あなたが平和を得るために、そして非難の連鎖を断つために、マリア様の模範をしっかり見て、今までの自分のやり方を捨て、マリア様のやり方を身につけましょうね。



--------------------------------
【 第126章 】

 この世にイエズスを与えたのは聖霊とマリア様です。マリア様の意志と聖霊の意志が寸分たがわず完全に一致しているからこそ、聖霊はマリア様を通して働かれるのです。不一致のかげすらありません。なぜなら不一致とは罪であり、聖霊の働きを妨げるものだからです。聖霊はマリア様にあらゆる徳を持たせ、マリア様をありとあらゆるすべての徳の花の咲きほこる花園としました。このマリア様から子は人性を受けたのです。まったく罪のない汚れない人性をマリア様から取り、ご自分の神性と一致させ、まことの神でありまことの人であるイエズス・キリストとなってくださいました。

 イエズスはマリア様の子となり、マリア様から育てられ、十字架でいけにえとなられました。あなたがメッセージに出会い、イエズスを知ったのは、あなたがイエズスの協力者として世の罪のあがないのいけにえとなるようにとの御父の召命なのです。つまり、この世であなたがもう一人のキリストとして生き、自らをいけにえとするようにという御父のよびかけです。人間からの憎しみの殉教。今のあなたはこれに耐えることはできません。聖霊の愛の火が心に燃えさかっていてこそ耐えることができるのですから。今のあなたはこの聖霊の愛の火の働きで心の不純物を焼きつくされることにも耐えることはできません。

 聖霊はマリア様のうちに、マリア様を通して、未熟児のようなかよわいあなたを育てる以外何ができるでしょう。それで、イエズスのようにあなたはマリア様に育てられるべきなのです。ありとあらゆるすべての徳の花の咲きほこる花園、マリア様に育てられることが、あなたの霊魂を徳のうちに花開かせます。あなたの心はマリア様との愛にあふれた会話で養われます。聖霊はマリア様を通してあなたの心に下り、あなたの心に愛の炎をともします。この炎がまるで大火災のように燃えさかるまでにマリア様を通して聖霊はあなたの中で働き続け、いけにえの使命にあなたを適合させてゆきます。こうして再び、聖霊とマリア様はこの世にあなたというもう一人のキリストを創り、与えるのです。今のあなたは恐れず、疑わず、ただひたすらマリア様の子としてマリア様に導かれるよう、孝愛をつくしてマリア様に従ってください。



--------------------------------
【 第127章 】

 永遠とは、時が終わりなく続くという意味ではありません。永遠とは、時がないのです。つまり永遠不変であって、神様は不変なお方です。神様は、時間の中で存在をはじめるマリア様を、天地万物の創造以前から知っておられ、所有しておられ、よろこび楽しんでおられるのです。神がご自分の愛を注ぎ、それを少しも減らすことなく愛し返す唯一の被造物。神の最高傑作、イエズス様と一致してあがないの無限の功徳をつむお方。その功徳を神様は、いつも現在のものとして見ておられるのです。神様にあるのは現在だけですから。

 それで全人類は、アダムとエワから世の終わりまでの一人にいたるまで、マリア様を通してイエズス様によって救っていただくのです。言いかえれば、マリア様がつんだ功徳は、神であるイエズス様の功徳に合わせられ、全ての時代の人類に、時をこえて恩恵をもたらすのです。400年前のキリシタン時代、日本人は宣教師に「私のご先祖様の救いはどうなるのですか?」としばしば質問しました。宣教師たちは「あなたがローマ・カトリックの教えを信じ、功徳をつむなら、あなたの功徳を前もって見ていらっしゃる神様は、それをご先祖様たちの救いに役立てていたのだから、安心して彼らのために祈り、功徳をつみなさい」と教えました。

 今私たちがつむ功徳は、イエズスの十字架によるあがないの時、その功徳に一致させられています。こうして私たちのつむ功徳は、共にあがなってくださったイエズスとマリア様の功徳に時をこえて合わせられ、それから全時代の助けを必要とする人々のために時をこえて及ぼされ、彼らのために使われました。そして使われており、そして将来使われるのです。私たちはイエズスとマリア様の協力者として全人類のために時をこえて働けるのですよ。何とすばらしいことでしょう。特にご先祖様たちのために、そして子々孫々のために。私たちにとっての今を利用できるのです。

 永遠の意味がわかるはずもない私たちは、とにかくマリア様に信頼し、マリア様とともに働くことに集中しましょう。今日を悔いあらためつつマリア様とともに生きること。それを一日一日くりかえし積み重ねればよいのです。単純でしょう。マリア様を愛し、信頼し、希望をかけることだけに没頭し、明日を思いわずらわないなんて。マリア様にすべての心配をゆだねてしまいましょう。



--------------------------------
【 第128章 】

 イエズス様が地上で生活なさった時とまったく同じく、おん体、おん血、ご霊魂、ご神性をもってこの世に今もいらっしゃるのは、ローマ・カトリック使徒教会の聖体の秘蹟においてです。あなたがローマ・カトリック使徒教会の神父様から洗礼を受けるチャンスが得られずに死ぬのなら、パンの形色のもとにイエズス様を食しまつることはないでしょうが、あなたが洗礼を望み、マリア様のあわれみに最後までよりすがり、罪を痛悔しつつ死をむかえるなら、「望みの洗礼」という方法でイエズス様のおん血で罪を洗い清められ、霊的にイエズス様のおん血を飲み、おん肉を食べ、つまりイエズス様を食しまつり、永遠の生命をいただきます。イエズス様に永遠の生命があり、誰でも永遠の生命にあずかるには、イエズス様のおん血を飲み、おん肉を食べなければなりません。こうして天国に迎えられる人は皆、必ず洗礼を受け、イエズス様のおん血を飲み、おん肉を食べ、天国に入るのです。

 イエズス様には人性と神性がありますが、私たちには人性しかありません。私たちが救われる、つまり永遠の生命を得るとは、人性と神性をもつイエズス様とひとつに一致し、イエズス様の神性にあずかることなのです。そしてその方法を神様であるイエズスご自身がお決めになりました。イエズス様のおん血で私たちの罪を洗い清める洗礼と、イエズス様と一致させひとつにするおん血を飲み、おん肉を食べることによってです。イエズス様を食しまつることで、霊魂は神の中にあり、神は霊魂の中にあるという一致がもたらされます。一致という言葉を超える一致をどう表現しましょう。「愛は愛するものと同化させるので、相互の愛によって、そして神のかぎりないへりくだりによって、神は人となり、神のかぎりないご好意によって人は神になる」、このように伝統的に表現されてきました。

 このようなことを地上において例にとることができるものはありませんが、マリア様は唯一の例外です。神はマリア様のうちに住み、マリア様は神の中に住んでいらっしゃいます。聖霊はマリア様と一致し、マリア様のご生涯は地上における聖霊のご生涯とも言えるものなので、聖コルベ神父様は、マリア様を「神である聖霊が人となったようなお方」と定義しました。もちろんマリア様と聖霊は別々のペルソナですから、唯一、子としてのペルソナをもつイエズス様の受肉とは違うことですが……。

 つまり、聖体の秘蹟の効果を理解し、確信したいなら、マリア様を見なさい。これが結論です。そして三位一体の神とマリア様は永遠の一致のうちにあり、けっして切り離せないのですから、マリア様のいるところに神様がいて、神様がいるところにマリア様がいるのです。それでご聖体の秘蹟のうちにいらっしゃるイエズス様のうちにもマリア様がいます。私たちはご聖体の聖母というみ名でマリア様をたたえましょう。



--------------------------------
【 第129章 】

 たとえあなたがどんなに罪にまみれていても、マリア様があなたに向けるお顔は同情と共感にあふれています。あなたはマリア様のお顔をどのように思い描きますか? あなたに思い描いてもらいたいマリア様のお顔がひとつあります。それは十字架の道行きの途中、倒れた御子にかけより、御子と見つめあった時のマリア様のお顔です。御子の顔はそこしれぬ苦しみと悲しみをたたえ、同時に愛する母への同情と共感にみち、マリア様の顔もまったく同じでした。

 御子はご自分の姿がマリア様を苦しめ、マリア様にとっての最も残酷なごうもんとなっているので、ますます苦しみました。マリア様も御子を慰めたかったのにそれができないばかりか、逆に御子の苦しみが増すのを見、さらに深く苦しまれました。御子イエズスの顔は、打ち傷、刺し傷、切り傷、すり傷におおわれ、はれあがり、むらさき色になり、血と汗と涙にまみれ、たんやつば、汚物で汚され、ひげはひきぬかれ、ほこりと土がその上に付着し、愛する者にとって見るに忍びないみじめな状態でした。それを布でふいてさしあげたのが聖ベロニカでした。残酷に荒れ狂うユダヤ人たちのまっただ中で、ただ一人イエズスに公然と愛と尊敬をささげたこの勇気はいったいどこからでたのでしょうか。それはイエズスの苦しみと悲しみへの同情と共感でした。イエズスを慰めるためなら自分はどうなったってかまわない。どんな犠牲もいとわない。そう聖ベロニカは考えたのです。

 あなたにマリア様のあの時のお顔を思い描いてもらいたいのは、あなたの心にそのお顔が同じ考えを起こさせることができるからなのです。あなたはマリア様の無限の苦しみと悲しみに同情と共感をいだかずにはいられなくなります。そして何とかしてマリア様を慰めてさしあげたいという思いがつのって、そのためには自分はどうなってもかまわない。どんな犠牲もいとわないという勇気がわいてきます。この勇気こそ、愛が感情でしかない人と、真の行為としての愛を実践する英雄的な人とのわかれめなのです。勇気の徳をこのように愛と結合させてこそ、人は本当に愛することができるのです。それであなたは悲しみ苦しむマリア様のお顔を特に愛し、信心してください。本当に今、マリア様はあの時のように、全世界の死、全教会の死を目にして血の涙を流しておられるのですから。



--------------------------------
【 第130章 】

 異性の体を注目してはいけません。異性に体を注目させてもいけません。なぜなら、それ自体が罪であり、また人に多くの罪を犯させることだからです。日本のほとんどの女子高生は足を見せています。また、スラックス姿にならない女性は今やいないでしょう。体の線や胸のかたちをかくす服装を神様は命じていらっしゃいますが、家の内外でそれを実行している人は、特に女性は、日本人のなかにいるでしょうか。神様は女性にロングスカートとつつしみ深い、体をゆったりとおおう服を着るように命じていますが、修道女の服装ですらスカート丈が短くなり、体に密着する方向に変わってきています。2000年間、神に身を捧げた女性たちが守ってきた服装が、なぜこの40年間の女性たちに限って守れないのでしょうか? 日本では明治時代まで守ってきたつつしみが、なぜそれ以後、そして特に今の女性が守れないのでしょうか?

 あなたが女性なら「これが罪だとは思いません」と言うにちがいありません。そうです。今の世代は罪の感覚が狂い、罪の意識を失い、もはや罪など存在しない、何をやってもかまわないと考える世代です。罪とは、神に対して「いいえ」と言い、神の望みに従わないことです。神の存在を認めないか、神の望みなど知る気がない人にとって、つまりほとんどの日本人にとって神の命令とは存在しないも同じなのです。この状態はすでに風俗の女性と霊魂においては変わりません。マリア・ワルトルタの著作で、風俗の女性を打ちのめそうとしたペトロを止め、イエズスが言います。「汚れた服はくしゃくしゃにせずに洗うべきです。あの女の肉体がその汚れた服です。女の霊魂はその肉体に汚されているのです。女の心と肉体を清めるために、私たちは祈るほかありません」。イエズスの言葉の「あの女」という言葉を「日本女性」とおきかえて読んでも、今はそれがふさわしいでしょう。私たちはロザリオの祈りをマリア様にささげて、汚れた服を洗ってくださるよう、自分のためと全ての日本人、特に女性のために祈るべきです。

 女性であるマリア様がメッセージで何度もおっしゃっています。この世に性的罪がはんらんしている原因は女性にある。女性がつつしみぶかくなれば、男性もこの性的罪から守られると。楽園で悪魔は女をまず罪におとしいれ、女によって男に性的罪を犯させました。今、ルシフェルとその手下どもは、全人類を手に入れるためにまず女をだらくさせることに成功し、女によって男をだらくさせています。腐敗した女ではなく、清さの源であるマリア様を見つめ、マリア様を第一の愛の対象とするとき、私たちは悪魔が広めている淫猥(いんわい)の精神から清められ、罪の感覚と罪の意識にめざめ、清さのために戦うことができるようになります。すべての鍵はマリア様にあります。私たちはマリア様を愛し、マリア様が愛されるように祈りと模範によって光となりましょう。



--------------------------------
【 第131章 】

 バチカン大聖堂の入口を入ると右手にミケランジェロ作のピエタがあります。御子のなきがらをだいてなげく御母の大理石像です。心を打つ悲しみを見、誰もがだまります。愛するものの死は、この世で最も悲しいことですね。しかしピエタのマリア様は御子の「私は3日目に復活する」という言葉を信じて、御子の復活を早めようと、氷のように冷たくなった御子を自分の体温であたため、傷まみれの御子を涙で洗いながら、信仰、希望、愛を人間的な現実にさからって奮いおこすマリア様の姿でもあります。この姿を見てください。これは私たちに、愛するものの死んだ霊魂をあなたの愛のぬくもりと涙、あなたの模範と祈り、神に対するあなたの信仰と希望と愛で生きかえらせなさいと呼びかけています。
 90%が地獄に行ってしまっている人類史上最も罪深いこの世代をマリア様は何とか一人でも多く救おうと、あなたに家族の救霊の使命を与えています。つまりあなたがメッセージと出会い、リトル・ペブルさんとロザリオを知ったのは、あなたに家族全員を救わせるためでもあるのです。あなた一人だけの救いのためだけではありません。それでマリア様は約束してくださっています。あなたがリトル・ペブルさんに忠実でありつづけ、毎日ロザリオをささげるならば、マリア様があなたの家族全員を救いますと。

 あなたの家族はあなたの信仰をあざ笑い、妨害し、禁じるかもしれません。冷淡で、関心を示さず、うるさがるかもしれません。あからさまにメッセージや信仰やマリア様をののしるかもしれません。そういった現実にさからって、あなたは「家族全員を救います」とおっしゃったマリア様の約束を信じて、信仰、希望、愛をますますふるいおこし、家族の良い模範となり、家族の救いを心の涙をもって祈り求め、家族の霊魂が生き返るように努力しなければなりません。残された時はわずかです。あなた自身の死、あなたの家族の死がやってくる前に、あなた自身の霊魂の死、あなたの家族の霊魂の死をなげき悲しみましょう。

 この世代の生き方は、悪徳と罪の実践です。神と隣人に対する愛の拒否です。自己の利益のみの追求です。救い主としてのイエズスも、母としてのマリア様も信じない不信仰です。それらが霊魂を殺し、皆、死んだ霊魂を体に住まわせています。あなたが死んでいる自分や家族の霊魂を泣き悲しむ時、あなたの涙となげきは、マリア様の心を同情でたまらなくさせ、マリア様をかけよらせます。あなたは涙のうちに頼めばよいのです。「私を、家族を、助けてください」と。子どもが泣くとき、母の心にはあわれみの大波がおしよせます。まして神的母性愛をもつマリア様はどれほどあわれんでくださることでしょう。マリア様はあなたを抱き上げ、胸に抱きしめ、イエズス様に言ってくださるのです。「かわいそうなこの子の願いを聞いてあげなさい」と。




【 第132章 】

 苦しみは好きですか、嫌いですか? イエズス様とマリア様にこの質問をしたら、苦しみは好きとお答えになるでしょう。イエズス様とマリア様は苦しみの価値をご存知ですから。みなさんが苦しみが嫌いなのは、ひとつは苦しみの価値を理解していないからでしょう。

 罪によって無限の愛である神様に反逆した私たちは、無限の苦しみという罰を受ける身でした。この無限の苦しみを代わりに受けてくださったのがイエズス様とマリア様です。それで私たちは無限の苦しみから救われました。救いは苦しみによってしか得られないのです。あなたが今日も犯す罪、全人類が今日も犯す罪、そのすべての罪は苦しみによってしか消すことができないのです。神様のために、あなたと隣人の霊魂のために善を望むのは愛ですが、苦しまずに愛する時、そこに実りはありません。神様を喜ばし、神の名の栄光と賛美となる行ないは霊魂を救うことなので、霊魂が救われないかぎりその愛は不毛です。苦しみつつ愛するとき、はじめて愛は、自分と隣人の霊魂の救いを通して、神様のためになる実りをつけるのです。

 あなたが自分が罪深い人間だとまだ気がつかないなら、自分は苦しみが好きだろうか、嫌いだろうか考えてごらんなさい。イエズス様とマリア様への愛による一致の道に一歩でも進んだ霊魂は、苦しみに対する愛を神様から注がれ、あらゆる苦難、不法、恥辱を、死ぬまで喜んで耐え忍ぶ心がまえができはじめています。どんな苦しみも避けたくって、苦しみを与える人を感謝をもって恩人と考えられないなら、あなたは自分の人生から苦しみをなくすことだけを目的に生きている自愛心にみちた功利主義者です。つまり自分と自分の利益しか愛せず、神や隣人を愛しているようにたとえ見えても、実際は自己満足を求めているにすぎない偽善者です。

 時々誘惑に負けて大きな罪を犯してしまう人は、逆に謙遜にへりくだって神におわびをし、罪ほろぼしをしようと自発的に苦しみをささげるものですが、あらゆる苦しみを嫌い逃避する人は自分しか愛さないので、神や隣人のためではなく、自分のために神と隣人を愛するまねをして、自分を善人だと思いこみます。この状態は、時々大きな罪を犯しては痛悔する人よりも、愛のないごうまんな、根っこから罪に染まりきった危険な状態です。

 これでも苦しみは嫌いですか? 苦しみを嫌うこと自体が神の御旨に反する罪です。神様は私たちにマリア様と一致して苦しみつつ愛するように呼びかけていらっしゃるのですから。自愛心にみちた自分がわかったなら、マリア様に悲しみつつ嘆きましょう。「お母さん、苦しみを愛させてください。自愛心を消してください」と。マリア様はその言葉をまっているのです。そして取り次ぎの全能の力であなたの願いをかなえてくださいます。



--------------------------------
【 第133章 】

 マリア様は暗闇のときにそなえて準備しなさいと繰り返しおっしゃいます。それはあなたの愛が未完成だからです。信仰をささえるのは愛です。愛が弱ければ信仰はぐらつき、疑いはじめ、倒れます。

 イエズス様が自らすすんで捕らえられ、残酷な拷問にあい、十字架をになって、その上で亡くなられた時、男たちのほとんどが信仰がゆらいで逃げ、かくれ、イエズスの弟子や使徒であることをかくしたり、否定したりしました。彼らは男だから自分は強いと思いこんでいました。信仰においても十分に強いという自己評価をしていました。しかしイエズスへの愛が弱かったので、暗闇のとき、もろくも信仰を失ったのです。女たちはずっと愛において完成されていました。忠実に従ってゆく愛、頭だけでなく感情だけでなく実際の奉仕をもって仕える愛、イエズスへの愛のためにすべてをささげたい、すべてを失ってもよいという寛大で大胆な愛、その愛が信仰を支え、最後までイエズスに従うことを可能にしたのです。

 私たちにとって暗闇のときとは、リトル・ペブルさんを支持するがために徹底的に虐げられ、命の危険にさらされる時です。脅迫によって恐怖におそわれます。愛が恐れによって消されてしまうか、愛が恐れを消してしまうか、愛と恐れの戦いの時です。もしあなたの愛が完成されているなら、愛は死よりも強く、何ものも恐れません。マリア様を考えてみてください。マリア様が恐れて御子を見捨てたり、疑ったりすることがありえるでしょうか。考えられません。マリア様は全身全霊をこめて、33年間イエズスを愛してこられました。マリア様においてイエズスを愛さない部分など何もないのです。心のすべて、思いのすべて、精神のすべて、霊魂のすべてがイエズスへの愛なのです。

 あなたにはまだイエズス様、マリア様よりも大切にしているものがたくさんありますね。それを失うと予想するとき恐怖にかられるのですから、イエズス様やマリア様よりも大切なものが多ければ多いほど恐れにより多くとらわれるのです。あなたがイエズス様やマリア様を捨てても守りたいものがあるならば、あなたは確実に倒れます。暗闇の時とは、誘惑の時でもあるからです。この極端な試練の時、あなたが立っていられるように、犠牲的愛をマリア様に学びましょう。それは「私はどうなってもかまいません。私の命も何もかもとりあげてください。私はただあなたを喜ばせ、慰められたらそれで幸せです」と心から真実に言える愛です。そしてあなたはこれをまずマリア様に言うとともに、毎日自発的に苦しむことを、その言葉の証しとしてささげ、愛を鍛え、完成に近づけてください。



--------------------------------
【 第134章 】

 私のために泣いてくれる人がいる。しかも血の涙まで流して泣いてくれる人が! この人こそ私を愛してくれている人だ! この人こそ神様を知っている人だ! あなたが、そして罪深い全ての人が、このように考えることをマリア様はどんなに望んでいることでしょう。少なくともマリア様が地上に来て人々を救おうとしていると聞いた人が、そう考えてくれたならと。しかし、そうなってはいません。なぜでしょうか? 

 それは人の心の悪意と頑迷さのせいです。マリア様の血の涙を見れば、その時まで何も知らなかった人でも、もし心に善意があり、柔軟な魂を持っていたら、マリア様のあわれみといつくしみに対して心と霊魂を開くはずです。それをしない人は、悪意と頑迷さによって心と霊魂を岩よりもかたくし、マリア様の愛も苦しみも悲しみも全てはねつけているのです。

 キリシタン時代の日本人は道徳を重んじ、高潔で、すぐれた教えに喜んで耳をかたむける国民だと宣教師たちが報告しています。わずかな期間で非常に多くの日本人がカトリックになりました。彼らの心は良い土のように真理の種を受け入れ、成長させることができたのです。今の日本人のような岩よりもかたくなった心とちがい、善意と柔軟さがありました。快楽主義と物質主義の信奉者、愛とか犠牲とか償いとか、そんな話しはまっぴらごめんという人々のかたくなさと間違いを、あなたも自分自身のうちに持っていると気がつきませんか? これにつける薬とは、マリア様の涙そのものです。マリア様の涙は、救い主イエズスが流してくださった血と一つになっていて、私たちの心に注がれるとき、それをやわらかくし、くだきます。こうして岩の心がくだかれて、良い土になり、マリア様のいつくしみと神様の真理を受け入れることができるようになるのです。

 ですからあなたは自分自身のためにも、そして隣人と全ての人のためにも、マリア様の涙を注いでくださるように哀願し、マリア様の涙が無駄にならないように、全ての人々にマリア様とともにその涙を配りましょう。あなたがそう望み、そう祈るなら、それは可能なのですよ。



--------------------------------
【 第135章 】

 神への愛をあらわす術として、あわれで不幸な貧しい人々を愛すべきだとイエズス様は教えてくださいました。あなたがイエズスの友であるなら、同じ考え方をするはずです。パンがない人には、自分のパンを分け与えることでしょう。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉を聞いたことがありますか。聖書の有名な箇所で、真理というパンの方が、小麦から作ったパンよりずっと大切だと教えてくださっているのです。イエズス様ご自身が天から下ったまことのパンで、真理そのものです。そのイエズス様を与えてくださるのがマリア様で、今もマリア様は、天から下ってはメッセージを与え、私たちにイエズス、すなわち真理のパンを与えてくださっています。この世でこれほど尊いものはなく、これを持っていないことほどあわれなことはありません。

 日本人はこの世の物質には恵まれていますが、真理のパンを持っていないので、なだれをうって地獄に落ちていっています。こんな不幸な国民は他にないでしょう。「堕胎天国」と世界に知られる、物質と快楽しか求めない地獄への待合い室の住人たちです。もしあなたがマリア様のメッセージに出会わなかったらと考えてみてください。もしかしてあなたは洗礼を受けているかもしれません。そうしたら多分地獄の一番深いところに行ってしまうでしょう。あなたがイエズス様のことを知らないとしたら、90%が地獄に行っている今、あなたが救われるのはわずかな可能性といえるでしょう。まだマリア様のメッセージを知らない人たちのみじめさを理解できますか? この世のどんな貧しい人、飢えた人よりはるかに悲惨ですよ。マリア様は、あなたに神への愛をあらわす術として、真理のパンを持たない人々を愛し、同情し、尽くすべきだと教えていらっしゃいます。あなたが持っている真理のパンを、持っていない人に分け与えるように願っています。そうすればマリア様が侮辱され、嘲笑され、攻撃されているのと同様、あなたもそんな目にあって損をするでしょう。損したくないからやめておこうと考えるなら、まさに愛のないことを宣言するわけです。勇気を出してください。この世はつかの間です。いまは本当にすべての人にとって終わりが目の前にきています。わずかな間、マリア様と隣人への愛のために苦しんだ後、永遠の幸せが続くのです。体に必要なもの与える愛徳は大切です。霊魂の救いに必要なものを与える愛徳は、さらに大切で、報いが大きいのです。マリア様がついています。決意を固め、マリア様の願いを果たしてください。あなたはマリア様の友、マリア様の子供ではないのですか?


【 第136章 】

 マリア様にとって最も心地よいもの、つまり最もうれしく、喜ばしいものとは、マリア様のために、人々の霊魂の救いのために死ぬまであらゆる苦しみを耐え忍びたいとあなたが望むことなのです。罪に対しては罰が加えられるのが神様の正義です。他人の罪の罰を身代わりに引き受ける人に免じて、その罪を許したいというのが神様のあわれみです。人類史上最も罪をたくさん犯す今の世代の人々ですら、もしすべてのローマカトリック信者がマリア様を信じ、愛し、望みをかけて、マリア様とともに他人の罪の罰を身代わりに引き受けるならば、今存在するすべての人が天国に行くことができるのです。神様はすべての人の救いを望み、その手段を人類の手に握らせてくださっているのです。この神様の愛を知るようにと、マリア様が世界中で現れてはメッセージを与えてくださっています。そして悔い改めと自分と人々の罪を償うようにあなたに願っています。

 「はい」と言って応えるためには、あなたの苦しみを受け入れなければなりません。それでも苦しむならば、それは愛の証明で、苦しめば苦しむほど多く愛するのです。実際にあなたが霊魂の救いのために苦しむことを始めたなら、イエズス様の教え、つまり十字架をになって従いなさいという教えを理解しはじめます。実際に愛するからこそ理解できるのです。理解し始めれば、イエズス様の十字架とは、人類の罪と忘恩であることが、自分と人々の罪の醜さと罰の重さが、そして自ら身代わりとなって罰を受け、人類にゆるしを得させようとする神の全き善良さがわかってきます。この神の真理を認識し始めると、神様が罪によって侮辱されていることに対して、悲しみと耐え難い心痛とを感じはじめます。これがメッセージを読んだあなたに心から真実に「マリア様のために、人々の霊魂の救いのために、死ぬまであらゆる苦しみを耐え忍びたい」と言わせるようになるのです。そしてあなたはもっと苦しむことによって、もっと愛と、理解と、神の真理の認識を深め、さらに苦しみたいとまた願うのです。あなたがマリア様の胸に飛び込んで、マリア様の優しく安全な胸に抱かれて、その中で始める苦しみの受諾が、こわさを我慢しながらの一歩であっても、それは非常に重要なステップで、あなたをマリア様の英雄、マリア様の騎士となるまでに変える可能性を開くものなのです。マリア様はあなたがどこまで耐えられるか知っていて、つぶれるほどの苦しみには決して会わせませんから、マリア様の胸で「苦しみをちょうだい」といいましょう。



--------------------------------
【 第137章 】

 愛徳をもって愛の行いがなされているところには、神がいらっしゃいます。マリア様もいらっしゃいます。そして天使たちもいます。あわれな人々、貧しい人々は皆さんにとってどんな印象を与えますか? 汚くて、臭くて、近くにいるのも耐え難いとしましょう。たぶん嫌悪感を持ち、軽蔑するか、少なくとも自分より見下すのではないでしょうか。マリア様は「貧しい者の母」です。マリア様にとってあわれな人々、貧しい人々は、こよなく愛すべき存在です。立派な人々、富んだ人々よりも好ましく、価値ある子供たちなのです。いったいどうして? あなたはそう思うでしょう。たえず苦しみを強いられている彼らは、償いのいけにえとして、神の正義のはかりがかたむきすぎないようにバランスをとっているささげものです。神へのささげもの、それはなんとすばらしい価値でしょう。彼らが自分の境遇ゆえに神を呪うことなく耐えしのぶ、苦しみや辱めは、天使がマリア様の命令ですべて神様に持ってゆきます。彼らのかたわらには活発に働く天使たちがいつもついているのです。何かに恵まれた人は、物質的なものでも、知的なものでも、霊的なものでさえ、それを誇り、自慢し、おごり高ぶるものです。この世の立派な人、富める人からは、たいてい傲慢の臭気が天にまで立ちのぼっているものです。神様の御嫌いになるその臭気を、この世で嫌悪され、軽蔑されている人々のささげる苦しみが香り高いささげものとして天使に運ばれ、散らしてくれているのです。

 もうひとつは、あわれな人々、貧しい人々、無学な人々は、立派な人々、富んだ人々、学のある人々よりはるかに良い信仰心、宗教心を持っているからです。良心を通して語りかける神様の声に素直に従うことができるのはなんと優れた能力でしょう。マリア様にとってその素直さ、その素朴さはどれほど貴重なものでしょう。マリア様はいつもかたくなな心、閉じた耳、固い頭に拒否されて悲しんでいるのです。さてあなたは、自分の罪、特に傲慢や、物欲、邪欲の罪の償いを代わりにささげてくれている人としてあわれな人々、貧しい人々を見るとき、彼らを友であり恩人として愛する心が起きるのではありませんか? その役割と能力に尊敬さえ覚えるのではないでしょうか。そして真の友愛をもって彼らを認めるとき、あなたはマリア様のように貧しい者の母になりたいと望むことでしょう。そこで、はじめて愛徳を持って愛の行いができ、あなたに神様、マリア様、天使たちがともにいてくれることでしょう。まずマリア様に心を変えていただきましょうね。「マリア様の見方、感じ方ができるようにしてください」とマリア様に申し上げてくださいね。



--------------------------------
【 第138章 】

 マリア様は善いお方です。罪人を追い返さないとか、我慢してくださるどころではありません。罪人を探し求め、腕を広げ、胸に抱きしめ、罪という病気で、らい病のようなありさまの霊魂を涙で洗い清め、恵みの母乳を飲ませて生き返らせてくださるのですから。マリア様が近づいてくださるのですから、あなたは自分の方からもマリア様に近づく努力をしてください。最も清らかなマリア様が近くにいてくだされば、あなたの中であなたを誘惑している悪魔は耐えきれずに逃げ出すからです。肉欲、物欲、金銭欲、名誉欲、何であれ、あなたに強烈な魅力を感じさせ、とりこになるよう誘惑している悪魔が逃げれば、狂気のようにそれに執着していたあなたは正気に返り、立ち直るゆとりが持てます。今まで血眼になって求めていたものは本当に価値あるものなのか考えることができるようになります。果てしない欲望を追っていって何が待っているのか気がつくことができるようになります。霊魂が予感している永遠の滅びと罰。悔い改めよと叫ぶ良心の声、あなたの目は真理に対して開かれ、生まれ変わろうと決心するのです。このようにマリア様に近づくことは救いのはじまりで、まずはじめに行うべきことなのです。マリア様のことをしばしば思い、子供のように話しかけ、愛を示し、一日中マリア様と一緒に生きるように努め、マリア様を日々ますます愛し、信頼し、希望をかけるようにしてください。あなたは悪魔のものだったのです。邪欲をもとに生きてきたのです。これからはマリア様のものになるのです。聖徳をもとに天国をひたすら求めて生きるのです。



--------------------------------
【 第139章 】

 お母さんが大好きで、お母さんの喜びを自分の喜びにしている子は、お母さんを困らせたり苦しめたりしないようにしています。それとは逆に、お母さんが困ろうが、苦しもうが、全くおかまいなしに自分の我を通そうとだだをこねまくる子がいます。そんな子はまだ3つ4つの年であっても、確かに自分自身を愛していて、お母さんのことなど愛してはいません。見ているとお母さんがかわいそうでなりません。まるでその子の奴隷のようです。

 さて、罪には思いによるものと行ないによるものとがあります。思いによる罪を説明するには、だだをこねるまくる子を例にとるのがわかりやすいと思います。もっとジュースが飲みたいとか、まだ公園で遊んでいたいとか、その子の肉体や感覚を喜ばせる何かに心を奪われ、「ダメですよ」というお母さんに対する反感を抱くことが、思いによる罪にたとえられます。お母さんに対する思いやりがすでに失われてしまっていますから、愛されないお母さんはそれによって苦しみます。その子は反抗してから聞き分けて従ったとしましょう。行なわなかったわけです。しかしお母さんをもう苦しめてしまっています。

 あなたが、自己愛にとらわれるやいなや、あなたの神と隣人に対する愛は失われます。この瞬間、すでに思いの罪は犯されてしまい、あなたの心の中で罪を望み、善徳に反感を持っているのです。みだらな空想、復讐の思い、うそをつきたいと思うこと、ぜいたくにあこがれること、怒りや憎しみを心に持つこと、これらは行ないに移さなくとも、罪を禁じていらっしゃる神と、自分自身のように愛さなくてはいけない隣人とへの愛を失った状態なのです。だったら私は罪を犯しまくっているんだ。そう気がついてくれたなら嬉しいです。人間は絶えず罪を犯している汚れた存在です。神であるイエズス様の前に一人で進み出ることなど考えることすらできません。それで神様は私たちにマリア様を与えて、まずマリア様のもとに行くようにとお定めになりました。私たちがマリア様のもとに行くと、マリア様は私たちをイエズス様のもとに連れて行きます。イエズス様は私たちを拒むことができません。どんなに罪深くってもです。イエズス様はマリア様を喜ばせたいので、マリア様に断ることはしないのです。イエズス様もお母さんが大好きで、お母さんの喜びを自分の喜びとしている子なのですから。



--------------------------------
【 第140章 】

 「君子あやうきに近よらず」という言葉がありますね。あなたが思い出す何かが、それと連動して罪を犯させる場合、思い出してはいけません。忘れなければなりません。その人を思い出すたびに憎しみがわいてくる人がいたなら、まず忘れることです。そうすれば憎むという罪を避けることができます。肉欲の罪の思いでは、思い出すだけで心の欲情を再びかき立てるので、思い出してはいけません。ただ自分がみだらな罪人だと一般的な理解を持ち、へりくだればよいのです。具体的なことは忘れることです。何かの楽しみにおぼれやすい人も、その楽しみを望まないように、考えないように、忘れることが大切です。セックスであれ、お酒であれ、ドラッグであれ、何であれ、とらわれやすい人は完全に忘れるまでそこから抜けたことにはなりません。

 忘れるように努力して忘れる。これは特にあなたの心の傷が生々しくて、今はゆるすことができない、祈ることができない相手がいる場合、将来それができるようになるまでの間なすべきことで、あなたがもっとマリア様のことを知り、善徳に進歩してから、その時ゆるし、祈ってあげ、祝福し、敵に対する愛を実践すればよいのです。マリア様はあなた以上にあなたの心の傷をご存じで理解しています。そしてイエズス様は心のお医者さんで、マリア様は最もやさしく有能な看護婦さんです。どんな心の傷についても一番良い治療をしてくださいます。あなたはマリア様を愛し、信頼し、希望かけながら、今という時間に集中し、今だけを愛と善徳で美しいものにしながら、一瞬一瞬をマリアにささげつつ生きていけばよいのです。そうすればあなたは良い患者さんで、傷はすっかり治ります。マリア様はあなたの本当のお母さんで、傷ついたままのあなたを放っておくなんて決してなさらないのですから、心から、赤ちゃんが母親にしているように、マリア様に身をまかせましょう。



--------------------------------
【 第141章 】

 マリア様は女王です。強いお方です。天使たちはもちろん、地獄の悪魔さえ服従するのです。悪魔払い師がマリア様の御名によって命じると、悪魔は逆らうことができません。それなのにマリア様は人間を服従させようとは決してなさいません。自ら進んでマリア様の愛の奴隷として身をささげて仕えている人に対しても、ご自分の意向はあらわしますが、「私は子供たちを自由にさせています。あなたの自由ですよ」とおっしゃいます。子供たちのほとんどが従わず、悪を選んでいるのですが、それでも、普通の親ならやっているようにたたいたり、罰したりするどころか、全く強制しないのです。そしてただ涙のうちに祈り、呼びかけ、待っていらっしゃるのです。なぜなのでしょうか?

 あなたは、無理やりにでも悪から引き離し、善の方へ連れて行ってくれた方がいいのにと思いませんか。特に今の世代の人は「命令してください。従いますから。責任は負いません。従っているだけなのですから」という生き方をしていますから、そう考えて当然です。しかしあなたが命令されて、強いられて、義務として従っても、それはいったい愛の行ないといえるか考えてみてください。脅迫されてとか、罰を恐れてとか、よく思われたくてとか、そうするしか他に道はなさそうだからとか、そんな理由で行なうことが愛することだといえますか? 

 そうです。理由は単純です。マリア様はあなたの愛だけが欲しいのです。自発的に喜んで行なう奉仕が愛することです。そのためには、あなたは自由であるべきなのです。マリア様の意向を拒否することも、無視することも、マリア様の敵になることさえも思いどおりにできるという自由の中で、それでもだれからも強制されずに自分の望みだけによってマリア様に仕えることが、本当の愛だからです。そして自由に選んだことには責任があります。だから愛した人にはよい報いが、愛さなかった人には悪い報いがあります。それで人は、自分から天国、または地獄を選ぶことになっているのです。

 逆から見てみましょう。天国には、愛した人が行きます。愛するには自発的に責任をもって、そして喜んで奉仕するのが条件です。この条件は、人が自由にされていてこそ満たされる条件です。ということは、あなたに与えられている自由が、天国への道を開いているのですから、自由を与えてくださっている神様、マリア様には、何と感謝すべきでしょう。実に自由こそ、神様が人間に与えた最高の贈り物なのです。



--------------------------------
【 第142章 】

 お母さんというものが、子供にどれほどつくしているかは驚くばかりです。食べ物がないときは、自分が食べなくても、子供には食べさせようとします。子供に危険が迫ると、自分の身を犠牲にしても子供を守ろうとします。夜、昼、絶えず子供のことに気を配り、気も体も休まる間もなくっても、なお喜んで世話しています。いったい何がこの原動力になっているのでしょう。動物なら本能でしょうが、霊魂のある人間は、それよりも愛です。愛が原動力となるとき、人間は喜びをもって日々の十字架を担うことができるのです。

 あなたの生活で今、何%くらいが愛を原動力としての活動ですか? 損得勘定から、または義務だから、またはよく思われたくて、そして使命感からとか、愛以外の原動力で活動する時間がほとんどなはずです。それに対してマリア様はご生涯の間、100%すべての時間、愛を原動力としていました。しかも偉大な愛をもってです。マリア様は理論的、観念的な愛で神と隣人を愛したのではありません。聖徳をもって、神への、または隣人の霊・肉両方への奉仕を持って愛したのです。これをあなたは模倣するようにマリア様に招かれています。

 愛をすべての活動の原動力とするようにやってみてごらんなさい。喜びが増え、ストレスが減ります。いやいやながら強いられてやるのはストレスのもとで、不平不満がこうじます。同じことをやるにしても、愛が原動力であれば、あなたのこの世での幸福感はより大きく、後の世の永遠の幸福をより大きなものとする功徳もつめるのです。たとえばつまらないこと、無意味なこと、成功の見込みがありそうもないことをやらなければならないとしましょう。愛を原動力とするなら、それを神と隣人のためにささげて、大変価値ある、功徳豊かな行為に変えることができるのです。自分の自由に使える時間があるときも、愛を原動力とするなら、自分ひとりの楽しみに使うより、一緒に隣人を喜ばせるように使うことでしょう。こうして周囲の愛をも発展させ、あなたはまわりを神の愛の影響のもとに変えていく人になるのです。

 そんなふうに一日中、神や隣人を愛するのなんて、疲れきってつぶれてしまうと恐れるのですか? いいえ、愛することを恐れてはいけません。愛すれば、愛するほど、お母さんたちのように疲れ知らずの霊魂になれるのです。「お母さんのためにやるからね。見ててね」、そう言ってはマリア様の喜ぶ顔を楽しみにしつつ、あれもこれもささげていきましょう。



--------------------------------
【 第143章 】

 まだ今のところ、あなたは他の宗教に属しているでしょうし、それは仏教か神道だと思いますが、いずれにせよ、あなたの宗教には「修行」というものがあるはずです。ローマカトリック使徒教会にも、もちろん修行があります。その修行では認識すべきことがまずあります。ひとつは自分があらゆる罰を受けるに値する罪人だということです。無限の善である神を数々の罪で侮辱した自分が、無限の罰で永遠に罰せられて当然だということです。しかしあなたを神様は永遠の幸福に招いています。いったいあなたが受けるべき無限の罰はどこにいったのでしょうか。あなたの身代わりになってイエズス様とマリア様がそれを受けたのです。これがあなたに対する神の「いつくしみ」の最たるものです。

 ふたつめがこの神のいつくしみ深さの認識です。この二つの認識を両方ともマリア様のひざの上で、マリア様の胸に抱かれつつ、マリア様とお話ししながら、自分一人でではなく、マリア様とともに深めるのです。そして、あなたの我意、つまり本来のあなたの傾きは、完全に悪に傾いており、罪の行ないと悪徳を好んでいるので、神様の助けがなければ、罪と悪徳しか行えないということを認識し、絶えず神に反抗する自分の我意を殺し、滅すことに力を注ぐことです。

 やさしい言葉で言えば、自分を喜ばせることを行なうかわりに、マリア様が喜ぶことを行なうのです。自分の利益を思わずに、マリア様の利益を思うのです。自分の好みを捨て、マリア様の好みにゆずるのです。自分の意志を実行せずに、マリア様の意志を実行するのです。すなわち、マリア様があなたの立場だったら、思い、話し、行なうと考えられることを、あなたがマリア様の代理として行なうのです。イエズス様とマリア様はあなたの代理として、無限の罰の苦しみを受けて下さったではありませんか! このいつくしみを深く認識するなら、感謝に燃えて、喜んでイエズス様とマリア様の代理を務めることができますよね!

 あなたは日常のさまざまの場面で、マリア様ならどのように対処なさるか、ロザリオをささげつつ、黙想してください。マリア様はあなたの霊魂を照らし、インスピレーションで答えを与えてくださいます。こうしてあなたは修行の認識の面においても、修行の実践の面においても必ずマリア様を相談相手にして、マリア様に導いていただくのです。洗礼を受けていなくても、メッセージを読んだあなたは、今からこの修行を始めてくださいね。


【 第144章 】

 あなたは家族の中で、たったひとりマリア様からのメッセージを信じていて、しかも他に誰もメッセージを信じている友達がいないのではないでしょうか。それでもいつかは、同じリトル・ペブルさんの支持者が、同じ地域にいることを発見すると思います。それはマリア様のはからいによってそうなるのです。なぜなら独りぼっちではすぐに倒れてしまうからです。その時は心を開いて友達になり、語り合い、3人以上でしたら、公平に愛するように努めて下さい。それによってあなたたちは互いに強め合うことができ、ちっぽけな存在でしかないものの集まりにすぎないのに、グループとしての一致によって巨人のようになれるからです。

 日本人は心が閉じた民族です。その上、今の世代の若い人は、謙遜と愛と賢明さが全くありません。あるように見えたとしても、見せかけのニセモノです。友情という言葉すら死語と化してしまうほど、彼らは友情を結ぼうとしませんし、友情をはぐくむもうとしません。互いのためなら生命を与え合うほどの友人同士になろうなどと全くしません。愛徳が心に宿っていないことの証明です。自分の何かをせいぜい与えても、自分自身をすべて与えることができないので、話し合うことを嫌います。仲間があなたの心の深い考えを、あなたを愛するためにも、全体の利益のためにも知ることを必要としているのに与えません。それはあなたの不完全さをさらけ出し、仲間から正してもらうのがイヤだからでもあります。謙遜の徳がないので、プライドを傷つけられることに我慢できないのです。私は黙って従いましょうという態度をとっても、それが本当の謙遜からでないのは、立場が変わると、私の意見は完全だから黙って従えという態度をとることで明らかです。また、話し合いは、自分と同意見の人も反対意見の人もあらわれ、気の合う人も反感を覚える人も出てきますが、賢明の徳があるなら誰をも公平に愛します。グループの平和と愛と一致を深めるために絶対不可欠なマナーですから。

 あなたがお母さんだとして、子供たちの一人を溺愛し、一人を虐待したら、兄弟間に愛と平和と一致が育ちますか。今あなたは、この世代の一人として、愛と謙遜と賢明の徳のなさを痛悔し、悔い改め、その徳を得るように努め、マリア様によりすがりつつ準備してください。マリア様と友人たちのより大きな善のために、謙遜をもって語り合い、公平に、強く愛し合うときがくるのを待ちつつ、備えてください。その時が来たら、マリア様の現存によって、最も小さい子らの集まりが最も偉大になるのです。



--------------------------------
【 第145章 】

 誰でも金持ち、権力者、有名人とは友情を結びたがります。しかし、孤児たち、病人たち、ホームレスたちとは友情を結ぼうとはしません。では、あなたはどうですか? あなたの心の奥を探ってみてください。前者との友情は、あなたに利益をもたらすように思え、後者との友情は、あなたの損になるように思えるのではありませんか? しかし、貧しい人、苦しむ人、孤独な人によく尽くしなさいというのが、イエズス様とマリア様が模範と言葉をもって教えた教えです。彼らが運んでいるのは十字架です。十字架にはイエズス様がいます。彼らの苦しみ、病気、孤独、不幸のすべてにイエズス様がいます。あなたが苦しむ隣人を愛するには、苦しむ隣人とイエズス様と十字架とをすべて愛することが必要です。それは彼らの中でひとつになっているからです。十字架を愛さない人は、自分が損をすることを恐れます。だから貧しい人、苦しむ人と友情を結ぼうとしないのです。あなたが隣人を愛したい、イエズスを愛したい、でも十字架はこわい! 愛せない! 愛したくない! というのが正直な気持ちであるのなら、幼い子がチャレンジする勇気をもらいにお母さんのところへ行くように、あなたの十字架を抱きしめ、キスし、愛したい! と叫ぶ勇気をもらうために、マリア様の胸にかけこんでください。お母さんは「大丈夫よ。何もこわいことはないのよ。お母さんがついているでしょう」とあなたを力づけて下さいます。あなたは、恐怖心からの嫌悪感もマリア様に励まされて乗り越えてチャレンジすれば、十字架そのものは苦痛ではなく、むしろ甘美な心地よいものであることを体験します。そうして何度も何度もチャレンジし、たくましくなり、十字架を愛することができるようにマリア様に変えていただけるのです。この愛さえあれば、イエズス様とマリア様の教えを実践するのは難しいことではなくなります。あなたの財布や、家を開放する前に、まず心を開き、友情を与えてください。帽子や空き缶にお金を放り投げるような与え方は、どんなあわれな人にも現存しているイエズス様への侮辱です。貧しいがゆえに愛してもらえない彼らの愛の飢えを、あなたの友情で満たさないなら、彼らの中のイエズス様が喜ぶでしょうか? 彼らの中であなたの愛に飢えているのは、イエズス様なのです。あなたが隣人にする良いことのすべては、イエズス様にしたことと同じになるのです。



--------------------------------
【 第146章 】

 無原罪とは、アダムとエバが犯した最初の罪の負の遺産を負わされなかったということです。原罪の結果は知恵にも及び、知恵はくらんでしまいました。無原罪のマリア様は、知恵に及ぶはずの原罪の結果からもまぬがれさせられ、完全無比な被造物の最高傑作として、その知恵も完全です。マリア様はご自分の知恵を、神に仕えるためにのみ、そして人類の救霊のためにのみお使いになられ、今もそうしていらっしゃいます。ところで人間は知恵をどう使っているのでしょうか。マリア様とは全く異なる目的に、つまり、自分のこの世の利益のために使っています。数時間で地球上の人々を皆殺しにできるほどの力さえ、今、人類はその知恵を悪用して、手にしています。すごい知恵ですが、知恵は、こんなふうに使うために与えられているのではありません。知恵は、自分自身の霊魂の本当のありさまを知り、その罪、間違い、弱さ、欠点を認め、痛悔するために使うのです。同時に神の偉大さ、善さ、あわれみ、いつくしみを認め、まことの信心をもって神を礼拝するために使うのです。こうする人こそ、「まことの知恵者」です。

 あなたは自分に与えられた知恵を、マリア様のメッセージに出会うまでは、一度もこのようには使ったことがないと思います。しかしマリア様にメッセージを通して出会い、その言葉に心を開いてからは、どうですか? 多くの人は、それでもまだ、預言的な事柄のみを追い求め、未来を好奇心をもって探ろうとばかりしています。イエズス様やマリア様や天使たちの服装やお姿ばかりに興味が集中してしまっています。自分もこのような特権的、例外的な体験をしてみたいなあと夢想しています。天罰のとき、命と財産を守るにはどうしたらよいのかということしか考えていません。祈りや信心用具のくらべっこをして、どれがよりパワーがあるとか、大きな約束がついているとか調べる収集家になっただけです。おお! こんなふうに知恵を使って、いったい何になるのですか。「マリア様、ごめんなさい。僕は道を間違えました。正しい知恵の使い方を教えてね」、そうマリア様に申し上げてください。あなたは何度でもやり直すことができます。お母さんは、子供の失敗を利用して成功に導くことを知っている、完全な知恵を持っていらっしゃるマリア様なのです。



--------------------------------
【 第147章 】

 夜、寝る前に、寝ている間に今晩死ぬかもしれないと意識的に考えることは、いつやって来るか分からない死の準備に役立つことです。自分の罪を思い出し、罪深さを自覚して、「マリア様のあわれみによって救ってもらわなければ、きっと地獄に行ってしまう。マリア様、どうかあわれんでください」と心から申し上げることができるでしょうから。それとは別に、時には、神さまの裁きの場に出頭したときのことを考えることも大変役に立ちます。神様は「私があなたに与えた恵みを、どのように用いたか?」と質問なさいます。あなたは、どんな恵みを神様からいただいているのですか。「たいした恵みはもらっていないなあ」と思う人は、いただいた恵みを善用していないことは確実です。いつも他人の物をうらやましく思い、他人をねたみ、満足することを知らず、感謝することをせず、持っていない物を欲しがってばかりの人生でしょう。でも実際に神様の御前に出たときは、誕生から死までの各瞬間に神様からいただいたすべての恵みを思い出します。はっきりとわかるのです。今、あなたの目は見え、耳は聞こえ、口は声が出せ、頭は考えることができ、体はきっと自由に動くでしょう。学校にも行け、多くの人から世話してもらい、友達もいて、衣食住が満たされていて、遊びや趣味に使うお金も時間もあり、全世界のほとんどの人がもらっていないものをもらっている特権的な人間の一人です。今の時点でも、一般的な恵みだけでもこれほどいただいていることが、よく考えればわかります。それに加え、真理そのものの神様からくる、マリア様のメッセージを知る恵みまでもいただいています。これらの恵みにつぐ恵み、十分すぎるほどの恵みを善用しなかったなら、無駄にしたか、あるいは悪用したのです。それでは、まだ時間があるうちに、自分の持っているものをマリア様のために使うことで、神様の裁きの場に出る準備をしましょう。たくさんの時間と恵みが失われてしまったことは事実ですが、これからの熱心な「マリア様への奉仕」は、それを十分償えます。天の最も偉大な秘密は、神さまご自身が人となって、子としてマリア様に従い、マリア様に奉仕したことによってあらわされました。すなわち、神はマリア様の前にへりくだり、しもべとして仕える人を最も高く上げ、マリア様になされる奉仕を最も価値あるものとするということです。ですから、あなたは「マリア様への奉仕」にすべてをかけるべきなのです。



--------------------------------
【 第148章 】

 愛することと、悲しむことと、苦しむこととの関連がわからないなあ。どうして悲しむこと、苦しむことなしに愛することができないなどとマリア様はおっしゃるのだろう? こんな疑問を持つことは、とても大切です。神様は、人間が悲しむことも、苦しむこともなしに、愛することができるように望み、その状態にアダムとエバを創造なさいました。アダムとエバは、神様を愛するのも、お互い相手を愛するのも、悲しむことも苦しむこともなしにできていたのです。しかし二人が神様に背き、罪人となり、神様が罪によって侮辱されて後は、状況が一変しました。神様を愛すると、罪人である自分と他の隣人によって神さまが無限の愛を罪によって裏切られ、はなはだしい侮辱を受けていらっしゃることに悲しみを覚え、苦しみを感じずにはおられないのです。他の隣人を愛すると、彼らは皆ことごとく罪人ですから、罪によって自分自身の霊魂を傷つけ、惨めな存在になっていることに対して同情の悲しみと苦しみを抱かずにはおられないのです。こうしてこの世に罪が入ってからは、神と隣人をまことの愛で愛することは、必ず悲しみと苦しみを伴うようになったのです。

 また、神様は人間の霊魂の中で、愛の徳と忍耐の徳を固く結びつけ、一致させました。悲しみを忍ぶのも、苦しみを耐えるのも、忍耐の徳によってできることです。結論としては、愛の量は、悲しみと苦しみの量と連動し、その量は忍耐の徳の強さが許すところまででしかないのです。ですから愛したいなら、もっと悲しみを忍び、苦しみを耐え、忍耐の徳を強めるしか方法がありません。あなたが神を愛していると言葉ではいくらでも言えるし、信心業の見せかけで人をだますこともできれば、自分自身も錯覚に陥り、自他ともに神を愛する人と認めるかもしれません。しかし、神様が苦しみを送った時に真実が自他ともにわかります。忍耐の仕方でわかってしまうのです。同じように隣人を愛しているかいないかも、隣人を通して神様が苦しみを与えた時に、忍耐の仕方ではっきりとわかるのです。

 忍耐は愛のバロメーターだと分かりましたか。ではマリア様に申しあげましょう。「お母さん、神と隣人を愛したいのです。お母さんの手から苦しみをください。そして雄々しく耐え忍ばせてください。どんな苦しみもすべて受け入れます」、こうマリア様に心から言うとき、あなたにまことの愛徳に成長する道が開くのです。



--------------------------------
【 第149章 】

 あなたはマリア様のメッセージを読み、信じました。といっても、それは信じることの第一段階です。書かれている事柄は本当に違いないと感じ、受け入れたのです。まだ神様、マリア様が好きになってはいないので、預言や、天国・地獄、霊的世界に興味の中心があります。神様が一人でも多くの人の改心のために預言の実現を遅らせると、疑いを持ち、信じるのをやめてしまいます。

 第二段階に進むわずかな人がいます。自分の霊魂の救いを真剣に考え、救われるために信じなければと考える人です。この段階では信じる対象は神様、マリア様ご自身です。自分の霊魂の状態、神様、マリア様の愛、悲しみ、苦しみに興味の中心は移り、罪、罰、ゆるし、償い、改心、悔い改め、善徳などを理解しようとします。神様とマリア様への愛が芽生えますが、愛されている確信はありません。しかも信じているといっても、疑いながら信じているのです。というのは、神様、マリア様が、あらゆる出来事と環境のうちに、自分の霊魂の善と救いのために、一瞬一瞬最高の配慮をして下さっており、自分が神様、マリア様を捨てることはあっても、神様、マリア様が自分を捨てることなど決してないとは考えることができないからです。

 これは、友人同士や夫婦の間に例えるならば、相手がひそかに自分を裏切っているのではないかと疑っているのと同じです。また、いつか自分を裏切りかねないと思っているのと同じです。あなたが友人や恋人に、または夫や妻に面とむかってこのようなことを言われたら、あなたは「なんという侮辱だろう」といきどおるに決まっていますし、相手がその疑いを抱き続ける間は、悲しみに胸はふさがれ、苦しみは耐えがたいはずです。ほとんどの人は、信じていると自分では考えていながらも、この第二段階にとどまってしまうのです。

 この不信は、特に子が母に対して持つとき、母にとっては残酷な拷問となります。さて、あなたは母であるマリア様に対して絶対的に信頼しない限り、この苦しみをマリア様に与え続けるのです。メッセージの中で、どれほど、そしていくたびマリア様はあなたに対する愛と完全な保護と配慮について語っていることでしょう。その言葉には、あなたの不信と疑いを取り除きたいという切なる願いがあるのですよ。あなたは不信の罪に気が付いてくれましたか? 悔い改めてくれますか? どんなことがあっても、毛ほどもマリア様を疑わないという、信じることにおいての第三段階に進んでくださいね。




【 第150章 】

 マリア様のメッセージを信じ、マリア様を愛したあなたは、自分自身の行動がマリア様的になる、そういう変化がありましたか? あまりにも自分のことしか考えないこの世代の人々の中で、無私の愛が暗やみの中の輝きのように人を引きつけます。神様と隣人を愛する愛だけを持ち、利己的自愛心をほんの少しも持っていないマリア様の、その特徴は、あなたにもあらわれ、人を引きつけますか? マリア様のメッセージを信じ、マリア様を愛した人々が、もしも自己中心的で、隣人に対して冷たく、立場の弱い人を思いやらず、困っている人、苦しんでいる人、貧しい人に残酷だとしたら、まわりの人々はどう思うでしょう。マリア様のメッセージを知りたいと思うでしょうか。マリア様を知りたいと思うでしょうか。彼らもメッセージを知り、マリア様を知りたいと望むよう、あなたは無私の愛を自分の特徴とし、行動においてそれをあらわさなくてはなりません。

 特に家庭において、家族の中でまずそれを実践すべきです。なぜならば、マリア様は家庭において、家族の中で主にこれを実践しつつ、一生をおすごしになれましたし、マリア様があなたを選び、メッセージを知り、信じる恵みを与えたのは、あなたによってあなたの家族が救われるようにという御計画なのですから。マリア様がこの世の人々に与えたい証しは、家族、家庭という単位によって最も輝きます。

 今、互いに無私の愛で愛しあい、助け合い、仕えあう家族がどこにありますか。親は自分の楽しみと自分の時間を求め、子の霊魂の成長のために何の配慮もしません。子を保育園・幼稚園、塾、お稽古ごとに行かせ、その間、外での楽しみにふけったりしています。子は奉仕することをしつけられることがなく、物や金でのごほうびを習慣づけられ、無償で人のためにという精神の正反対をすりこまれて育ち、家族の中で暴君となってしまったりしています。あなたがマリア様とともに、あなたの家族をマリア様に導き、導かれて全員がマリア様のものになった家庭が、愛のない砂漠となったこの世の家庭に、マリア様のメッセージを知り、マリア様を愛するようになった家族の幸せを示し、その生き方に引きつける。あなたはマリア様のこの素晴らしいご計画の第一歩をになうように召されています。あなたの行動、あなたの変化によって、そのスタートを切りましょう。



--------------------------------
【 第151章 】

 イエズス様には12人の使徒がいましたが、イスカリオテのユダという使徒は、イエズス様を裏切り、お金とひきかえに敵に売りました。ユダは大変いやしい人間でした。自分がイエズス様のために働いているからには、イエズス様から特別に恵みを受けるのが当然だと考えていました。イエズス様がいつも決して強制することがなく、奉仕したいという人の自発的に与えるものだけを受けていたというのに、ユダはイエズス様を不正だと責めていました。もらって当然だと信じている特別な恵みをくれないからでした。正義そのものである神様を不正だと責め、不満と反感をつのらせ、とうとうイエズス様を憎み、敵になりました。いやしい人は、いつでも人に何かをすると、「お金!」と言って手を出すような、そういうたぐいのことをします。反対に高潔な人は、「なすべきことをしたまでです」と言い、お礼や感謝、ほめ言葉などを拒みます。

 世の中には高潔な人が、今の時代はほとんどいません。マリア様のメッセージを信じる人の中にも、ほとんどいないのです。それでユダのように、ほとんどの人が最後にはマリア様を裏切り、敵になり、自発的にささげたものを、だまされたといって裁判で偽証して取りかえそうとまでするのです。だまされたということだけは決してありません。マリア様は詐欺師ではありません。その人の心のいやしさが、特別な恵みをあてこませ、あてがはずれたので、不正だといって責めているのです。確かにその人々は自発的にささげました。しかし、いやしい心の状態が、「見返り」のためにそうさせたのです。

 あなたはどうか高潔な人間になってください。高潔さを獲得してください。卑しい人はマリア様のために働き続け、堅忍することが決してできません。この道は、この世的には損するだけなのですから。あなたがマリア様のために何をしても、本当はなすべきことをしたにすぎないのです。神様から、霊魂を創造していただき、生まれさせていただき、この世の良いものをたくさんいただいたばかりか、真理中の真理であるマリア様のメッセージを知る恵みさえもいただきましたね。そして永遠の幸福を神様が備えてくださっているでしょう? 名誉、健康、地位、全財産をマリア様にささげ、失っても、またこの世の生命をささげ、失っても、どんな活躍や奉仕をしても、それはなすべきことをしたにすぎないのです。むしろ、なすべきことをさせてくださった神様に感謝すべきであって、何かを誇ったり、何かの見返りを要求したりすることは、人間には決してできません。自分のいやしさについて深く反省し、この罪を悔い改めましょう。マリア様の騎士(ナイト)、戦士(ワリア)は高潔な心そのものをマリア様に差し出すものですよ。



--------------------------------
【 第152章 】

 小さな子供が、母親からもらっている大きな安心感は、見ていて何とうらやましいことでしょう。この世でこれほど心地よいものはないと思います。幼い時にしか味わえない特権でしょう。特に日本人は完全主義者に育ってしまいますから、裏をかえせば、どこかに不完全さはないかといつも不安を抱えている状態を後の一生強いられる民族です。だからこそ幼少期の母から受ける大きな安心感は、わずか数年だけ味わうことが許される、実に貴重な宝と言えるでしょう。

 幼少期に味わった大きな安心感は、記憶にだけは刻み込まれ、ふたたびそれを味わいたいという無意識の要求となって残ります。しかし日本の社会と文化、そして人間関係は、形式の完ぺきさを要求しますから、小さな不完全に至るまで指摘され、批判されます。どこにも、誰からも、もう二度と大きな安心感はもらえないのです。日本人特有のこの不安、寂しさ、悲しさ、辛さ、満たされないむなしさをマリア様は完全に理解してくださっています。すべての心の女王として、神様と共有させられた無限の知恵によって、そして神的母性によって、あらゆる子の必要を何から何までご存じなのです。

 あなたが、もう一度幼少期の大きな安心感を取り戻したいのなら、マリア様のもとに来てください。そしてマリア様の近くに来るだけではなく、マリア様の胸に抱きよせられ、あやされ、マリア様の恵みの母乳を飲んでください。マリア様との愛の会話は、マリア様があなたに授乳するときです。この恵みの母乳は、あなたの霊魂に幼な子の徳を成長させ、あなたをマリア様の霊的幼児に若返らせます。どんな宗教にもない、マリア様が与えるこの大きな安心感を、あなたはローマ・カトリック使徒教会に求めてください。唯一の真理を保つ、この教えにだけ、神様はその特権的幸福を味わえるようにしてくださっています。そしてあなたは、マリア様の胸に抱かれる幸せに満たされ、次はマリア様の汚れなき御心、愛の炎の中に入っていくよう愛の招きを受け、あなたがそこに深く入り、御心の中心に進めば進むほど、あなた自身が甘美な愛に変えられ、あなたもマリア様の生き写しになり、まわりの人が大きな安心感をあなたから受けることができるようになるのです。ですから、マリア様のもとに、まず近づいていくことが、今、なすべきことだと信じてくださいね。本当にそこからすべてが始まるのですよ。



--------------------------------
【 第153章 】

 狩りをするライオンやオオカミは、群れの中の弱いものに狙いを定めます。悪魔もそれと同じことをします。マリア様の群れの弱い人に狙いを定め、えじきにします。マリア様の群れで弱い人とは、病人や老人や子供ではありません。自分一人でできると考えている人です。強い人とは自分一人では何もできないと考えている人です。同一人物が、弱くなったり、強くなったりもします。

 例えば幻視者ですが、最初は悪魔の力を知らなくて、自分一人でできると考えているので弱いので、たくさんの卵たちが、人に知られることもなく、悪魔のえじきになって消え去ります。その中で悪魔の強さ、自分の弱さに気づき、自分一人では何もできないと考える人がわずかに残ります。マリア様も彼らにリトル・ペブルさんと一致するように命じ、一致によって力を得るのだと教えますから、リトル・ペブルさんと一致した当初は、自分一人では何もできないという考えを保ちます。しかし、ほとんどの人は、まもなく名前が公に知られ、人から尊敬の目で見られ始めると、自分一人でできると思い上がりはじめます。そして半年もたたないうちに、悪魔のえじきになって、リトル・ペブルさんとの一致から離れ、恵みを失い、悪魔方の幻視者になってしまうのです。

 自分一人でできるという人を悪魔は笑っています。悪魔にとって、そのような人を倒すのは、赤子の手をひねるようなものなのです。この熾烈な霊戦において、あなたがたった一人でいったい何ができますか? あなたの罪のあがない自体、イエズス様とマリア様の身代わりによっていただいた恵みですし、あなたが今受けている霊的な光は、多くの聖なる人たちの代願に免じて神様が与えてくださったものです。これからもあなた一人の力で何かできることなど決してありません。諸聖人、諸天使、すべての煉獄とリンボの義人たちの助け、そして今、地上に生き、マリア様とともに戦っている人の功徳によって、悪魔が全力を注いでいるにもかかわらず、ひとつひとつの前進が達成されていっているのです。

 あなたはリトル・ペブルさんを支持しているのですね。そしてマリア様の望まれる祈りと償いを果たしているのですね。しかし、あなたが自分一人で何かできると考えているなら、あなたは一致による力の外に立っています。傲慢なあなたが、間もなく悪魔のえじきになるのは明らかです。あなたの謙遜と一致を守るために、「自分一人では何一つできない」との考えを、心にも口にも絶えず繰り返してください。そうするならマリア様のマントはあなたを絶えずおおい、あなたはマリア様のマントの中の一致した子らの一人として、マリア様の無敵の力に常に守られるでしょう。






153本のマリアさまのバラ  定価2,000円
------------------------------------------
2003年5月31日 第1刷発行

著 者 ジャン・マリー
発行者 コルベ・マリー
発行所  箱舟の聖母社
------------------------------------------

お申込みは、現金書留か郵便振替にて、下記までお願いします。ご送金はおつ
りのないようにお願いします。ご入金を確認後、発送します。

〒012−0106
秋田県湯沢市三梨町字清水小屋14
箱舟の聖母社

 電話・FAX: 0183−42−2762
 Eメール:charbeljapan@nifty.ne.jp
 郵便振替 02260−0−91200


[ HOME ]


inserted by FC2 system